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43話 姫君の過ち

 数日前に遡り、ヒナと別れて自室へと戻って来たエリンは、しばらく膝を抱えて泣いていたが数分後には気を取り直してすっかり濡れた目元をグッと拭う。

 目元が赤くなっている事は鏡なんて見なくとも分かるけれど、昨日帰らなかった……正確には夕食の席に顔を出していない事で騒ぎになっているはずだ。その弁明に動かなければと、ガチャっと部屋の扉を開ける。


「……え?」

「うわっ! って……姫様!? ど、どうやって室内に……」


 扉を開けた瞬間目に入って来たのは、物騒な槍や剣をその手に掲げて厳重に部屋の前を固めていた騎士団の鎧を着た人達だった。

 その全員が見知った顔……というよりはアーサーの名を持つエリート達で、エリンにとって彼らは、遠くはあるがエリンら王族の親戚にあたる。

 アーサーの名を持つ者は総じてかなりの力に目覚める傾向にあるのだが、彼らも違いなくその恩恵に預かっているようで、その実力は騎士団内部でもかなり高い。


 記憶にある騎士団のメンバーの顔……は分からないので、持っている武器と声を頼りに名前を思い出す。

 と言っても騎士団のメンバーが持っている武器は、よほど末端でもない限りはアーサー王やその臣下達が残したとされる伝説の武器を所持している。師匠もその類の武器を持っていたのだが、彼女は興味が無かったのでその見た目でしか判断していない。


 目の前の血のように真っ赤な槍を小脇に抱えている男の名は……


「第一隊長のセリンさん……だっけ? なんでここにいるの?」


 男――円卓の騎士団第一隊隊長セリンは、エリンが少しだけ呆気にとられたような顔で首を傾げたので少しだけ呆れつつ――顔には出さぬよう気を付けて――ホッと胸をなでおろした。

 男は太陽のように煌めく金髪を背中まで伸ばして同じ色の瞳をキラリと煌めかせる優男だ。その、自分より力の無い者を見下す、騎士という立場に相応しくないような性格はともかくとして、その実力は全部で6つある小隊の第一隊隊長を任されるだけのことはある。


 今回、彼は姫君が何者かに誘拐されたという報せを受け副団長のシャトリーヌの指示で姫君の部屋を警備していた。

 本人としてはその任務に少しだけ不満があるものの、シャトリーヌは自分でも勝てぬと思える騎士団内の数少ない実力者だ。逆らってもいい事などないので大人しく従っていたというのが実情だった。


 しかし、当の本人がひょこっと室内から顔を出したので状況は一変する。

 誘拐されたという事実それ自体が怪しくなり、今すぐにでも上官――シャトリーヌへ報告に行くべきか迷う。

 だが、彼が結論を出す前にその場に1人の男がやって来た。


「エリンじゃないか。なんだお前、誘拐されたんじゃなかったのかよ」

「……アルバート兄様。誘拐とは、なんのことでしょう?」


 澄ましたような、カッコつけているのがまるわかりのどこか嫌悪感を催す声に、露骨に眉を顰めながらエリンはそう口にする。

 アルバートと言われた男は趣味が良いとは思えない真っ赤な絨毯の上を胸を張りながら歩きつつ、夕焼けに燃える外の景色を眺めてふんと鼻を鳴らした。


「お前が昨日の夕食の席に顔を出さなかったからな、心配性のお父様がお前の部屋に尋ねて行ったんだ。そしたらお前が消えていたんだろ。厄介者が消えたと、我々は大いによろこ……いや、慌てた物さ。なにせ、王位継承権第“3位“のお前が消えたんだからな!」

「……」


 微塵もそのまま消えてくれれば良かったのにという気持ちを隠さず迫ってくる兄に嫌悪感を催し、胃液を吐き出しそうになるが必死で耐える。


 キャメロット城は、王族と騎士団の中でも限られたごく一部の人間が暮らしているのだが、130年前にアーサー王の最後の側近が死亡――暗殺された事は伏せられている――した事で、その内装がかなりガラッと変わってしまった。


