62話 生まれ持った運
思えば、ろくなことが無かった人生だった。
試験やら入試なんかの大切な日には必ず寝坊するし、初めて出来た彼氏は親友に取られるし、両親は何度も何度も結婚と離婚を繰り返して、その度に苗字は変わるし……。
そのせいで何度も学校を転々として、友達を作っても長くて2年後には別の地域に引っ越すし……。
高校を卒業してすぐ家を出てバイトを始め、大学に行く資金を稼ぎながら、日々をその日暮らしで耐え凌ぎ、時々水道を止められつつ――ゲームが出来なくなるので電気代だけは払っていた――生活資金がヤバくなれば大学の友達に借金をしていた。
そんな、ろくな人生を送ってこなかったからなのか、人一倍何かに依存しやすく、影響されやすい性格になったんだろう。
『え~? 一緒にギルドを作る……?』
『あぁ。ここにいる皆で、今度出るラグナロクってゲームでコンセプトギルドを作らないかい?』
そんな中、あるVRゲームで知り合ったアーサーと名乗るプレイヤーからそんな提案を受けた。
本当はこれ以上ゲームにお金をかけるとマジで生活がヤバかったのですぐに頷けなかったのだが、その場に居た全員が賛成していた事もあって、ここは空気を呼んで賛成と首を縦に振った。
無論悪ノリというのもあったし、面白そうだという思いが全くなかったのかと言えば嘘になる。
だが一番大きかったのは「ここで反対すると、もう彼らとは一緒にゲームが出来ない」という、大切な物を失いたくないという思いだった。
幸いにも1年後に大学は卒業できたし、大企業への就職も決まった。
そのおかげで、ラグナロクをプレイするようになって2年も経った頃には生活に余裕も出来て課金もジャブジャブ出来るようになっていた。
多分、私の人生の絶頂気はこの頃だ。
無論、円卓の騎士の面々と知らない世界へ転移してそこで暮らした日々は最高に刺激的で楽しかった。
生まれて初めて結婚する事が出来たし、子供も授かる事が出来た。それが充実していなかったのかと言われるともちろんそんなことは無いけれど、やはりあの頃に比べると……という事だ。
私が何年経っても子供っぽいような性格だったのも幼少期の歪んだ生活環境が原因だったのだろうし、何かや誰かに依存しやすくなってしまったのもそれが関係しているのだろう。
誰かに愛されることも無く、仮に愛されたとしても瞬く間に自分から離れられてしまう。だから、いつしか人の顔色を窺って嫌われないように……多少不満があっても態度には出さないようにと気を付けてきたのだろう。
そんな私を温かく受け入れ、導いてくれたのは紛れもなく円卓の騎士の面々だし、あの時悪ノリだったとしてもコンセプトギルドを作る事に賛成して良かったと、今は心の底から思える。
彼らには感謝してもしきれないし、アーサーやランスロットなんかの創設メンバーに関しては、本当の親や兄弟、家族のように慕っていたと言っても過言ではない。
無論彼ら・彼女らは親友でもありライバルでもあるけれど、根本には『親愛』というとてつもなく大きく、重たい愛があった。
それがマーリンの、嘘偽らざる本音であり、円卓の騎士の面々に向けてきた『愛』だった。
その事に、薄々気付いていたのだろう。
彼女は自身の事をギルドのお笑い担当だとか、ムードメーカー的な立ち位置だと言っていたが、周りからしてみれば円卓の騎士を真に引っ張っていたのは彼女だと言われても文句は出なかったはずだ。
アーサーは無論そうなのだが、その彼を献身的にサポートし、いつでもギルドを盛り上げていたのはマーリンだった。
彼女がいたから喧嘩や争いなんかとは無縁のギルド運営が出来ていたと、創設メンバーの誰しもが思っていたほどだ。
その事を、彼女は気付いてもいないのだが……。
彼女の子供っぽい言動は男女問わず庇護欲を掻き立て、彼女の突飛な発想や豊富な知識は幾度もギルドを救い、彼女の明るく頼もしい言動に、何人もの人間が心を救われていた。
