73話 帰宅
マーリン達の元から返って来たイシュタルは、その場で軽く説明した後3日後くらいにここに来ればまた詳しい話を聞けるだろうと口にした。
この説明でマッハが納得するのかどうかは不安ではあった物の、少なくとも今起きているケルヌンノスに関してはイシュタルと同じ意見だったらしく、納得したと言わんばかりに小さく頷いた。
「ヒナねぇに攻撃してきた奴と、攻撃しかけたけどしなかった奴のどっちを信じるのかと言われると、後者を信じるのは当然。本心で言えばどっちも殺したいけど、我慢する」
「ん、私もそう思う。多分、マッハねぇはヒナねぇに攻撃してきた奴の存在を知らなかったから怒っただけだと思う。他にも理由ありそうだけど……」
「他の理由?」
可愛らしく首を傾げたヒナに自分の心配事は伝えず、イシュタルはサッサと家に帰ろうと口にした。
ヒナもそうだが、自分だってお腹は空いてるし早くあの家に帰ってゆっくりしたいというのはこの場にいる全員の総意だろう。
欲を言えばそこにエリンも一緒に居てくれるならこの上なく嬉しいのだが、彼女も彼女で事情がありそうなので、イシュタルは何も言わずに帰って来たのだ。別に、彼女と二度と会えなくなるわけじゃないのだから。
「そうだよね! エリンとはまた会えるもんね!」
「ん。早く帰ってご飯食べたい」
「ほんとだね! ねね、けるちゃんが作ってくれるんでしょ!?」
太陽のような満面の笑みでそう言われると、ケルヌンノスが断れるはずがなかった。
元々断るつもりは無かったのだが、改めてそう言われるとヒナがそこにいるという実感で泣き出してしまいそうになり、思わず頬を朱色に染めてプイっとそっぽを向いてしまう。
そしてなにかしたかと動揺するヒナを放置していつものように霊龍を召喚し、その背に飛び乗る。
「早く帰ろう。私もお腹空いた」
「……けるねぇって、時々そういうとこ出るよね」
「ん? え? なに、作ってくれるの!? え、どっち!?」
動揺しながらもマッハを抱えながら霊龍の背に飛び乗った彼女は、結局その答えを家に帰り着くまでもらえる事は無かった。
そのせいで、家に到着して彼女が呼び出していたエルフクイーンの代わりの留守番のモンスターを引っ込め、キッチンに立った時にはふぁ……と気の抜けた声を漏らしてしまう事になった。
ヒナはソファにヘナヘナと座り込んで、隣でまだスヤスヤ寝息を立てているマッハの頭を撫でる。
「ま~ちゃんがあんなに怒るなんてねぇ……。珍しいこともあるものだね」
「……マッハねぇもヒナねぇの事が大事って事。ヒナねぇは、もっと自分の身を守るために力を使うべき。拘束された時だって、ヒナねぇが魔法を使ってればこんな事態にはなってない」
手厳しすぎるイシュタルのその声に、ヒナは梅干しでも食べた時のような顔をしてうーんと気まずそうに唸った。
ヒナとしてもそれが正論であることは分かっているのだが、彼女がこの世界の人々に魔法を向けるのは姉妹の誰かに危害が加わりそうになった時だけだ。その時以外は、自分の身は大丈夫だというある種の油断があるせいで中々それに踏み出せないでいた。
それに、ただでさえ人を傷付けるのに激しい抵抗があるのに、それを率先してやってほしいというのは精神的にキツイ物がある。
「それにほら、皆が居てくれれば安全でしょ?」
「……ヒナねぇ、私はそういうことを言ってるんじゃない」
「うぅ、ごめんってばぁ……」
しゅんと肩を落とすヒナに姉の威厳なんてものは既に無く、彼女がこの先どれだけ頑張ろうともその威厳という物を取り戻す事は出来ないだろう。
いや、どれだけ頑張ろうともマッハ達3人とエリン以外の人とまともに会話すらできないヒナに、姉の威厳という大層な物が備わる事は永遠にないだろうが……。