 エリンにとっては昨日の事のように思い出せる。

 下品にならぬ程度の高級感や清潔感を演出する家具や装飾品の数々、調度品やなんのために置かれているのか分からない絵画や銅像。その他様々な物が、現代の王の手によって破棄された。

 曰く、いつまでも過去の栄光に縋るのは見苦しいというので、場内を全て自分の趣味に走らせたのだ。

 その結果、かつてあった高潔さや計算されつくした美しさや高級感、その全てが失われた醜い城と成り果ててしまった。


 そこからだ。彼女が、本を読むのすら辞めて自室に引きこもるようになったのは。

 一番過去の栄光に縋っている人物が、過去の栄光に縋るのは見苦しいなんてよく言った物だと何度心の内で呪いを吐いたか分からない。

 それでも、かつての城内を知る身からすれば、今の城内はあまりに酷い。どこを見ても、どこをとっても、どこに行っても、全てが汚らわしく、下品で醜悪だ。


 それはここに住んでいる者達も同じだ。

 悠々と歩いてくる兄を見て改めてそう思った彼女は、本心ではまったくと言っていいほど悪いと思っていないが、一応形だけでもと頭を下げた。


「ご迷惑をおかけしたようで申し訳ありません。実は、少々用事があって街の方へ出ておりました。夜中のうちに帰っていたのですが、ベッドに入ってからずっと寝入ってしまいましたので今まで顔を出すタイミングが無かったのです」

「あ~? 今日サリアス兄さんが確認したけどいなかったって言ってたぞ? 相変わらず陰険な部屋だって愚痴ってたのは、ありゃなんかの間違いか?」

「……勝手に入るなよ。あなた達みたいな穢れた人が住んでいい場所じゃないんだよ、この城は……」


 決して聞こえないよう口の中でモゴモゴと呟きつつ、エリンは何か上手い誤魔化し方を模索する。

 そのうえで、用心の為に寝ている間は自分の姿を魔法で見えなくしていると口にした。

 我ながら苦しすぎる言い訳だとは思うが、魔法というのは基本的になんでもありだ。この国に130年前まで使えていた偉大な魔法使いの存在を知っている彼らは、その言葉には何も言えないだろう。


「おめぇの部屋に勝手に入る奴なんているとは思えんがな。お前を殺すなら、王位継承権の高い俺や兄さんを狙う……いや、お前は剣術もろくにできん無能だから、そりゃ分からんか……」

「仰る通りです」


 苦虫を潰したような顔を見られぬよう俯きながらそう言ったエリンは、内心でヒナ達より弱いくせに何言ってんだとバカにする。

 いや、自分だってかなり強いのは自覚しているし、その気になれば装備を身に着けていない今の彼くらい瞬殺できる。だが、そんなことをしてもなんの得にもならないのでグッと堪え、初めて出来た親友と比べて心の内で嘲笑する。


(……私も、結局この人達と同レベルって事か)


 散々バカにしている兄達と同じく、自分も誰かと誰かを比べ、劣っている方をバカにする。そんな愚かで醜い事を考えてしまう自分が嫌になる。

 だが、今はそんな事よりも目の前の事態をなんとか片付けなければならない。

 ここで誘拐だなんだと騒がれていたのだとすれば、しばらくヒナの元に行けなくなる可能性がある。ただでさえ彼女達があと何日このなにも無い国にいてくれるか分からないというのに、その貴重な時間を失いたくはない。


「という訳で、私はこの通り無事ですので、お父様やサリアスお兄様には――」

「はいはい、分かった分かった。後で伝えておいてやる。で……今日は夕飯食うのか?」


 どうせ食べても数分後には洗面台に胃液と共に流れる事になるので、自分に食事を出す金があるなら街の整備にでも回してくれ。そう言えればどんなに人生を楽に過ごせていたか。

