49話 真なる絶望
ピューと泣きたくなるような冷たい風がシャトリーヌを包んでいた炎を消し去った数秒後、少しだけ心配そうな瞳でエリンを見ながらマッハが口を開いた。
「……良かったのか? あいつ、まだなんか言いたそうだったぞ?」
マッハは、ケルヌンノスほど生者を憎んでいる訳でもなければ無闇に殺したいとも思っていない。
自分達がヒナを取り戻す、その邪魔をしなければ別に殺そうと殺すまいとどうでも良いのだが、少なくとも、相手が話しているのに殺そうと思うほど非情ではない。
まぁ仮にヒナがシャトリーヌに殺されていれば問答無用で斬りかかっただろうが、今はそんな特殊な状況じゃないので言ってもしょうがない。
マッハが気にしているのは、ダンジョンに行った時には楽しそうに笑っていた彼女が、今はボロボロと大粒の涙を零して右手を掲げているからだ。
そんなに悲しそうな顔をして人を殺すようなドラマやアニメにはろくなものがない……とは、彼女の頭を最新のAIが支配していた時の記憶だ。
この場にそんな知識を持ってきても良いのかと少しだけ疑問に思うけれど、唯一の友達が悲しそうに泣いているのに何もしないなんて選択肢は、彼女には存在しなかった。
エリンは気にしているようだが、マッハは何度も言っているように彼女の出自なんて本当にどうでも良いのだ。大事なのは、彼女が自分達やヒナを心から慕ってくれて、自分達もまた、彼女を心から慕っているというその事実だけなのだから。
「……良いの。あいつは……おばあさまを、殺した人だから……」
「おばあちゃん? 前、ヒナねぇに言ってたお世話になったって人か?」
「うん……。私のおばあさまはその……ちょっと特殊な人でさ……。詳しくはその、なんて説明したら良いのか分からないんだけど……マッハやヒナみたいに、とっても強かったんだ」
「ふーん? その人、私らとどっちが強かったんだ?」
「そ、それは……本気で戦ってるところを見た事ないから分からないけど……同じくらい、じゃないかな……」
エリンの頭の中には、初めて会った時に見せられた死神の姿がくっきりと脳裏に焼き付いている。
魔法の修行を付けてもらい、あれから数年後に開花した突出した能力を万全に扱えるようになった今でも、あのモンスターには勝てる気がしない。むしろ、目の前に立っただけであの頃と同じように怯えて何もできなくなる未来しか見えないほどだ。
それはそれとして、マーリンと呼ばれたアーサー王臣下だったその人と目の前のマッハやケルヌンノス、件のヒナに関しては、どちらが実力が上なのか、彼女には判断が出来なかった。
マーリンが本気で戦っている所を見た事がないというのもそうなのだが、未だにマッハ達が本気を出しているとは思えないのがその現象を後押ししていた。
ケルヌンノスの本気……というより、その実力の片鱗は見た事があるけれど、それでもあの程度の実力では無いだろうことは直感で理解していた。
「そっか~。私はあの見る目ある人しか興味なかったから他の人は知らないんだよな~。たるとかヒナねぇなら、もしかしたら知ってるかもしれないけど……」
「? なんのこと?」
「ん? あぁ、こっちの話~。それより、大丈夫か? 人殺したの、初めてだろ?」
そう言って心配そうに肩に手を置くマッハに苦笑しつつ、エリンは「大丈夫だよ」と呟くと、その後にマッハとケルヌンノスはどうなんだと笑って尋ねる。
見た目5歳程度の幼女が自分と同じように人を殺したことがあるとは思えないが、そっちの方が精神衛生上心配になるという物だ。
エリンはその見た目とは裏腹に、現在140前後――正確には本人も覚えていない――ので精神的な問題はさしてない。というか、それ以上の絶望を長年に渡ってその小さな体に蓄積してきたので、この程度の事で精神が揺らぐ事は無い。
ただ、ヒナと共に幸せで平和な暮らしを送って来たのであろう彼女達が人を殺すという大罪を犯したのは初めてだろうし、そのきっかけを作ってしまったのは自分だ。
そう、エリンはまだ、今回の件が自分のせいで起こった事だとは、彼女達に伝えられてないのだ。
「私ら? 私らは別に初めてじゃないから大丈夫だぞ?」
