48話 友の真実
なんで今の魔法を避けられるんだという動揺を他所に、エリンは純粋な瞳を向けてくるこの世界でたった4人の友達の1人に、どう説明するべきか迷った。
無論、正直に王族だと言うのは簡単だ。
だがその場合、ヒナが連行されてしまったのは自分のせいだと糾弾されるかもしれない。そうなれば、もう4人とは二度とあんな風に話したり冒険に行ったりはできなくなるだろう。
それに、自分の中に穢れた血が流れているなんて、そんな事は口が裂けても言いたくなかった。それ程までに、この国の王家は穢れているのだから。
「え、えっと……その……」
「? どうしたんだ?」
王城から彼女が戦っている所を見つけて深く考えずに突っ走り、背中側からシャトリーヌに魔法を放ち、彼女を戦闘不能にしてゆっくり考える時間が欲しかった。出来るならば、そのままその胸に飛び込んで泣き出してしまいたかった。
しかし、エリンのそんな目論見はシャトリーヌの神がかり的な直観力と回避力で無に帰してしまった。
ここで下手な事を言ってしまえば、マッハの刀が斬るのは自分の肉体にまで及ぶだろう。
(いや……マッハになら……良いかな……。もうこんな世界……生きてる意味なんて……)
唯一心を許していた師匠がいなくなってから、彼女は生きる理由や目的さえ分からずに今日まで過ごしてきた。
国は穢れ、貴族や王族達はすっかり腐敗し、王城もかつての高貴な姿を失った。
そこに見つけた……いや、やっと出来た本当の友達。それを失ってしまえば、今度こそ本当に生きている意味なんてなくなってしまう。
なら、その友達の手で殺されるのも良いではないか。なにせ、もうこの世界に思い残す事なんて――
(そうだよね……。もう、ヒナもいないもんね……)
雲一つない青空を見上げてうっすらと目の端に涙を浮かべたエリンは、ふぅと静かに息を吐くと、怪訝そうな目を向けてきているマッハにぎこちなく微笑んだ。
「黙ってて、ごめんね……。私、この国の王女なんだ……」
「王女~? それって、お姫さまって事か~?」
「うん……。ごめん、黙ってて……」
がっくりと肩を落としたエリンを見ても、マッハは何とも思わない……というより、なんで彼女が泣いているのか、それがさっぱり分からなかった。
別に、王女だという事を黙っていたからなんだと言うのか。
エリンはエリンであって、彼女は本心からヒナの素晴らしさを分かってくれた。
マッハにとって、エリンを友と呼んで慕う理由は話が合うというのもあるが、その優しい人柄ゆえだ。そこに、身分なんて関係ない。
「姫様……こいつらとどんな関係なのかは知りませんが……今の魔法、どういうつもりなのかご説明願います」
「……言ったでしょ。私の友達に、手を出さないで」
「…………やはり、あなた様は実力をお隠しになっていたんですね。訓練場ではいつもこっぴどくやられるのに、決して深手は負わず、それでいてどこか涼し気な顔をしていらっしゃったのはそういう……」
「シャトリーヌ、気付いてたんだ」
合点がいったと言いたげに大きく頷いたシャトリーヌは、改めて剣を握りなおすと数メートル先にいるマッハを睨みつけた。
「姫様と、どういう関係だ?」
「どういうって……友達だけど?」
「友達……? はっ、バカ言え。このお方は、将来この国を背負って立つお方だぞ。そんな方とお前みたいな子供が友達などと――」
シャトリーヌが最後までその言葉を言い終える前に、マッハがその首めがけて刀を振った。それは、怒り故の特攻だった。子供と言われた事にではなく、エリンとの友情を否定された気にがして一気に怒りのボルテージが頂点に達したのだ。
「お前、私を舐めるのも大概にしろよ。お前くらい、ちょっと本気を出せばすぐに斬れるんだよ」