そして、ふぅと安心して気を落ち着かせて、彼女はようやく気付いた。自分とイシュタルが持っていた武器を、王城のあの地下牢へ置いてきてしまったという事に。
今すぐ回収に行こうにもあの場にはまだマーリン達がいる可能性が高く、真顔で「何しに来たんだ」と言われると気まずいなんて物じゃない。
この際、仕方がないので今度行った時に返してもらえれば良いだろうと軽く考えておいた方が良いかもしれない。もちろん、そのまま自分達の物だと言われても仕方が無いと言って渡すしかないという、ある種の覚悟を抱えて。
(あの子じゃないし……まぁ、いっか……)
ヒナにとって真に大切だと言える武器は、自分の分身と呼んで差し支えないソロモンの魔導書だけだった。
最悪あれさえあればこの世界のどんな人間にだろうと負けるはずがないし、デメリット効果を無視できる彼女にしてみれば、あれ以上の性能を誇る武器はラグナロクに存在していない。
そんな物品をおいそれと他人に渡すくらいなら、その時は彼女がどんな手を使ってでもそれを取り戻すために死力を尽くすだろう。
それに、イシュタルが持っていた武器もそうだが、両方ともそこそこの武器ではあるもの、自室のアイテムボックスにはそれ以上の性能を誇る武器がまだ数多く収納されている。なので、あんな程度の物を数個無くしたくらいでは痛手でもなんでもないし、なんならエリンが必要というなら王国に貸し出しても問題ないとすら思っていた。
まぁ、彼女がヒナに武力を寄越せなんて言ってくるとは思えないのだが……。
「……あ、そう言えばヒナねぇ。ヒナねぇを探すために、マッハねぇが……そう。私は反対したんだけど、マッハねぇがバルバロスのコンパス使った。私は、反対したけど」
キッチンでエプロンを付けながら召喚魔法を使用して人型の召喚獣達に料理の手伝いをさせていたケルヌンノスが、思い出したようにそう言った。
彼女が口にしたアイテムの名前をしばらく口の中で呟くように反復してその効果を思い出していたヒナは、遅れる事数秒、家中に響き渡るほどの大声で叫んだ。
「えぇぇぇぇ!?」
一瞬家が揺れたのではないかという錯覚に陥るその声を耳元で聞いて堪えられなかったのか、まどろみの中にいたマッハがうーんと目を擦りながら鬱陶しそうに隣に座る人物に視線を送る。
しかし、当のヒナはそんな咎めるようなマッハの視線に気付くことなく、気まずそうな顔をしているケルヌンノスの顔をジーっと見つめる。
その瞳には「何かの冗談だよね?」という感情が込められており、彼女がフリフリと頭を振るとガックリと肩を落とした。
あくまで自分は反対したし、マッハが勝手に使ったという部分を強調しながら使用するに至った経緯を話したケルヌンノスは、まだふわぁとあくびをしながら状況を吞み込んでいないマッハに全てを丸投げし、自分は料理に集中する事にした。
あとの説明は使った本人がやってくれとでも言いたげなその態度は姉にするそれでは無いが、別にありもしない事を言っている訳では無いのでセーフ……だろう。
ヒナに肩を揺すられてようやく意識を半ばほど覚醒させたマッハは、フラフラとした足取りで洗面台まで行くとパシャパシャと顔を洗い、まだ顔に無数の水滴が滴っているうちにヒナの隣へちょこんと腰掛ける。そして、改めて首を傾げ、可愛らしく「なに?」と口にした。
自身の姉が寝起きは本当に役に立たないなと再確認しつつも、イシュタルは先程ケルヌンノスが言った事をそのまま復唱する。
「……あ~、うん、使った。だってほら、クイーンちゃん急にいなくなっちゃうし、ける泣き出しちゃうし、仕方なかったんだよ。そう、仕方なかったの!」
「なっ! わたし、泣いてないもん! マッハねぇが嘘言ってる!」
