78話 出発準備
ワラベに対する尋問という名の生存報告と今後の予定を知らせる用事が片付いて本部へと戻って来た4人は、未だ賭けの結果を引きずっているマッハをヒナが苦笑しながら慰め続けるというなんとも言えない状態が続いていた。
イシュタルとケルヌンノスはというと、イシュタルがワラベに向けて放った一言が原因でケルヌンノスが不機嫌になったのを慰めるという、こちらも似たような光景を作り出していた。
「ごめんって、けるねぇ。そんなにいじけないでよ」
「……別に、わざわざ聞くことなかった。私は、泣いてないって言った……」
「だからごめんって……。今度、私の番になったらヒナねぇの隣譲ってあげるから……」
「……そんなの、関係ないもん……」
そんな感じでまだ可愛らしく拗ねているケルヌンノスは良いのだが、マッハとヒナはもっと酷かった。
末っ子であるイシュタルと、マッハの妹であるケルヌンノスの喧嘩はまだお互いのせいで発生した物なので収めるのも簡単……なのだが、マッハのそれは彼女達と程度が違う。
「あぁぁぁぁ……。もうやだぁぁぁ」
「そんなに泣くなら賭けなんてしなかったら良かったじゃん……」
「だってぇぇぇ!」
ぐすっと涙目になる彼女は3姉妹の長女だとはとても思えない。
こんなくだらないことで泣けるのはある意味才能とも言えるのだが、生憎とヒナに彼女を泣き止ませる手段なんてないので、ただアワアワしながらその背中を優しく擦るしかできなかった。
そんな光景を見ながらいつの間にか仲直りした2人は、ジーっとその姉の情けない後姿を見つめ、実は言い訳をしつつヒナとベタベタしたいだけなのではないかと軽蔑の瞳を向ける。
その真意は分からないが、マッハはケルヌンノスが夕食の準備をすると言ってキッチンでいそいそと何かを作り始めると途端に機嫌を直してのほほんと微笑んだ。
「……マッハねぇ、ちょっとズルくない?」
「ん~? 私はショックだ。ひじょーに、ショックを受けている」
「……あっそ」
ふんと言いたげに己の姉から顔をそむけたイシュタルは、まぁまぁとニコニコ微笑んでいるヒナにも責任の一端があると口を開いた。
「えぇ!? わ、私!?」
「……ヒナねぇ、マッハねぇを甘やかしすぎ。もっと私達にも甘くしてくれて良――じゃなくて、もっと平等に接するべき」
「そ、そんなつもりなんてないよぉ……」
まぁ確かに、マッハが激怒して泣き出してしまったあの件以来彼女に甘くなっているのは認めざるを得ないが、それだけに、他の2人に対しても甘く接しているつもりだった。
いや、元々厳しい面なんてこれっぽっちも無かった気がするが、以前より柔らかく、そして自然に笑えるようになったことは彼女の中での進歩だった。
まだどこか育児というか、姉妹の世話というのは慣れない部分が多いが、数年ぶりに感じる家族の温もりというのはやはり良い物だとのんきに考える程には余裕が出来ていた。
マッハ達からしてみれば、ヒナが子供すぎるので自分達が育てていると言っても良いのだが、それはお互いの認識の違いなので追及するのは野暮という物だ。
「……もう良い。それより、今度行くダンジョンについて考えよう。お弁当持参は必須。ダンジョンの中でお腹が空くなんて、もう嫌だ」
しばらくとぼけるような笑顔を浮かべていたヒナをジーっと見つめていたイシュタルだったが、やがて観念したように肩を竦めるとそう口にした。
彼女達は、ブリタニア王国のある村の外れにあるダンジョンに、前々からもっとガッツリ潜ってみたいと思っていた。
幸いというか、不幸というか、ともかくエリンと一緒に冒険したのを最後にあの場所には行けていないので、今度こそは1階層よりも下の階層へ行ってみたいと思っていたのだ。
だが、その為にはそれ相応の準備という物が必要となる。
緊急用の脱出アイテムから、お弁当、魔力回復のポーションの追加や持っていく課金アイテムの選定などだ。
中でも重要なのが、ケルヌンノスが作るお弁当をどうやって数日持たせるかだ。
アイテムボックスの中は時間が止まっているので食料を置いていたとしてもダメになる事は無いのだが、持ち歩くとなると当然その問題が襲い掛かってくる。
彼女達が課金アイテムなんかを無数に入れているポーチの中だって時間が止まっている訳では無いし、仮にリュックのような物を出してきたとしてもそれはポーチより入れられる物が増えるというだけだ。
「保存食的なの、あったっけ……?」
「ん~、アイテムにそんなのは無かったはずだよ? 強いて言えばお菓子系のコラボが来た時にそれらしい物がゲットできたんだけど、ほんとにただのお菓子だからお腹は膨れないし……」
