60話 大魔法使いマーリン
暗殺者からジルと呼ばれたその男は背丈が2メートルほどあり、白い髪に紫のメッシュが入っている特徴的な髪色をしていた。
夜の闇のように真っ黒なジャケットを羽織り、同じ色のブーツ、色のバランスを取る為なのか長いズボンは遥か後方に聳え立つ王城と同じくらい汚れ一つない真っ白だった。
その瞳は血に濡れたかのように赤く染まり、かつて彼の事を毛嫌いしていた親友とその中に眠るもう1人の少女の顔を嫌でも思い出す。
(装備のレベルは低いくせにプレイヤースキルだけ高くて面倒……だったよね、ランス)
かつての仲間が時折呟いていたそんな愚痴を思い出しつつ、マーリンは手元に武器が無い事を少しだけ不安に感じる。
ただでさえPVPでは魔法使いと肉弾戦を得意とする彼ら2人は相性が悪いのに、相手はフル装備でこちらは必要最低限の装備となれば勝ち目がかなり薄いことは誰が見ても明白だ。
それも、南雲が返ってくるまでの30分、なんとか耐えなくてはならないのだ。
「こういう時は……先手必勝! 『天使の衣』」
マーリンはスキルを発動させ、己の背中に2枚の神々しく輝く天使の羽根を生やす。
それを鳥の羽のようにバサッと広げると、フワフワと宙に浮きつつ相手の手の届かない上空から炎帝槍を相手の足元に放つ。
どうせ魔法防御力は装備等で底上げしているだろうから、ゲームシステム通りに戦っても勝てない。
ならば、“ゲームになかった要素”を上手いこと駆使して戦わなければならない。
地形そのものに魔法を放って周辺の地形を変え、その影響をプレイヤー自身に与える術はこの世界に来てから学んだ戦法だ。
「あんま舐めんなや」
「俺達のこと、甘く見てんじゃねぇよ!」
しかし、それは彼らも同じだった。
魔法職が極端に少ない彼らのギルドでも、この世界に来てからしばらくはこの世界のシステムに順応し、自分達の体が動きに着いて行けるよう努力していた。
その過程でゲームにはなかったシステムが色々反映されている事を知り、それ故に対策を講じていた。
地面に炎帝槍が直撃する寸前に後ろに飛んだ彼らは、すぐさま左右に別れると凄まじい速さでグルグルとその周辺を回り、南雲がやったように周りに咲く花達を散らしていく。
その最中、モゴモゴと口の中で最低限扱える強化魔法を自身に施し、示し合わせたかのように同時に宙へ飛び上がる。
(あんたらのパターンは把握してんだよ! どっちかが動きとめて、もう一方が一気にHP減らすんでしょ!?)
どれだけその戦法に苦汁を飲まされてきたと思ってる。そう心の中で吐き出しつつ、マーリンはすぐさまスキルを解除して勢いよく地上へと滑空する。
無論そのまま落ちれば無事では済まないだろうが、そこは地上に配置している召喚獣が守ってくれるだろうと信じて空中で身を翻し、どこから取り出したのか槌のような物を握っているアタッカー役だろう援軍に来た男目掛けて魔法を放つ。
『流星群』
ボス戦でも大変重宝されるその魔法は、ほとんどタイムラグ0で大気圏から大小様々の隕石を超重力で引き寄せ、設定された対象にぶつける魔法だ。
それを避けようとしても超音速で飛んでくる無数の隕石を避ける事は至難の業だし、一撃一撃が凶悪な攻撃力を誇っている。それは、先に放った炎帝槍の3倍以上だ。
さらにこの魔法の特徴は、与えられるダメージが魔法ダメージ換算ではなく物理ダメージで計算されるので、仮に魔法に対して装備を固め、物理系の攻撃に対して何も対策していなければ逆に大ダメージを喰らってしまうところにある。
その事に気付いたのか、ジルは上空から迫ってくる無数の隕石に顔をしかめると、早速奥の手の一枚である防御スキルを発動させる。
『絶対障壁』
一定時間自分を無敵にしてくれるこのスキルは、手に入れるのに大変な苦労をしなければならず、再発動に掛かるインターバルもかなり長い。しかし、こういうどうしようもない状態に陥れば話は別だ。
地上であればまだ逃げ場があったかもしれないが、空中だとそれ用のスキルを獲得していないので身動きが取れない。
武器を振って相殺しようにも、1個掠るだけでHPの大部分をゴッソリ削られるのでそんな博打は打ちたくなかったのだ。
『存在抹消』
一方で暗殺者の男はユラユラとその姿を消して一時的にこの世界からその存在を消してこの状況を切り抜ける。
男が使ったスキルは種族固有のスキルとほぼ同格の“クラス専用スキル”と呼ばれるものの類だ。
クラスが違くとも獲得する事は可能だが、使用するにはそれ用のクラスを獲得していなければならないという制約が課された非常に強力なスキルで、暗殺者の男が使う物は一定時間誰からも認識されず、攻撃も受けなくなるという物だ。
