57話 護衛としての役目
木の陰から自分の召喚主であるマーリンの戦いを見守っていた南雲は、決着がついた時に人知れずふぅと息を吐いてた。
緑が溢れる森の中で真っ赤な番傘を指しているのにも関わらずその姿がサリアス達に発見されなかったのは、彼らとのレベル差もさることながら、彼が全力で気配を消していたからに他ならない。
彼だってマーリンの最後の仕事を邪魔する気などサラサラなく、あの程度の者達に自分の主人が殺されるのはムカッとする思いはあったが、彼女自身が決めた事ならば何も言うまいと口を噤んでいたのだ。
しかし、マーリンが倒れて数秒しても召喚魔法が途切れる様子はなく、南雲は自然と番傘を握り締める右手にギュッと力をこめ、次いで何も持っていない左手を見やる。
マーリンからの魔力供給は未だ途切れることなく彼の元に届いており、それは彼女の意識がなくともまだその体に生命が宿っていることに他ならない。
(? どういう事だ……? 自分で選んだとはいえ、主様は死を選ばれたのではないのか……?)
それとも、彼ら程度の腕前であれば死を偽装する事が可能だと思い至り、直前で計画を変更したのだろうか。であれば、彼らがマーリンの死を信じられずに確実に止めをさすなんてことが起こる前にこの状況をどうにかしなければ……。
南雲がその場から動こうとしたまさにその瞬間、彼の足元をチクリとした感覚が襲い、それをした昆虫型召喚獣の思念が頭に流れ込んでくる。
「主様の事を見ている怪しい人物を発見。死亡を確認するような言葉を発していたことから、この件の首謀者か関係者である可能性が高いと思われる」
「……なに?」
それは……一体どういう事なのか。南雲はすぐさま自分の頭をフル回転させて考える。
そもそも他の召喚獣達の報告では、首謀者は2人の王子と時期騎士団団長候補のロイドであって、彼らが勝手に計画した物だったはずだ。
無論現国王やその周りの大臣達も今回の件は承知だが、最近マーリンが彼らの周囲を嗅ぎまわっているのを感じ取っている彼らからしても、彼女の存在は鬱陶しかった。なので、彼らが英雄を殺す事に口を挟むことは無かったのだ。
そんな、マーリン暗殺に際する背景を召喚獣達のまとめ役を担っていた南雲が知らないはずがない。
それだけに、まったく新しい第三者が介入してくる事なんてありえないのだ。
「……そいつの見た目や特徴はなにかないのか?」
「王城や街で見かけたことはない顔……くらい。どうする?」
召喚獣の問いを受け、南雲は咄嗟に未だ花畑のほぼ中心でぱったりと倒れている己の主を見やる。
彼女の命令や言う事には絶対従うというのは言うまでも無いのだが、今はその指示をしてくれるはずの彼女がいない。なら、ここは自分で考えて動く事こそ、彼女に恩を受けた者のするべきことだろう。
「3人の行方はどうだ?」
「主様の魔法を受け、サリアスが右上腕部と左足の骨を数本砕かれ、ロイドとアルバートは片腕が吹き飛ぶ重傷。全員命に別状はないけど、すぐに王城に帰って手当てを受けると思われる」
「……主様が生きてる今なら、その命を繋げる可能性があるという事だな」
そうと決まれば、彼がやる事は明白だ。
元々、彼女が死ぬという作戦それ自体にあまり乗り気では無かった彼は、たとえ命令違反になろうとも、それは『不測の事態が起きたためにやむを得なかった』という言い訳を並べる事にして、その不測の事態の対応に当たる事にした。
念のためその昆虫型の召喚獣には王城に居る仲間達を呼んできてマーリンを保護してもらうよう指示を出し、自分はその不審者がいるだろう木陰へ走った。
「ッチ! 暗殺対象の生死確認くらいしろよバカが! これだからガキ共は使えねぇ……」
3人が誇らしい表情を浮かべて趣味の悪い馬車に乗り込んでいくのを目にしたその男は、彼らが去っていくともう一度チッと唾を吐いた。
花畑にサーっと暖かい風が流れると、その男は今まで身を潜めていた木の陰からのっそり身を乗り出し、その顔を晒した。
病的なまでに白い肌と血のようにギラギラとした赤い瞳。両手には手先が真っ赤になった悪趣味なグローブを着け、全身を銀色のネックレスやチェーン、チョーカーや鎖なんかで飾っている。
10人いれば10人がヤバい奴認定するだろうその男は、気だるそうに右手で頭を掻きながら、左手を少しだけサイズが大きいパーカーのポケットに突っ込む。
「サンの奴にもういっちょ言っとくか? あのバカの教育どうにかしろって」
