74話 新たな計画
時は少し遡り、ヒナと3人の姉妹が1日ぶりに再会を果たしていた頃、まだボロボロと零れ落ちる城の瓦礫からのっそりとその身を起こした女がいた。
女の体には背中から胸にかけて槍で貫かれたような大穴が開けられ、反対側から向こう側が覗けるほどの大怪我を負い、内臓と思われる何かしらの臓器がそこら辺で赤く摺り潰されていた。にも関わらず、女は口からダラリと血を流すだけにとどまり、ヨロヨロと足をもたれさせながらなんとか立ち上がった。
「マッタク……メチャクチャナマホウダ……」
持っていたメイン武器であるベース型の杖は粉々に破壊され今は見る影もないが、偶然拾った人の足を杖の代わりにして、なんとか陰で様子を伺っていたレオを呼び寄せる。
彼がここでサンを裏切っていれば彼女の命はここで終わっていただろうが、幸いと言うべきかレオが反旗を翻す事は無く、すぐさま回復のポーションを使ってサンの体を半分ほど回復させる。
彼が持っているポーションの全てを使い果たしてもなお彼女の膨大なHPが全て回復する事は無かったが、とりあえず足元が揺らぐことなく歩けるようにはなったので、一度ふぅとため息を吐いた。
「スコシ、マオウヲナメテイタナ……。シッタイダ」
「あ、あぁ……。にしても、本当に奴が来るなんてな……。どうする?」
「ドウスルモナニモ、イマノワタシタチデハヤツラニハカテン。ホンブニモドッテコノコトヲホウコクスル」
分かり切っていることを聞くなと怒鳴りたくなるが、文字通り彼は命の恩人となったので、この場を温厚に済ませて命を救われた件を勝手にチャラにする。
レオからしてみればふざけるなと叫びだしたい気分だろうが、サンとはそういう女だ。
しかし、彼女も黙ってこの場を去るのは魔王に何もできずに負けたというレッテルを貼られかねないので、最後にマーリンと魔王が仲違いするように余裕綽々という態度を取っている少女1人に気付かれないよう魔法を発動させた。
「オマエハネンノタメ、ヤツラノコンゴノドウコウヲカクニンシテカラキカンシロ。コレカラオモシロイモノガミラレルゾ」
「……? お、おう。分かった」
面白い物とはなんだと彼が口にする前に、サンは召喚魔法を発動させて黒鳥を呼び出し、その足に捕まって空へと飛びだった。
レオがその後のマーリンとマッハの戦いを見届けた時は、面白いとかそういう以前に、彼女達がNPCであるが故に生じていると思われる利点を発見する事になるのだが、それを報告するのはもう少し先だ。
………………
…………
……
ブリタニア王国から1時間ほど飛んだサンは、遥か昔に放棄されたとある農村の小汚い民家の前で黒鳥から降りると、召喚魔法を解除してからその家の扉を開けた。
ギギッと軋む扉に若干イラっとしつつ、チラリと中を見回してみる。しかし、中には誰もおらず、もはや長年雨風に晒され続けて強い風でも吹けば瞬く間に吹き飛んでしまいそうなこの家に若干の懐かしさを感じながら、部屋の奥へと歩みを進める。
すると、やがて地下へと続く扉が現れ、それをガチャリと開けようとしたタイミングで見張りの交代になったのだろう男と鉢合わせる。
「うわぁっ! っと……ビックリした。サブマスですか。驚かせないでくだせぇ」
「ソノヨビカタハヤメロ。サントヨベトマイドイッテイルダロ」
「す、すいやせん。しかし……どうしたんですかい? ボロボロじゃないですか」
太陽のように光り輝く金髪の青年がやけにおっさん臭い口調で喋っている事に強烈な違和感を感じつつ、サンはただ一言「ナンデモナイ」と答えて地下へと入っていった。
ただ、男に回復のポーションを要求する事は忘れておらず、男の手持ちのポーションを全て使ってようやく彼女のHPは全回復する事となった。
地下へ伸びている木製のはしごをぴょんと降りると、そこには何かの冗談かと口にしたくなるような巨大な神殿が聳え立っていた。
