52話 不穏な動き
現実世界の自室はどうだっただろう……。そんな、数百年ぶりとなる感傷を抱きつつ、マーリンはこの世界での自室をグルッと見回した。
10畳ほどの少し狭いくらいの一室の中には隅の方にポツンと置かれたアンティークな食器棚風のアイテムボックス、その隣には社長室にあるような漆黒の椅子と執務机。部屋の中央には向かい合うようにしておかれた2人掛けのブラウンのソファがどっしりと腰を下ろし、北側の窓には小さな観葉植物が置かれている。
アイテムボックスにはラグナロクで手に入れた物品しか入れられないらしく、自身の子供達からもらった宝物なんかは全て執務机の上に並べているのだが、最近ではそこにエリンからの贈り物も加わっていたりする。
エリンとの修行を始めて2年ほど経ち、最初はどこか暗い顔をしていた彼女も、マーリンの前だけは14歳の少女然とした眩しい笑顔を見せるようになっていた。
事あるごとにプレゼントと称して手作りの小物を贈ってくる彼女にちょっぴりの幸せを感じつつ、シャトリーヌから少女の愛を奪ってしまったのではないかと罪悪感を感じる事も増えてきている。
まぁこの件に関してはマーリンが勝手にそう思っているだけで本人に問いただしたことは無いのだが……。
(あいつらの百合談義聞きすぎたせいで恋愛脳になってんな……)
ラグナロク全盛期に幸せそうに百合の創作物に関して語っていた仲間数人を思い出しつつ、ウっとこめかみを抑える。
いくら睡眠が必要ない体と言ってもそろそろベッドの1つくらい部屋に置こうか……そう思うのと同時に、この部屋にこれ以上物を増やすと窮屈になるだろうという理性がひしめき合う。
「主様……お疲れではございませんか? 少し休憩なさっては……」
「ん~? あぁ、大丈夫。ありがと、ウリっち」
「……いえ」
今現在、彼女はエリンとの修行に使う教科書や資料を用意していた。その傍らで、現在のこの国の情勢についても目を通しており、自分達の子孫がいらぬ事をしていないか改めて調べていたのだ。
2年前まではこの国の行く末なんてどうでも良い……というより、面倒なのでなるようになるとほったらかしていた彼女だが、エリンと関わるようになってその思いが傲慢な物だったと悟ったのだ。なにせ、彼女が心の中に闇を抱え、親族の誰にも心を許さず1人で過ごしていたのは、その環境が根底にあったからだ。
小さな少女の発育にはとてもじゃないが良い環境とは言えず、シャトリーヌを含めた彼女を慕ってくれる少女達の為にも、この国を少しでも良くしようと本腰を上げ始めたのだ。
だが、何事も1人でやるのは限界がある。
そこで彼女は、ラグナロク時代に習得した召喚魔法やスキルを使い、召喚獣を数名呼び出した。
彼女の前で深緑の着物を着こなし、左目に禍々しい呪符のような眼帯を貼り付け、さらには室内なのに真っ赤な番傘を指すという意味不明の行動をしている男もまた、彼女が呼び出した召喚獣――人だが――の1人だ。
隠された都市の巫女姫を助けた報酬として、彼女を守っていたボディーガードの男を好きな時に召喚できるようになったのだが、この男は召喚獣には珍しく、かなり戦闘能力に長けている。
それは、レベル70程度のプレイヤーであれば軽く捻るほどの性能を有し、中堅プレイヤーと1対1で戦わせればまず間違いなく彼が勝つ程だ。その名を南雲というのだが、彼が従っていた元々の主の名に従い、マーリンはウリっちと呼んでいた。
「まさかここまで王国の腐敗が進んでたとはねぇ……。いやぁ、こりゃ私の怠慢ですよ~」
「……」
「なぁんでアーサーみたいな、世界中の善人を集結させたみたいな遺伝子からこんなどうしようもない人達が生まれたんだろ……」
手元の資料に目を通しつつ、マーリンは椅子の背もたれに軽くもたれかかり、両手を頭の上で組んでうーんと軽く唸る。
南雲を始めとした数人の人型の召喚獣と動物や昆虫のような小さな召喚獣が集めて来た資料の中には、彼女も知らなかったこの国の闇の部分が数多く記されていた。
彼女は知らない事だが、既にブリタニア王国は叩けば埃が出る……という次元を超えており、叩けばダニやゴキブリ、埃から汚物まで、世界中のありとあらゆる汚らしい物が大挙して押し寄せるほど腐敗していた。
以前の理想郷と呼ばれた国家の姿など見る影もなく、今や仲間達と共に築き上げた王城キャメロットのみが過去の栄光を誇るように太陽光を反射させていた。
「フラ厶君はアーサーと同じで良い子だったのに、どっから間違えたんだろうねぇ……。ウリっち、分かる?」
「……私にこの国の現状を推し量る事はとてもできません。そも、私は国家運営などという大それた物には関わった事がございません故……」
「だよねぇ……。あ~あ、こんな事なら、怠けずに私もエルフクイーンのクエやってりゃ良かったや……」
椅子をギギギっと唸らせつつさらに体重を預けた彼女は、この先どうして行けば良いのかと必死で頭を悩ませる。