「確かに馬鹿力だが……現に、今回も私は仕留めきれてないぞ……。っち! 厳しいのは認めるが、それでも、貴様の動きは、私には……筒抜け、だ!」
目にも止まらぬ速さで突進してきたマッハの一刀を難なく受け止めたシャトリーヌは、フッと不敵な笑みをこぼすとその刀を払いのけて彼女の左脇腹へと水平斬りをお見舞いする。
この時以上に自分の能力について感謝したことは無い。通常の人間の視覚では絶対に捉える事が出来ない速さのマッハの動きを、まるでコマ送りでもしているかのように正確に読み取れるのだから。
無論、その動きが見えたからと言って体がそれに追いつけるかどうかは全くの別問題だ。
現に、マッハの動きを捉える事が出来るのは彼女だけではなく、彼女と同じように発達した視覚を持っている騎士団の面々でも可能だ。
しかし、あの世に旅立ったその者達となんとか食らいついているシャトリーヌとの違い。それは、無駄のない動きで迫り来る刃を受け止め、反撃に転じる事が出来るかどうかだ。
音速を軽く超えるような相手に反応するなんて容易な事ではなく、それを出来るのは一握りの者達だけだ。ロイドだってそれは可能だったはずだが、そもそも視覚が発達していないせいでマッハの一撃を見る事が叶わなかったのだろう。
「さっき言ったじゃん。その武器じゃ無かったらとっくに死んでるってさ~。別に、あんたの実力じゃないんだよ」
シャトリーヌから繰り出された攻撃を難なくはじき返したマッハは、宙返りを決めながらよいしょと着地すると、少しだけ鬱陶しそうにチッと舌打ちする。
今の彼女は神の名を冠する武器以外でダメージは負わないが、反対に神の名を冠する武器から受けるダメージは倍増してしまうデメリットを抱えている。
この場にイシュタルがいれば何も問題は無いのだが、彼女もヒナと共に連れ去られてしまっている以上、回復のポーション等を持ってきていない関係で下手に攻撃を喰らえないのだ。
幸い蘇生魔法……とはちょっと違うが、死んだとしても生き返らせてくれるケルヌンノスがいるので死ぬことそれ自体は――本当に復活できるかどうかは定かじゃないが――問題ない。
だが、そもそも冒険以外で痛い思いなんてしたくないので、シャトリーヌが繰り出す攻撃をちょっと大げさすぎるほど警戒しているのだ。
「第一さ~、その武器じゃなくてそこら辺の雑魚い人達が持ってる武器だったら、一瞬で私の刀にへし折られてるよ? そこら辺、理解してる?」
ハムスターのように頬を膨らませたマッハは、近くに倒れている遺体の腰から剣を抜くと、ポンと宙に放り投げる。
手元にそれが落ちてきた瞬間ブンと刀を一振りして剣を細かく切り刻むと「ほらな?」と少しだけ誇らしげに口の端を歪める。
「我が神の至宝を……無駄に破壊するな!」
「だってさぁ~、あんたが自分の負け認めないんだもん。良い? 私らはヒナねぇの救出に来たのであって殺戮しに来たわけじゃないんだよ。ヒナねぇからも止められてるし……。だからさぁ、死にたくないなら邪魔しないでくれる?」
肩にトントンと刀を下ろしながらめんどくさそうにそう言うマッハに、エリンが申し訳なさそうに俯き、シャトリーヌがあぁと会得がいったという風に笑みを浮かべる。
「マッハ……あのね、ヒナは――」
「そいつは死んだぞ。隣にいたチビも一緒にな! 姫様を誘拐なぞして、私が生かしておくと思うのか?」
「……」
もう一度手の中にあるコンパスを睨みつけ、その針がしっかりと城を指している事を確認すると、マッハは不思議そうに首を傾げる。こいつは、何を言っているんだ?と……。
バルバロスのコンパスは絶対だ。それが未だにヒナの存在をこの世界に感じ取り位置を教えてくれている以上、ヒナがこの世界に存在している事は明らかだ。
