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37話 迫る刃

 ぐぅとお腹を鳴らす姉をなんとか慰めていたイシュタルの鼓膜をコツコツという足音が揺らしたのは、2人がそこに来て僅か3時間後だった。

 その足音の主は明かりの無い暗闇の中を迷いなく進むとヒナ達が収容されている檻の前でピタッと立ち止まり、モゴモゴと呪文を唱えて手の中に小さな火の玉を出現させる。

 それは攻撃魔法の類ではなく単に明かりを生成する物で、その人物がシャトリーヌやロイドではなくまた別の人物である事を2人に告げるのみだった。


「副団長殿はなぜこんな奴らを警戒なさって……いや、私がどうこう言っても仕方ないか」


 クリーム色の髪に血のような赤く鋭い瞳を輝かせたその女は、檻の扉をカチャリと開けると、少し低い声で出ろと口にした。

 彼女が身に着けている黒い民族衣装のような肌を過度に露出させた衣服は同性でも目のやり場に困る類の物で、ヒナは少しだけ頬を赤らめながら顔を俯かせる。


 それに少しだけ呆れた瞳を向けつつ、イシュタルもその女の言葉に大人しく従う。なにせ、こんなところで暴れても魔法が使えないせいでどうしようもないからだ。


(スキルは使えるけど、使っても仕方ないし……)


 実のところ、スキルは魔法と違って魔力を必要としないのでこの地下牢でも発動可能だ。それを、ここに入れられてすぐ試したイシュタルは察していた。

 それでも、この状況を打開するべく無理に暴れるよりは、数時間もすればやってくるだろう姉を待った方が確実だと思っていたのだ。


 しかし、2人を迎えに来た女に再び両手を縄で縛られ、武器すら置いていけと言われたその時は、わずかに嫌な予感がした。しかし、その時にはどうする事も出来ず大人しくトボトボと階段を上るしかなかった。


 地下牢から城内へ出る扉を出ると、そこにはシャトリーヌが数名の部下を連れて偉そうに腕を組んで待っており、クロというらしいその女にご苦労と言葉をかけた。

 その腰に下げられた長剣の柄が若干変わっていることに違和感を覚えつつ、突っ込んでも仕方ないかと少しだけ怯えるヒナにニコッと微笑みかける。


「ヒナねぇ、大丈夫。すぐに助けが来る」


 この世界でもっとも頼りになる2人が来てくれれば、こんな奴ら瞬殺だろう。そう思案しての言葉だったが、ニヤッと口の端を歪めたシャトリーヌにより、その希望は打ち砕かれる。


「助けなど来ない。貴様らはこれから、私の手によって処刑されるからな」


 王族誘拐などという重罪を犯した罪人を数日生き残らせておくほど、この国の人間は甘くなかった。

 シャトリーヌが一時期彼女達を城内の地下牢に幽閉したのは装備を整え、国王に詳細を報告して処刑の許可を貰いに行くためだった。それが完了した今、彼女達の処刑をサッサと行い、その首を貴族街……いや、平民街で晒し首にし、王家に害をなした愚か者の行く末を思い知らせるのが彼女の役目だ。


 だが、ヒナ達が持っていたとされる武器が尋常ならざるものだという事は承知している。ちょっとやそっとじゃ殺せないだろうし、単なる刃物ではその体に傷一つ付けられないだろうことも容易に想像出来た。

 なればこそ、彼女は王国の宝物殿から1つの剣を持ち出した。国王に謁見した際、ついでにそれを持ち出す許可を取っておいたのだ。


「さぁ、さっさと歩け」


 偉そうにそう言ったシャトリーヌは、半ば無理やり彼女達を歩かせ、地下牢からほど近い処刑場まで向かう。

 途中、何度か『処刑』という言葉に怯えたヒナがその足を竦ませてガクブルと震えあがる事はあったが、彼女はその度にその襟首を掴んで無理やり立ち上がらせた。

 そんな横暴、イシュタルが許せるはずも無いのだが、やはり攻撃手段を持たない彼女は何もできない。この時ほど、自分に攻撃魔法やその類のスキルが一切与えられていない事を悔やんだことは無い。


