53話 なんでもない尊い日常
エリンと魔法の修行を始めて4年の月日が経過したその日、太陽が暑苦しいほど照り付ける裏庭で、2人はいつものように魔法についてあれこれ意見を交換していた。
この世界に来てから作られた裏庭のスペースは王城の景観を損なわぬよう純白の砂岩のような石が使われた屋根と、腰のあたりまである純白の机と椅子が置かれ、その周囲3メートルにはラグナロク産の青いバラがこれでもかと咲いていた。
殺風景な王城の裏庭はそのスペースがあるだけで不思議と神々しい雰囲気を醸し出しており、時折屋根で羽を休める小鳥たちのさえずりがちょうどいい具合に眠気を誘う事だろう。
「ねぇ師匠……要は、魔法の威力を底上げするには魔力の瞬間放出量を上げれば良いって事でしょ? だったらさ、指先とかに魔力を集中させて魔法を発動させることが出来れば、同じ魔法を何発も同時に放てるんじゃない?」
机いっぱいに広げられた魔法に関する資料と、それらに対してのマーリンの見解をまとめた紙を睨みつけつつそう言ったエリンに、マーリンはクスっと笑うと右手を広げて見せる。
エリンのそれより一回り大きなそれは、先程彼女が言った仮説を実験するように人差し指に小さな炎を出現させる。
「ほら、出来るじゃん! ならさ、それを併用して炎帝槍を使う事が出来れば――」
「いやいや、これは低級の魔法だから出来るだけだよ。あの魔法はそんな低レベルな魔法じゃないから多分無理だって。それよりも、魔力の流れをこう……もうちょっと無意識的に行えば、詠唱無しで出来そうじゃない?」
「師匠が使う魔法、ほとんど詠唱なんて必要ないじゃん。私以上に魔力制御完璧なんだから、もっと高みを目指そうとか思わないの?」
弟子の厳しすぎる視線に苦笑しつつ、その小さな肩に乗って主人に同意するかのようにコクコクと小さく頷くクマに恨めしい視線を向ける。
かつての主人である自分を見捨て、なに同調しているんだと怒りたくなってしまうが、それは彼女がエリンと仲良くなっている証拠なのであまり強くは言えない。
あげた当初はいらないとか言ってた割に、意外と気に入っているらしいところは年相応で可愛いけれど、ここまで露骨に自分の召喚獣に嫌われるとなんだか凹んでしまう。
だが実際、マーリンだってこの世界特有の魔法を習得してみようと努力した事もあった。
しかし、元々無意識化で魔力の制御を行っているせいもあってろくに扱う事が出来ず、さらにはこの世界の魔法はラグナロクのそれに比べるとあまりにも低レベルだった。そのせいで、早々に「やめた~」と放り出してしまったのだ。
アーサーの弟子だったというムラサキが使う時間巻き戻しの魔法は使ってみたいと思わないでもないが、彼女は彼女で凄まじい才能の持ち主なので、そこら辺は良い意味で諦めていた。
だが、自分の師匠が世界一の魔法使いだと信じてやまないエリンは、その説明では納得できず、何度も「もっと高度な魔法を習得してよ!」と子供のように言っていた。
まぁ実際彼女はまだ16歳の子供なのだが、この世界では子供は15歳で成人とみなされるらしく、王族や貴族になると17歳になるまでには結婚をして世継ぎを設けるのも珍しくないらしい。
この国の王族や貴族は、彼らが言う所の神の血の影響で寿命が普通の人間よりも膨大なので、世継ぎは二の次にして力を求める傾向にあるようだが……。
「まぁまぁ~。それより、エリンの方はどうなの? オリジナル魔法の開発、進んでる?」
マーリンがそう言うと、それを待っていたとばかりにエリンが懐からボロボロの布切れを1枚取り出す。
ちなみに、彼女が着ているセーラー服のような物はマーリンが去年の誕生日に彼女に送ったものだ。もちろんそれは見た目をカスタムされた神の名を冠している装備なのだが、なぜセーラー服なのかは彼女の名誉の為に言わない方が良いだろう。
話を戻し、エリンのオリジナル魔法の件だ。
ここ数か月、エリンはマーリンに教わった事を応用して自分でも魔法が作り出せないか研究に必死になっていた。