ラグナロク以外でも複数のゲームでギルドマスターをやっていたらしいアーサーの手腕でブリタニア王国は素晴らしい国として大成した。
当時は理想郷とまで呼ばれたそこを残し、自身の弟子だという人に自ら命を差し出した彼の心中は察するに余りあるが、それでもここで全てを捨てて逃げるなんて選択肢はマーリンにはなかった。
無論、手元の資料には自分の子供達が犯している大罪もバッチリ記されているし、今現在の王家の正妻が自身の孫娘であると知った時は思わず叫びそうになったほどだ。
だが、そうと知ってしまっては、エリンをただの王家の可哀想な子供として接する事なんてできないではない。彼女を捨てて他国に行こう……どうして、そんなことが言えるだろうか。
理想としては、国を立て直してエリンが日々を幸せに、笑って過ごせるようなかつてのブリタニア王国を取り戻したい。
しかし、現実問題それはかなり難しいと思われた。
なぜなら、彼女は国家運営なんてものに関わった事はこれっぽっちも無いし、貴族のシステムについても良く知らない。さらに言えば、武力は持っていてもそれを正しく扱える頭脳を持っていないのだ。
戦線ではいつも仲間の指示に従ってあれこれ魔法やスキルを使っていただけだし、ギルド運営だってアーサーや他の数人に全て丸投げしていたのだ。
そんな彼女に、今更この国の現状を変える力なんてあるはずない。
「なんかさぁ、良いアイデアってない? ほら、ウリっちの姫様って正直宗教の教祖みたいな立場じゃん? どうすれば人の心動かせるとか、分かんない?」
「何をおっしゃってるんですか……。姫様は単なる琴弾ですよ。私はその護衛をしているだけでして……」
「もぉ~! 和風クエの弊害だよこういうのぉ……。ていうか、今更ながらこの世界に和風の文化なさすぎじゃない~? 文明レベル何時代だよって感じ~」
「そんなこと言うもんじゃありませんよ、主様」
困り顔でそう言った南雲に子供のようにだって~とむくれながら机に突っ伏した彼女は、この先どうすれば良いのかとしばらく唸っていた。
しかし結局答えは出なかったようで、南雲に更なる調査と監視を命じ、メイドの1人にシャトリーヌを呼んできてほしいと頼む。
数分後、それに応じて部屋をノックしてきた少女をソファに座らせると、マーリンはアイテムボックスから装飾用に手に入れたお菓子を実体化させて少女に手渡す。
それは小さな棒キャンディだったが、シャトリーヌは密かにそれを好物としており、瞳を輝かせながら美味しそうにペロペロ舐め始めた。
(お菓子メーカーとのコラボクエを死ぬほどさせられた時の報酬がこんなところで役立つとはねぇ……)
美味しそうにイチゴキャンディを舐めている少女の隣に腰掛けてその艶やかな髪を撫でるマーリンは、創立メンバーの1人であるトリスタンという青年の顔を思い出す。
彼は甘いものに目がなく、お菓子メーカーとラグナロクがコラボした時、血相を変えて限定クエストを周回しまくっていたのだ。
今は王族の誰かの私室になっているだろう彼の部屋は、そんな背景もあって整理する前は10人いれば10人がうげぇと顔を真っ青にするほどお菓子で溢れていた。
この世界に来てから数日後に、一室から異様な匂いがすると言い出したアーサーがその部屋を開けた時、ドロッと廊下に溢れ出たそれらはとても言葉では言い表せない程酷い物だった。
虹色に光るそれをなんとか片付けてホッとしたのも束の間で、部屋をチラッと覗くと溶けた飴やチョコ、腐りかけたケーキの残骸などが山積みになっていたのだ。その時、その場にいた全員がトリスタンに殺意を持ったことだろう。
鼻が曲がりそうな甘ったるくもどこか不快感を催す匂いと爛れた虹色のドロッとした液体なんて、金輪際触りたくない。
「それでマーリン様。今日は、なんで私をここにお呼びになったんですか?」
「……ん? あぁ、そうそう。今日は、シャトリーヌに聞きたい事があってね?」
かつての苦行を思い出して眉を顰めていた彼女は、純粋無垢な笑顔でそう尋ねて来た少女のおかげで我を取り戻し、よいしょと背筋を伸ばしてペコリと頭を下げた。
「ねぇシャトリーヌ! 私に、国家の運営について教えてくれない!?」
「……はい?」
ポカンと口を開けて困惑する彼女に事情をかいつまんで説明し、この国を立て直すために力を貸してほしいともう一度頭を下げる。
12歳の少女に頼むようなことでは無いのだが、彼女は純粋故に悪に染まる事も無く、アーサーを鏡映しにしたような善人だった。ならば、これからの人生でもその高潔さに一滴の闇すら残すことなく、この国をかつての聖地に戻してくれる手伝いをしてくれるだろう。そう判断したのだ。
かくいう彼女もマーリンに言われる前からこの国の腐敗についてはある程度想像しており、11歳の半ば頃から、なぜエリンが自身を含め、マーリン以外の誰にも近付こうとしないのか。また、周囲の人間もエリンに近付こうとしないのか、そのほとんどを察していた。