 唯一この場で戦う事が出来るヒナは、すっかり怯えてそれどころではない。

 そもそも、元々学生の廃人ゲーマーに過ぎない彼女がいきなり罪人として拘束され、処刑されると言われて怯えないはずがない。

 彼女はやけに順応の早い多感な男子高校生でもなければ、この状況を打開するコミュ力を持った陽キャと呼ばれるそれでもなかった。

 ただ、人生の全てをゲームにつぎ込み、家族の温かみと愛情を欲している孤独な少女だ。そんな彼女に、この状況で何かを求めるなんて酷というしかない。


(なぜこんな奴が我が神の至宝と同レベルの武器を持っている……? この怯えた態度、とても演技とは思えん……)


 地下牢に続く扉から20メートルほどしか離れていない処刑場に続く扉に向かう最中、円卓の騎士団副団長シャトリーヌは、怪訝そうに首を傾げながら頭を悩ませていた。

 意識的にしろ無意識的にしろ、ヒナと呼ばれる少女は逃げ道を探すように時折視線を彷徨わせているのは感じている。自分の装備や彼女達が暴れた時に対処するため連れて来た精鋭の隊員数名の武器や装備を一瞥するなりなぜかホッと胸をなでおろしていた事だって、彼女は当然ながら気付いている。


 だが、そんな強者の風格を漂わせる態度とは裏腹に、彼女は本気で怯えるような一面を終始見せていた。

 瞳の輝きだけはどこか決意に満ち溢れた物を感じるが、全身を恐怖で震わせてガタガタと歯を鳴らすその姿はまるで幼子のそれだ。

 複数の人格が彼女の中に存在するかのような違和感と、わずかにでも見える強者の片鱗に、無意識に体が震え彼女が腰の剣を抜きかけたのは1度や2度ではない。


(分からん……。どうなっているんだ、こやつは……)


 初代王アーサーの側近に、本当に複数の人格を持つ人物が居たとされる記録を彼女も目にした事はある。しかし、ヒナのそれはその人物とは決定的に違う。


 彼女は一定時間ごとにその人格を変え、口調すら別の物になっていたという。


 しかしヒナのそれは、まるで魔王の如き巨大な力と策士のような狡猾さを感じさせる一方で、これから自身に降りかかるであろう出来事を想像して怯える見た目相応の幼さを持っている。これらは決して同居するような感情ではない。

 なにせ、魔王の如き巨大な力を持っていれば他者から与えられる危害に怯える必要はないし、逃げ道を探すような狡猾な一面を持っていながらそれを実行に移そうとしないのは何かを待っている訳では無く、本当に何も考えていないだけだ。


 つまり、逃げ道は探すが本当に逃げようとはしないなどという、意味の分からない事をしているのが今の彼女だ。

 ヒナの曖昧な態度と行動に終始困惑しつつも、たっぷり10分ほどの時間をかけて処刑場の扉を開いたシャトリーヌは、ようやくこのモヤモヤから解放されると人知れず胸をなでおろす。


 その処刑場を一目見た瞬間、まずヒナが感じたのは濃厚に漂う血と死の香りだった。

 一度霊安室で二度と目覚める事が無い両親を前にした時に感じた濃密な死の香りと、鼻腔をくすぐるわずかな鉄の匂い。壁際に吊るされた蠟燭の炎がユラユラと揺らめきその部屋を怪しく照らすが、彼女は真っ先に目の前を歩かされているイシュタルのその小さな背中を見やった。


(この子だけは……守らなきゃ……)


 ヒナがそう決意したその時、同時にイシュタルも部屋の中を見回して同じことを思っていた。


 6畳ほどの部屋の中心には一脚の木製の椅子があるだけで他には何もないのだが、椅子の下には大量の赤黒くなった血液が広がり、壁の側面には鈍く光る鉄球や剣、槍などが吊るされている。

 自分達に危害を加えられるような武器は無いと直感的に分かるのだが、偉そうにふんと鼻を鳴らしているシャトリーヌの腰に吊るされた剣はそうでは無い。むしろそれは、マッハが今のメイン武器を手にする前に持っていた物と同じものだ。


