5話 家族会議
ヒナがロアの街に出かけて1時間もしないうちに帰ってきた翌日、朝食を食べ終えたリビングにはかつてないほどの緊張感が漂っていた。その理由は明白だ。昨日、ヒナとイシュタルが見た光景が、自分達のよく知るアールヴヘイムとは程遠いものだったからだ。
しかも、ガルヴァン帝国という名の国はラグナロクには存在しておらず、まして冒険者という謎の職業を収めているプレイヤー……いや、そもそもそんな職業自体が存在していなかった。
ラグナロク内における職業とは、主に武器を作る鍛冶師、ポーションなどを作成する錬金術師、アイテムなどを作る装飾人やアイテム職人と呼ばれる者達に使われる言葉だ。
プレイヤーでその職業を収めている者は戦闘面ではあまり役に立たないが、その代わり素材さえあれば武器屋などに足を運ばなくとも頼めば作ってもらえるのでかなりお金の節約になると、上位ギルドには必ず5人以上迎えられていた。
ついでに言うなら、ヒナのような魔法使いやマッハのような剣士も職業と言えば職業になるのだが……彼女達は職業というよりは『クラス』と分類されることの方が多かった。
例えば、魔力のパラメータを伸ばして魔法を重点的に扱って攻撃や回復などを行う魔法使いは後衛の『魔法使い』というクラス。
剣や刀、薙刀や槍など、肉弾戦、接近戦を行うような武器を持った剣士や戦士は前衛の『剣士』や『戦士』というクラスであって、それらを”職業”であると区分けするプレイヤーはそこまで多くなかった。
プレイヤー間での職業とは、何かを作って金を稼いだりする者達の総称であって、モンスターを倒して素材を集めたりレベル上げをする者達を指す言葉ではないのだ。
ただ、冒険者となると話は違う。ヒナは知らなかったが、イシュタルは最新のAIがその頭脳を動かしていた時からデータだけは持っていた。
何かしらの組合に所属し、モンスター討伐や薬草の採取を行って日銭を稼ぐ者達……もしくは、ダンジョンを攻略してその中にある宝物やモンスターを倒して莫大な富を手に入れることを目指す者達……と、数多くあるファンタジー小説のデータから抜き取った情報がそのままインプットされていた。
ヒナは漫画や小説、アニメなんかにはまるで興味を示そうとせずにずっとラグナロクにご執心で、イシュタル達と話す時も大抵は日頃の愚痴だったり一人で考え事をする時にチャットログに記録が残るからという理由でメモ代わりに使っていただけだ。
聞かれたら自然と答えられるようにとプログラムされたことが幸いし、この世のあらゆる情報や出来事などに精通しているイシュタル達3姉妹だが、流石にこの状況においての最適解は分かっていなかった。
それに、いくら最新のAIがその頭脳を動かしていたとしても、それは過去の事だ。今となっては、かつてヒナが家族にと望んだ設定、言葉遣い、性格……そして、彼女が血みどろの想いで集めた数多くのスキルや魔法、そして着用している装備や武器が彼女達の全てだ。
その頭の中には、各々一番上の姉であるヒナをどうすれば守れるのか。その事しかなかった。
「……アールヴヘイムじゃなく、どこか見知らぬ土地に転移か何かで飛ばされたって認識で良いの? 魔法の事に関して、私はな~んも分からないんだけど……」
深刻そうな顔をしている他の3人に耐えられなくなったのか、両手を上げておどけて見せるマッハは、隣にいるイシュタルへと目を向けた。
この中でも一番博識でしっかりしている妹なら、魔法に関してなんの知識もない自分と違って何かしら的確な答えが返ってくるだろうと信じて。
「うん。多分、その認識であってると思う。エルフなんてどこにもいなかった。この家が森の中にあるって事はそうだけど、それ以外はまるで別世界」
「……でも、ヒナねぇでもそんな魔法は使えない。というより、私達が元居た世界には転移魔法そのものが存在してなかった。そういうスキルさえ、ヒナねぇが持ってないなら多分ない。なら、何かしらのイレギュラーが起こったと考えるべき」
そう。ヒナは変なところだけは几帳面なので、既に情報が出ていたスキルや魔法はどれだけ入手が困難で面倒だろうと全て手に入れているし、扱えるようにしている。
装備の有無で使える使えない、威力の増減はあるにしても、3姉妹全員が所持しているスキルと魔法、剣技なんかも含めると、ラグナロク内に存在している全てを獲得済みなのだ。