はしごの長さはどんなに長く見積もっても3メートルほどなのに、地下に聳え立っているその神殿の高さはどう低く見積もっても30メートルはくだらない。なんでこんな地下にこんな神殿が立っているのか。それは、簡単に言ってしまえば彼らが持ち込んでいたアイテムの力だ。
「ヤットカエッテキタナ……」
この世界に来て数日のうちにこの本部を地下深くへ埋めてその場所を数々の課金アイテムで防衛しようと言い出したのは誰だったか……。少なくとも自分では無かったはずだが、魔王がこの世界にやってきた今、その人物の提案を聞き入れたアムニスの判断は正しかったわけだ。
当初は反対した物の、今となってはこうしておいて良かったな……。密かにそう思いつつ、サンはその神殿――ディアボロスのギルド本部――へと向かってトコトコと歩き出した。
フランスのパリにあるという教会を参考に作られたその神殿は、地下深くにあるというのに金色の正門が煌びやかに輝いて来る者を迎え入れ、その奥にある純白の神殿は下手すれば数百万単位で金が飛んでいる。
その外装を作るために費やした素材集めなんかはディアボロス内でも数多くの反対意見が出て、一時は計画そのものが頓挫する可能性もあった程だ。
しかしながら、ギルドマスターであるフィーネとサンがなんとか仲間達を説得して3ヵ月もの期間を経て完成にまでもっていったギルド本部。それこそが、このキャメロット城に勝るとも劣らないこの神殿だった。
無論、キャメロット城の内装や彼らのロールプレイも良いアクセントとなって注目を集めていた円卓の騎士のギルド本部とは違い、彼らは忌み嫌われるPK集団だ。そのギルド本部が凄すぎると話題になった事は一度もなく、むしろPK集団が神殿を本部にしているとは何かの冗談かとまで言われる始末だった。
しかし、その中傷も今となっては正解だと言えるだろう。なぜなら――
「あぁぁぁぁぁ!」
「や、やめてくれぇぇぇ!」
血のように真っ赤な絨毯の上をトコトコ歩きながら地下深くから聞こえてくるこの世界の住人達の絶叫に口の端を歪めながら歩くサンを見れば、その理由が分かるはずだ。
彼らは、ラグナロクというゲームから解き放たれた今でも人殺しを嬉々として続けており、この世界に来たその日からPKすらも引き続き行っていた。それは、ゲーム上の殺しとは違い、本物の殺人だ。
そんな罪深い者達が神殿をアジトにしていると知れば、少なくともマーリンはかつて彼らに向けられた中傷をそのまま口にするだろう。これは何かの冗談か……と。
しかしながら、サンを始めとしたこの神殿に身を置いている者達からしてみれば、そんな中傷は誉め言葉として受け取れるものであり、この場の全員が『殺人こそ至高であり、究極の遊戯』と考えている。
そんな者達からしてみれば、人の命など文字通りただの玩具に過ぎないのだ。
「モドッタゾ。フィーネハイルカ?」
神殿の最奥に設けられた祭壇へと辿り着いた彼女は、パタンと大きな音を立てながら背後の扉を閉め、左右に10個ずつ並べられた横長の木製の椅子に腰かけている数人の陰に向かってそう言った。
天井や周りにびっしりと貼られたカラフルなステンドグラスが眩しいくらい光を反射し、ここが地下であることを一瞬だけ忘れそうになる。が、そんな光景も数百年ぶりだと思えば感慨深い物がある。
相変わらず見事だなと鼻を鳴らすと、その心の内を正確に見抜いたかのようにふふっと笑い、彼女が求めた女が立ち上がって人の良い笑顔を浮かべた。
「お帰り、サン。君が帰って来たという事は、計画が終わった……もしくは最終段階に入ったという事かな? それは素晴らしい」
その女――フィーネは腰まで伸ばした絹のように白い髪を腰のあたりまで無造作に伸ばし、頭の上に血のように赤い天使の輪を浮かべた褐色の少女の姿をしていた。
その瞳は頭上に浮かぶ天使の輪と同じく真っ赤に輝き、身に纏っているのはセーラー服のような紺色の学生服だ。だが、セーラー服を元にしているというだけで完全にそれではなく、少しアレンジが加えられたものだ。