「で、どっちから先に死にたい?」


 その毒々しいまでに鈍く光る刀身を光らせつつ、シャトリーヌは言った。

 彼女が手に持っているのはヨルムンガンドというイベントモンスターを倒した際に稀にドロップする素材から作られる超レア装備である毒蛇の宝剣という物だ。

 その効果は攻撃を与えた対象に一定時間猛毒の追加効果を付与し、与えたダメージの3割を回復するというものだ。


 ヨルムンガンドは北欧神話に登場する毒蛇の幻獣であり正確には神様では無いのだが、ラグナロクでは神の名を冠するモンスターとして扱われ、その素材から作られるその武器は、今のマッハに傷を付ける事が出来る数少ない武器だ。


 その追加効果である猛毒はヒナに通用しないのだが、彼女は物理的な攻撃についてはその装備の恩恵を一切受ける事が出来ない。なぜなら、彼女が刃を受ける前に前衛であるマッハが全て受け持つ前提で装備を選んでいるので、彼女は遠隔攻撃が可能な魔法に対する耐性に装備の全てを裂いているからだ。


「……処刑云々の前に、あなたは私達が具体的に何をしたのか話すべき。訳も分からずこんな場所に連れてこられて、未だなんの説明も受けてない」

「そりゃ自分の胸に聞いてみな。ま、その答えを出す時間くらいはあげるさ」


 そう言うなり、彼女はイシュタルではなくヒナの襟首を掴むと強引に椅子に座らせ、その背後へと回る。


「っ! ヒナねぇになにを――」

「言っただろ、考える時間はあげるってね」


 ニヤリと笑った彼女は、イシュタルの制止を待たずしてその無防備に晒された首へ刃を振り下ろす。

 その一刀は物理的な防御を一切考えていないヒナでは、とても無傷で受けられるものではない。

 それに、彼女は知らないのだ。数値上HPがどれだけ残っていようとも、心臓を貫かれたり首を切断されれば、人は生きていけない事を。


 ゲームであればエフェクトなんて存在せず、キャラクターの生死はそのHPの数値によって決まる。だがそれは、あくまでゲームの中の話であって現実ではそうはいかない。

 いくらHPが大量にあるヒナであろうとその首が落とされては呼吸する事も思考することも出来ず、数秒後には魂がこの世から去ってしまう。


 彼女は知らないが、ヒナと同じ選ばれし者選ばれし者(プレイヤー)であるアーサーをムラサキが殺害できたのは、膨大なHPを削ったわけではなく、その首を刎ねたからだ。


「っ! やめろぉぉ!!」


 ヒナの首にその刃が触れる瞬間、イシュタルは叫んだ。

 手を縛る縄をそのレベル故の肉体能力で無理やりに引きちぎり、HPが少しでも削れた瞬間から即座に回復させる魔法を発動……するより前に、この処刑場では地下牢と同じく魔力が扱えない事を悟る。

 マッハ程の身体能力を持っていたり、ケルヌンノスのように実体を伴うなんらかのスキルを所持していれば今この状況下でもヒナを助ける事は出来たかもしれない。しかし、彼女にそんな力はなく――


「なっ! バカな!?」


 直後、長剣をヒナの細い首に向けて振り下ろしていたシャトリーヌが目を見開く。数秒前まで目の前に姿のあったヒナの姿が一瞬にして消え失せ、己の長剣が空を切ったたからだ。

 まるで幻を見ていたかの如く、霧のようにスッと消え失せヒナの姿が見えなくなる。

 それだけではない。気配すら一切感じ取れず、文字通りその場からヒナの存在そのものが掻き消えたのだ。


「……!? 副団長様、奴はどこに!?」

「知るか! そんなの、私が聞きたいわ!」


 イシュタルの後ろに控えていたクロが絶叫の如き叫びをあげるが、それを一番聞きたかったのはシャトリーヌだった。


 この部屋は処刑場という事もあり、王家の血を引く者以外は魔力を扱う事が出来ないだけではなく、武器の類を手にした瞬間に身動きが取れなくなるという特殊な魔法がかけられている。

