6話 ロアの街
ヒナが準備を終わらせてリビングへと降りると、待ってましたとばかりに腰に愛刀を下げたマッハがまるで夏休みに近所の森へ探検に行く小学生のように右手を上に突き出し、満面の笑みを浮かべた。
「よし、行くぞ~!」
緊張感のまるでないその姿にイシュタルとケルヌンノスははぁと呆れたようにため息を吐くが、無駄に暗いよりは良いかと気持ちを切り替える。
ギルドの本部から外に出ると、そこは木々の間から優しい日の光が漏れ、つい数刻前まで雨が降っていたのか葉からポタポタと透明な雫が垂れていた。
所々に水たまりも出来ているが、それを気にする様子もなく4人は歩みを……
「ねぇ、ちょっと待って? カギとかかけなくて大丈夫なの? 私達がいない間に誰か来るかもよ……?」
数歩進んだところで、ヒナが思い出したように丸太小屋を振り返る。
ゲーム内では、ギルドの本部にはそのギルドに所属しているプレイヤーか、そのギルドのギルドマスター、もしくはサブギルドマスターが承認したプレイヤーでないと入れなかった。
しかし、今はそんな権限は存在していない。
この小屋は森の奥地にあるとは言え誰か来る可能性は十分にあるし、泥棒に入られる可能性もあるにはある。
オマケに、中には膨大な量の金貨やアイテム、武器や装備が保管されているので、一度泥棒に入られて物品を取られるだけでもかなりの痛手だ。
「……ヒナねぇが幻術でも展開していれば良い。もしくは、番犬的なモンスターを呼び出せば解決する。カギなんて、そんな物は無い」
「たるに同意。カギなんて無いから、心配ならヒナねぇの魔法でどうにかして貰うしかない。私はそういう類のは持ってない」
「う……そう、だよね……」
ギルドには承認されたプレイヤーしか入れないのだから、ギルドの本部をダンジョンのようにカスタムしているような変わったギルドでもない限り、ギルドの本部にはカギなんて洒落た物は付いていなかった。
いや、もちろんそれ用にギルドの本部をカスタムすることはできる。
例えばある上位ギルド『円卓の騎士』の本部は、一体何百万かけたのだと言いたくなるほど豪華な物だ。
城のような外装、豪華な城門とそれを守護する騎士までセットで配置され、客がある時はそのプレイヤーがインしているのかの情報と共に、取次ぎまで行ってくれる。
まぁ何が言いたいのかと言うと、そこまで拘らない限りは基本的にギルドの本部にカギなんてものは付けないのだ。
そして、そう言われて困ったのはヒナだ。
もちろん魔法は使えるし、召喚モンスターを呼び出せるスキルや魔法もあるにはある。だが、それを使えるかどうかが分からない。
本能的に、体内を血液のように流れる魔力の存在や、どうすればスキルや魔法を使えるのか。それに応じてどの程度魔力を消費し、どの程度体内に残るのか。それは分かるのだが……いかんせん、まだ使った事が無いので本当に使えるかどうかは怪しかった。
(いや、どうせ試そうと思ってたんだし、モンスター相手に試して、もし使えませんでしたって言われるよりマシだよね……)
そう前向きに捉え、右手に持っている杖に目を向ける。
豊穣の女神の杖は、その見た目は2本の細木が捻じれた歪な物だが、その実魔法やスキルに消費する魔力を本来の半分に抑えてくれる優れものだ。
攻撃魔法なんかの威力を上げてくれるわけではないのだが、消費する魔力が半分で済むというのは、言い換えれば魔法を通常の2倍使えるという事でもある。その為、単純に魔法の威力やその効力を実質的に2倍へと引き上げてくれる杖でもある。
その杖はその名の通り、第4回の個人イベントで豊穣の女神と呼ばれているフレイヤを一定時間内に一定回数以上倒したプレイヤーに配られたレアアイテムだ。
「げ、幻術で良いよね……?」
「……個人的には召喚獣の方を勧める。幻術だと、ヒナねぇ以外に見えなくなる。帰り道が分からなくなった時面倒」
「だなぁ~。たるに賛成~」
ヒナが心配そうに背後にいるイシュタルを見つめると、そんな辛辣な答えが返ってきて涙が溢れてきそうになる。が、確かに昨日はイシュタルがいなければ1人で帰れていたか怪しいので、その意見はもっともだという事も理解している。なので、少しだけ頬を膨らませながら意識を集中させていく。
1000を超える自らが使える魔法の中から召喚に関する魔法を選択し、そこからさらに番犬代わりになりそうなモンスターを選ぶ作業にかかった時間は2秒程度だった。
