65話 工作と潜入
マーリンの姿が消え――いや、死亡したと伝えられて2週間ほどが経過した頃、ようやく身辺を落ち着かせたシャトリーヌがメルヴィの部屋をコンコンとノックした。
数日前に面会を求められた時は何事かと思ったけれど、側室の子供とは言え王族であるシャトリーヌが暇であるはずがない。
それに、師匠とも言って差し支えない関係性でもあったマーリンの死から立ち直るためには人並みの時間を要するし、悲しみがその胸を埋め尽くす前に呪いとも言えるマーリンの言葉でその胸をいっぱいにしたのでここ数日はかなり忙しく動いていた。
彼女がここ数日行っていた事と言えば、まずマーリンの部屋の掃除や片付けなどだ。
エリンが度々マーリンが帰ってきていないか確認するために涙目で部屋に入ってくることがあり、その度にベッドの下なんかにいそいそと身を隠していたため予想以上に時間がかかったが、あらかた片付けは終わっていた。
無論本当の弟子であるエリンが彼女の私物を欲しがるだろうことも予想し、その時は全て譲るための手配も滞りなく行っていた。
まだ子供ではある物の、一応は現国王の子供であるためにその権力を使ってメイドを黙らせ、口を封じ、時には少ないお小遣いを握らせてエリンによからぬ者が近付かないよう警戒もさせていた。
そして、そんな事だけでは人心を留めておくことができない事も、よからぬ者に自分が提示している以上の金額を掴まされれば容易に裏切られることも分かっているので、次に彼女がしたのは騎士団への入団だった。
数日前に母親にこってり絞られている事もあってそれは難航したのだが、守るつもりのない「将来結婚相手を見繕ったらそれに従う事」という約束を交わす事でなんとか認めさせた。
それから剣術の稽古をつけてくれる相手……は見つけようともせず、団員達が剣を振る動きを見て学べるように環境を整えた。
それだけのことを、幼少の身でありながらたった数日で行う事は見事……なんて言葉で済ませて良いほど単純な成果に収まっていない。
まぁ、彼女はなんとも思っていないだろうが……。
反対にメルヴィは、ここ数日で少女に対する調査を召喚獣を使ってあらかた済ませており、その素性や性格、なんのために今行動しているのかの大部分を把握していた。
その時点で意のままに操る人形にすることは半ば諦め、上手い事思考を誘導して洗脳できないかと画策していた。
具体的に言えば、内乱を起こさせるレベルにまで思考を誘導し、将来的に謀反を起こさせて計画を年単位で早めようと思案したのだ。
「入るが良い」
「……失礼します」
なんで自分なんかに面会を求めているのか理解不能な事はさておいて、こんなことをしている暇があるなら一刻も早く騎士団の訓練場に行って彼らの技を盗みたい。そんな気持ちを意志の力で表情に出さぬよう努力し、シャトリーヌは礼儀として頭を下げて部屋に入る。
エリンと同じく書庫に居る事も多かった彼女は、メルヴィが今使っている部屋が誰のものだったか正しく理解しているので自身の憧れの人物とメルヴィを無意識に比較し、小さく落胆の声を――無論心の中で――漏らした。
メイド服のような奇妙な格好をしている少女を一瞥すると、メルヴィは椅子に体重を預けて先日用意させたばかりの新品の来客用ソファに腰掛けるよう促す。
しかし、誰にも心を許さないと誓ったシャトリーヌはそれを丁重に断り、さっさと要件を話せとあくまで柔らかく告げた。
「まぁそう言わず。メイドに茶菓子でも用意させ――」
「結構です。して、何用でしょうか」
傍に控える赤い髪の丸眼鏡をかけた専属メイドにお気に入りの店からお菓子か何かを買ってくるよう命じようとするも、それをピシャリと断られる。
分かってはいたが取り付く島もないなと内心で苦笑しつつ、そうかと偉そうに腕を組んで意味ありげに口の端を歪める。
「もう、落ち着いたか?」
「……マーリン様の件の事でしたら、私よりもメルヴィ様の方が大変だったかと存じます。もっとも、あの方に弟子がいたなんて、私は知りませんでしたが」