具体的に言えば、ムラサキが使う『自身と波長の合う物体や生物の位置を入れ替える』という魔法。それの改良版を作ろうとしていたのだ。
マーリンが教えたのは彼女自身が使える攻撃魔法の中でも特に危険が無いだろうと判断した物と、この世界に来てから気付いた魔法の真理だった。
彼女曰く、魔法とは術者の体内に血液と同じように流れている魔力を別の物質に変換する事で起こす物であり、魔力の総量は9割が才能、1割が修行によって決まるという。
ラグナロクのプレイヤーである彼女はともかくとして、この世界の住人が魔法を使おうと思えば、生まれ持って魔力をその体に宿している事が第一条件となる。それが無いとそもそも魔法を使う事が出来ず、その総量は1年修行をすればようやく1割ほど増えるという。
生まれ持った魔力総量がマーリンのそれと同程度だったエリンの魔力総量は、現在マーリンのそれを遥かに上回っており、実戦で魔法を使うとしても魔力切れになる事は無いだろうと思われる。
むしろそんな状態になるような相手と戦うならば、彼女では対処できないので引いた方が良いと言わざるを得ないだろう。
また、例外ではある物の、ラグナロク産の装備の特殊な効果によって、魔力を持たない人間でも魔法を使えるようになる事がある。まぁそれは装備の特性みたいなもので、その装備を身に着けている間だけ魔法が使えるようになりますよ……というだけなのだが。
ともかく、魔法の大部分は魔力による物質の変換なので、その気になれば大抵のことはなんとかなるのだ。
魔力を使って炎や雷を作り出す事も出来るのだから、魔力を使って場所と場所を繋ぐ扉のような物を作れるのではないか。それが、エリンの仮説だった。
ラグナロクに転移魔法の類が無かったのはゲーム難易度等の問題だったのだが、この世界ではそんな設定や縛りは無い。
ただ、マーリンはゲームのシステムに従って手に入れた力をどうこうするつもりはなかったし、そもそも勉強が苦手だったこともあって自分で説明しておきながら何を言ってるのか時々分からなくなるほどだった。
なので、エリンがオリジナル魔法を作り出せるならそれで良いし、作れないなら作れないでそんなもんかという感想しか出ない。
「扉の設置はなんとかなりそう。でも、問題は移動する部分で……」
「ん~? どれどれ……」
拙いながらも扉の絵と2か所の適当な場所の絵が描かれたその布切れを睨みつつ、エリンは扉の部分をトントンと叩いて不満そうに口を開く。
「どうしても、物や人を移動させるってなるとその一部が移動前の地点に置いて行かれるんだよ。例えばAって地点からBって地点に扉を開いて師匠が移動するとするでしょ? そうすると、今の状態だとAの地点に師匠の体の一部……例えば右手とかが残されて、右手の無い体がBの地点に行っちゃうのね?」
「え、なにそれこわ! ん? てか、それどうやって分かったの?」
自分の体を両手で抱きながらわざとらしくブルっと震えて見せたマーリンは、怪訝そうに尋ねる。
仮にその仮説が正しいのだとしても、それを実験するには誰かで試さないといけない訳だ。そうしないと仮説は仮説のままで留まってしまうし、理論上そうだとしても実際に試してみたら違ったという事もある。
しかし、エリンは気まずそうに目を逸らすと、滅多に見せない苦笑を浮かべて明後日の方向を向く。
「えっ、あ~……うん、それはまた今度ね? で、今ここで躓いちゃってて……」
「……エリン? 怒らないから、言ってごらん?」
「…………クマ吉で実験した」
それが誰の事を言ってるのかをよく分かっているマーリンは、彼女の肩に乗っていたクマにジロッと視線を向ける。
エリンのイマジナリーフレンド……もといクマ吉は、言葉は話さない代わりに高い自己治癒能力とペットとしての癒し効果を持っている。現に、今もその体はどこか一部が欠損しているという事は無く、元気な事をアピールするかのようにブンブン両手を振っている。