「嘘じゃないもん! ける泣いてたじゃん! ヒナねぇが死んだかもってわんわん泣いてた!」
「泣いてないってば! そんなことしないもんわたし!」
『……』
この家に戻って来た2人にしか分からないだろうやり取りを続ける姉妹を微笑ましそうに見ながら、ヒナはまぁいっかと結論付け、その愛らしい争いに待ったをかける。
ケルヌンノスなら泣いてくれそうだなと少しだけほっこりしつつも、バルバロスのコンパスに関しては仕方ないとして笑って流し、マッハの頭を優しく撫でる。
「どうせ、もうこっちじゃ使う事無いだろうからあんまり気にしなくて良いよ。それより、大事にしなきゃなのは戦闘の時に使うアイテムだよ。そっち系のアイテムの消費は、必要最小限に抑えないとね」
「ん、私もそう思う。だから、マッハねぇのあれは咎めるべき。マッハねぇが使おうとした無の結晶は、もうストックが少ししかない。大事に使うべき」
マッハがマーリンを殺そうとしたときに咄嗟に取り出したアイテムは、拳大の大きさをしている薄灰色の結晶だ。
その効果はあらゆるスキルや魔法の効果を無効化するという非常にシンプルかつ強力な効果で、ヒナでも持っているストックはマッハのそれを合わせて10個にも満たない。
バルバロスのコンパスよりその総量が多いのは、その強すぎる効果ゆえに、使用するか分からないコンパスよりより多く仕入れた結果だ。
無論、そのガチャにもかなりの金が消えていったのだが……。
全盛期には300個近くあったそれも、日々の冒険でかなり数を減らしており、今や彼女達の持ち得る最強の切り札の1枚となっている。
これを使えば、彼女が発動させた世界断絶のスキルすら貫通して攻撃を与える事が出来るし、自分に向けられたありとあらゆる攻撃魔法やスキルの類を無効化することまで出来るのだから。
だが、イシュタルに責めるような視線を向けられたマッハは、むしろなんのことだと言いたげに首を傾げた。
自分がそんな貴重なアイテムをそう易々と使うはずないだろと口を尖らせながら言うと、ヒナねぇに怒られるような事なんてしてないと胸を張った。その曇りなき自慢げな顔には、マーリンに襲い掛かった事など記憶にないようで……
「ん? 私、そんなことしたか?」
「……え、なにそれ。本気で言ってるの?」
「んぁ? うん、もちろん。本気も本気。寝て起きたら、もう家に着いてた」
ケロッとそう言ったマッハに、イシュタルが自分が見た光景をありのまま伝えると、マッハは何かの冗談かとばかりにはっはと笑った。
その姉の態度に思わずヒナの方を見たイシュタルは、ヒナも信じられないと言いたげにマッハを見ていたことであの光景が自分の見た幻覚なんかじゃないとホッと胸をなでおろす。
「マッハねぇ言ってたじゃん。ヒナねぇにすてないで~って」
「? そんな事言ってないって」
「……ヒナねぇ、言われたでしょ?」
「う、うん……。なんのことか分かんなかったけど……」
小さくコクコクと頷くヒナに同意するように、真っ白いエプロンに一筋のシミを垂らしているケルヌンノスがヨイショと振り返りながら両手に鍋を持ち、テーブルに運ぶ。そして、そのついでと言わんばかりに彼女達の話を肯定する。
鍋の中には肉団子のような一口サイズに丸められたウサギの肉や様々な山菜やシイタケのようなキノコなどが所狭しと並べられ、ケルヌンノスが召喚した召喚獣達が運んで来た小さな器の中には、神獣の卵なる食べるのが憚られるような食材が転がっていた。
肉の形状は少し違和感がある物の、見る者が見ればそれがなんなのかはすぐに分かるだろう。ケルヌンノス特製のすき焼きだ。
「あ、ける~。私、フロストドラゴンの肉も食べたい~! あれも入れて~」