「私はもう大人なんでな。子供の君より精神的な落ち着きを取り戻すのは早いというだけさ」
なんで自分は齢12歳かそこらの少女に腹芸を仕掛けられているのかと暗澹たる思いを感じるが、そんなことはおくびにも出さずにふふっと笑う。
魔性の女っぽくて良いだろうと密かに気に入っている仕草なのだが、少女に効果は無かったようで感情の一切読み取れない能面のような顔で首を傾げられる。
「して、先程も申しましたが何用でしょうか?」
「……そうだな。要件を話そうか。君は――」
「シャトリーヌで結構です」
「…………そうか。シャトリーヌは、今現在の国政と民の状況についてはどう思っている?」
その言葉の意味を数秒考え、彼女はマーリンと月1で話し合っていたこの国の現状を頭に思い浮かべる。
この国の現状は決して良いとは言えず、かつての理想郷と呼ばれた素晴らしい姿とはあまりにもかけ離れ、内側から腐り果てた過去の栄光に醜くしがみつく国……という認識が、彼女とマーリンの共通認識だった。
しかし、メルヴィがこの国の現状をどう考えているのか分からない以上、ここで下手な事を言えば余計な火種を生む可能性がある。
シャトリーヌはもう単なる幼い少女でいる事は許されず、本人に認可はされていないまでも“この世でただ1人のエリンの忠臣”として振る舞わねばならないのだ。全てはこの国を立て直し、彼女を王に据えるために。
その為には、まずどうにかして味方を増やすか、エリンの評価を上げなければならない。
だが、それも現状は現実的ではない。なにせ、自分の年齢が年齢なだけにやれることが少なすぎるし、国政やその他社会情勢、世界の事に関して知識が致命的なまでに欠落しているからだ。
そんな状況で下手に動けば余計にエリンの立場を危うくしかねないとしっかり理解しているので、政治に関してはまだ無理をしないと決めていた。
「私のような子供に父上や大臣達の考えは分かりかねます。しかし、どう控えめに言っても民が豊かに暮らしている、とは言い難いかと思われます。無論、貴族や我々王族の暮らしが第一という前提はあると分かったうえでの発言ですが」
内心で、そんなわけないだろと付け加えつつ相手の反応を伺う。
メルヴィもその類の答えが返ってくるのは予期していたのか、ふむと小さく頷いた。
「そうか。まぁそう気を張らなくていい。私は何もシャトリーヌのことを虐めたいとか、君が大切にしている人を貶めようなんて思っている訳じゃない。ただ、憂うべきこの国の現状をどう思うかという話をしたくて足を運んでもらったんだ」
「憂うべき……ですか?」
「そうだ。シャトリーヌも知っての通り、今の我が国の現状はかつての理想郷と呼ばれたブリタニア王国からは程遠いものだ。私も君と同じく、この現状を変えたいと願う者だ」
メルヴィは心にもないことを羅列しつつ、どの言葉にシャトリーヌが反応するかを注意深く観察する。
その顔はあくまで能面のように薄っぺらくなんの感情も見通せないが、唯一『かつての理想郷』という言葉にはわずかに眉を顰めた。
そして、それが分かれば彼女はそこを中心に彼女の心をわずかに傾ける言葉を次々に投げるだけで良かった。
「今の王政は……まぁハッキリ言ってしまえば腐っている。こんなこと、あまり大きい声で言う物では無いが……やはり、過去の栄光に胡坐を掻いているように見えないか? 特に何か大きな功績を立てる訳でもなく、ただ初代王の血を引いているというだけで王座に就いて私腹を肥やしているだけだ、とな」
「……それは、父上の悪口ですか?」
「まぁそう思ってもらっても構わんさ。ま、だからなんだという話ではあるがね。仮にかつての栄光を取り戻したくとも私1人の力では限界がある。だから、同じ志を持っているだろう君を呼んだという訳さ。私はなにも、今の王政を打倒しようとかそんなことは一言も言ってない。以前の輝かしい王国の姿を取り戻したいと、そう言っているだけに過ぎないんだ。反逆の気持ちなんてこれっぽっちももっちゃいない」
要約すると、彼女が言っているのはこういう事だ。