「……確かに、お菓子じゃお腹は膨れない」
それを食べてみたいと言うのをグッと我慢しつつ、イシュタルはうーんと頭を悩ませる。
確かにお菓子であれば普通の料理よりも日持ちは良いだろう。それに、火や水なんかは最悪魔法で作り出せるので調理をダンジョンの中でしようと思えばできなくもない。
ただ、その為には食材を持っていく必要があり、ここでもまた“時間が経てばダメになってしまう”という大元の問題に帰ってきてしまう。
ダンジョン内にいるモンスターの肉を喰らう……という選択肢がないわけでもないのだが、本質的に食事の必要がないケルヌンノスはともかくとして、ヒナにそんなばっちい物は食べさせたくないというのが3人の総意だった。
ダンジョン内に生息しているモンスターの肉は、言うなればカエルやヘビを食べようと言っているのと同じであり、仮にダンジョン内にステーキにすると美味しいフロストドラゴン等が出てこない限りは願い下げだった。
少なくとも、ブラックベアの肉やホワイトタイガーの肉はラグナロクに存在していない食材なので食べるのは断固拒否するとこの場の全員が同意していた。
「他に何かない? 食材系のやつとか、料理系の」
「ん~……ご飯系のってほとんど装飾に使われるタイプの物だったからねぇ……。お菓子コラボ、和風スイーツ、グルメ漫画系のコラボ商品……あ、サバイバル作品とのコラボで、携帯保存食ってのがあったはずだよ。あの、なんか細長い棒みたいな?」
「それはやだ」
知識として、自衛隊なんかがゲリラ戦の時に食べるような栄養食を知っていたイシュタルは、ヒナが言わんとしている物を察してあらかじめ拒否を示す。
あれらは決して美味しいという類の物ではなく、栄養を無理やり胃の中に流し込んでいるような物なので好んで食べたい物ではなく、そんなことをするならお弁当が尽きたタイミングでアイテムを使って出てきた方がマシだ。
無論アイテムの無駄遣いというのは否めないが、携帯保存食なるマズイ物を口にするよりはマシだし、マッハの索敵スキルを用いればすぐにでもボス部屋を見つける事は可能だろう。
そして、お弁当が尽きたそのタイミングでヒナが地上まで魔法で穴を開け、帰ってきた時にまたその穴から地下へと潜れば良いだけだ。
「え、えぇ……? それ、あり?」
「最初にあのダンジョンから出てきた時はヒナねぇが天井に穴を開けた。開けられない事は無い」
「そ、そうかもしれないけどさぁ……」
それは冒険への冒涜では無いのか。
苦笑しつつもそう言うヒナだったが、確かにその案も悪くないのではないかと思わなくも無かった。
その理由だが、冒険はしたいが何時間も成果がないままダンジョンをうろついているといずれ飽きが来てしまうのではないかと心配だったのだ。
自分の性格はよく知っている。飽きればそれ以上はその事に関心が湧かなくなり一切やる気が湧かなくなる。そうなってしまえば、自分はたとえテコでもそれに準ずることはしなくなる。
冒険それ自体は大好きだし、マッハ達とのダンジョン攻略なんて事に本当に飽きが来るのかは分からない。
それでも、自分のいい加減な性格なら一概に“ありえない”と断じる事が出来ないのもまた事実だった。
冒険の面白さは半減してしまうかもしれないが、新しい階層に行くたびにマッハに索敵スキルを使ってもらってボス部屋まで直行し、道中で出てくる雑魚敵をなぎ倒しながら攻略する。
そんな、ある意味で楽々なダンジョン攻略もありなのか……と。
「ボス攻略は皆でやれば良いしな~! それこそ、1階層ごとに誰がやるって決めても私は文句ないぞ~?」
「って、マッハねぇは言ってるけど……どう?」
「ん~……けるちゃんはどう~?」
自分では決める事が出来ず、唯一この話し合いに参加していないケルヌンノスに判断を丸投げしてしまおう。そんな考えの元発した言葉だったのだが、彼女から返ってきた答えは当然のことながら――
「ヒナねぇが良いなら、私は別に良い」という物だった。
(それじゃ良くないんだってぇぇぇ……)
内心でそう絶叫するが、結局自分で決めるしかないのは事実だ。
ヒナがイシュタルの案に反対すれば彼女達は文句も言わず、じゃあどうしようかと新しい案を考え出すだろう。しかしながら、それ以上の案なんてあるのか……。そんな思いが、ヒナの中にあるのも事実だった。
それになにより、これ以上自分のワガママで彼女達を困らせるのは姉としてどうなのか。その長女としての責任が彼女の心をくすぐった。
「じゃあさ、基本はそのプランで行って、食材とかドロップするモンスターが出てきた時だけその場で食事を済ませるっていうの、どう?」