「……あのお肉はステーキにした方が美味しい……。それに、私が泣いたとか嘘言ってるからやだ」
「え~、良いじゃん! まだ在庫いっぱいあるだろ~?」
マッハは自分の記憶にはないその恥ずかしすぎる話はスルーする事に決めたらしく、小さな器に殻ごと入っている卵をコンコンと割ると、中から白い黄身を取り出す。
そして、箸でカラカラと中身をかき混ぜると隣のヒナの分まで卵を割ってその殻を自分の口の中へ放り込む。
「……行儀悪いよ、マッハねぇ」
「この殻美味しいんだって~! たるも一度食べて見たらわかるぞ?」
「前にそれで毒サソリの尻尾食べて酷い目に合ったからやだ。大体、あんなドブみたいな味のする尻尾が美味しいとか、マッハねぇの舌がおかしい」
「ドブみたいって、ひっど~! あのサソリもそんな事言われるために食べられてる訳じゃないのになぁ? ねぇ、ヒナねぇ」
同意を求められても……とヒナは苦笑する。
その頭の中には、イシュタルと同じように毒サソリの刺身という、絶対に食べてはいけないような類の物が夕飯に出てきた時に起こった悲劇がフラッシュバックしているに違いない。
あの時は、ケルヌンノスも共にその被害にあい、翌日全員が2時間ほどトイレに籠る羽目になったのだ。同じ機会に見舞われたとしても、もうあんな真似はしないとマッハ以外の全員が心に誓っていた。
それに、マッハのそれはエビフライの尻尾を残すのはもったいないではないかというそれと完全に同じであり、本来廃棄する部分を美味しそうになんでもモグモグ食べるのだ。
そんな設定を施した覚えのないヒナは、この世界で彼女と一緒に暮らすようになって度々その行動に引き気味の笑みを浮かべていたりする。
「……ヒナねぇ、ドラゴンのお肉、どうする? あれはステーキにした方が絶対美味しい。鍋に入れるなんて、無駄の極み。食材に失礼」
サラダやその他の付け合わせなんかをちょこちょこ運んでいるケルヌンノスにそう言われ、ヒナはトラウマと言っても良いその光景を頭から追い払う。
そして、わざとらしくうーんと唸ると、目の前の期待に満ち溢れたマッハの目を見て仕方なさそうにふふっと笑う。
「ま~ちゃんが入れたいって言ってるなら良いんじゃない? まだあるんでしょ?」
「…………ヒナねぇが良いなら、そうする。でも、明日はステーキにするから。絶対、そっちの方が美味しい」
キッチンに歩いて行きながらボソボソとそう呟いたケルヌンノスは、マッハの要望通りフロストドラゴンという名のモンスターからドロップする肉をしゃぶしゃぶの肉のようにカットしてから大きめの皿に乗せ、テーブルへと運んだ。
普通に料理を作っても良かったのだが、今回わざわざすき焼きにしたのには理由がある。それは……
「ヒナねぇ、これ好きでしょ?」
「うん! みんなで鍋つつくの大好き!」
太陽でも負けるような輝かしい笑みを浮かべた彼女は、いつもの口上を述べると早速全員の取り皿に鍋の中身を取り分けていく。中でも、マッハの器には自分の分を減らしてでもお肉を気持ち多めにしてあげるのを忘れない。
本人は忘れたと言っているが、あの光景を生み出してしまったのは少なからず自分の責任だという事を、ヒナはしっかり自覚している。なので、そのお詫びも込めてだ。
「マッハねぇだけズルい。私もお肉欲しい」
「……けるねぇだけじゃない。私だってお肉は欲しい。ヒナねぇ、私にもちょうだい」
そんな愛らしい懇願の前で彼女の弱すぎる意志なんて保たれるはずもなく、結局彼女が肉を口にすることは一切無かった。が、それでも彼女は妹達の笑顔が再び見られたというだけで大満足だった。
まぁ、彼女達が肉ばかりを食べて山菜やキノコ類に一切手を付けようとしないので、余った物を全て彼女が食べる事になったのはまた別の話だ。