にゃはっと猫のようにクシャっと笑って白い歯を輝かせた彼女に、サンは気まずそうに笑ってからフィーネの元までゆっくり歩き、スマナイと短く謝罪を口にした。
そして、魔王がこの世界にやってきた事と、計画が全て失敗に終わった事を伝えた。
それを適当に相槌を打ちながら聞いていたフィーネは、サンが口を閉じるとわざとらしくふむ~と唸り、傍に腰掛けていた1人へ言葉を投げた。
「アムちゃん、どう思う?」
アムちゃんと呼ばれたその人物は、短く「その呼び方は止めてください」と言いながらやれやれと言いたげに立ち上がり、その整った顔を晒した。
こんなところで何をしているのかと小言を言いそうになったサンだったが、よく考えればあの王城のように無数に個室がある訳では無いこの神殿では、一部の者達がここに集って談笑する事がよくあったなと思い出した。
無論主要メンバーの6人には個室が与えられているのだが、そこにあるのは簡素なベッドと各人のアイテムボックスくらいで他に置いてある物は無い。なので、その主要メンバーしか入る事を許されていないこの場に集う事は、この世界に来てからかなり多くなっていた。
それに、談笑をしないまでも、何もすることが無い時はここに集まって惰眠を貪るというのも、この世界に来てからの皆の共通認識だった。
その事を忘れていたと内心で苦笑しつつ、アムニスが口を開くのを待った。
彼女は頭の上に人骨のお面を付け、先端を緑に染めた黒髪を肩のところで綺麗に揃えた30代前半くらいの女だった。
その紫色の瞳は黒い丸型のサングラスで隠され、鯉が描かれた浴衣を着ているその姿はこの場でもっとも浮いていると言って良いだろう。制服姿のフィーネより、よっぽど違和感がある。
「大前提として、その魔王とはラグナロクにおける魔王……すなわち、ヒナと捉えて良いんでしょうか?」
「アア。マホウヲブチコンデカクニンシタ。マーリンヲイチゲキデセントウフノウニオイコンダマホウヲ、ヤツハヘイゼントウケタ」
「そうですか。では、サンにはしばらく待機してもらいましょうか。魔王に顔を覚えられて襲撃される可能性もありますし」
「……ワカッタ」
アムニスはラグナロクでプレイしていた頃は、ギルドに届いたPK依頼を纏めたり、それらを実行する部隊を編成したり、あるいは報酬金やドロップアイテムの管理。その全てを担当していた、いわゆる軍師的な立場のプレイヤーだった。
その縁もあり、この世界に来てからは全ての計画を彼女先導の元進めており、その為の部隊編成などもラグナロクの頃と変わらず彼女がやっていた。
誰かの命令には従わないと決めているサンでも、唯一彼女とフィーネの指示は自分の納得する物であれば聞く耳を持っている。
そして、今回の命令は彼女自身もそうしてくれと願いだす類の物であったために深くは突っ込まずにコクリと頷いた。
しかしながら、次の瞬間彼女の機嫌を急降下させる少女の声がその場に響いた。
「サンがしくじったなぁ!? だぁから僕とイラが一緒に行こうって言ったんだよ。あんなバカ共使わなくともさぁ、僕らなら世界征服くらい余裕っしょ~。なぁイラ?」
「……お姉ちゃん、なんでもかんでも事実を言えば良いってものじゃないよ。サンだって足りない頭を使って考えて、そのうえで出した結論なんだから。そうだよね? 仕事ができないなりに頑張った結果なんだもんね? だからほら、仕方ないんだよ。だって、サンはイラやお姉ちゃんと違って無能なんだもん」
キッ!という効果音が相応しいほど勢いよく振り返ったサンは、椅子の上で膝立ちになりながら手で口元を覆っている2人の少女を視界に映すと、チッと小さく舌打ちをした。
彼女達はこのギルド内でも珍しく、サンに悪意的な感情をなんの躊躇いもなくぶつける事が出来る2人だ。