「違うの、これはその……理論上その危険があるってのは分かったんだけど、師匠に迷惑かけるのも気が引けたから……。クマ吉ならほら、勝手に回復するから良いかなぁ……って」
「あのねぇ……」
マーリンは、エリンに自分の正体は言ってないまでも、2年ほど前に「死んでる人も蘇らせられるんだよね~」と雑談の最中に言ってしまっていた。
実際その通りではあるし、戦争で大怪我を負った兵士達が帰還した際には彼女がその腕を振るう場面も数多くあった。その場面を目にした事のあったエリンは彼女のその言葉を真実として受け止めていたし、実際に自分も癒しの魔法を教えてもらっていた。
だがしかし、エリンは四肢を回復させられる程の魔法は使えないし、死者蘇生の魔法なんて以ての外だ。実験したいのであれば、必ずマーリンに迷惑をかけるだろうことは間違いなかった。
彼女は、カッコ悪いという理由でそんなことは頼みたくなかったし、マーリンには出来るだけ頼らずにその魔法を完成させたいと思っていた。
だが、数日前から一向に研究が進まないので、止む無く今相談しているという訳だ。
そんなエリンの心情を正確に読み取った彼女は、少しだけ呆れつつもその事は口に出さずに布切れを見つめる。
「そもそもさ、なんで体の一部が最初の地点に置いて行かれるのかは分かってるの?」
「うん。多分だけど、扉の存在できる時間が短すぎるのが問題なんだと思う。扉が存在できる時間内に全身が扉を通過出来れば問題ないんだけど、現状の術式じゃ3秒と持たないんだ」
「術式ねぇ……」
正直エリンの説明を半分ほど聞いてなかったので、マーリンにはその術式というものがなんなのか分からない。だが、仲間の1人の影響でファンタジー作品にはかなり詳しいという自負があるので、言わんとしている事はなんとなくだが理解できる。
ならその術式を書き換えれば良いのではないかと素人目では思うのだが、3秒で思いつくような改善案を彼女が試していないはずがない。
「扉の存在時間を決めてるのは術者の魔力総量とか魔力操作とか、そういう問題なの?」
「ん? いや、この扉を形作ってるのって空気中に広がってる魔力なんだよ。でも、この魔法って周囲の魔力をありえない程高速で消費しちゃうから、大森林みたいな魔力が豊富にあるだろう場所でも、最大で3秒程度が限界だろうなって事。クマ吉で試した時は私の部屋でやったんだけど、1秒と経たずに消えちゃって、この子の体が半分くらい消えちゃったから」
「……あんまり無茶な事させちゃダメよ?」
エリンの研究によって、魔力という物が人間の体内だけではなく空気中にも広がっているという事が分かったのはここ最近だ。
しかも、それらは光合成のように植物から多く大気中に放出されているらしく、森の中や植物園のような緑が多くある場所は魔力が豊富にあるらしい。
基本、魔法は自分の体内にある魔力を扱うし、大気中の魔力を扱う術なんてマーリンは知らないのであまり気にした事はなかった。
しかし、もしそれを実現できるなら、魔力を持たないシャトリーヌでさえ魔法を使う事が出来るようになるだろう。
これだけでもエリンがどれだけ天才なのか分かるという物だ。なにせ、彼女は基本的な魔力と魔法についての説明を受けただけでこの事実に辿り着いたとのだから。
「分かってるよ。でも、1日足らずで元の体に戻った時は流石に驚いちゃった。師匠って、ほんとに何者?って改めて思ったもん」
「あはは……。まぁまぁ、それは追々分かるって。それはそれとして……大気中にある魔力とエリンの中にある魔力ってどっちの方が多いの?」
「よほど深い森の中とかじゃない限りは私の方が多いんじゃないかな……? でも、魔力の対象を私自身にしちゃうと、他の人を対象に指定できなくなるんだよね」
うーんと唸りだしたエリンは、マーリンが「何言ってるの?」みたいな困惑顔を浮かべたので、どう説明すれば良いのかと一瞬頭を悩ませた。