2人に降りかかる無数の隕石は対象を見失いつつも魔法の効果通りに花畑へと一直線に降りそそぎ、クレーターのような凹みをいくつも作った後に消滅する。
遠目から見ればその現象は七色に光り輝く軌跡を描きながら何かが落ちていく様に見えるのでかなり幻想的ではあるのだが、それが直撃した場所は元の地形が分からない程ぐちゃぐちゃだ。
仲間達に謝罪しつつ、昆虫型の召喚獣に受け止められたマーリンは、再び天使の羽根を生やして上空へ飛び、男達が地面へ着地しただろうタイミングを感覚で掴み、地上へ魔法を放つ。
『天使の威光』
レーザーのような白い光線が数えきれないほど辺りを乱舞し、まるで光が鏡に反射するかのように地上をあちこち飛び回る。
天使系のスキルを発動させている状態だと威力も効果も跳ね上がるその魔法は、先程の隕石と同じく一撃体を掠めただけで致命傷になりえる恐るべき殺傷能力を秘めている。
しかし、それは魔法防御力にかなり装備を回している彼らからしてみればそこまでの脅威にはなりえない。
無論直撃すればHPが2割ほど削れるが、それは許容範囲だと割り切って目で追える範囲の光線はスキルや武器をぶつけて防御することで消耗を最小限に抑える。
「この魔法は――」
「事後硬直がでけぇ!」
ある程度魔法を相殺した後、ここから反撃だとばかりに再度肉体能力だけで数メートル飛び上がり、魔法を放った態勢のまま石のように硬直しているマーリンにありったけの力を込めて武器を振るう。
暗殺者の刃がその首を掠め、ジルの槌がその背を思い切り叩いてボキッと嫌な音を奏でる。
それを受けて勝利を確信した2人は、にやりと口元を歪ませると重力に任せて自然落下していく前にもう一度攻撃を与えようと武器を構える。
しかし、そんな2人の上空から聞き覚えのある声が響き渡る。
「あんたら相手にするのに、私がなんの対策もせずその魔法使うはずないでしょうが。PVP初心者のうちの連中と一緒にするなよな~!?」
その瞬間、2人の目の前に居たマーリンがまるで残像のようにユラユラと揺れ始め、やがて映像が切れるように消滅する。そして、さらに数メートル上空に天使の羽根を生やして腕を組みながら眉を吊り上げているマーリンがポッと出現する。
「こ、この魔法は!」
「ッチ! 身代わり魔法も取ってやがんのか!」
自分の姿を離れた場所へ投影し、本来の自分の姿を見えなくする魔法は、投影された自分に攻撃が加わったタイミングで効果が切れる。
本来は索敵スキルなんかで対策が可能な魔法ではあるが、PVPなどで先程のような魔法後の硬直が大きい大魔法を使った時なんかは重宝する。
円卓の騎士はPVPを行う事は比較的少なかったのだが、ディアボロスの面々に狙われることはかなり多かったせいでモンスター相手にはほとんど意味をなさないこの魔法を習得している魔法使いもかなりいたのだ。
無論この魔法もデメリットが無いわけではない。
投影した自分が喰らったダメージの半分は元の自分へ帰ってくるので完全な無敵という訳では無いし、隠れている状態で攻撃を貰えば通常の倍ほどHPが削れてしまう。
しかし、相手がこの魔法を使えるかどうか分かっていない状態では、1度だけ自分のピンチを救ってくれるのに変わりはない。
(今のでHP3割弱持ってかれた……。必要最低限ならこんなもんか……)
再び彼らに魔法を放ちつつ密かに戦慄するマーリンは、今のをもう一度喰らえば終わりなのかと身を震わせる。
杖も無いし、装備も剝ぎ取られてしまう事を前提に選んだのでそこまで強力な物を持ってきていない。今回は、必要最低限の防御能力しか持ち合わせていないのが仇になった。
しかも、サリアスとの戦いで魔法をわざと反射させるという荒業を使ったせいで装備それ自体の耐久力もかなり心許ない状況だ。後1撃相手からまともな攻撃を貰えば、その時点で装備が破壊されることも覚悟しなければならないだろう。
(まぁこんなの作ろうと思えばすぐ作れるけど……にしても、相手が2人ってのが問題……)
一撃で装備が壊されてしまえば、もう1人から同時に攻撃を貰うと、それはかなり高確率で死を意味する。
ほぼ裸の状態の物理防御力が低い魔法使いにとって、攻撃力の高い槌という武器を持ったジルの攻撃は致命的だ。すぐさま治癒魔法を使ってHPを全回復したとはいえ、裸の状態であればそのHPゲージを一気に8割強かっさらう可能性だって十分に考えられる。
「ウカウカしてらんないな……。かと言って逃げる訳にもいかない、と……。ったく、めんどくさい!」