仮に彼女が今持っている剣でヒナの首を叩ききったとしても彼女のHPがそれだけで消失するはずがないし、そもそもそんなことを大人しく許すような性格では無い。
「ヒナねぇは生きてるぞ? 何言ってるんだ、お前」
「……なに?」
ピクリと眉を動かしたシャトリーヌとは違い、ハッと顔を上げたのはエリンだ。
ヒナの妹であり自分よりも圧倒的に強い人がそう言うのであれば間違いないのだろう。だがしかし、地下牢にあった彼女とイシュタルの武器はどう説明すればよいのか……。そして、地下牢以外に城内やこの周辺に罪人を収監できるような場所はない。
なら、2人は一体、どこに消えてしまったのか……。
「ほんと……? ヒナは……生きてるの?」
「ん? うん、生きてるぞ? というか、ヒナねぇがいなくなってたら、今頃この国滅んでるぞ?」
マッハとケルヌンノスが本気を出さずに、あくまで邪魔をする人間を殺戮しているのはヒナがまだ生きているという確証があるからだ。
仮に手元のコンパスがヒナの生死を示さなくなり、その存在が完全に消滅する時が来れば……まず間違いなく、ケルヌンノスが怒り狂ってこの辺りを更地に変えるだろう。
その後、マッハが生き残っている人間を1人残らず殺し、この国を地獄へと変えた後に2人揃って後を追う。
彼女達が本気を出さないのはヒナから出来るだけ人殺しはしないでほしいと言われているからだ。
ただ、邪魔をしてくる人間はイラつくから……じゃなく、さっさとヒナを救出してその無事を確かめたいからあの世に送っているだけだ。
「なぁなぁ、でさ……エリンはなんでここにいるんだっけ?」
「え……? だ、だから王女……」
「でも、この間一緒に話したじゃん。ヒナねぇと一緒に寝てたし……。王族って、城から出ないんじゃないのか?」
純粋なキラキラした瞳を向けてくるマッハを少しだけ眩しく思いつつ、エリンはどう説明した物か迷った。
ここで自分の出自を話したとしても、彼女は頭に疑問符を浮かべるだけで深く考えてくれない気がする。
まぁそれはそれで良いのだが、今回の事件を起こした直接の原因が誰にあるのかは明白だ。それを打ち明けて、果たして今まで通りに接してくれるだろうか……。
「大体さ~、貴族街?見て来たけど、ここの王様ってほんとにあの見る目ある人の子孫なのか? いくらなんでも酷すぎるだろ。エリンが、そんな奴らと同じなわけないって~」
「そ、それは……」
ニシシと笑うマッハの純粋な瞳が胸にグサっと突き刺さる。
そう言ってくれるのは嬉しいし、自分だってこの国の王族や貴族が愚かでバカで、本当にアーサーの血を引いているのかと疑いたくなる。しかし、それが現実なのだ。
アーサーの後を継いだ王は彼の王と比較され続けて心を病み、早々に死去。
その子供だった先代の王がこの国を内側から腐らせ、それを陰ながらではあるものの手助けしていたのが貴族達だったのだ。
まだ立て直せる余地があったかもしれないが、それは現在の王が130年前にマーリンと言う名の偉大な魔法使いを殺すよう指示してからその道を完全に閉ざしてしまったのだ。
「王家の方々が愚か……か。それは否定しないが……貴様のような子供に何が分かる! 周囲のデカすぎる期待に応えようと邁進されたというフラム様と、そんな父の姿を見て育った先代の王……。我が神が優れておられたのは認めるが、それだけでは国を治めるなど夢のまた夢だろう! 神々が次々に天界へと召され、その後ろ盾を失ってしまえばもうこの国は立て直せん! かつての理想郷とは、神々が統治されていたからこそなされた偉業だ! それを、高々人の手で再現しようなどと……おこがましいにもほどがある!」
「……シャトリーヌ?」