それなのに、物体やプレイヤー(NPC含め)をどこか別の場所に転移させるというスキルや魔法は存在していなかった。
「そうなんだ。なら、そうなんじゃない?」
「……マッハねぇ、もう少し真面目に考えるべき。この先どうするか、どうするべきか。皆で考えようって、昨日言った」
「それはそうだけどさぁ……。けるとたるに聞きたいんだけど……私達4人が協力して、倒せなかった奴いた? ヒナねぇ奪いに来た松ぼっくりの奴らとやり合った時だって、難なく勝てたじゃん」
『……』
過去に、ヒナをどうしてもギルドへ勧誘したいと半ば狂気的に迫って来た松ぼっくりというギルドのギルドマスターとそのギルドメンバー総勢568名。その全員を返り討ちにして一時チートツールでも使っているのではと話題になったのは、ヒナの記憶の中にも色濃く残っていた。
たかが4人のパーティーが、上位ギルドではないにしてもトッププレイヤーも数多くいた松ぼっくりの面々を返り討ちにしたとあっては、そう騒がれるのも仕方がない。
実際はヒナの圧倒的なプレイヤースキルと判断力、強力な装備とスキル等を駆使して順当に返り討ちにしたのだが、それきり自分のギルドへ来いと言い出すプレイヤーはめっきり減った。
そして、その事をヒナと同様覚えていたのだろう。マッハの言葉に、ケルヌンノスもイシュタルも口を噤んだ。2人とも、ヒナは別として、この世界の誰にも負けないという自負があった。
マッハは3人姉妹の中で唯一の剣士だが、そのHPと攻撃力、俊敏性のパラメータは下手な上位プレイヤーのそれより上だし、所持している無数のスキルやアイテムボックスに存在している様々な武器や防具を組みかえればその強さは何倍にも跳ね上がる。
ケルヌンノスも、ヒナとほぼ同じ量の魔力とHP、加えてヒナのそれよりもレアリティの高い防具を着用――見た目はカスタムで変えている――し、死霊系に特化したスキルと所持している魔法は、広範囲殲滅に限ればヒナのそれを遥かに凌ぐ。
3人の中では唯一攻撃手段を持たないイシュタルだが、回復魔法や状態異常の魔法を無数に習得し、死者蘇生等のスキルも所持している為、相手に勝てなくとも、負けることは無いのだ。
それに、一番下のイシュタルが単独で行動することは絶対にないので、単独で相手に勝つという面はあまり考えなくて良いというのも大きい。
「ヒナねぇに単独で勝てる奴なんて私は知らない。なら、ここがどこだろうともそこまで重く考えることは無いんじゃない?」
「……マッハねぇ、それは危険。それは前の世界の知識であって、この世界にまで適応されるかどうかは分からない。最悪、その辺の人間がヒナねぇと同等の力を持ってる可能性も――」
「ないない~! ヒナねぇバケモンだもん。こんな人そういないって~」
「ちょ、ちょっと! その言い方はあんまりじゃない!?」
ケルヌンノスのもっともな言い分を笑って流すマッハは、ヒナから悲しそうな視線を向けられて笑顔で「ごめん、冗談」と謝る。
その内心は冗談でもなんでもないけど……と可愛く舌を出しているが、それを察することはヒナにはできなかった。
「……けるねぇ、その懸念はもちろんあるし当然。でも、多分その心配は必要ない。近くの街……ロアって言うらしいけど、そこの有名人? が、ヒナねぇの走るスピードに驚いてた。全員ヒナねぇやマッハねぇみたいに走れる世界なら、そんな事にはならないと思う」
「……そう、たるが言うなら多分大丈夫。なら、この見知らぬ地で今後どうするのか、それを決めるのが最優先」
結局のところ、結論はそこだ。この先、どうしていくのか。
マッハが昨日言ったように、この家にはヒナが過去に溜めた産物のおかげでラグナロクに存在しているアイテムや武器や防具、その他装飾品から金貨まで、ある程度備蓄がある。恐らく、一生この中だけで暮らしていこうとなったとしてもどうにでもなるだろう。
ただ……それは全員が望んでいなかった。なにせ、ゲーム内のヒナは現実と違って非常にアグレッシブでしょっちゅう冒険や素材集めで出かけていた。その旅が楽しかったというのもあるが、一番の問題は寿命だ。
マッハを始めとして姉妹全員、種族的な寿命はとても長く何百年と生きる事が出来る。ただ、人間であるヒナはそうはいかない。歳は取るし、いずれ別れの時が来る……かもしれない。