目くらましの魔法を発動させて周りに煙幕を張ると、すぐさま召喚魔法を発動して3体の剣や槍を持った天使を呼び出す。それらは4対の羽根を背中から生やして神々しいまでに光り輝き、高い物理防御を誇る召喚獣だ。
どちらかと言えば相手の攻撃を受け止めるタンク職なのだが、それ相応の攻撃力も誇るために性能面で言えば1体で南雲と同程度の仕事が出来る。
本来魔法使い対戦士や暗殺者の戦いには、召喚獣や同じ前衛のプレイヤーがいなければ圧倒的に不利。なので、わずかに余裕が出来たこのタイミングでモンスターを召喚し、南雲が戻ってくるまでの時間を稼ぐ。
手に入れるために貴重なGWを全てつぎ込んだ努力の結晶が相応の働きをしてくれることを期待し、再び魔法を発動しようと魔力を集中――
「――! やばっ!」
刹那、背筋を凍らせるような静かな殺意を首筋に感じ、本能に従って天使の羽根を消して勢いく地面へ落下する。
そのわずか数秒後、先程までマーリンが立っていた場所が勢いよく爆ぜた。
「ヨケラレタカ……。シッパイダナ」
瞬く間に目くらましとして発動した煙幕が消え去り、その魔法を発動させた相手が姿を現す。
海より深い蒼の髪と光の灯っていない同じ色の瞳をジッとマーリンに向け、ベースのような楽器を肩からぶら下げている少女だ。
着用しているパーカーは10歳そこそこの幼い少女が小学校に来ていくような可愛らしい物であるはずなのに、全身から迸る濃厚な殺気がそれを完全に打ち消している。
「3人目……」
地面にストっと着地して1割ほどHPを減少させたマーリンは、憎々しげにそう呟く。
すぐさま回復魔法を発動してHPを全回復させると、3人が作り出すトライアングルに囲まれている自分の状況を改めて認識してはぁと一息つく。
「あんたらさ、どんだけ私らのこと好きなわけ? か弱い女の子1人にリンチみたいな真似しないでくれる?」
「虚勢はんなって。見苦しいだけだぜ?」
「それはそうだ。だが……まさかサンも来るとは、俺も思ってなかった」
暗殺者がそう言うと、サンと呼ばれた少女がベースの弦を思い切り鳴らしてコクリと頷く。
「ワタシモクルキハナカッタ。アノバカドモガ、シロニイタイタシイスガタデカエッテキタカラキニナッタダケダ」
「相変わらず何言ってるか聞き取りにくい奴だな……。でもま、助かるわ」
暗殺者がニヤリと笑った瞬間、マーリンが出現させていた3体の天使が闇の炎に包まれて瞬く間にHPを全損させる。
彼らは物理防御力は非常に高いが、一方で魔法防御力はそこまで高くない。
それに加え、サンは彼らのギルド『ディアボロス』のサブギルドマスター……つまり、ナンバー2の女だ。
その攻撃力に全特化したような魔法やスキルの数々は、威力だけで言えば魔王に追随するのではないか……そう言われていた事もある。
まぁ、それは魔王がソロモンの魔導書という馬鹿げた性能の武器を手に入れるまでだったが……。
オマケに、サンはゲーム内ではどんな場面でもひらがなや漢字、果ては英語まで使う事は無く、全てカタカナでチャットを送るという、送られる側からすれば非常に面倒くさいロールプレイを行っていた事でも有名だ。
まぁ、その実力が伴っていたせいで誰も強く文句は言わなかったが……。
そして、この世界に来てからもそのロールプレイは続けているらしく、まるで機械的にも思えるその声は認識するのに多少なりとも神経を使う。
ただでさえ戦場という常に神経をビリビリ張り巡らせておかなくてはならない場で、彼女の存在は面倒の一言で片付けて良い物ではない。
「ここにアーサーがいれば……」
個人ランキング3位から5位をウロウロしていた円卓の騎士最強の剣士は、この場にいる3人を相手にしても余裕で勝利を収める事が出来るはずだ。
しかし、個人ランキングでも100位に入ったことの無いマーリンからしてみれば、この状況は絶望に近い。なにせ、サンはPKを中心に活動していたこともあり、そのランキングの順位がかなり高かったはずというおぼろげな記憶があったからだ。
装備が耐久力ギリギリで、その性能は必要最低限。魔法の威力増大や消費魔力を抑える役割を果たしてくれるメイン武器やサブ武器の類は持っておらず、ポーションやアイテム等も所持していない。
サン1人だけならまだしも、彼女には劣るともそこそこの戦闘力を誇る2人を相手に生き残れるとは思えなかった。
(勘弁してよまったく……。こういうの、柄じゃないんだよ……)
フリフリと頭を振ったマーリンは、もう一度だけガックリと肩を落とすと再度天使の羽根を生やして宙へ浮かぶ。
そして、自分に言い聞かせるように大声で叫んだ。
「やってやろうじゃん! 私はあの子の師匠! 世界一の魔法使いなんだから!」