少しだけ誇らしそうに言ったマッハに続き、少し離れたところでロイドの実験に飽きたのかその亡骸をポイっと花壇に投げ捨てたケルヌンノスがとことこと可愛らしく歩いてくる。
「ん。私も問題ない。というよりも、前にヒナねぇにちょっかいかけてきた奴らを大勢殺した時より何倍も不快だから、全然大丈夫」
「ま、前にもこんなことがあったの?」
若干動揺しつつそう言った彼女は、普段のほほんとしているヒナも、自分と同じくらい闇を抱えているのか……そう、少しだけ嬉しくなった。
ヒナがなぜあの時、一緒にお店に行こうと誘ってくれたのかは分からないが、その瞳の中には慈母のような優しい温かみがあったのを覚えている。それが嬉しくて、泣き出してしまいそうになって……それを誤魔化すために、あの時はその手を取ったのかもしれない。
エリンがおぼろげにそう思ったのと、その場に不快な声が響いたのは同時だった。
「おいおい、こりゃどういうことだよ。外が騒がしいと思ってきたら、出来損ないの無能が反乱起こしてんじゃねぇか。ロイドもそうだが、シャトリーヌはあと数年すれば俺の妻にと思ってたのによ~」
「サリアス兄さん、彼女は父上の子供ですよ。結婚はおろか、王家に向かい入れる事は――」
「側室って事なら許されるだろうが! ったく、おめぇは相変わらず頭が堅いなぁアルバート」
エリンが振り返ると、そこに立っていたのはゆったりとした私服に身を包んで肩に見事な細工が施された長剣を担いでいる兄のサリアスとアルバートだった。
2人とも、着ているのは普通の私服に見えるかもしれないが、それはエリンのそれと同じで王家に代々伝わる秘宝であり、アーサー王が所持していたとされる物品だ。
効果の程は文献にも記されておらず、ただ『イベント限定の強力な装備』としか記されていなかったのだ。
その『いべんと』なる物が祭りのような物だろうと思っているエリンとしては、他国で時折行われているという季節ごとの祭りで配られている着物と同じような物だろうと勝手に推測しているのだが……。
「あ~……また面倒そうなのがきた……。もう良いじゃんかぁ……いい加減ヒナねぇに会わせろよぉ……」
「同感。でも待ってマッハねぇ。あいつらが持ってるあれも、見覚えがある……」
そう言って2人を指さしたケルヌンノスは、マッハが2人の長剣を見て「あ~」と頷くと露骨に嫌そうな顔をする。
その意味は分からなかったまでも、エリンは咄嗟に2人を庇うためその前に立って両手を広げる。
「サリアス兄様、アルバート兄様。これには深い訳があるのです。私はともかく、2人はこの件とは――」
「良いっていいって! お前みたいな無能があんな魔法を使えたことには驚いたが……お前が騎士団連中をこの短時間で数十人も殺せる訳ねぇだろ」
「サリアス兄さんの言う通りだエリン。お前に騎士団の連中は殺せない。気付いてなかったのか? 副団長さんは、君の放った魔法を避けようとしなかったから死んだだけだよ?」
そう言われ、エリンは首を傾げた。
彼女は確かに恐るべき反応速度で背後から放ったはずの初撃の魔法を、完璧とは言えないまでも避けて見せた。だがそれは、炎の槍が1本だったが故に可能な芸当だっただけで、それが5倍になったから避けられず死んだだけだ。
この兄達はそんなことも分からないのかと少しだけ呆れそうになったが、その言葉を口にする前に、背後のケルヌンノスが肯定の言葉を口にする。
「確かに、あの人はあの時、エリンの魔法を避けようとしてなかった。マッハねぇと戦ってた時の覇気も、気合も、殺意もなにもかも、あの瞬間だけは感じられなかった。マッハねぇが良かったのか聞いたのも、それが理由。でしょ?」
「え!? あ~……ま、まぁそれもあるな!」
妹の言葉に少しだけ動揺しつつその薄い胸を張ったマッハは、内心では「そうなの!?」と驚愕していたのだが、幸い顔には出ていなかったらしく、エリンがさらに頭に疑問符を浮かべた。
彼女ほどの腕があれば、あの魔法が自身の命を奪う事は絶対に分かっていたはずだ。それに、彼女達が言うからには、彼女は避けようと思えばあの魔法すら捌き切れたという事なのだろう。
「ど、どういう……」
同様のあまり、彼女は目の前にこの世でシャトリーヌの次に憎んでいた2人がいる事など忘れて背後のマッハ達の方を向く。