そんな現状をどうにかしたくて……でも、幼い子供に出来る事なんて高が知れてると密かに悩んでいた末の、彼女の申し出だった。
「でも……正直に言って、マーリン様が王座に就くのは難しいとおもいます……。アーサー様の血をひいてるっていう、その一点だけで優劣が決まるシステムを構築したのは先代のおうさまですけど……それを、王家の人達も貴族の人達も、全員受け入れているんです……」
「まぁねぇ……。問題はそこだよね」
「いえ、それだけじゃありません……。仮にマーリン様が王座に就いたとしても、他の人達が素直に従ってくれるとはおもえません……。国家の運営って、そんなに簡単な事じゃ無いので……1人じゃなにもできないんです……」
「う゛……それは、そう……」
12歳の少女に正論を突き付けられて精神にダメージを負ったマーリンは、胸を抑えつつもなんとかニコッと笑って見せる。
「それでもさ、諦めるのは良くないと思うんだ? ほら、私はダメでも、あなたとかエリンが王になってくれたらさ……この国は今よりマシになると思わない?」
「……私はともかく、エリン様なら……可能性はあるとおもいます。ただ……あの方は、他の方と一線を画すというか、距離を置いてしまっているので、貴族の人達の支持は得られないとおもいます……」
「だよねぇ……」
ほんとに子供かと思ってしまうほど的確な意見をくれる彼女に苦笑しつつ、自身の子孫だと判明した少女の顔を思い浮かべる。
今思えば、彼女はこの国の現状を誰よりも憂いているからこそ、他の誰とも関わろうとしないのではないだろうか。
醜いもの、愚かなものを忌避し、伝説上の存在であるアーサー達を敬いつつも、現代の人々と彼らのギャップにさらに闇を抱える小さなその体は、いつか崩壊してしまいそうだ。
今マーリンの隣にいる少女と同じようにこの国の未来を危惧しつつも、腐敗しきった国を作って来たのは自分の父親やその親族であると正しく認識している。それは、アーサーを敬っている少女にとっては憎悪を抱くのも仕方がないほどの絶望だろう。
(自分の体にもおんなじ血が流れてるんだから、そりゃ言いたくもないよね……)
初めて会った時、知っているにも関わらず彼女の血筋を尋ねたのには、初対面で少しでも不審がられないようにするためという意味しかなかった。
だが、こんなところで少女の深い闇を再確認する後押しをされることになろうとは……。
「というよりも、マーリン様だって多少は国家の運営に関わっていた事があるのではないのですか……? 書物には、アーサー王やその臣下の方達と、いつも一緒にいたと書かれていることが多いですし……」
「ん~? あぁ……私はなんていうか、ムードメーカーというか、お笑い役というか、場を和ませる立場の人間だったからさ~。そりゃ少しは国家運営に口出ししたことはあるけど、それはあくまで補佐なんだ。あれがしたいとか、あれがあったらいいとか、そのレベル。もちろん、皆と一緒にあれこれ働いてたこともあるけどね?」
「それとこれとは……別なんですか?」
「うん、なんか使い方違う気がするけど……そうだね。あいつらの補佐役として数百年働いてたけど、本格的に国を導いてたのはアーサーとかランスちゃんだったからね」
よく分からないと言いたげに首を傾げる少女を微笑ましく感じつつも、その奥に燻ぶる不安を彼女には悟られないよう必死で隠す。
国家運営に口を出さなかったかつての英雄が、急に口を出そうとしていると感じれば、王家や貴族の人間達がどうするかは明白だ。本当に自分が死ぬかどうかは分からないし、暗殺されるなんてことは起きないかもしれない。
だが……可能性だけで言えば、あると答えた方が現実的だ。
(その時はその時……か)
暗殺されそうになれば、暗殺されそうになった時に考えれば良いのだ。
数年前から肌を突き刺すような殺意を感じる事があるので楽観的に考えて良い状況ではないかもしれない。それでも、実際に行動に移されればその時考えても間に合うだろう。
今は、どうやったら国を立て直せるかを考えるべきだ。
「エリンを国王に……か」
彼女に、できるだろうか。人を導き、国を導き、過去の栄光を取り戻す事が……。
超人的な魔法の才能や腕だけでは、とてもそんなことはできない。
ハーフエルフの彼女は、その気になれば数百年という長い年月を生きられるだろうが、そんな長い年月をかつての王国を取り戻すという、自己の勝手な目的の為に使って良い物か……。
(まぁ……それも、後で良いか。とりあえずは、他に方法がないか探してみよう。選択肢は多い方が、将来の道も広がるし……)
たっぷり1時間ほど国の将来についてシャトリーヌと意見を交わした後、マーリンが出した答えはそんな先延ばしの結論だった。
結局その答えが出る事は無く、これからも月に1度ほどのペースでシャトリーヌが同じ議題でこの部屋に呼び出されることになるのだが、それはまだ誰も知らない事だ。




