42話 未来の為に
ムラサキが現状掴んでいる情報を全て伝えた後のケルヌンノスの激情ぶりはある意味想定通りだった。しかし、そこはマッハが大人の対応――本人も怒っていたが――を見せたことでなんとか収まった。
ただ、その余波は凄まじく、エルフクイーンが作った小屋が彼女のスキルによって一瞬でぺちゃんこになった時は流石にムラサキとワラベの2人も引きつった笑みを浮かべた。
「落ち着いたか?」
「……そんなわけない。マッハねぇが我慢してるから我慢してるだけ……」
「ん、偉いぞ。後でちゃんとヒナねぇに褒めてもらおうな?」
怒りでプルプルと体を震わせるケルヌンノスの小さな体をギュッと抱きしめながらそう言ったマッハは、小さく頷いた妹の頭を優しく撫でる。
その瞳にはまだ大粒の涙が浮かんでいるような気がするけれど、ここでそれを言っても良いことは無いし自分の目にも数秒前までは同じものがあった。これくらい、見逃してあげるのが姉としての務めだろう。
「良いかな? そんなわけで、冒険者ギルドとしても自体が飲み込めてないんだ。そもそもヒナが連行された理由が一切分からないんじゃ手の打ちようが無い」
「そいつら皆殺しにするんじゃダメなのか?」
「……まぁ君達ほどの力があればその結論に至るんだろうけど、それじゃ色々不味いんだよ……」
真顔でそう言い放つマッハに、どう説明した物かと頭を抱える。
ヨイショと切り株に腰を下ろし、出来るだけ簡潔にそうできない理由を述べる。
「まず、ヒナを連れ去った騎士団っていうのは、王族直属の部隊……まぁ平たく言えば私兵だ。だから、彼らが動くって事は、少なからず王族の思惑が関わってる。あの国に限らず、王族を敵に回すのは後々面倒な事になりかねないんだ。ヒナを連れ戻せたとして、全世界の人間から命を狙われるのは嫌だろ?」
「まぁ、面倒ではあるな。それに、ヒナねぇはそんな事望まないだろうし……」
「……ん、まぁ……そう」
嫌とも無理とも言わずただ「面倒」という言葉で片付けるあたり、そんなことをされても自分達が死ぬことは無いだろうと思っているんだろう。
まぁムラサキだってそこをどうこう言うつもりは無いが、彼女達でもブリタニア王国の王家の人間には勝てないだろうと予想していた。
ヒナ達がいくら選ばれし者だとしても、同じ選ばれし者の血を引く者達を相手にたった4人でどうこう出来るとは到底思えない。
騎士団だってその全員がアーサー王を始めとした選ばれし者の血を引いているので超人的な力を持っているし、その装備だってその偉人達が残したとされる超級の物ばかりだ。それこそ、世には出回らない類の……。
ヒナ達でも良い勝負は出来るだろうが、騎士団総勢1万名と王族貴族を敵に回して無事でいられるとは思えない。その心配故の、ムラサキの言葉だった。
「おいムラサキ。お主なら奴らに事情を聞く事くらいは出来るんじゃろ? 今すぐにでも事情を聞きに行ってヒナを救出する事は出来ぬのか?」
「もっともな意見だけど、それはちょっと難しい。理由は2つだ。1つは、いくら私でも事前の約束無しに王族と謁見はできない。恐らく今回のような緊急事態だろうとそれは変わらないだろう。2つ、下手を打って状況を悪くするよりも、ある程度場面を整えて乗り込んだ方が彼らも言い逃れは出来ないからだ。下手に解放しろと喚いてもどうせ適当な理由で却下される。それをさせない為に、状況をある程度整える必要がある」
「人間って面倒だな」
「……まったくだよ」
マッハの呆れたような物言いに苦笑しつつ、ムラサキは少しだけ昔の事を思い出していた。
まだ己の師匠が存命だった頃は、あの街に騎士団なんてものも地下牢なんて施設も無かった。
犯罪を無くすためには皆が幸福である事だ。そう言って貧富の差を限りなくゼロにした彼は、街で起こる多少の揉め事くらいは仕方ないとしつつも、明確な犯罪行為は絶対に起こさせなかった。
面倒な手続きすら必要とせず、求められればいつでも謁見していたし、臣下達を連れて頻繁に街に顔を出して民と交流を図っていたような人だった。
