55話 死に場所
中学や高校の入試当日に寝坊して大慌てで会場に向かい、復習する時間も無くテストに挑むことはよくあった。
中間試験や期末試験、その他全国模試なんかの大事な日には必ず寝坊して、やりたい事を存分にやれずに事に当たるのは、私にとってはいつもの事だった。
だからだろう。高校生活最後の期末試験当日に寝坊して、最初の1教科だけ再試験を受ける羽目になってしまった時なんて、笑っていつもの事だと流せるまでに成長したのだ。
(なんでよぉぉぉ!)
しかし、そんな波乱万丈?な人生を送って来たマーリンでも、流石に今日ばかりは自分の生まれ持った性分を呪った。
ベッドから起き上がった彼女を迎えたのは朝食に呼びに来たメイド……ではなく、いつもの修行をしに部屋を訪ねて来たエリンだった。
時刻は既に昼の13時を回り、南雲から伝えられた暗殺予定時刻まで残り10分を切っていたのだ。
それを知った時、マーリンは内心で頭を抱え、目の前で呆れながらいそいそと資料を広げるエリンにどう言うべきか迷った。
本当なら、昨日シャトリーヌにしたみたいに、最後の時を良い物にしてあげたかった。実際、彼女に贈るためのプレゼントだって昨日の夜に用意したし、机の引き出しを開ければ今すぐにでも取り出せる。
その中にはプレゼントの他に別れと感謝の手紙を入れているのだが、こんなに時間が無いとなるとゆっくり話している訳にもいかないだろう。
なにせ、自分が暗殺されるとき、傍にエリンがいれば彼女も巻き添えになってしまうだけでなく、自分が死ぬ様を彼女に見せる事になってしまう。そんな事は、死んでも出来なかった。
「エリン、修行はもう終わりにしよ」
考えた結果、マーリンは口下手な自分にこの短時間で物事を終わらせる能力は無いと正しく判断し、多少無理やりではあるものの、エリンを遠ざける決意をした。無論胸は傷んだし、時間を巻き戻せる魔法やスキルがあれば迷わず使用するくらいには嫌な決断だった。それでも、彼女にはそうする他なかった。
寝坊してしまったのは完全に彼女に非があるし、エリンを巻き込まない為にはすぐにでもこの場を去ってもらうか、自分がこの場を去らねばならないのだ。もはや、ゆっくり説明している時間はない。
「師匠……? 何言ってるんです? まだ寝ぼけてるなら水でもかけましょうか?」
怪訝そうに右手を向けてくる彼女に慌てつつ、マーリンは頼りにならない体内時計を必死に働かせ、自分に残された時間を正確に数えていく。
よっこいしょと意味のない声を上げながらベッドから身を起こし、窓際まで移動するとうーんと寝起きの伸びをした後、小さく息を吐いてエリンに向き直る。
「ごめんね、もっとちゃんとお別れの挨拶をしたかったんだけど……今日で私との修行は終わり」
「……寝ぼけてるとかじゃ、なくて……?」
不安げにそう言ってくるエリンにキュッと胸が締め付けられ、今すぐにその小さな体を抱きしめたくなるがグッと堪える。
なんとか平静を保ちながらコクリと頷くと、エリンは瞳の端からポロっと涙を零していやだと頭を振った。
「な、なんで!? なんでもう終わりなの!?」
自分が何か悪いことをしたのか。
自分が何か怒らせるようなことをしたのか。そう言いたげに顔を歪める彼女に違うよと出来るだけ優しく声をかけると、彼女は許される限りの言葉で真実を伝えるべく口を開いた。
「エリン……私はね、もうすぐ死ぬんだ。その時、あなたが近くにいると……きっと、巻き添えを食ってしまう」
「死ぬ……? え、ちょ、ちょっと待って……? 師匠……何言ってるの?」
今思えば、エリンには自分の名も正体も明かしておらず、ただ王城に住み着いている力のある魔法使い……くらいにしか思われていないはずだ。それなのに、よくここまで心を開いてくれたものだと少しだけ嬉しくなってしまう。
心の中で「こんな情けない師匠でごめんね」と謝りつつ、最後なのだからと懸命に笑顔を作る。
「賢いあなたなら、分かるはずよ。私の言ってる意味がね」
言った直後に、なんでこんな時にカッコつけてるのかと苦笑しそうになるが、体内時計の感覚ではあと数分で事が起こるはずだ。その前に、出来るだけこの場所から遠ざからなくては……。
「じゃあね、エリン。体に気を付けて」