 オマケに、この部屋それ自体が神々が残した魔道具によって外界から隔絶され、王城とは扉を一枚隔てているだけだが、この部屋から出るには王家の血を引いている者の承認が必要なのだ。


 つまるところ、仮にヒナがどのような実力を持っていようとも、武器を手にすれば瞬く間に身動きが取れなくなるし、そもそも王家の血を引いていない彼女はこの部屋から出る事すらできない。

 この部屋を作ったのはもちろんアーサーを始めとした臣下達ではなくその子孫だが、その者達の中には、エリンのように魔法の力を異常に発達させた者もいる。

 もちろんロイドやシャトリーヌのように剣の才を覚醒させた者もいるのだが、それはまた別の話だ。


「ひ、ヒナねぇ……?」


 目の前から一瞬にして姿が掻き消えた自身の姉を懸命に探したのは騎士団の隊員やシャトリーヌだけでは無かった。彼女を慕うイシュタルもまた、その命が助かったという安堵は一瞬だけで、すぐにその姿が見えなくなった彼女を探す。

 部屋中を見回してもその姿は見えないし、もちろん気配すら一切感じられない。マッハのような索敵スキルがあれば……そう思ってしまうが、何度も繰り返した結論に辿り着いてまたしてもその後ろ暗い思考を振り払う。


 ヒナが自分を見捨てて逃げるなんてありえない。絶対に近くにいると確信出来るのだが、魔力が使えないせいでヒナの魔力を追う事も出来ないし、語り掛けても返事が返ってくるとは思えない。

 それに、彼女が消える瞬間に自信に迫りくる刃を怯えながら見ていたのも、イシュタルは知っていた。まるで、生きる事それ自体を諦め、自らをスキルで殺してしまったかのような……


「やだ……。ヒナねぇ……おいて、いかないで……」


 気付けばイシュタルは、床に座り込んでポロポロと涙を零していた。

 ヒナが所有するスキルの中に自身を一撃で殺す類の物があるかどうかは分からないが、使えない鍛冶師なんかに必要なスキルや魔法すらも収集していた彼女の事だ。その可能性は十分にあるし、何より妹である自分が痛いほど分かっている。ヒナが、この世界にもう存在していないという、認めたくない事実を……。


 今まで全身を血液や魔力と同じように流れていた全能感と安心感が瞬く間に消え去り、言葉に出来ない程の寂しさと孤独感が彼女の心を襲う。


 ヒナの存在が……本能的に感じ取れていたヒナという少女の痕跡が、まったくと言っていいほど感じられないのだ。

 仮にここにマッハが居たとして、彼女の索敵スキルを発動しても恐らくは見つけられないだろう事を直感する。


「いやだ……。いやだよ、ヒナねぇ……。わたしを……わたしたちを、おいていかないでよ……」


 膝をついて情けなくポロポロ泣き出したイシュタルの姿を見て大体の状況を察したのか、安心したようにふぅと息を吐いたシャトリーヌは言った。


「自死を選ぶとは、どうやら買いかぶりすぎていたようだな。これは、誰かしらの貴族から物品を窃盗でもしていたと考えた方がよさそうだな」


 そんな話は聞いた事が無いが、ヒナの実力や不穏な気配については自分の考えすぎだった。そう結論付け、地面で声にならない嗚咽を上げ始めているイシュタルを見下ろし、哀れみの視線を向ける。


(自身の家族に裏切られ、1人残されるとは……虚しい奴だ。まぁ、サッサと奴と同じ場所へ送ってやろう)


 最後の慈悲だとフッと微笑んだシャトリーヌは、その長剣を上段に構え、本来椅子に座らせて行うべき処刑をその場で済ませるべくイシュタルの細い首元へ勢いよく振り下ろした。

 直後、彼女の姿がヒナと同じようにスッと消えた時、その静かな処刑場に絶叫が響いた。それは、獲物を狩り損ねた猛獣のそれだった。

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