現実世界でも双子の姉妹だった彼女達は、ラグナロクでもほとんど同じ姿でプレイし、ディアボロスでは2人ともPKの対象が有名なプレイヤーだった時に先陣を切る、いわば特攻隊長の役割を担っていた。
姉のミセリアは病的に白い肌とネグリジェのようなスケスケの白い服を身に纏い、見る者を恐怖に陥れるのに特化しているようなギラついたオレンジの瞳を好戦的に光らせている。
妹のイラは姿と恰好は姉のそれとまったく同じ――装備は違うが同じように見えるようカスタムしている――が、瞳の色は薄い紫で、ユラユラと儚げに揺らしている。
声の印象もまったく異なり、ミセリアの方はどちらかと言えば喧嘩腰であり、イラの方はサンと同じく機械的な一定の音程で、声から感情を読み取る事は不可能に近い。
サンは、ディアボロス内では唯一本気の殺意を持っているその2人の姉妹に怒りと屈辱に塗れた刺すような鋭い視線を向けつつも、相手にするだけ無駄だと言わんばかりにその場を後にするべく扉へと歩き出した。
「シシシ! あいつ、負け犬みたく帰っていくぜ~! 愉快だなぁ、イラ?」
「……お姉ちゃん、本当の事言ったら可哀想だよ? いくら惨めで情けなくて、イラ達なら恥ずかしくて死ぬって状況でも、その人にとってそうとは限らないんだから。サンだって、きっと自分がどうしようもなく無能で役立たずなのは分かってるよ。それでも、懸命にイラ達の役に立とうとしてるんだもん。虐めちゃダメだよ」
「……! オマエラ、イイカゲンニ――」
「そこまでにしてください」
愉快そうに笑いながら挑発の言葉を口にした姉妹に振り返りながら魔法を放とうとしたサンを思い留まらせたのは、その場で“唯一“全員から信頼されている人間の声だった。
アムニスがパンパンと手を叩き、2人を黙らせた後にサンには退室する事を命令し、彼女も大人しくそれに従う。
パタンと扉が閉まったことを確認すると、アムニスは疲れたようにはぁとため息を吐きながら2人の少女を咎めるような目で見つめる。
「あなた達ね……サンに喧嘩を売るのは止めてくださいといつも言ってるでしょ? 内輪揉めをするなら、せめてここじゃないところでやってくれる?」
「はいはい~。怒られちゃったな、イラ」
「……お姉ちゃんが本当の事ばかり言うからだよ。言うなら、イラみたいにフォローしながら言わないと」
サンをイラつかせているのはどちらかと言えばミセリアではなくイラの言葉なのだが、その事を当人達は気付いていないようで、ふふっと笑いあうと大人しくもう一度席に座りなおした。
数百年ぶりに見るそのやり取りにはぁとため息を吐きつつ、アムニスは「では、次の計画を説明します」と前置きして説明を始めた。
「――と、こんな感じになります。目下のところ優先するべきは魔王の討伐。ですが、そう簡単に倒せる相手ではない事はご存じの通りかと思いますので、我々のように“時間凍結”を彼女が施さないようであれば寿命でこの世界を去ってから再び計画を実行に移すプランでも良いかと思いますが、いかがです?」
「相手依存の考えは出来るだけ避けた方が良いだろうね。殺せるよう、打てる手はすべて打っておくべきだ。その為に、もう少し万全な計画を練ろうか」
アムニスの考えにふふっと笑いながら答えたのはフィーネだ。
彼女は一度イベントで魔王と矛を交えているので、その理不尽なまでの強さは痛感していた。それは、ゲーム内でもアーサーと肩を並べる程の実力を持っていた“剣士”の彼女が、魔法使いのヒナにボコボコにされたほどだ。
「分かりました。では、数日中に魔王を殺すための策を考えておきます。それと……皆さんお分かりでしょうが、レベリオさんには彼女の事は伝えないでください。暴走されると困りますので」
この場にいない女の事を口にしたアムニスは、話は終わりだとばかりに再び席に着くと静かに寝息を立て始めた。
それを突発的な会議の終わりと捉え、3人も再び瞼を閉じて眠りについた。
本部にレオが帰還して会議が再開されるまで、残り1日と21時間。