その男はブラブラと、まるで散歩でもするかのように倒れているマーリンに近付き、後10歩ほどの距離で不意に足を止める。
その胸が呼吸しているのを示すかのように上下しているのに気付いたのではない。彼とマーリンとの間に、風のようにサッと南雲が割って入ったからだ。
「何者だ、お前」
赤い番傘を剣のようにして男に向けると、その男は一瞬だけ首を傾げた後に目の前の男に“見覚えがある”ことに気が付き、憎々しげに再び唾を吐いた。
「だからちゃんと生死確認しろって言ったんだよ! まだ生きてんじゃねぇかそいつ!」
「俺の質問に答えてもらおう。お前は、何者だ?」
「うるせぇ、俺は今イラついてんだから黙ってろ! あの国の連中使うのはやっぱ不安しかねぇな。装備ばっかり着飾って強くなった気になりやがってよぉ……。たかがレベル40程度の雑魚が、調子に乗ってんじゃねぇよ」
男はもう一度はぁと大きなため息を吐き、項垂れるようにがっくりと肩を落とす。
しかし、すぐに「まぁいいや」と思い直すと右手の人差し指を南雲に向け、言う。
「お前は巫女姫の護衛をしてる南雲だな? 召喚獣如きにこんな事言うのは間違ってるって重々承知だが……死にたくねぇならそこをどけ」
「……お前、俺の事を知ってるのか? 一体どういう……」
「お前に教える必要ねぇだろ。俺は、今虫の居所が悪いって言ってんだろ、そう長くは待たねぇぞ」
足を貧乏ゆすりのように小刻みに揺らす男をジッと見つめ、南雲も覚悟を決めた。
召喚獣は死亡したとしても一定時間のインターバルを設ければ再び召喚魔法を唱える事が出来る。なら、ここで彼が死のうともマーリン本人が生きていればその後はどうとでもなる。
それに、まだ負けるとは決まっていないのだ。
「俺の事を知ってるなら話が早い。俺は護衛。主を守るのが仕事なもんでな!」
そう言うや否や、南雲は番傘をブンっと振るって風を切る音を奏でる。
謎の男を斬ろうというその攻撃を、男は数秒前から予想していたようでこの世界の人間では目で追えないような速度で後ろへ飛びのき、悠々とその攻撃をかわす。
数メートル後ろに飛び退いた時、男は右手に刃渡り30センチほどの短いナイフを持っていた。その刃には毒々しい緑色の液体が塗られており、毒の類であるのはすぐに分かる。
(暗殺者か盗賊関係のクラス……ってところだな。俺の得意分野だ)
南雲は仲間にするクエストの関係で高い防御力と攻撃力、そして護衛という立場故に設定された毒物等の異常状態無効という特殊能力を備えていた。
それが中堅プレイヤーでさえ容易く屠る召喚獣の強さの所以なのだが、彼に相対する男もそれくらいの基本的な情報は頭の中に入っている。
「サッサと援軍よばねぇと俺もマジィな。奴が生きてんなら武器を持ってねぇ今しか殺すチャンスはねぇ……。となれば……」
南雲に聞こえない程度の声でボソボソ呟いた男は、唯一使える魔法を密かに発動させ、森の中にカラスに似た漆黒の鳥を出現させる。
その鳥は主である男の思いを正確に理解すると、南雲に気付かれないようにパタパタと空へ旅立ち、遥か遠くにいる男の仲間達へ救援を報せに行った。
ただ、救援を呼んだからと言って男は南雲にやられる気はサラサラなく、あくまでマーリンと再度戦う事になった時の為に援軍を呼んだに過ぎない。
暗殺者というクラスと盗賊のクラスをバランスよく取っている彼は完全なPVP特化型のプレイヤーだ。相手がNPCとはいえ、対人戦は彼のもっとも得意とする戦いだった。
(奴らが報せを受けてここまで来るのに大体10分ってとこか。それまでに、こいつを殺してマーリンを殺す……。出来んことはないな)
救援はあくまで保険であり、出来る事なら自分1人で全てを片付ける。
もう一度ふぅと短く息を吐くと、消えるようにしてその場から姿を消し、瞬きをするわずか数舜の間に南雲の背後へと回る。
「ッス!」
短く息を吐いてそのうなじ目掛けて刃を振るが、それは辛うじて反応した南雲が身を屈める事でなんとか回避する。
その圧倒的なスピードに一瞬だけ動揺するが、毒でHPが一切減らない彼は、斬撃によるダメージだけを受け続けても20分は優に耐えられるし、それどころかこの場で男を始末する事だって可能なだけの力を持っている。
肉体能力にかなりステータスを裂いてしまっているので特別なスキル等はほとんど持っていないが、それでも決して勝てないという事は無い。
「ぬん!」
番傘を力任せに振り回して風を切るが、男はそれを再び躱すと南雲の周囲をグルッと走り回り、薔薇達の命を次々に亡き者にしながらスキルを発動させる。