自分は国王の政治に関して悪口を言っている訳では無く、あくまで今の王国はかつての王国の姿からは程遠いからなんとかしたい。でも、自分1人の力では限界があるからどうしようもないよね?と……。
それを、妙に長ったらしく、そして回りくどく言ったのは、幼い少女にはこの半分も分からないだろうという少しの侮りの気持ちがあったからだ。
しかし残念ながら、メルヴィのその考えとは裏腹に、シャトリーヌはその全てを完璧に把握し、それでいて分かっていない風を装いながらさらに探りを入れるべく口を開いた。
上手くいけば仲間に取り込めるし、仮にそうならなかったとしても使いようによっては自分が目的とする最終目標に利用できるかもしれない。そう思って。
「つまるところ、メルヴィ様はこの国をどうしたいとお考えなのですか? というよりも、まだ幼い私に、何をお望みなのですか?」
「あっはっは! まぁ、今君がなんの力もない子供だってのは認めるさ! でもね、なにも今すぐこの国の現状を変えようとは言ってないさ。数か月でどうにかなる問題では無いし、事によっては数年……数十年単位で事に当たる必要があるからね。だから、今のうちに同じ志を持つだろう君を仲間に引き入れたいなってさ」
肩を竦めながらそう言うメルヴィに不審そうな目を向けつつ、不自然にならないよう間を開けないよう出来るだけ注意しつつ、高速で頭を回転させる。
彼女の言葉が本心から出た物かどうか、それは分からないと答える他ない。
そして、メルヴィという人物そのものに対する信頼性は今のところ0に近い。なぜなら――
「それは分かりました。では、仲間に入る入らないの話をする前に、一つ教えていただいてもよろしいでしょうか?」
「ん? まぁ私が答えられる事なら構わないよ」
「あなたがご存じかどうかは分かりませんが、私は生前のマーリン様と幸運ながら親密な関係を築けていたと自負しています。ですが、終ぞとしてあなたの話は聞いた事がありません。あなたは本当に、マーリン様の弟子なのですか?」
先程聞いて、なぜかはぐらかされてしまった質問。
シャトリーヌが目の前のどこか余裕ぶっていて偉そうな女を信用できないのは、ひとえに“マーリンからその話を聞いていない”その一点からだった。
仮に彼女の事をマーリンが一言でも口にし、なおかつ「私の弟子だよ?」みたいなことを言っていればシャトリーヌはメルヴィの事をエリンと同じく無条件で信用しただろう。
それ程までに、彼女にとってマーリンという存在は偉大で重要なのだ。
無論マーリンの弟子なんて自分で言っているだけのメルヴィも、彼女がその事を聞いてくることは予測していた。
しかしながら、先程答えなかったのは一度疑わせることで後に信頼を得やすくするためであり、知恵比べは私の勝ちだと内心でほくそ笑む。
彼女は経験上、一発で相手を信用させるよりも、一度相手の中で疑念を抱かせた後にそれを解消してやる方が、より信用させることが可能であると分かっていた。
無論それは仕掛ける相手にもよるのだが、特定の人物を神のように崇めている人物なのであれば彼女の経験に基いた方法を使った方が確実だった。
そして、今回は都合が良いことにその人となりを熟知しているマーリンが信仰の対象である少女だ。やりやすいことこの上ない。
「まぁあの人はいい加減な人だったからね。ほら、よく不思議なお菓子くれなかったかい? あれ、私好きだったんだよね」
「……」
「それに、私があの人に弟子入りしたのはもう100年以上前のことだからさ。向こうが覚えてなくともなにも不思議じゃない。あまり積極的に交流するようなタイプじゃ無かったからね、私は」
どこか苦笑するようにそう語ったメルヴィの反応を注意深く観察し、その発言に嘘が無い事に少なからず動揺する。
確かに彼女はシャトリーヌに会うたび不思議なお菓子をくれたし、いい加減なところがあるのも同意するところだ。
エリンの前では気丈に振る舞っていた――見てないので想像だが――と思うが、自分の前では素の姿を曝け出していたように思う。