どこか憎めないお調子者なところもそうだし、悩みを打ち明ければ自分の事のように真剣に悩み、めでたい報告をすればまるで自分の事のように喜んでくれる。
終始ふざけているような、情けないような言動で場を盛り上げているが、やる時はやるカッコいい一面もあった彼女は、間違いなく魅力溢れる女性だったことだろう。
その事に一切気付かず、彼女が最も得たかった『愛』という感情を既に多くの人から貰っていたマーリンは、心臓を極細のレーザーで焼き払われた瞬間さえ、やけに冷静に自分の命の終わりを感じ取っていた。
貫かれた部分にマグマでも流し込まれているかのような灼熱の熱さを感じつつも吹雪の中にいるような身を震わせる寒さが同時に押し寄せてくる。
その感覚がやけに新鮮で、死を目前にしながらもふふっと笑みを浮かべる余裕すらあった。
空中浮遊のスキルが解除されて鮮血を散らしながら星の重力に引っ張られる。
HPゲージはまだ2割弱残っているだろうが、装備はその耐久値を消費しきって燃え尽きてしまい、今や呼吸すらまともにできない。
いや、■■の言っていた事が本当であれば、マーリン自身は元々呼吸の必要はない。
だが、うまく体中に酸素が行き届かなくなっているという感覚はあるし、指先なんかはもうまともに動かせない。
(こういうとこでお里が知れるんだよね……。私って、ほんとバカ……)
少し考えれば気付けただろう。
いくら不意を打ったとしても、PVPのエキスパートであるサンが、なんの対策もせずに隙を見せるはずがない。
彼女は、先程2人に対してマーリンがやったように、身代わり魔法の類を使ってわざとこちらに大魔法を打たせ、その際に生じるだろう隙を上手い事付いて来たのだ。
獲物を仕留める瞬間こそ、最も警戒しなくてはならない。なにせ、獲物を仕留めたその瞬間こそが、人が最も無防備になる瞬間だからだ。とは、よく言った物だ。
これを自慢げに話していたのはギルメンの誰だったっけ……。
薄れゆく意識の中で、頭に浮かんできたのは、やはり人生の絶頂期であるギルメンとの何気ない日々だった。
(ごめんね、パロッち……。せっかく忠告してくれてたのに……私ったら、そのことすっかり忘れてたや……)
創立メンバーでもあり、FPS系のゲームのプロゲーマーでもあったパロミデスという名のプレイヤーの顔を思い出しながら懐かしさで顔を歪める。
今この瞬間にも彼女の命の灯は凄まじい勢いで減り続け、地面へと落ちたその瞬間に彼女の命は終わりを迎えるだろう。
時間にしてわずか2秒ほどだろうか。その間に、彼女は今まで過ごしてきた己の人生の全てを振り返り、その思い出に浸る事が出来た。
不思議と、それだけでここ数年の寂しさが一気に埋まったような、ずっと心に開いていた大きな穴が埋まったかのような、そんな気分になる。こういうのを走馬灯と呼ぶんだろうか……。
脳内のありとあらゆる快楽物質やその他名称不明のよく分からない物質がドバドバ壊れた蛇口から排出されるかのように小さな脳みそを埋め尽くしているのが分かる。
(すまない■■。私は、どうやらここまでみたいだ。最後の望み、叶えてやれなくて悪いね……)
答えなんて、返ってくるはずない。そもそも、後10メートルほど落下すれば、自分は頭から地面に突っ込んでぺしゃんこに潰される。
内臓や脳みそなんかが色んな所からべちゃっと飛び出して見るに堪えない姿を晒すのは嫌だけれど、自分の油断から負けたのだからそれも受け入れなくてはならない事だ。
そう悲観的に考えた彼女は、ゆっくりと目を閉じて瞼の裏の暗闇を見つめた。
しかし、彼女はそこで目を見張った。目の前に、あの花畑で話した■■が、あの困ったような、悲しそうな……彼女が、一番好きな顔をして立っていたからだ。
『諦めるのかい? 君らしくないじゃないか』
■■は、ふふっと笑いながらそう言う。
何を勝手な事を……。そう言い返したいが、もう声すら満足に出せない。口を開きたくとも、そんな力は残っていなかった。
『どんなに不利な状況でも、どんなに理不尽な状況でも、諦めない。諦めなければ、いずれ必ず報われる。君が言ってた言葉だよ?』