「貴様らは……貴様らは、何も分かっていない! 真に愚かなのは、神々と同じ能力・統治を要求してきた我が国の民達だ! 他国の連中共だ! 神々の所業を、単なる人の身で行う事がどれだけ大変か! それを、奴らは一切分かっていないのだ! 勝手に期待し、失望し、嘆き、悲しむ! 真に愚かなのは、奴らではないか! フラム様は、そんなだから気を病まれたのだ!」
マッハはおろか、書庫の文献を読み漁っていたエリンでさえ、彼女が何を言っているかは全くもって分からなかった。
それでも、国の現状を嘆き、悲しんでいるのだろう事くらいは分かる。
しかし……決定的に間違えている所がある。それは、民が愚かだという所だ。
期待するのが悪い事なのか……期待して、裏切られたから失望するのの、何が悪いと言うのだ。
そんなの、期待に応えられなかった方が悪いのではないのか……。そう思えてならない。
「なぁエリン~、あいつ何言ってるんだ?」
「分かんない……。なにひとつ、サッパリ……」
シャトリーヌを指さして怪訝そうに唸るマッハに、エリンも同意する。
彼女が興味を持っていたのはアーサーやその仲間達の冒険譚であって、その後の王家が腐敗してきた歴史なんて知りたくも無かった。
ただ1つだけ確かなのは、真に民が愚かなら、今の王家は愚かでは無いのかという事だ。
民からの税収で私腹を肥やし、自身の自己顕示欲と自尊心を満たす為だけに日々を謳歌する連中が、愚かでなくてなんなのだ。
神の偉業に胡坐を掻いているようにしか見えないのは、気のせいかと。
「今現在の王政は確かに腐っている。だけど姫様……いえ、あなた様は違うでしょう。幼い頃から神々の伝説に目を通し、神の所業を心から崇め、尊敬しているあなた様なら……きっと、かつての理想郷と呼ばれたこの国を取り戻せるはずだ……。私は、幼い頃からそう――」
「本当にそう思うなら、なんでおばあさまを……マーリン様を殺したんだよ……。あんただろ……おばあさまを殺して、その遺体を遥か異国の地に埋めたのは……。あの方は、あんたのいう、神々の一員じゃないのかよ……」
「おばあ……なんのことですか。マーリン様の事なら、私は――」
「嘘を吐くな! あの時、城から出て行くお前の馬車を見たんだぞ! アーサー王が残された黒馬にあんな趣味の悪い荷台を取り付けて引かせる所業にはうんざりだ!」
エリンは心の奥底から絶叫にも似た叫び声を上げ、本気で困惑している様子のシャトリーヌを無視して右手に魔力を集中させる。
先日ヒナが使っていた連続で相手を貫く魔法の原理は分からないまでも、その気になれば何本も同時にあの炎の槍を出現させる事くらいはできる。
かなり集中力を使うし、たまにしか成功しない大技なのだが……今は、なぜだか失敗する“未来が見えなかった”
「お前は……お前は! いったい、私からどれだけ大切な人を奪えば気が済むんだ!!」
「ま、待ってください姫様! ほんとうになんのことだか……。私はただ――」
「だまれだまれだまれ! おばあさまを、マーリン師匠を、ヒナを、イシュタルを……! 私から奪った罪を、あの世で悔いてろ! 炎帝槍!」
一度に5本もの燃え盛る槍を出現させたエリンは、瞳から大粒の涙を零しながらシャトリーヌへと放った。
それらは一縷のブレもなく彼女の心臓を貫き、腹部を貫き、足を貫き、剣を持つ右手を貫いた。
「ひめ……さま……。ちがう、のです……。わたし、は……ただ、あなたさまを、つぎのおうに……。このくにの、ふっこう……を……のぞ……」
シャトリーヌは全身を炎で焼かれながらも力なくエリンへと手を伸ばす。しかし、数秒後にはその命の灯を完全に燃やし尽くし力なく倒れた。
その場には、彼女の遺体をパチパチと燃やす炎の音と、エリンがすすり泣く声がしばらく響いていた。