2人の顔はエリンと同じく困惑したように傾げられ同性ながらドキッとしてしまいそうになる。が、彼女が聞いたのは自身の困惑に塗れた言葉への返答ではなく、耳を塞ぎたくなるような不快な高笑いだった。
「はっはっは! お前、マジか! 自分の唯一の支持者を殺したばかりか、それを自分の実力だと、本気でそう思ってたのか! こりゃ傑作だ! なぁアルバート!」
「まったくですね。彼女に受けた恩すら感じる事の出来ない無能だったとは……。これは、我々が思っている以上に、我が妹は無能なのかもしれませんね」
「支持……者? なにを、言っているのですか……」
プルプルと震えながら再度2人の兄を見つめたエリンは、彼らがおかしそうに目を見開いてゲラゲラ笑っている姿をただ見つめるしかなかった。
王城内で支持者という言葉が示す意味とは一つしかない。それすなわち、その者が王座に就くことを良しとしている人物だ。
王位継承権第一位のサリアスは、この国の伯爵を始め多くの上流階級の貴族に支持者を持ち、その圧倒的な剣の実力とカリスマ性で騎士団内部の指示も高い。
王位継承権第二位のアルバートは、反対に男爵などの下級貴族達からの信頼が厚く、支持も高い。それに加え、国内外に精力的に顔と恩を売っており、いざとなればいつでも手足として動かせる人間を多数従えている。
一方で、王位継承権第三位のエリンは、ほとんど自室から出ないばかりか、王族や貴族に知り合いなど1人もおらず、騎士団の前では無能を演じてきたので蔑みの視線を送られることもしばしばある。無論、支持者などいるはずがないのだ。
魔法も大して使えず、剣技も冴えないとなれば、彼女を支持するよりも他の2人を支持し、そのどちらかが王座に就いた時に甘い汁を吸えるよう画策する方が賢い選択という物だ。
それに、騎士団の副団長でもあったシャトリーヌは、サリアスが言ったように誰もが羨むその美貌と圧倒的な強さ、そして現在の王の子供という事もあり、将来の嫁候補として名が挙がる事が多い。
伯爵家辺りに嫁げば今後は戦場なんて危険な――彼女にとってはそうでもないだろうが――場に赴くことも無く、何不自由ない生活を送れる事だろう。
そんな人物が、自分を支持するなんて絶対にありえない。
そもそも彼女は、エリンの叔母であるマーリンを殺害した張本人――
「あ~? 人の手柄を勝手にとってんじゃねぇよ。あの魔法使いを殺したのは俺達だぞ! なぁアルバート?」
「えぇ。父上には黙っておくようにと言われましたが、副団長……いえ、シャトリーヌの手柄になるくらいなら、言ってしまっても問題ないでしょう。アーサー王臣下の最後の1人である魔法使いは、私達2人がロイドと共に葬りましたよ」
「……は?」
その言葉の意味を理解するのに、たっぷり5秒ほどの時間を有してから、エリンはいやいやと首を振った。
そんなはずはないのだ。
なにせ、彼女の師匠でもあり叔母でもあるマーリンが彼女の元から去った数分後、窓の外からどこかへ去っていくシャトリーヌの馬車を見たのは、紛れもない事実なのだから。
無論当時はあまり気にしなかったのだが、数日後にマーリン死亡の知らせを受けた時、確かにその場にはシャトリーヌの姿があった。そして彼女は、その場で泣きじゃくるエリンに何事か言葉をかけた後去っていった。
彼女が使っている馬車があの時城から去っていったあの悪趣味な馬車であると知ったのはその数年後だったけれど、それは間違いない。
それに――
「そんな……そんなはずはない。だって……だってあいつが、そう言ったんだ……。マーリン様が……おばあさまが死んだのは私のせいだって……。私が殺したんだって……」
首をいやいやと振り、マーリンの死亡を聞いた数年後、彼女の部屋を整理していた時に廊下から聞こえて来たあの声を思い出す。
あの時、確かに聞いたのだ。シャトリーヌが、自分のせいでマーリンが死んだと言っていたじゃないか……。彼女を殺したのは自分だと……。
当時はまだ幼かった事と、大切な人を失ったショックで敵を討とうなんて気にはなれなかったけれど……こんな醜い世界に生き続けるのが嫌になった今、彼女に復讐を果たす事に何のためらいも無かった。だから、迷わず殺せたのだ。