『眷属召喚 エルフクイーン』
呪文を口の中で唱えた瞬間、目の前の地面に青白い小さな魔方陣が浮かび上がる。それは白く眩い光を発しながら人型を形作り、10秒も経たないうちに1人の女の姿になった。
その人物はケルヌンノスのように細長い耳を伸ばし、艶やかな緑色の髪を短く纏め、うっすらと紫色の瞳をヒナに向けると、嬉しそうにニコッと微笑む。
豊満な胸元をこれでもかと主張する着物を羽織り、手に持つ白く輝く扇子で上品に口元を隠すと、優雅にペコリと頭を下げる。
「ごきげんよう、主様。妾に何か用でございましょうか?」
「ご、ごきげんよう……? ごめんね、急に呼び出したりして」
困惑しながら笑みを浮かべるヒナは、内心で魔法が使えた事に安堵しつつ、少しだけ興奮しながら頬を上気させる。
召喚魔法はある特定のクエストをクリアすると、クエストの内容に応じてモンスターや人物を呼び出す事の出来る魔法やスキルが手に入るのだ。
原理はもちろんよく分からないが、異空間から他人を呼び出すようなものだと解釈すれば良いのだろう。少なくとも、ヒナはそう考えていた。
今回ヒナが呼び出したエルフクイーンは、アールヴヘイムを襲った異種族を単騎で討伐しろというクエストをクリアした際に入手した物だ。
なぜか一国の姫に主様と呼ばれ、親しげに会話出来るのが不自然極まりないと評判だったクエスト内容だが、エルフクイーンそれ自体がビジュアルも良く、引いては戦闘能力に非常に長けていた為に大変人気だったクエストでもあった。
「私達が帰ってくるまで、家を守っててほしいんだ? 中にある物は好きに食べちゃって良いけど、物とかは動かさないでほしいな」
「……了解しました、主様。守るとは……つまるところ、主様やマッハ様達以外の者がこの屋敷に近付いてきたら討伐せよ、ということでよろしいでしょうか?」
「討伐……う~ん、出来たら捕縛してくれると嬉しいな。あなたなら、出来るでしょ?」
「もちろんでございます。では、屋敷の守護はお任せください」
ペコリと頭を下げたエルフクイーンの頭を優しく撫でると、ヒナは踵を返して3姉妹と共にロアの街へと向かった。
もちろん道案内なんて事はヒナにはできないので、彼女はケルヌンノスの横を歩き、その前でイシュタルが先導しつつ、隣をマッハが満面の笑みを浮かべながら2列で歩いていた。
「見えた。マッハねぇ、あれ」
「ん~、なるほどなぁ~? 確かに、アールヴヘイムとは似ても似つかないな!」
「……信じてなかった訳じゃないけど、確かに全然違う」
マッハとケルヌンノスは始めて見る光景に目を見開き、その口を少しだけポカーンと開ける。だが、すぐに呆けるのを止めたマッハは、城門の前に出来ている列を指さし「あそこに並べば良いのか?」と尋ねる。
ヒナは自信なさげにコクリと頷くと、イシュタルが補足するように「そう」と答えた。
「じゃあ、行こう! 大丈夫、私ら4人が揃えば、大抵の敵はどうにかなる!」
「……別に街を滅ぼしに行く訳じゃない。変な事言って追われる立場になるのは勘弁」
「けるは相変わらず私には冷たいなぁ~。私にもヒナねぇと話す時みたいにデレてくれても良い――」
「うるさい!」
その場にパシっと良い音が響くと、マッハの右頬に赤い掌の跡が出来上がる。
それをやった本人は顔を真っ赤にしながらヒナの左手をキュッと握ると、叱られると分かった時の子供のようにハッとして必死にフルフルと頭を振る。
「ち、違う……。今のは、マッハねぇが悪い……。私は、悪くない……」
「ん~? もう~、ケルヌンノスは可愛いんだから、あんまりああいう事しないの。姉妹仲良く、ね?」
「……うん。努力する」
小さくコクリと頷いたケルヌンノスは、ヒナに手を引かれて一足先に列へと並んだ。その様子はまるで親子で、遠目から見ても幸せそうな母と子供のようだ。
一方、森の中に残されてポツンと寂しそうにその背中を見つめていたマッハは、隣の妹へ悲しみの視線を向ける。
「……なぁたる、私の扱い、酷すぎないか?」
「……今のはマッハねぇが悪い。それに、けるねぇが可愛いっていうのは私も同意。素直にならないのはマッハねぇの前だけ」
「なんでだよぉ! 私だってあいつの事好きなんだぞ!?」
「違う、けるねぇがヒナねぇの事を大好きすぎるだけ。別に、マッハねぇが嫌いとかじゃない。ただ、ヒナねぇ本人に気持ちを気付かれるのが恥ずかしいだけ」