たった4年、不定期に自室や裏庭なんかで修行という名の勉強会を行うだけの関係だったけれど、アーサー達がこの世を去ってからは、一番充実した時間だった。
自分がもう少しうまく立ち回れていれば暗殺されることは無かったかもしれないというわずかな後悔と共に、密かに呼び出していた霊龍という名の不可視のモンスターに跨って空を駆ける。
(さぁ、追ってきなさいよ)
傍から見ればとんでもない速度で空を飛んでいるようにしか見えないだろうが、この国の人間であれば見失う事は無いだろう。
最初から逃げる気は無いので霊龍にもかなり遅めのスピードで飛んでもらっているし、今も振り向けば窓際で呆然と佇んでいるエリンの姿が目に映る。
瞳に大粒の雫を携えた彼女を見ると今すぐ戻りたくなってしまうが、意志の力でそれを押し殺し、その姿を目に焼き付けると息を吐いて前を向く。
知らない間に自分の目にも涙が溜まっていた事に気付くが、それを振り払う前に城の中から趣味の悪い馬車が出てきたことに気付いた。
(あ~あ……伝説の黒馬にあんなもんつけちゃってから……。馬が泣くぞって……)
というより、あの黒馬は馬車というより直接その上に跨って騎乗するタイプのモンスターだ。召喚魔法ではなくアイテムによって遥か昔に呼び出されたモンスターであるために今も消えずに残っているのだが、なんとなく馬達が不憫になってくる。
そう思えば、円卓の騎士に集った皆が宝石や煌びやかな物で装飾するのが好きな人ではなく、皆神話や伝説に語られるアーサー王が好きなだけだったのは奇跡と言えた。
下品にならない程度の装飾に抑えられたのも、それをこの目で見てこの世界に来た皆でおぉ~と感嘆の声を漏らせたのも、彼ら・彼女らのおかげだろう。
(みんな、ありがとね……。私は、あんた達が残した国を……子供達を、守る事が出来なかったから、こんな事言える立場じゃないかもしれないけど……)
自嘲気味にふふっと笑った彼女は、乱暴にローブの袖で涙を拭うと、霊龍にあらかじめ決めていた死に場所を指定してそこまで飛んでもらう。
数分間追いかけっこが続き、一足先にそこへ辿り着いた彼女は、霊龍がこの世界から消えていくのを確認すると辺りに広がる満開の花達を眺めて高鳴る心臓の鼓動を収める。
………………
…………
……
『ここを花畑にしたい? そりゃまた……面白いことを言うね、マーリン』
突然妙な事を言い出した仲間の1人に笑いかけ、アーサーはクスっと笑った。
彼の目の前には手入れのされていない庭のような荒れ果てた平原が広がっており、少し後ろを見れば遥か遠くに聳え立つ居城が目に映る。
大体ここから城までは30キロ程度であり、朝から連れ出されて何事かと思えば、こんなことを言い出すとは……。
『だってさぁ~、ここら辺ってなんもない平原でしょ? 王国からも離れてるんだし、ちょっとくらいいじっても文句は言われないはずだよ?』
『花畑ねぇ……。あんたにそんな趣味あったの?』
『ランスは私の事を何だと思ってるの? 私だってまだうら若き乙女なんですけど~』
この世界に来てからやけに『うら若き』という言葉を多用するようになったマーリンに、その場に来ていた円卓の騎士の面々はおかしそうに笑った。
確かに彼女には花を愛でる趣味なんてなかったし、乙女的な願望でここに花畑を作ろうと言い出したわけではない。
『私らだって、永遠にこの世界で生きられるか分かんないじゃん? 種族的に寿命が存在しない私はともかく……皆は人間とか天使とか、設定上の寿命があるでしょ?』
『あ~……まぁ確かにそうだね。君がなんで淫魔なんて選んだのか未だにその理由を聞いてない気がするけど、それは教えてくれないんでしょ?』
『教える訳ないでしょうが! いくらアーサーでも、私の性癖知るには1億年早いっての~』
唇を尖らせてそう言った彼女にまた笑いが起こるが、マーリンはコホンとわざとらしく喉を鳴らすと、再び説明を続けた。
『私が死んだら、普通の墓石ってよりは花畑の中にお墓作ってほしいんだよね』
『さてはあんた、昔見たアニメかなにかに影響されたな?』
『お、ランスちゃんさっすが~! 私の事、誰より分かってるじゃん!』
未だにゲーム感覚が抜けていないような気がするが、前からそう思っていたのは確かだ。そして、いざそれを実行できる力が自分に備わっているとなれば、やりたい事は決まっていた。