そう言えば、■■と話していた時にカッコつけてそんな事を言ったっけ……。
今になって昔の黒歴史を引っ張ってこないでほしい。なにかの嫌がらせか? 心の中で、思わずそう愚痴ってしまう。
確かに、幼少期は幾度となく挫けて来たし、何度も死にたいと思った。
特に、初めて出来た彼氏を親友に取られた時なんかは本気で包丁を自分の体に向けたほどだ。
でも、そうしなかった。なぜかは……分からない。もう、そんな昔のことは覚えていない。
大体、今からどうすることも出来ないじゃないか。ここで、諦めない!とか仮に思ったとしても、奇跡なんてそうそう起きないから奇跡と呼ばれるんだよ……。
口に出さずとも、マーリンが複雑そうに微笑んだだけで■■はその心の内を正確に読み取った。
『そうかもね。でも、僕が言ってるのはそんな奇跡どうこうの話じゃないさ。君、まだ生きてるじゃないか。忘れたかい? 地上には、君が情報収集の為に召喚していた召喚獣が無数にいるって事をさ。それに、もうそろそろあの子が帰ってくる時間じゃないかい?』
その瞬間、マーリンの意識は自分でも驚くほど鮮明に蘇った。
まるで頭の中に立ち込めていた霧が晴れるみたいに、まだ勝負が終わっていないという事を思い出したかのように、開かなかったはずの口を、全身の力を総動員してなんとか開くことに成功する。
心臓を正確に貫かれ、裂けてはいけない大きな血管が破裂でもしているのだろう。口内には鉄の味が広がり、口の端からはダラダラと涎ではなく赤い血が流れてくる。
それでも、意志の力でそれらを全て無視し、叫んだ。
「う゛け゛と゛め゛ろ゛!」
召喚主の吐き捨てるようなその命令に従い、薔薇達の陰に隠れて戦いの余波に巻き込まれぬよう身を隠し、気配を殺していた召喚獣達がゾロゾロと顔を出す。
事前に南雲が王城に居た召喚獣達を全てこの場に集めていたこともあり、その数は昆虫型の物や小動物型の物、全て含めて23体にも及んだ。
その全てがレベル30にも満たない雑魚モンスターではあるものの、落下してくる彼女を受け止める事くらいなら造作もない。
しかし、当然その場にいた3人がそれを許すはずがない。
マーリンにまだ息がある事に静かに動揺しつつも、真っ先に動いたのは暗殺者の男だ。止めを刺すべく手元の毒を塗った刃をスッと投擲する。弾丸のような速度で飛翔するそれは、瀕死のマーリンの命を正確に刈り取る物だ。
それに加え、サンも手元のベースを鳴らし、ゾロゾロと落下地点に群がり始める召喚獣達に向けて暗黒の炎に包まれた槍を放つ。
もしもそれが逆であれば……サンが落下するマーリンを狙い、暗殺者の男が召喚獣達を狙ったのであれば……マーリンの命はそこで終わっていた。
だが、そうはならなかった。それこそが、彼女が生まれ持った運であり、奇跡とも呼べる結果だった。
「遅くなり申し訳ございません。南雲、ただいま戻りました」
投擲された刃をその背に受けつつも、マーリンをその腕に抱いた男は、そのままギュッと彼女を抱き寄せると地面で待っている召喚獣達と、そこに迫る暗黒の槍をグッと睨みつける。
武器である番傘はそこら辺に捨て置いた。防御は不可能。瞬時にそう判断し、せめてマーリンへの直撃は避けるべく、その魔法へ背中を向ける。
「ッ! ソコマデヤルカ……。ウリベルノジュウシャヨ」
サンからのその賛辞とも受け取れる言葉を無視しつつ、腕に抱いたマーリンへのダメージが無い事に胸をなでおろす。
まともに喰らえば一撃で消し飛んでしまうような威力の魔法を喰らってHPの損失が半分程度で済んだのは、彼の周りに無残な屍となって転がっている者達のおかげだ。
(助かった。お前達のおかげで、主を守れる)
南雲は、その人生の全てを巫女姫の身を守る事に使ってきた。
彼の肉体は巫女姫を敵の刃から守るためにあるし、彼の武技は巫女姫を狙った輩に天誅を下すためにある。
そして、その“スキル”は、巫女姫にもしものことがあった場合、自分の命を犠牲にしてでも巫女姫を助けるためにある。