マッハに偉そうに語ったは良い物の、自分だってこの状況でどうすればヒナを確実に取り戻せるかなんて分からない。ただ、このまま彼女達を放置していればあの国が滅んでしまう事は間違いない。
そんなことをされれば世界のバランスが一気に崩れて各国が戦争状態になりかねず、仕事が増える云々言っている場合ではなくなるのだ。
「そうだ。君達がキャメロットでやったことについて教えてくれないか? そこに糸口があるかもしれない」
「……あ~、そういや教えるって言ったな。でも、そんなに大したことしてないぞ? 美味しい物いっぱい食べて、新しくできた友達と一日話したり、皆でダンジョンに行ったり……ほんと、それだけしかしてないぞ?」
子供が考えた作文みたいだなという感想を抱きつつ、隣の切り株に腰を下ろしたワラベを見やる。
彼女もこの事態には頭を悩ませているらしく、どうすれば良いのかと参ったように頭を抱えている。
冒険者が騎士団の連中に連行されたというのは別に初めてでは無いのだが、その時は少なくとも一か月も経てば誤解が解けて解放されていた。
まぁ、実際に連行されるに至るような事をしでかしていたバカな者達は処刑されてしまったのだが……。
ただ、それも一か月という非常に長い期間で情報を集めて王族や騎士団の団長を説得してきたからであって、今回もそれをできるかと言われると無理だろう。
なにせ、相手がヒナであればここにいる2人の我慢がいつまで持つかどうか分からないからだ。
マッハはともかくとして、ケルヌンノスの精神が我慢の限界を迎えるのに1週間も無いだろう。彼女は、それほどまでにヒナの事が大好きなのだから。
今だって、この場にマッハがいなければ即座に今後の事なんて考えずヒナを救出に行ったはずで、その後の事はその後考えるというスタンスをとったはずだ。
マッハだって本当はそうしたいだろうに、姉という立場があるのとヒナの今後がマズイ事になるという2点だけでよく耐えている。
ムラサキは、歯を食いしばりながらも妹の背中を献身的に擦っているマッハを見やる。
(この子達の為にも、サッサとこの件を解決しなければ……)
損得勘定なんて抜きにしても、幼い子供が理不尽に家族を奪われて悲しんでいる姿なんて長時間見たい物ではない。それは、どれだけその幼い子供達が超人的な力を持っていようが変わらない。
最低でも後2日以内になんとかしてみせる。そう心の中で決意しつつ、ムラサキは改めてこの状況を打開するために頭を回転させる。
「……くだらないことを聞くかもしれないけど、許してくれ。美味しい物を食べたって言うのは、冒険者ギルドの隣にあるシェイクスピア楽団のレストラン部分でって事で間違いないかな? 貴族街の方には行ってないよね?」
「ペイルって怪しい奴に散々言われたから、そっちには一切近寄ってない。それにあのお店の料理、けるが作るのには負けるけど、それなりに美味しかったからな」
「そうか……。いや、そうだよね……」
マッハ達が何かの間違いで貴族街へ足を踏み入れ、そこで貴族や王族に無礼を働いていたのであれば処刑されても文句は言えない――彼女達は言うだろうが――事態ではある。
だが、その可能性が無くなった今、それを心配する必要はない。
マーサからの報告では街に入る際ひと悶着あったようだが、男爵家の次男が脅されたくらいで無駄にプライドの高い王族が騎士団を動かすのかと言われると、それは絶対にありえない。
彼らにとって騎士団とは己の力の象徴であり、しょうもない自己顕示欲と承認欲求を満たすための道具に過ぎない。
それを、伯爵や公爵の為ならいざ知らず、男爵の為だけに使うというのはありえないのだ。
残る可能性としては彼女達が日頃過ごしていた場所に王族が偶然居合わせ、そこで何かあった場合だ。
だがそれも、下民を見下して絶対に貴族街から出ようとしない王族の連中だとありえない。
それがもしも貴族であれば、戯れに街へ降りて民を己の欲の為だけに連れ去るという可能性はある。それがヒナのような可愛らしい少女であればその可能性はあるだろうが……
(騎士団の連中がわざわざ連行するとは思えない……か。あと残る可能性って言えばなんだ?)