「フロストドラゴンみたいな奴が出てきたら、その時はご飯食べにダンジョン出ずに、そのままそいつのお肉食べようって事?」
「そうそう! どう……?」
この家にある食材は、3割が店などで買った元装飾用の物で、1割がコラボなんかで手に入れた、他のとは少々テイストの違う物だ。そして、残りの6割が、実にモンスター達からドロップした肉や魚、森の中で採取できた草花や木の実だった。
なので、ダンジョンに生息しているモンスターがラグナロクでも食材をドロップする類のモンスターであれば、いちいちダンジョンからでなくてもいいのではないか。ヒナが言いたいのは、つまりそういう事だった。
イシュタル達が懸念しているのは美味しいかどうかも分かっていない食材をヒナの口に入れる事であり、その美味しさが保証されているモンスターの食材から作られた物であればなんら問題は無い。
そしてブラックベアが第一層に居たことを考えると、下の階層にはもっと別のモンスターがいる可能性も高く、そうなればダンジョン内での食材の確保も可能かもしれなかった。
「……うん、大丈夫。それで行こう」
「やった! じゃあじゃあ、私はもちろんあの子を持っていくとして……みんなも、メイン武器持っていく?」
「もちろん持っていく。ダンジョンでは何があるか分からない。念には念を入れる。あと、アイテムに関しても今持ってる必要最低限の奴じゃなくて、神に挑む時みたいにガチガチにしていこう」
「お、それ良いな! 面白そう!」
正直戦力過多な気がしないでもないが、マーリンの言う事を信じれば、彼女を瀕死まで追い込みエリンの国を滅茶苦茶にした人達がいるというのも事実だ。
正直そんな人達――特に魔法使い――に自分がどうこうされる未来は一切見えないのだが、油断という物はどんな相手にだってして良い物ではない。そのわずかな油断が命取りになる可能性だってあるし、被害を被るのは自分だけという訳では無い。
もしもマッハ達にその者達の魔の手が迫れば、ヒナはまたいつかの時のように自分自身を制御できる自信が無かった。
それこそ、自分達が生き埋めになるとかそんなことなど一切考えず、ダンジョンの中でも最高威力の魔法をぶっ放してしまう事だってあり得た。
それに、前回はソロモンの魔導書が無かったのでそこまで大惨事にはならなかった物の、今回はそれを持って出るのだから、以前よりも魔法の選択には気を付けなければならない。
「でも、貴重なアイテムは流石にこんなところで使ってちゃあれだし、在庫がいっぱいあるアイテム中心に構成しよう。本当に必要だと思える貴重なものは、ヒナねぇの判断で持っていく。どう?」
「賛成~。切り札なんてそう何枚も持ってても仕方ないしな~」
「うん! 分かった!」
話し合いがちょうど終わったタイミングで、それを待っていたかのようにケルヌンノスが無数の召喚獣と共に夕食を運んで来た。
今日のメニューは神獣の卵と不死鳥のモモ肉を使った親子丼だ。食材名だけ見れば食べるのが大変憚られるのだが、不死鳥の引き締まった肉は言葉に出来ない程美味く、まるで口の中でとろけるように消えていく。
ヒナは口にした事が無かったが、最高級焼肉とはまさにこれの事を言うのだろうと、初めて口にした時は思った物だ。
全員の前にスプーン代わりのレンゲとマグカップに注がれたお茶が用意され、ヒナがいつもの口上を口にする……直前、マッハが不満そうに口を開いた。
「私のやつ、お肉少なくないか? なんか、気持ち皆のそれと比べるとサイズも小さい気がするんだけど……」
「あ~……言われてみればね? なんでだろ?」
「……ける? お姉ちゃんの、意図的にそうしたな?」
マッハがニコッと微笑むと、いつになく真剣な顔をしたケルヌンノスがイシュタルの隣にちょこんと腰掛けながらふふっと不敵に笑った。
その顔はマッハですら少しだけ背筋の震える物で、ヒナも思わず引きつった笑みを浮かべる程怒りに満ちていた。
「当然。マッハねぇ、調子に乗りすぎ。ヒナねぇは、私達皆のヒナねぇ」
「……ご、ごめんって……」
「今日は許さない。それで我慢する」
「はい……」
肩をガクンと落としたマッハを気の毒に思い自分の器と交換しようとしたヒナは、目の前から降りかかってくる圧の込められた「ヒナねぇ?」というケルヌンノスの言葉にピクッと動きを止めた。
怒ったら怖いなんて設定付けたっけ……と背中に冷たい汗を浮かべながら、誤魔化すようにふふっと笑った。
「じ、じゃあ食べよっか……」
その日の食事は不思議といつもより味がしなかったのは、多分気のせいでは無いだろう。
ヒナはその夜、ケルヌンノスだけはなるべく怒らせないようにしようと密かに誓った。