「あぁ? んなわけねぇだろ。大体、俺の力が無けりゃあいつは殺せねぇっての。いくらシャトリーヌの野郎が強かろうと、たった1人であの魔女に勝てる程つよかねぇよ。仮にも俺らの先祖の側近だった奴なんだぞ?」
「悔しいけどね、兄さんがいなかったらあの魔女の暗殺は失敗してただろうね。それは認めるよ。まぁ、僕もシャトリーヌ1人でどうにかできるとは思えないし、仮に他の協力者がいたとしても、彼女に勝てるとは思えないけど」
「サリアス兄様の……力?」
それは、王家の人間に代々備わるという特殊な力の事だろうか……。
自分も持っているその能力は、決して強力とは言えないまでも、ここ最近で一番役に立ったのはマッハ達とじゃんけんをした時だ。その能力のおかげで、一発でヒナの隣をゲットする事が出来たと言っても過言ではない。
ただし、その能力は騎士団の者達に備わっているようななにか突出した能力の発展形のような物であって、それだけでアーサー王を始めとした異次元の存在である人達に勝てるはずがない。
仮に勝てたとすれば、それは相手がなんらかの原因で本気を出せなかっただけだろう。
「まぁ認めたくねぇのは分かるぜ。お前の唯一の理解者を自分の手で殺しちまったんだもんな!」
「……だから、その理解者っていうのはなんなの……。シャトリーヌが私の支持者? そんなのありえ――」
「だったら、なんでてめぇが今日まで生きてこられたと思ってんだよ! 仮にもマーリンを殺してんだぜ、俺達は? 必要なくなった王家の人間を殺す事くらいなんともねぇし、無能なお前であれば尚更だ!」
「……いったい、何を――」
自身の兄達が何を言いたいのか、おぼろげに分かって来た。しかし、それを認めたくない理由があった。いや、認めたくなかった。
それでも、エリンの心を嘲笑うかのように、2人はもう一度不快な高笑いをすると、口が裂けんばかりに大きく開き、世界の果てまで聞こえるのではないかと錯覚するほどの大声で叫んだ。
「まだわかんねぇのかよ! ったく、どこまで無能なんだか……。良いかぁ、耳の穴かっぽじってよく聞け? お前の事をずーっと守って来たのはあいつなんだよ。おめぇの部屋に暗殺者を向かわせる度に奴がそいつを捉えて俺やアルバートのところに持ってきて、これみよがしにイラついた面見せて処刑してたんだよ。それも、1度や2度じゃねぇ、何度もだ」
「それだけじゃないさ! お前が誘拐されたと知った時のあいつは、ロイド以上に懸命に捜査に励んでたさ! もちろん、一番に異変に気付いたのはあいつだし、父上に部屋を確認するよう頼み込んでいたのもあいつさ! それが無ければ、父上や俺達はお前がいなくなったと喜べたのにさぁ!?」
その言葉が全て噓であってほしい。両手で耳を塞いで必死にかぶりを振るが、そんな彼女の肩を優しくトントンと叩いたのは、彼女の友達でもあるマッハだった。
「なぁ、私はあいつらが何言ってるのかよく分かんないんだけどさぁ……あいつらがエリンの事をなんかムカつく呼び方してるのに対して、さっきの奴は、エリンの事をちゃんと敬意をもって『あなた様』って呼んでなかったか? それに、あいつのエリンを見る目には、あいつらと違ってムカつく感情は無かった気がするぞ?」
「……っ! そ、それは……」
言われてみれば、確かにその通りだ。
シャトリーヌとはマーリンの件があったのであまり話さないようにしていたが、彼女が自分を呼ぶときは必ず『姫様』か『あなた様』のような、敬意のある呼び方だったように思う。
無論メイドや貴族達もエリンの事を『姫様』と呼ぶことはあるのだが、そこには必ず侮蔑や軽蔑の感情が混ざっている。
そんな負の感情を、シャトリーヌから向けられたことは――
「嘘だ……。嘘だよ……。だって……だってシャトリーヌは……おばあさまを殺したって……」
「だぁから、それは俺達がやったって言ってんだろ、わっかんねぇ奴だなぁ!」
膝から崩れ落ち、瞳からボロボロと涙を零したエリンは、おぼろげながらもあの時の記憶を鮮明に思い出そうと記憶をひねり出す。
しかし、聞こえてくるのは兄2人の深いな高笑いと、マッハ達が自分を心配してくれる温かい声だけだった。
次回からエリンとシャトリーヌ、マーリンの話に移ります。