数分真剣に考えても答えが出せなかったムラサキは、彼女達にその場で少しだけ待っているように伝えると、魔法を発動させてその場から一瞬にして消え去った。
彼女のオリジナル魔法である『送還』は、自分の魔力と波長が合う生物と自分の位置を入れ替える性質を持っている。その為、エリンが使用する転移魔法ほど使い勝手は良くないまでも、それに近いことが出来るのだ。
ブリタニア王国周辺にいる自分と波長の合う生物――渡り鳥や草木のような植物――と自分の位置を入れ替える事によって、数分のうちにキャメロットへと辿り着く。
マッハ達が暴走した場合ワラベでは止められないだろう事も分かっているのでサッサと要件を済ませるべく、全力で冒険者ギルドへ走る。
扉を壊したとしても後でなんとかしようと乱暴に開け放ち、未だ混乱冷めやらぬ受付嬢の1人にギルドマスターであるペイルを呼び出すよう伝える。
彼女は終始混乱していた様子だったが、それでもヒナの件があったからなのかすぐにペイルを呼んでくる。
「なんなんだよまったく……。今は忙しいって言って……って、ムラサキじゃん。なに君、ヒナ達が断った建物の調査に行ったんじゃなかったの?」
相変わらず怪しい格好をしている友人に苦笑しつつ、ムラサキはなるべく簡潔にここに来た理由を説明した。
疲れた顔をしながらもうんうんと話を聞いていたペイルは、彼女の話が終わるとはぁとため息をついて近くのソファに腰掛けた。
今は冒険者ギルドを臨時休業にしているのか周りに冒険者の姿は無いが、その姿は人様に見せて良い類のそれではない。少なくとも、冒険者ギルドのギルドマスターとしての威厳は皆無だ。
「元々僕には威厳なんて無いんだけどね……っていう愚痴はさておいて……。僕も無能じゃないからね、一応裏は取ったよ。ヒナとイシュタルが連行された理由だろ? これまた聞いてビックリ、連行されても文句は言えないんだ」
「……っていうと?」
「つい最近……というか、彼女達がこの街に来た初日に仲良くなった少女がいるんだけどね? その子、王族だったんだよ。もちろんヒナ達はそんなこと知らなかったんだろうし、彼女自身も話さなかったんじゃないかな。で、貴族の1人に金を払って王城で最近なにか騒ぎが起きなかったか聞いたんだ。そしたらさ、一昨日の夜お姫様がいなくなったらしいってかなり騒がれてたらしい」
「……それが、ヒナ達の仕業だと?」
「その真偽は分からないけど……でも確かに昨日の朝、見慣れない女の子がヒナ達と一緒にギルドを出て行ったんだよね。それに、一昨日の朝彼女達を尋ねて来たその子、この国のお姫様と同じ名を名乗ったんだよ。その時は気のせいかと流しちゃったんだけど……」
「気のせいじゃなかったと……。まったく、なんてことだ……」
はぁと頭を抱えたムラサキは、ペイルが座っていた隣に深く腰掛けた。
ただ、この件に関してペイルに罪はない。ペイルはムラサキと違って王族と面識はないし、この国の姫君は滅多に顔を出さないのでムラサキ自身もその顔はうろ覚えだった。
もちろんエリン・ベール・アーサーという本名は知っているけれど、エリンという名も別段珍しい訳じゃないので気付かなくとも無理はない。
そして、その事を知る由もないヒナ達にだって責任はない。なにせ、彼女自身が自分の身分を明かさなければ、自分からその正体が王族だと気付くなんて絶対に不可能だからだ。
この件で誰に罪があるのかと言われると、自分の身を明かさず一夜を留守にしたその少女自身か、少女に自分の身分を明かせない理由を作った王族のどちらかだ。
まぁ、王族本人にあなた達のせいで今回の件が起こったなんて言えるはずもないので、この場合はどうしようもないのだが……それで納得しない人間が、少なくとも2名いる。
「……とりあえず、王族にコンタクトを取ろう。冒険者ギルドの本部から直々に今回の件について説明を求める旨を通達する。彼女達が連行された理由が王族の誘拐なら、即座に処刑される可能性もあるけど、彼女に普通の刃が通るところなんて想像できないから時間稼ぎは出来るはずだ」
「その考えは危険すぎるんじゃないかい? 忘れた? あいつら、いざとなったら聖剣すら使いかねないよ? あれで斬られれば、いくら君が恐れているヒナでもさ……」
「……そうか。この国にはあれがあるのか……。どんなものでも斬る、伝説の武器が……」
初代王アーサーがいつも肌身離さず持っていた聖剣は、この世のありとあらゆるものを斬る事が出来る。その効果の程は自分だって詳しく知っている訳では無いが、今まで見て来た長剣の中ではぶっちぎりの代物であることは間違いない。