 エリンは、数秒考えてからコクリと小さく頷いた。


 それから、露骨に嫌そうな顔を浮かべたアルバートと、上官に報告する道中まで護衛をすると言い出したセリンとその部下に囲まれ、エリンは数日ぶりに食堂へ顔を出した。

 食堂に到着するとセリンはそこで恭しくアルバートに頭を下げ、4人の部下を連れてその場を去っていった。


「あ~あ、今日はなんだろうな」

「……」

「ッチ! 俺が気を遣って話しかけてやってんだから答えろよ……」


 あなたと意味のない会話をするのなんて絶対に御免だと内心で返事をしつつ、彼女は食堂へ続く木製の扉をガチャリと開いた。

 彼女にとって唯一の救いは、家具や調度品が一新されてしまった城内も、各部屋の扉や装飾等については特にいじられなかったことにある。


 文献によると、この食堂はアーサー王やその臣下達が雰囲気作りというよく分からない理由で作った場所らしいが、数百人以上入る事の出来る大きな広間は圧巻だ。

 ピカピカに磨かれた大理石に囲まれ、各所に細かな装飾が施されたその場所はエリンが書庫の次に好きな場所だった。なぜなら、天井を見上げると見事な細工でアーサー王とその臣下達が彫られているからだ。

 文献にあった『第三位ギルドとの死闘』を描いた物だろうそれは、書物を読んでいた時以上にその時の激戦を想起させるので実に胸が躍る。


 そんな、ある種血生臭い物を食事する場所に作るのはどうかと思わなくも無いが、この場所以外にこんなに大きな物を彫れるのがここしかなかったのだろう。

 実際、大広間や謁見の間にはそれまた違った趣の趣向で飾り付けが行われており、家具なんかを一新したせいで浮いている物の、依然としてその素晴らしさは高貴な光を放って輝いている。


 そんな素晴らしい食堂を穢しているのは、3名の男達だった。

 広すぎるその空間の中央の席にどっかりと腰を下ろし、銀食器を異様にカチャカチャ言わせながら夕食を口にしているその人達を瞳に映した瞬間、抑えていた嫌悪感はピークに達する。


「うっ……」


 思わず口を押え、すぐに胃液を無理やりあるべき場所へ戻しつつ、不審がられないようににっこりと笑顔を作る。

 口の中をすっぱい匂いが埋め尽くし、鼻腔をツーンとした痛い匂いが刺激する。が、それらを意志の力でどうにか押し込めると「この度はご心配をおかけしました」となんとか口にする。


「……そうか、無事だったか」

「父上、そんなにあからさまにガッカリなされるとエリンが不憫ですよ。ロイドもそう思うだろ?」

「……俺に話を振らんでくださいやサリアス様。まぁでも、姫さんが五体満足で帰って来たって事それ自体には安堵の気持ちはありますよ、いやほんとに」


 ニヤリとその口の端を歪めてそう口にした騎士団長をその視界の端にも捉えないよう努力しつつ、エリンはいつもの席である彼らから数席離れた位置にちょこんと腰掛ける。

 すぐにメイドが夕食を持ってきてくれるが、彼女がこれらを完食したことは未だ一度も無い。礼儀としてその皿の中身を空にはするのだが、それらが消化される前に口から出て行くからだ。


 今日の夕食はホクホクと白い湯気の立つ食パンと野菜がゴロゴロと入ったクリームシチュー、黄色い粒のような物とスコーンと呼ばれる少し硬めのパンが放り込まれているスープだ。

 なんで汁物と汁物を掛け合わせるんだと言いたくなるが、それはアーサー王やその臣下達について文献を読み漁った結果知り尽くしているエリンだから言える事で、彼らは食事の内容なんて気にしていないのだろう。


