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30話 初めての味

 どらやきをたっぷり40個ほど購入した5人は早速どこか食べられる場所を探して辺りをダラダラ歩いていた。もちろん荷物持ちはマッハの役目で、ふっくらと膨らんだ紙袋を器用に片手で持ちながら、ヒナの右手を握る少女へとニコッと微笑む。


「なぁ~、エリンって言ったっけ? この街に住んでるなら、どっか良い場所知らないか~?」


 ギルドの宿で食べても良いのだが、掃除するから適当に時間を潰してこいと言われて出てきたのだ。30分もしないうちに帰ってもまだ準備は出来ていないと言われる可能性が高い。

 そう思っての提案だったのだが、エリンは申し訳なさそうに首を振った。


「ごめんなさい。あんまりここら辺は来なくて……」

「そうなのか? じゃあ、あそこの広場で食べよ~」


 マッハがまっすぐ先を指さすと、そこにはギルドへ向かう時に通った噴水広場があった。

 ドブのように臭く濁った水を勢いよく噴射する噴水と、それを受け止める大きな池の中には魚1匹いやしない。それどころか、鼻腔を刺激する強烈な匂いがふわ~んとに追ってくるので出来れば近付きたくはない。

 なぜ彼女がそんな場所を指定したのか。それは、イシュタルが環境を整える類のスキルを所持していたと記憶していたからだ。

 戦闘向きではないので普段使う事は無いが、解毒のような扱いを受けていたスキルを使えたはずだと、本人に問いかける。


「解毒……? マッハねぇが何を言ってるのかよく分からないんだけど……」

「あれあれ! ニブルヘイムに行った時『毒沼の主を討伐せよ』みたいなクエストで使ってたやつ!」

「……あれでこの臭いやつを消せってこと?」


 小さく首を傾げると、マッハは満面の笑みでブンブンと首を振った。

 彼女が言っているのは、ゲーム内ではエリアエフェクトとして固定ダメージを与える毒の沼や火山なんかで、一定時間その固定ダメージを無効にしてくれるスキルの事だ。

 そのスキルを使う際、周囲のエフェクトを効果時間内であれば自由に変更できるので、それを使えばこの匂いの元もどうにかなるだろうとの提案だった。


 そう言われると可能性はある気がして、イシュタルは早速スキルを発動させるべく、顔をしかめたくなるような匂いを放つ噴水へ右手を向ける。


地形変化ステージチェンジ


 その瞬間、マッハの思惑通りドブのような匂いを放っていた噴水から放たれる濁った水がたちまち透明な物へと変わる。それに加え、既に池の中に溜まっていた濁った水も全てが浄化されるかのように透明な物へと変わっていく。

 徐々に街の外にあった川のように水底が見通せる大きな池へとその姿を変え、ひび割れた地面が顔を出す。

 流石に魚なんかは湧いてこないまでも、今までの刺激臭が嘘だったかのようにどこか爽やかな空気がその場に流れる。


「……20分程度で効果は切れる。食べるなら早く食べよう」

「さっすが~! ほら、そこに腰掛けれるだろ? 座ったすわった!」


 マッハが指さしたのは池の堀の部分だった。

 汚れていたそこはイシュタルが指定した地形の一部と認識されたようで、全盛期の姿を取り戻していた。

 太陽の輝きを浴びて眩く輝く大理石はどこか高潔さを帯び、百数十年ぶりに太陽の光を浴びる事が出来て心なしか歓喜しているようにも見える。

 彼女が魔法をかけた空間だけがまるで別世界のように美しく、それこそキャメロット城のような輝きを放っていた。


 エリンはそんな光景にえっと思わず口を開けて数秒放心状態になるが、イシュタルは彼女のそんな隙を見逃さなかった。

 サッと彼女の手を優しくヒナの右手から外すと、すかさず空いたその右手をキュッと握ってちょこんと堀に腰掛ける。

 すぐさまヒナにも隣に座るよう勧めると、出遅れたとばかりにケルヌンノスが彼女のすぐ左側へ腰掛ける。


「……あ! ずるい!」

「ヒナねぇの隣は激戦区。ぼーっとしてる方が悪い」

「あっはっは、やられたなぁ~! まぁ、私は今日の夜一緒に寝られるから今回ばかりは我慢する~!」


 エリンが悔しそうにイシュタルをジーっと見つめるが、彼女は意に返さんとばかりにその薄い胸を張って自慢げに鼻を鳴らす。その様子を微笑ましそうに見ていたヒナは、エリンに自分の膝の上に座れば良いと持ち掛ける。