いくらヒナでも聖剣の一撃を受けて無傷でいられるとは思えないし、傷を癒す手段があると言ってもその体に傷を付けた時点で彼らの運命は救えない物になる。そんな事をした連中を庇う姿勢を見せれば自分だって消されかねないのだから。
「それでも、コンタクトを取ろうとしないと何事も始まらない。王族に謁見の申し出と、お姫様宛に手紙を書こう。話を聞く限り、そのお姫様は今回の件を知らないだろうからね」
「……その根拠は?」
「マッハがね、彼女の事を“友達”だと言ったんだ。ワラベのように“見る目のある奴”とかじゃなく、“友達”ってね。彼女にそこまで言わせるんだ、きっと、他の王族とは違う何かを持ってるんだろう。それがなにかは分からないけど、彼女がそう言う人に善良な心がある事を祈ろうじゃないか」
「そうかい……。この件が片付いたら、しばらく休暇を貰うからね」
ペイルが浮かべた諦めるような苦笑にムラサキも苦笑で答えつつ、マッハ達の元に戻る前に冒険者ギルドの本部へ戻ってブリタニア王国へと送る書状を作成する。
その後再びブリタニア王国へ戻ってペイルにその書状を手渡すと、今度こそマッハ達が待つロア近郊の森へと戻った。
「遅い! どれだけ待たせれば気が済むの!」
「……ごめん、色々あったんだ」
ケルヌンノスが噛みつかんばかりに怒鳴ってくる姿に少しだけ怯えつつ、ムラサキはぺこりと頭を下げた。
「まぁまぁ落ち着けってける。気持ちは分かる、痛いほどよく分かる……けど、な?」
「…………マッハねぇ、まだ、ヒナねぇ、無事?」
「あぁ、まだ無事だ。大丈夫、絶対に、大丈夫だから、な……?」
「うん……。絶対、ぜったい、戻ってくるよね……?」
妹に縋り付くような目を向けられ、マッハはどこからか戻って来たムラサキをキッと睨む。
彼女がこの場を離れたのは、時間にしてみれば1時間ほどだったが、ヒナの身が危険に晒されている今、その1時間は彼女達にとっては無限にも感じられる時間だった。
そんな長時間留守にしておいて、なんの進展も無ければ許さない。口には出さないが、目でそう訴えかける。
「明日まで待ってくれ。明日、絶対に取り戻して見せるから」
「……明日だと?」
「今日はもう日が沈む。こんな時間から王族に謁見なんて、いくら私でも無理だ。その代わり――」
そこで言葉を区切ったムラサキは、数秒迷ってからその先を口にした。
「明日、王城に君達を連れて行く。ヒナは、そこで必ず連れ戻す」
「もし、無理だったら?」
「君達の好きにしろ。私は止めない」
隣でワラベが「おい!」と止めようとするのを制止し、ムラサキはその仮面を外すと真剣な表情で彼女達2人に頭を下げる。
「辛いかもしれないが……明日、明日まで耐えてくれ。頼りないかもしれないし、そこまでの信用は未だに勝ち取れていないかもしれない。それは重々承知だ! だが、今回だけで良い! 私を信じてくれ!」
あまりに真剣なその態度に、マッハは少しだけ心を動かされた。
ムカつく狐という評価のムラサキの言葉は、もちろん信じるに値しないし不安の方がはるかに大きい。
確かに日が傾きかけているのは事実だが、そんな事なんてどうでも良い。
今すぐに、ヒナを救出しに行きたい。
今すぐに、不安で震えているだろう彼女を、この手で抱きしめたい。
今すぐに、そんなことをしでかした連中をあの世に送ってその罪を償わせたい。そんな気持ちはある。
「分かった、信じる」
それでも……彼女は了承した。こればかりは、感情がどうのという話ではない。
ただ、信じたかった。信じてみても良いかと、そう思った。それだけだ。
ここにヒナがいたとして、自分達が同じ立場に立たされていたとしても……彼女はきっと同じ選択をするだろう。誰よりも大切な人の、より良い未来の為に。
「明日だな?」
「あぁ。明日、ヒナを連れ戻す」
「……分かった。なら、今夜はけると一緒に冒険者ギルドに泊まる。用意するから、ちょっと待ってて」
そう言ってまだ納得していない様子のケルヌンノスを連れて一度家の中に戻ったマッハは、しばらく建物の外に居るムラサキとワラベにも聞こえるような大声で言いあった後出てきた。
2人とも目頭は真っ赤に染まり、手にしていた武器がそれぞれ出る前と違っているような気がしたが、2人は突っ込まなかった。そこで口を挟むなんて、野暮という物だ。
「今回だけだから……」
ムラサキに対してなのか、それともマッハに対してなのか……。それは分からないが、冒険者ギルドに向けて歩き始めた一行の一番後ろをトボトボ歩きながらそう呟いたケルヌンノスは、遠ざかる我が家を見つめてポロっと最後に一筋の涙を流した。