ただ、1人寂しくここに眠るのは嫌だったし、勝手に花畑を作って文句を言われるのも嫌だったので、こうして確認に来たのだ。
王城に墓を残さないのは、あれはギルドの皆で作ったものなので、この世界にたまたまやって来ただけの私達だけで決めて良いことではないからだ。
それに、元の伝説通り、あれはアーサー王の城であってそこに居候させてもらっている私達が骨を埋めて良い場所では無い気がするのだ。
『なるほどね……。まぁ良いんじゃないかな? 僕らも、いずれ終わる時が来るかもしれない。その時、皆で眠れるなら寂しくないっていうのは確かにあるよ。蘇生魔法だって、ちゃんと機能するか分からないしね』
『はは~ん? さてはマーリン、死ぬ時1人になるのが寂しくてこんな事言いだしたんだな?』
天使の羽根を生やした小生意気な少年がそう言ってきたので、そのギャップに少しだけ苦笑しつつ、マーリンは「それでなにか悪いか!」と開き直った。
なにせ、ラグナロクの設定がこの世界でも生きているのなら、寿命の無い彼女は1人だけこの世界に取り残されることになってしまう。その時、別々の場所に彼らが眠っているのではお墓参りが面倒……じゃなく、無性に寂しくなった時にすぐに会いに行けなくなるではないか。そんなのは、嫌だった。
『そういうことかよ~! はいはい、寂しがりのマーリンちゃんの為に、大人なお姉さんがその願いを叶えてあげようじゃないか』
『そりゃどうも~!』
………………
…………
……
そんな背景があって生まれたこの場所には、当初の目的とは異なり、今は円卓の騎士に所属していた者達の半分しか眠っていない。
アーサーの遺体は弟子ちゃんが引き取って丁重に葬ってしまったし、彼ら・彼女らの子供達がこことは別の場所に正式なお墓を建てたいと言い出した時には、それを拒否する事も出来なかったからだ。
今この場所で眠っている5人に、今からここが戦場になってしまうかもしれないと頭を下げつつ、ふぅと静かに息を漏らした。
赤や白、青や紫など、様々な色の薔薇が半径50メートル四方のこの場所に狂い咲いているこの花畑にマーリンの仲間達が眠っている事を知っているのは、今やこの世界に彼女だけだ。
ブリタニア王国に住まう人々は、この場所を奇跡の花畑と呼んで時々その見事な姿を拝みに来るだけで、滅多に近寄ろうとはしない。
そんな場所を死に場所に選んだのは、寂しかったからだ。
「戦うなんて何年ぶりだろ……。私に、出来るかな……」
相手に出来るだけ傷を負わせず、それでいて彼らの心のうちに『暗殺は楽な物じゃない』という意識を植え付ける。それが、彼女が最後にこの世界で行うべき、最後の仕事だった。
なんの抵抗もなく殺されてしまえば、彼らの中に『暗殺は簡単な物』という意識が残り、エリンに魔の手が伸びるのが早まるかもしれない。
シャトリーヌに守るよう伝えたが、まだ幼い少女にはいくらか厳しい物があるだろう。せめて彼女が20を超えて大人になるまでは、エリンに手を出さないよう心理的な枷を嵌めなければ……。
「どこに行ったかと思えば……こんなところになんの用だ? 英雄様よ」
「ほんと……王城に居てくれればもっと楽に済んだのに……」
ようやく追いついて来た趣味の悪い馬車の荷台から降りて来た2人の王子に少しだけ苦笑しつつ、御者台に乗っているロイドに目をやる。
その腰にはアーサーが無くしたと言っていた神狼の牙なる武器が吊るされているのだが、今は言及している時では無いだろう。
「暗殺されるんだしさ、少しくらい舞台を整えてあげようと思ってね。ここなら誰にも見つからないし、存分に戦えるでしょ?」
「『……』」
不敵に笑った彼女に、3人はクスっと笑うと「気付いてたのかよ」と高々に笑った。
今から人の命を奪おうとしてるのに、そんなにヘラヘラ笑っていられるなんて……。そう思うと余計に、なんであのアーサーからこんな歪んた人達が生まれてしまったのかと思ってしまう。
「悪いけど、簡単に死ぬつもりは無いからね」
杖……は、彼らに傷を付けてしまう可能性があるので置いてきたので、右手を構えながらそう言う。
その数秒後、彼女の決意を嘲笑うかのように吹いた強い風を合図にして、マーリンの最後の仕事が始まった。