あの時はマーリンに助けられたおかげで使う機会は無かったが、一度しか使えないそのスキルをあの時に使っていなかったのは、巫女姫の恩人である彼女を助けるためだったのだろう。不思議と、そう思えた。
このスキルを使えば、自分は二度と召喚されることは無い。
通常のHP全損時の死亡とは違い、このスキルを扱えば魂そのものが失われる。
今後マーリンに呼び出されることも無ければ、無理難題を言われて困る事もない。共に笑う事も、悩むことも、悲しむことも、全て出来なくなる。
だがしかし、恩人の命を一時でも繋ぎとめる手段を、彼は他に持っていない。
南雲が所持しているスキルの1つに、自身の命を他者に分け与えるという物がある。
どんな状況だろうと、相手に少しでもHPが残っていれば南雲のHPを全て分け与える事が出来るという物だ。
しかし、このスキルを発動すればもう二度と南雲を召喚魔法で呼び出す事は出来ず、再度同じクエストをクリアしたとしても召喚魔法は獲得できない。
召喚獣としては破格とも言っていい性能を誇っている南雲を二度と呼び出せなくなるとあっては、そのスキルを使用するプレイヤーはいなかった。
そもそも、そんなスキルを使うくらいなら回復魔法を使えば良いだけなので、そもそもそのスキルを発動させるという発想にすら至らなかったプレイヤーがほとんどだろう。
ラグナロクをプレイし、南雲を召喚する事が出来るプレイヤーの半数はそのスキルの存在すら忘却しているはずだ。件のマーリンも、その半数に含まれる。
『生者の信仰』
南雲の体が薄ぼんやりと発行し、薄緑の光に包まれる。
それは、彼の服や腕に鮮血を滲ませるマーリンの傷口へと集まると、その生命力を分け与えて傷の修復を始める。
無論半分に削れた南雲のHPを分け与えられても、膨大なマーリンのHPを全回復する事は叶わないし、傷が完全塞がる事もない。だが――
「主様……私は、為すべきことを……為しました……。武運を、お祈りしております……」
呟くようにそう零した南雲は、力なく地面に座り込むと、眠るようにこの世を去った。
それと同時に、回復魔法を使用できる程度には回復したマーリンが、南雲が右手に握っていた砂時計を握り締めながら立ち上がった。
「……えぇ。あなたの命、無駄になんてしない」
決意に満ちたその瞳には、召喚獣なんて言葉で片付けて良いほど軽い存在ではない、文字通り『命の恩人』を慈しむ感情と、この状況を引き起こした自分への静かなる怒りが宿っていた。
しかし、ここで無駄な時間を使えば南雲の命が無駄になる。もう、装備は無いし一撃喰らえば死ぬことは確実なのだ。
「カロウジテタスカッタヨウダガ、オマエガニゲルミチハナイゾ。ブキモソウビモモタナイオマエニ、ワタシタチハコロセナイ」
「はっ! サンの言う通りだ! なんとか生き残ったとしても、結局おめぇが詰んでることに変わりねぇだろ!」
ニヤリと笑ったジルに、マーリンもにやりと笑い返す。
右手に握った砂時計を握り潰し、6日後に発動するはずだったスキルの発動時間を強制的に0にする。
「あんたらとの決着は、今じゃなくて良い」
その言葉を最後に、マーリンはその場から姿を消した。
その数秒後、マーリンが立っていたその場につい数秒前に彼女の胸を貫いた極細のレーザーがバリバリと走った。
「……ナニガオコッタ?」
今度こそ本気で困惑を浮かべたサンは、耳から垂れる血液を右手の人差し指で掬いながら首を傾げた。
HPを5割ほど消費した身代わり魔法がもたらした効果に呆れつつ、回復魔法を発動させて再び周囲をキョロキョロと見回す。
「なにかしらの手段で逃げやがったな……? おいサン。転移魔法の類は、ラグナロクには無かったんだろ?」
「……アア、ソンザイシテイナイ。ソノタグイノスキルモ、ソンザイシテイナイ」
静かに発せられたサンの声を嘲笑うように温かい風が吹き、激しい戦闘の終わりを告げた。
花畑だったその場所は、今や無数の召喚獣の死体と凸凹なクレーターがあるだけだった。