 少しばかり恥ずかしいが、どうせ自分はどらやきを食べないし、仲間外れになるのは辛いだろうとの配慮からだ。


「……いい、の?」

「良いよ? けるちゃんも、乗った事あるもんね?」


 同意を求めるように右のケルヌンノスに目を向けると、彼女は少しだけムッとしながらエリンに言った。


「じゃあ、ヒナねぇの隣は譲る。私がヒナねぇの膝の上に座る……」


 エリンに見る目がある事と、彼女が良い人である事はケルヌンノスも同意している。だが、家族以外の人にヒナの膝の上という特等席を譲るつもりはなかった。

 今度はエリンとヒナがなにか言う前にサッサとその場を退いて、苦笑するヒナを無視しつつその膝の上にちょこんと座る。


「良いのか? あそこ、座らないなら私が貰うぞ?」

「……座る。ありがとうございます」

「敬語じゃなくて良いぞ? 私ら全員、敬語使われるの嫌いなんだ~。使うのが嫌いってだけだけどな」


 うししと笑うと、マッハはヒナの右側に1人分のスペースを開けてちょこんと座る。

 エリンがその空いたスペースにおずおずと腰掛けると、ぎこちなく笑って「分かった」と言った事でニコッと笑う。


 ヒナも含め、4人は敬語を使われることがあまり得意では無かった。

 距離を感じると言うのもそうだが、相手が敬語を使えばこっちも敬語を使わなければならないという暗黙の了解のような物があるので苦手なのだ。

 もちろん必要とあれば敬語は使うけれど、マッハやケルヌンノスはその性格上絶対に無理だし、イシュタルやヒナも最低限使えるくらいでどこかぎこちなくなる。だから、気に入った相手にいつまでも敬語を使われるのを、彼女達は良しとしていなかった。


「私ら、同い年くらいだろ~? 仲良くしような!」

「同い年……。う、うん……そう、だね……」


 どこか気まずそうに笑った少女は、小さく頷くとマッハからどら焼きを1個手渡しされる。

 マッハも袋からどら焼きを5個ほどガッと一度に掴むと、残りをポイっと袋ごとケルヌンノスへ投げる。


「……マッハねぇ、これいらないの?」

「私はこれだけで良い~。さっきいっぱい食べたしな!」

「じゃあなんでこんなに買ったの……」


 ヒナが呆れつつそう言うのに同意しつつ、イシュタルとケルヌンノスは1個ずつ袋から取り出す。

 それから、家族と一緒にご飯を食べる時の口上をヒナが口にする。


「じゃあ皆で~」

『いただきます』

「い、いただきます……」


 オドオドしながらパクっと小さく一口頬張ったエリンに続く形で3人もパクっと口へ放り込む。

 購入する国が違うからといって味が違わない事に感動しつつ、マッハは手の中に残った残りの4つをお手玉のようにしてポンポンと口の中へ放っていく。

 一方、ケルヌンノスとイシュタルはどらやきをニコニコしながらポップコーンでも食べるように次々袋から出してはその口へ消していく。


 エリンは、どらやきそれ自体を始めて食べるからなのか、それともまったく別の理由からなのか。一口食べた瞬間に目を見開き、半分ほどの大きさになった手元の饅頭をジッと見つめる。

 ヒナがそんな彼女に気付いて「美味しくなかった?」と不安そうに尋ねると、エリンは必至で首を振った。


「おい、しいです……。とっても、その……おいしい……」

「だろ~? これ最高なんだよ~!」

「ん、やっぱりお前は見る目がある。もっと食べて良い」


 ケルヌンノスが隣のイシュタルに断って袋ごとエリンに渡すと、彼女は驚愕でその顔を彩りつつ、急いで手元の半分になった饅頭を平らげると、次々にその袋の中身を口の中へ消していく。

 何度か喉に突っ返させてゲホゲホとむせ返りつつ、数分もしないうちに袋の中身を空にした彼女は、ふぅと小さく息を吐くと「あっ」と小さく声を上げた。


「ご、ごめん……。私、お金出してないのにいっぱい食べちゃった……」


 彼女は手持ちが無かったというのもあるが、このどら焼きを買う際、銅貨の一枚さえ出していなかった。

 それ故に、大粒の涙をその瞳に浮かべてぺこりと頭を下げる。


 物心ついた時から、食事はつまらない物だった。

 一切の味がしない……いや、口にして数分もすれば吐き気を催して洗面所に駆け込む生活を送っていた。

 それなりに豪華な物、美味しい物を食べているはずなのに、周りを囲む人々の気持ち悪さに吐き気がし、めまいがし、怒りを覚え、そのせいでまともに食べ物が胃袋に入らなかった。だから、大人になっても大して身長が伸びなかった。