「……なんでそんなに詳しいだよ」
「……さぁ」
イシュタルは、自分もまったく同じ気持ちだからという言葉を飲み込み、なんとか姉を慰める。
だが、妹に辛辣な態度を取られた悲しみが癒えるには長くなりそうだなと早々に見切りをつけ、自分もヒナやケルヌンノスの傍へトコトコ走っていく。
残されたマッハも慌ててその後を追って3人へ合流すると「さっきはごめんなぁ」と軽い調子で謝る。
「でさ、街に入ったらまず何するの?」
「……とりあえず冒険者ギルドってところに向かって、昨日会った人に話を聞く。その後は街を見て回ったり、ラグナロク金貨がここでも使えるのかを確認したい。最後に……これは出来ればで良いから、私達がこの世界でどれくらい強いのか、大体の目安が欲しい」
「意外とちゃんと考えてるんだな~。なら、私の出番は城門とこと、その冒険者ギルドってとこでありそうだな!」
「……個人的に、この街の食材がどんな味なのかも気になる。ラグナロク産のやつより美味しいなら、買い込みたい」
街に入ってからの事を話し合いながら列が進むのを待っていると、たっぷり40分ほど待たされてようやく街の中へ入る事を許可された。
ガイルという男が言っていたように、たとえ亜人や魔人だろうと嫌な顔一つされることなく、この街に来た目的と簡単な所持品検査をされただけで城門を抜ける事が出来た。まぁ、所持品検査と言ってもヒナとマッハが軽く武器を見せた程度だ。
それよりも、門番をしていた人間は、マッハ達3姉妹がどう見ても5歳かそこらの子供にしか見えず、それなのにこの世の全てを敵視しているかのような冷たい瞳と立派な角や武器を持っていることに驚いていたのだが……。
城門を抜けると、そこはかつて4人が暮らしていたのどかな田舎町とはまるで違う、都会的と言えば良いのか、立派な王城が中央に聳え立ち、木材や赤レンガで造られた建物があちこちに並び、通りには露店が立ち並ぶ活気溢れた場所だった。
露店で売られている何かを焼いた串焼きの香ばしい香りが鼻腔を刺激し、昼間から酒をひっかけているのか木製のジョッキを持ち、頬を朱色に染めている人間も珍しくない。
道を歩く人々の顔は非常に晴れやかで、やはりヒナのような普通の人間が大部分を占めているが、頭から角を生やしたマッハのような鬼族や、耳が尖ったエルフ族、背が小さくもじゃもじゃのあごひげを生やしているドワーフなど、亜人もまったくいないという訳では無かった。
一方で、イシュタルやケルヌンノスのような魔人……魔族と呼ばれているような者達の影は1つも無い。
いや、それらしい黒々とした肌と頭から鹿のような角を2本生やした種族なら数人いるのだが、それがなんの種族なのか。ヒナやマッハ達にはその知識が無かった。
「……人に酔いそう。こんなにいても、邪魔なだけ」
「同感~。ほどほどが一番良いよなぁ~」
「けるねぇ、マッハねぇ、あんまり物騒な事は言わない。面倒ごとに巻き込まれるのは勘弁。適当な人に冒険者ギルドの場所を聞いてくるから、ちょっと待ってて」
そう言うと、タタタという効果音が相応しいようなちょこまかとした走り方で目の前の串焼きの露店に向かったイシュタルは、普段見せる事の無い子供のような無邪気な笑みを浮かべ、言った。
「おじさん! 私、冒険者ギルドってところに行きたいんだけど、どこに行けばいいの?」
これが素であるはずがない。もちろん演技だ。
ただ、いつものように高圧的に行くよりも、何も知らない無垢な子供を演じた方が話が早く済むだろうとの思惑と、もう一つ狙いがあった。
そんなイシュタルの内心を知る由もなく、露店で汗だくになりながら渡り鳥の肉を焼いていた店主の男は、街で滅多に見かけない不思議な格好をしている魔族の少女を見つめる。
年の頃はその見た目から5歳か6歳だろう。ただ、魔族は必ずしもその見た目と年齢が合致することは無い。だからこそ、自分では優しい笑顔だと思っている笑みを浮かべて店から身を乗り出す。
「嬢ちゃん、何歳だ? あっこはちょい野蛮な連中が多いからな、あんまりお勧めしないぞ? それともあれか? 誰か知り合いが待ってるのか?」
「うん! 叔父さんに会いに行くの! 内緒で行って、ワってビックリさせるの!」
大きく手を広げてぱぁっと無邪気な笑顔を浮かべると、店主の男は「そうかい」と小さく呟き、手元にあった小さな紙にスラスラと簡単な地図を書く。