『斬撃強化 物理防御貫通』
男の体を青と山吹色の閃光が覆い、スキルの強化が彼の攻撃力をほんの少しだけ上昇させる。
さらに立て続けに俊敏性を跳ね上げるスキルを発動してスピードを高めると、今度は音を置き去りにするような速度で南雲の背後へ回った。
「ほっ!」
まるで気の抜けた掛け声とともにそのうなじ目掛けて刃を振るが、今度もその恐るべき身体能力で反応してのけた南雲がぴょんと後ろに飛びのいて回避する。
刃に塗られた緑色の液体が彼の服に付着してプシューっと音を立てながら蒸発するが、それは毒の効果が効かない対象に毒物が触れた時の正常な反応だ。
ラグナロク内では無骨な『対象に効果はありません』という文字が表示されてバリアでも張られているかのように弾かれるエフェクトが出るのだが、この世界ではまったく違う。
まぁ、この世界で毒を使う者達なんていないのでマーリン達は知らないだろうが、彼は以前に相手取った者達と相対した時に似たような事を経験しているし、南雲の能力を把握しているので動揺はしない。
「ちょっと舐めすぎか? まぁ良い」
ペロっと上唇を舌で湿らせると、再びスキルを発動してさらに攻撃力と俊敏性を上げる。
さらには服の下に隠していた細長い試験管のような瓶を取り出すと、その中に納められていた薄緑の液体を一息に飲み干す。
「あんま時間はかけらんねぇ。後でディルに補充頼まねぇと」
「……?」
男の言っている意味が分からず首を傾げた。その何気ない行動が、南雲の命を救った。
今まで辛うじて反応してきた南雲でさえ目で捉える事が出来ない速さで彼の背後に移動した男は、三度目の正直とばかりに彼のうなじ目掛けてその刃を振るったのだ。
『必殺の一撃』
レベル差がある相手の場合、かなり高確率でそのHPを一撃で削り取り、即死攻撃に耐性が無いモンスターであれば一撃であの世に送るスキルさえ併用したその攻撃は、南雲の命を刈り取る事は無かった。
その事実にコンマ数秒遅れて気が付いた南雲は、すぐさま番傘を後ろへ向けて振りぬき、同時にぴょんぴょんと飛び跳ねて男から距離を取る。
「加速剤とスキル諸々併用して殺せないってま~? お前、そんなに強かったっけ?」
今助かったのはただの偶然だと言いたいのを意志の力で抑え込み、なんとか表情にも出す事を抑える事が出来た南雲は、静かにフッと短く息を吐いて腰を落とした。
男が動き出す前に、今度はこっちから仕掛けるべく一瞬でその場から姿を消す。
「なにやる気になっちゃってんだよ。だっさ」
「!?」
風を切るようにブンと横なぎに振りぬいたその番傘が対象を真っ二つに切断する事は無く、虚しく空を切って南雲の目に驚愕が宿る。
本能に従ってぴょんぴょんと飛び跳ねてその場を離れると、5メートルほど離れた位置で立ち止まり、円を描くように乱暴に番傘を振り回す。
薔薇達が悲鳴を上げるように根元からブチブチっと千切れ、その花びらを空中にまき散らす。
南雲はその宙を舞う無数の花びらを睨みつけつつ、一瞬だけその流れが途切れた場所目掛けて再び番傘を振りぬいた。
男がとんでもない速度で移動してくるなら、周囲に花びらのカーテンを敷いてその移動の際に起こるだろう痕跡を発見するべく策を講じたのだ。
「いらん知恵つけよって……。踏み込むタイミングがもう少し早けりゃ右腕消えてたがな……」
男は、普段隠している地元の言葉を知らず知らずのうちに発し、ポタポタと鮮血を零す右腕を睨みつける。
その手には未だにうっすらと濡れた刃が握られており、男の瞳は腹立たしいとばかりにユラユラと揺れる。
「ふぅ……。ここにいる花達には申し訳ないことをしたな」
一帯が更地になってしまった花畑とそれを作った人に向けてボソッと謝罪を口にした南雲は、再び腰を落として目の前の男を油断なく睨みつける。
口から短く息を吐き、わずかな動きや気配すら見逃すまいと神経を張り巡らせる。
「……やる気になんなよ。めんどうなやっちゃ……」
チッと唾を吐いた男は、南雲と同じように腰を下ろすと自身の体内時計を一度確認して救援を呼んでから経過したであろう時間を6分だと見当をつける。
仲間が到着する前に南雲を倒せるだろうか……。一撃で殺せるとは言っても、自分が思っている以上に時間を稼がれそうだ。
そう考えた瞬間、男の胸の内にどす黒い感情が生まれる。
「たいがいにせぇよ。つぎでおわらせちゃる」
その場にビューっと真冬のような冷たい風が吹き、数秒前に命を散らした薔薇達が再び宙を舞った事で、2人の戦闘が再開された。