 ただ、今口にしたどら焼きは違った。

 過去に食べたことがあるのかと言われるともちろん無いし、お菓子だろうがなんだろうが、口にした数分後には胃液と共に吐き出していたのは変わらない。


 それなのに、今は……今だけは、違った。

 幸福感で満たされ、その絶妙な甘さが口の中いっぱいに広がって思わず泣きそうになったほどだ。

 仮に、この数分後あの吐き気が襲ってきたとしても、この幸せだけは絶対に体外へ吐き出すまいと初めての抵抗をするだろう。


 しかし、金を払っていないのにも関わらず彼女達の好物をほとんど1人で食べてしまった事に罪悪感を感じない訳では無い。むしろ叱責されてしまうような事をしてしまったと激しい後悔に見舞われる。

 これがきっかけで彼女達との……百数十年ぶりに出来た友達と呼べる人達と疎遠に……喧嘩になってしまったらどうしようと、果てしない恐怖が心の中を支配していく。


 日々、彼女は周りの人間との関係をどうにか断ち切りたいと思うほど、他人は汚らわしい物だと思っていた。

 唯一彼女の友達……かどうかはともかく、傍にいてくれた魔法使い以外に、誰かに心を許したことは無かった。


「ごめんなさい……。私、その……」


 だから、怖かった。

 彼女達との付き合いはまだ1時間にも満たないけれど、それでも、離れたくないと思うには十分すぎる程、彼女は救われていた。

 その精神はヒナ達と触れ合うたびにボロボロと音を立てて崩壊し、その瞳に宿す絶望はその色を濃くしていくが……それでも、彼女は確かに救われていた。


 ギュッと目を瞑り必死に許しを請う彼女の内心に何を見たのかは分からないが、ケルヌンノスは首を傾げて「なにを言ってる」と少しだけ冷たくそう言う。

 やはり怒っているのか、叱責されるのか……そうブルっと背筋を震わせたエリンにかけられた言葉は、彼女が思っていたよりもずっと温かい物だった。


「もっと食べて良いと言ったのは私。気にしなくていい」

「そうそう~。別にお金出してないとかも気にしなくて良いぞ? 私ら、お金は腐るほど持ってるからな!」

「……遠慮するのは良い事。でも、私達にそれは不要。強いて言えば、ヒナねぇの隣を占領する事は遠慮するべき」


 マッハとケルヌンノスがポンと優しく彼女の両肩に手を置くと、その温かさにエリンの心はさらに激しく音を立てて崩れていく。

 彼女が日頃身を置かれている環境は、ヒナ達に比べて圧倒的に恵まれている。でもだからこそ、彼女は嫌気が差し、心を壊し、絶望をその瞳に宿した。

 彼女達に温かい言葉をかけられるたび、温かく接せられるたび、自分が惨めで、周りが余計情けなく感じてしまう。


 自分の事をほとんど知らないような人がなぜここまで優しくしてくれるのか、エリンは知らない。

 ただ、大粒の涙が知らぬ間に頬を伝っていくのだけは分かった。


「……ヒナねぇ、なんか、エリンが泣いてる……」

「お、おい、なんで泣くんだよ~! 気にしなくて良いって! いやほんとに!」

「ど、どうしたの? なにか辛いことでもあった?」


 エリンのそんな心情を知る由もなく、ヒナ達は温かい言葉を投げかける。ただ、涙は止まらない。止めたくても、悔しさによる涙の止め方は知っていても、嬉しさで流す涙の止め方は、知らない。

 エリンは口の中で「ごめんなさい」と何度も小さく呟くと、体の中を血液のように流れる魔力を集中させる。


『時空断絶』


 魔法が完成した瞬間、エリンはまるでそこにいたのが幻だったかのように姿を消した。

 マッハ達4人はなにが起こったのかも分からずしばらくその場に立ち尽くしていたが、イシュタルの魔法の効果が切れて鼻腔を刺激するあの匂いが辺りに広がったことで我に返る。


「ど、どうしちゃったんだろうね……」

「さぁ~……。なんかしたかな、私ら……」

「……またすぐ会える。多分……いや、きっと……いや、絶対……」

「そうだね……。ていうか、時々出るけるねぇのそれ、なに?」

「……良いじゃん、カッコいい」


 どこがだよと言いたげな顔を向けるヒナ以外の2人に少しだけムッとしながらもヒナの右手をギュッと握ると、寂しそうに空を見上げるヒナにニコッと笑顔を向ける。


「ヒナねぇ、きっと、また会える」

「……うん、そうだよね……。きっと、またどこかで……」


 誰に言うでもなくポツリと呟いたヒナは、その後気を取り直してシェイクスピア楽団の店へ再度足を運び、まだ足りないというイシュタルとケルヌンノスの分のどら焼きを購入した。

 そして今度こそ、ギルドの宿へと戻った。


 エリンという名前以外なにも分からない不思議な少女とまた会える事を期待してその夜ベッドに入った彼女は、翌日ペイルが部屋をノックしてきたことで目を覚ました。

 そしてドア越しに聞こえてきた声に、思わず自分の耳を疑った。


「エリンって子が会いに来てるんだけど、知り合いだったりする?」

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