 実際、彼らは銀食器の使い方も知らないのにそこにあるからと乱暴に使い、食事だって出されているから食べているという有様だ。

 民達は満足に食事をとる事もままならず、一部のお金に余裕のある者達しか1日3食は口に出来ないと言うのに……。


 文献を数多く読み漁って銀食器の使い方を完璧にマスターし、食事のマナーについてもある程度知っているエリンは、料理を持ってきてくれたメイドに軽くお礼を述べるとそそくさとそれらを口に放り込んでいく。

 相変わらず、全ての物に味が無い。まるでゴムか何かを食べているような感覚に襲われつつ、ヒナ達と食べた食事はあんなに美味しかったのに……。そう、少しだけ悲しくなってしまう。


(大勢で食べる方が美味しい……。おばあさま……それは、どうやら違うみたいです)


 大勢で食べるから美味しいのではなく、好きな人と食べるから美味しいのだ。そう改めて自覚したエリンは、再び胃液が逆流しそうになる前にサッサと食事を終えると、メイドに後片付けを任せてサッサと食堂を後にした。


 夕食と言っても、会話をするのはその場に集まったエリン以外の者達だ。彼女は、この城に住んでいる人間、この城に来る人間、その全てと話したいとは思っていなかった。

 幸いにも彼女以外の全ての人々もエリンに対して同じような事を思っているらしく、話さなくて済むのであればそれで良いと思っているようだった。


 ただ、この時ばかりは彼女がそんな性格なのが災いした。なにせ、彼女が聞いていないところで、姫君誘拐という一大事をどう収めるべきか。それが協議されていたのだから。

 無事だったから良かったじゃないか。事は、それだけで収められる程軽い問題では無かったのだ。


 王族や限られた人間しか知らない事実であれば揉み消すという事も出来たかもしれない。だが、王城には当然数え切れないほどのメイド達が仕えている。彼女達が、自身の主人が話していた姫君誘拐の事実を家族や貴族の友人に話さないはずが無かった。

 それは一夜で貴族の間に広まり、今や収拾のつかない事態にまで発展してしまっていた。

 そんな時、あれは間違いでしたなんて発表しようものなら王家の威厳が地に落ちてしまう。


「冒険者が姫さんと一緒にいたところを見たって奴がいるんですが、どうします? 誘拐じゃなかったとはいえ、一時的にでも奴らが姫さんと一緒にいたことは事実っぽいですぜ?」

「……冒険者? なぜエリンはそんな下賤な輩と一緒にいたのだ?」

「それは俺も知らねぇっす。ただ、街で姫さん見かけたって言ってる奴は、その貴族しかいないんっすわ……」


 ロイドも、良くは思っていなくとも王族の姫が誘拐されたとなればそれ相応の調査はする。

 かなり早い段階で、ダイヤモンドランクの冒険者4人とエリンが共に歩いていたと証言した貴族は見つかったのだが、冒険者を連行すると何かと面倒な事になるのは分かっていた。それも、最高峰ランクの冒険者ともなれば「間違いでした」という訳にもいかない相手だ。

 独断で決めるのはマズいと思い、こうして報告していた訳だが……


「王族を誘拐したのだぞ? 冒険者だろうが何だろうが、即刻その首を落とせばよかろう。蘇生魔法などという神の領域の魔法を使える人間は、当にこの世にいないのだからな」

「良いんですか? あのうさん臭い女狐がまた怒鳴り込んでくるやもしれませんが……」

「王族誘拐の罪で連行したと言っておけば奴も手出しはしてこん。もし乗り込んで来たとしても、処刑した後なら何も言うまい」


 国王であるケイネス・ベール・アーサーその人にそう言われると、ロイドとしては了解の意を示すしかない。何より、ダイヤモンドランクの冒険者が身に覚えのない罪で連行されれば、多少なりとも抵抗するだろう。

 久しぶりに遊び相手が出来るかもしれないと、密かに胸を躍らせる。


「うぇぇぇ」


 食堂からほど近い洗面台で白濁の液体を口から吐き出して涙目で口元を拭っていたエリンが知らぬところで、そんなやり取りが繰り広げられていた。

 彼女がそれを知るのは、2日後の早朝だった。

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