マーリンが王城に居る誰かと親しげに会話をしている所はあまり見た事が無かったので、彼女の事をそこまで詳しく知っているのなら、もしかしたらありえるのか……そう、少女の中で疑念が湧く。
シャトリーヌの内なる葛藤と動揺をわずかに動く顔の表情から正確に読み取ったメルヴィは、最後の一押しとばかりに「それに」と口を開いた。
「シャトリーヌとあの人がどんな会話をしてたのかは知らないけど、他の人の事なんて聞かなかったし聞かれなかったんじゃない? アーサー王や他の方達の事は話しても、それ以外の事は聞かなきゃ話してくれなかったでしょ?」
「……まぁ、確かに。そもそも、あの人達以外が話に上がってくる事はなかったような気も……」
「でしょ? だから、あの人の口から私の名前が出ないなんて、それは当然。あの人が私の事を忘れてるにせよ覚えてるにせよ、私の事を聞かない限り、あの人は答えないと思うよ?」
シャトリーヌは、マーリンと話していた時に自分もよくした「まったく、困ったものだ」と言いたげな苦笑を、肩を竦めながら浮かべたメルヴィに対する警戒を数段下げる。
本当に弟子だったかどうかは結局マーリン本人から聞けていないので信用には値しないが、少なくとも彼女がマーリンという偉大な魔法使いの本性を知っている1人であることに間違いはないようだ。
(でも、マーリン様がこの世から消えたのは――)
この国の王政に必要以上に首を突っ込んだからか、それともその強大な力を恐れられて消されたかのどちらかだ。そして、どちらにしても彼女と同じかそれ以上の強大な存在の力が必要だったことに間違いはない。
そして偶然にも、この王城内で一番力を持っているのは現騎士団の団長か、目の前にいるメルヴィだ。そこら辺の調査くらい、シャトリーヌだって行っている。
完全に信用はしないが、必要以上に警戒もしない。
シャトリーヌのメルヴィに対する評価はそこで固定され、これ以上はマーリンの証言でもない限り動くことは無い。
それを、メルヴィ本人も正しく理解しているのでとりあえずはこれで良しとしておく。
話をしたくとも、警戒されて壁を作られている状態では心に入り込むことはおろか、思考を誘導する事すら難しい。なので、まず手始めにその警戒を解く事から始めたのだ。
料理を作るに置いて様々な事前準備が必要なのと同じように、シャトリーヌという将来有望な駒を手に入れるためには無数のステップを踏む必要がある。
その第一段階が、マーリンを失ってエリン以外を信用しなくなってしまった彼女の“警戒を解く”という物だ。
この段階ではまだ信用を得ようとしなくて良い。あくまで警戒を解かせることに集中する事で、幼い少女の心を少しでも掌握しやすくするのだ。
無理をしてまですぐに殺す必要はない。甘い毒を徐々に浸透させ、最終的に殺せれば良い。それこそが、彼女の内に眠る殺人術の極意その1だった。
無論、この殺人術の極意はこの世界に来てから経験と共に身につけていったものだが……。
「分かってくれたかな? ま、結局本人から言われてないなら信用は出来ないかもしれないけど……一応、君の質問には答えたよ」
「……分かりました。でも、しばらく考えさせて。メルヴィ様が言うように、私にはまだ政治的な力はおろか、武力的な面で言っても大した力はありません。ここで安易に仲間になると言おうが、大した力にはなれないので」
「もちろん構わないよ。さっきも言った通り、私はなにもすぐに以前の姿を取り戻したいと言ってるわけじゃないからね。早いに越したことは無いだろうけど、焦って失敗するのもバカバカしい」
フフフっと笑ったメルヴィに同意するかのように小さく頷いたシャトリーヌは、話は終わりとばかりに手を振った彼女にぺこりと頭を下げると、安心したようにふぅと小さく息を吐いて部屋を出た。
その後、専属のメイドに甘いものを持って来てほしいと告げると、1人になったメルヴィはポツリと呟いた。
「次はエリンだな」
悪魔のような、見る者全てが背筋を凍らせるような顔でニヤリと笑った彼女は、シャトリーヌよりも容易く壊せるだろう少女の事を思い浮かべて邪悪な笑い声を漏らした。