「つまりね? 私の魔力を供給源にして扉を開こうとすると、確かに扉そのものの存在できる時間は大幅に増えるの。でもそうすると、扉そのものを可視化……つまり他者から見えるように設定できないから、必然的に移動できるのが私だけになるのね?」
「んん~? つまり……エリンには見えて、他の人には見えない扉を開けるようになるってこと?」
「いや、ちょっと違うかな? これは実験してないからあくまで理論上の事になるんだけど、心の中に扉を設置して、そこを意識だけでくぐる事で場所の移動を可能にするって感じ。私の心の中に扉を出現させるせいで他の人には見えないし、もちろん私にも目には見えない。でも、心の目っていうか、意識の部分でそれを感じ取れるはずだから、扉をくぐるっていう行為それ自体は出来るはずなのね?」
その平べったい胸元でハートマークを作って首を傾げる少女がなんとも愛らしいが、それは一旦無視するとして、今言われた事を必死で理解しようと頭にその風景を描いてみる。
心の中に某猫型ロボットが出すような扉を出現させて、意識だけ……つまり、実際に触れることなくその扉を開けるイメージを固めてくぐると、体ごと別の場所に移動する……という事だろうか。
「どこ〇もドア~?」
「? 何言ってんの師匠」
「ご、ごめん……。でもさ、それ、なんで試さないの?」
「下手すると死んじゃうからに決まってるじゃん!」
本気で怒ったような顔をするエリンがちょっとだけ可愛いと思ってしまうのはもう末期だろう。そう勝手に自虐しつつ、ここで「もし死んでも蘇生するよ!」なんて言ったら殴られそうなので流石に言わない。
今まで彼女が誰かに蘇生魔法を使った事なんてない。どんなに頼まれようが、一度終わった命を再び蘇らせるのは神への冒涜な気がして気が引けたのだ。無論、アーサーの子供が早くに病死してしまった時は使うか本気で迷ったが……。
(エリンの為なら躊躇なく使うって言えるなんて……私もどうかしてるな……)
実際、蘇生魔法が神への冒涜になるなんてそんなの考えすぎかもしれない。
クリスチャンだったせいでそう思う気持ちが強いだけかもしれないが、やたらめったら使いたい物でもないし、エリンに「死んでも大丈夫だからやってみて!」とは言えない。
そんなことを面と向かって言えるのは、人の気持ちが分からない狂人くらいな物だろう。
「現状、その扉の出現時間内にくぐる事が出来れば人体に影響は出ないって理解で良いの?」
「うん。その理解で問題ないよ。ただ、扉を1秒維持するのにかかる魔力が3万ちょいだから燃費が滅茶苦茶悪いし、私でも4秒持たせるのが限界」
「なら、まずは術式を組みなおしてその燃費の悪さを改良してみな? 毎秒1万弱まで抑えられれば、危険もだいぶ少なくなるでしょ?」
ちなみに、エリンが扱える最高威力の魔法である炎帝槍が一度放つごとに消費する魔力量は大体200程度なので、彼女はその魔法を600発ほど放てることになる。
実際には魔力の自然回復だったりで前後するだろうし、炎帝槍は威力の割に魔力消費量が少ないのであまり参考にならないかもしれないが……。
「ん~、そうなのかなぁ……。でも、師匠がそう言うならもう一度術式組みなおしてみる!」
「うん、そうしな~。それで、またなにかあったら相談して?」
「うん! でも、術式組みなおすだけなら数日もあれば出来るから、その時は実験付き合ってね!」
この数日後、エリンは本当に術式を改善して瞬く間に燃費問題を解決させ、無事に転移魔法を安全に扱えるようになった。
それにも驚愕したのだが、その成果を喜び合ってメイドにご馳走を用意してもらっている時に、その報せは入って来た。
「主様、王族と騎士団の一派が主様の暗殺を企てている旨の情報を掴みました」
「……そう」
南雲からそう言われた時の私の内心を表す言葉なんて、この世界にはないだろう。
一つだけ確かな事は、エリンとシャトリーヌの未来を見届けられない事が確定したという事だけだ。