城門から冒険者ギルドまではかなり距離がある。小さな女の子1人では危険かもしれないが、自分が店を離れる訳にも行かないので気を付けるようにと一応注意しておく。
最近はあまり聞かないが、一時期この街では人攫いが横行していた。
特に亜人や魔族の子供は他国に高値で売れるとかで、何人もの子供が突如として姿を消す事件があったのだ。
「私1人じゃないから大丈夫! あっちにお姉ちゃんがいるの!」
そう言いながらポカーンとしているヒナ達をピッと指さすイシュタル。
店主の男も釣られてそちらへ目をやるが、1人を除いて全員が目の前の少女と同じくらいの年齢に見える。心配なのに変わりは無いが……それでも、唯一人間である少女は立派な杖を持っているのでいざとなれば戦えるのだろうと勝手に結論付ける。
「そうかい。なら、心配は無用だな。ほれ、姉ちゃんの言うこと聞いて、気をつけて行くんだそ?」
「うん! おじさん、ありがとう!」
ペコリと頭を下げたイシュタルは、いそいそとその場を後にしようとするが、店主の男はそんな彼女を少しだけ引き留めると、店先に置いてあった焼きたての串焼きを4本手渡す。
濃厚な秘伝のタレをたっぷり付け、少女の物だけ肉が少しばかり大きい物を選んだのは内緒だ。
「ほら、皆で食べな。おじさんからサービスだ」
「うわぁ、美味しそう! ありがとう、おじさん!」
そう言ってその場を去ったイシュタルは、店主に背中を向けた瞬間その無邪気な笑みを顔から消し去り、いつもの表情へと戻すと、手元の肉が冷めないうちにヒナ達の元へ戻る。
未だポカーンとしている3人に少しだけ呆れつつ、全員に串焼きを手渡すと何事も無かったかのように「場所聞けたから、行こ」と呟いた。
その言葉で全員が我を取り戻したようにコクリと頷き、店主の男に貰った簡単な地図を睨みながらイシュタルが先導する。
「……たるお前、あんな顔できたんだな」
「……気持ち悪かった」
しばらく4人の間に不思議な空気が満ちていたその時、耐えられなくなったマッハがそう口にし、ケルヌンノスがそれに同意とばかりに頷いた。
ヒナはそこまで言わなくとも……と苦笑するが、今は口を挟まない方が良いと直感的に感じ取って手元の串焼きにかぶりついた。
辛うじてそれが鶏肉であることは分かるが、あまりにもこんがりと焼いているせいで炭を食べているような苦い味が口の中に広がる。続いて引き締まった肉のなんとも言えない臭みと苦みが襲ってくる。にもかかわらず、甘辛いタレの香りが鼻孔を伝ってくるので、苦いけれど鼻の奥は甘いという不思議な感覚に襲われる。
ハッキリ言って、味覚と嗅覚が破壊されるような壊滅的な味だ。
「それに、この肉もあんまり美味しくない。何も考えずに焼くんじゃなく、まず肉の臭みを取るとか消すとか、そういう努力をするべき。焼き加減も問題。高火力で一気に焼けばいいなんて単純な考えなのが見え見え」
「……けるねぇが、この街の食材が気になるって言ってたから……。ああしたらサービスしてくれると思った。ラグナロク金貨が使えるか分からなかったし……」
自身も手元の串焼きをパクっと食べながら渋い顔を作りつつそう言うイシュタルは、少しだけ居心地悪そうにそう言った。彼女の口にも、串焼きは合わなかったらしい。
そもそも、料理上手なケルヌンノスの料理を食べ慣れた彼女達に美味しいと言わせるのはかなり至難だ。
それに、美味しいと言ったら言ったでケルヌンノスがいじけるので、そこら辺の塩梅がかなり難しい。
まぁ、比較的なんでも美味しいと言うマッハもうげぇという顔をしながら渋々食べているので、今回に限ってその心配はなさそうだが……。
「……金貨が使えたら、今度は料理じゃなくて食材を買おう。けるねぇが作った方が多分美味しい。食材そのものが悪かったら、それはその時」
「だなぁ~! あ、ヒナねぇもう食べたのか? なら私のも食べて!」
「え、えぇ……。もぉ~……」
可愛い家族にそう言われると断れず、マッハに半ば押し付けられる形でマズイの串焼きを渡されたヒナは、少しだけいじけているイシュタルの頭をヨシヨシと撫でる。
「気を遣ってくれて、ありがとね」
「……別に、良い。でも、二度とやらない」
「私は……あの時のたるちゃん、可愛いと思ったよ?」
「……そう」
プイっと頬を膨らませながら顔をそむけたイシュタルだったが、その顔は少しだけ赤く染まって少しだけ嬉しそうだった。