もちろんそれは確定事項ではないし、蘇生魔法がうまく機能するのであれば半永久的に生き続ける事だって出来るかもしれない。ただ、そうならないかもしれない。
無数の『かも』がある中で、ヒナの残りの人生をこの家だけで終わらせて良い物か。そう考えた時、姉妹の誰もが「そんなわけないだろ」と口を揃える。
大好きな人だからこそ、誰よりも大切な人だからこそ、その人生は素晴らしい物であってほしいし、悔いのないように生きてほしい。たとえいつかは終わりが来るのだとしても、その時までは笑って、後悔の無いように過ごしてほしいではないか。
その後残された自分達の事なんて、その時になって考えたら良い。
「みんな……」
そんな姉妹達の心情を知り、ヒナは目頭が熱くなるのを感じる。
誰かにこんなに想ってもらった事なんて、今までの人生でただ一度でもあっただろうか。
いや、両親はそう思ってくれていたかもしれない。でも、そんな存在がいなくなってなお、そう思ってくれる家族がいる事は、なんて幸せな事なのか。
「マッハねぇ、私はとりあえず、その街に行って情報を集めるべきだと思う。もし、たるの想定が外れて、この世界の人が私達に勝てる要素があるのなら、どうにかして私達も力を付けないといけない。そうでなくとも、選択肢を狭めないために、情報を集めないと」
「けるねぇの意見に私も賛成。情報があって初めて選択肢が生まれる。なら、情報というのは大切。やれることを全てやって、その結果ずっと家にいるってなるのと、何もせずにただずっと家にいるのは全然違う」
2人の妹から見つめられ、マッハは考える。
それが、本当に最善なのか。本当に、ヒナの将来を考えることになるのか。他に、何かいい案は無いのか。全ての可能性を、今現時点で取れる選択肢を考える。
そして数秒考えた末に、小さくコクリと頷いた。
「……ヒナねぇが良いなら、もう一度、今度は皆で街に行こう。そこで情報を集めて、その後どうするか決めよう。幸い、そのロアって街は私達みたいな種族を忌避したり差別したりはしてないって事だったしな。交渉事とか人と話す事があれば、私かたるが受け持つ。けるとヒナねぇは、そういうの苦手だろ?」
「……ん、苦手。それにヒナねぇは、そもそも私達以外の人とまともに話せない」
「うぅ……。仕方ないじゃんかぁ……」
ケルヌンノスの小さな胸元にいじけたように飛び込んだヒナは、ジーっとマッハを薄目で睨む。が、本人はそれを意に介する様子もなく、その薄い胸を自信満々に張ると「良し! 決まりだな!」と言いながらひょこっと立ち上がる。
「念のため、私は愛刀を持っていく! ヒナねぇも、あの子持っていけば?」
「えぇ……。豊穣の女神の杖じゃだめ? あの子盗まれたら、私生きていけない……」
「それ言ったら私もそうなんだけど……まぁ、ヒナねぇがもしもの時に身を守れるって武器ならなんでも良いよ。2人は……まぁ、任せる!」
「マッハねぇ、私達の時だけ雑。けるねぇもそうだけど、2人ともヒナねぇの事にしか興味なさすぎ」
「は、はぁ!? わ、私はそんなんじゃないし……」
プイっとヒナから顔をそむけたケルヌンノスは、直後にヒナが寂しそうに泣き真似をすると、慌てて「ち、違う!」とあっという間に手の平を返す。
その変わり身の早さに呆れつつ、イシュタルも自身の愛用の武器を持ち出すか瞬時に考え、盗まれたら大変だというヒナの意見に賛同し、持って行かない事を決める。
「じ、じゃあ……もう、すぐ行く? 私、部屋から杖取ってきたらすぐ行けるけど……」
「そんなに焦らなくても良いけど、どうせやることないしな~。2人は?」
「……私は武器とか使わない。あるにこした事は無いけど、なくても別に支障はない」
「けるねぇと同じで、私も武器はあってもなくても同じだからすぐ出れる」
「なら、準備が必要なのは私とヒナねぇだけかぁ~。すぐに準備するな~。ちょっと待ってて~」
マッハはそう言うと駆け足で2階への階段を駆け上る。その姿を見送りつつ、ヒナはケルヌンノスの胸から心臓の鼓動が聞こえてこない事に少しばかり神秘的な感動を覚えつつ、少しだけ憂鬱そうにマッハの後を追った。
「何があっても、ヒナねぇだけは守ろうね、けるねぇ」
「……もちろん。誰にも手出しなんかさせない」
2人がいなくなったリビングで静かに交わされた小さな決意と誓いは、ドタドタと降りてきたマッハの足音によって掻き消された。