3話 否定
ギルド『ユグドラシル』の本部で数日寝泊まりして分かった事は、もしかしたらこれは現実なのではないかとヒナが錯覚するほどの事だった。
まず自室にあるはずのアイテムボックスだが、これは海賊が持っているような木製の宝箱のような形をしており、その中には、ほぼ無制限に持っているアイテムなんかを収納出来る物になっている。
もちろん宝箱それ自体の容量は数十万程課金して増量したものだけれど、今はただの普通の箱になっていた。つまり、中身は空だったのだ。
何時間も、いや……何万時間もかけて集めたアイテムの全てが無くなってしまったのかと焦ったヒナは、無駄だとは知りつつも一番しっかりしていそうなイシュタルへと疑問を投げかけた。
すると、彼女は当然のように「ボックスの中に手を突っ込めば好きな物持ち出せるよ?」と困惑しながら答えたのだ。
それを聞き早速自室に戻って試してみたヒナは、箱に手を入れた瞬間にそこに納められている膨大なアイテムや武器・防具の情報が一気に脳内に送り込まれてくるのを感じた。
まず武器や防具だが、ゲーム内に存在している覚えている限り全ての武器と防具がその中に収納されていた。
今や使い道の無くなった初心者向けの初級装備から、まぁまぁ素材を手に入れるのが困難な物はもちろん、超が5つついても足りないほどのレア物まで。その全てが1式ずつ揃っているのだ。流石におかしいだろと思うかもしれないが、ヒナは変なところだけ几帳面だったせいでこういう所にはかなり気を遣っていた。
覚えている装備は使い道がなくともアイテムボックスにぶち込み、同じシリーズの武器や防具があれば揃える。どれだけ入手が困難だろうと、イベント限定の物でもう手に入らないというような条件が無い限りは絶対に揃えていたのだ。
さらにアイテムだが、こちらもヒナのそんな性格が綺麗に反映されていた。
体力回復系のポーションから魔力回復のポーション、俊敏性・腕力・その他ステータスを一時的に大幅に上げるポーションと、少しだけ上げるポーション。
洞窟やダンジョン、モンスターの発生地帯から逃げ出すための希少なアイテムや、死亡しても一度だけ蘇る事の出来る人形まで……。
その他様々なアイテムが、所持出来る最大数収納されているのだ。
イベント限定アイテムから課金アイテム、果ては使い道のないようなゴミアイテムまで……ゲーム内に存在しているほぼ全てのアイテムが収納されていた。
続いてモンスターの素材。こちらは流石に全種類揃っているという事は無かった。
そこら辺を闊歩している雑魚モンスターやちょっと強いくらいのボスモンスターの素材はもちろん所持数が上限に達しているのだが、レアモンスターの素材や攻略難易度が極端に高いボスモンスターの素材に関しては装備を2つ作れるかな、という程度しか残っていなかった。
まぁ、ヒナは一緒にゲームをする友達がいなかったせいで、普通は40人規模のパーティーで挑むようなボスモンスターにマッハ達3姉妹と共に計4人で挑んでいたので、その途方もない労力的に仕方ないのだが……。
その他、武器を作る際に必要な鉱石やゲーム内ではデータ上存在しているだけで特に意味のなかったモンスターからドロップする食材やら街で買える雑貨、装飾品が無数にあるくらいだ。
もちろん金貨は上限の9億9999万枚が収納されていたが、これだけアイテムボックスがパンパンなら使い道なんてないだろう。むしろ、一生この場所に引きこもっていてもなんとかなりそうだ。
「……ていうか、これ、ほんとに夢……?」
アイテムボックスから適当に防具を複数個取り出して自室の床に並べ、その圧巻の光景を眺めながらヒナは人知れずそう呟く。
10畳あるかないかという広さの自室は2人が寝れるくらいの大きなフカフカのベッドと執務机があり、床には大きな毛皮のカーペット、窓際に小さな観葉植物が置いてある簡素な部屋だ。
ただ、今は床一面に広がるレア装備の数々がそれらを眩く照らし、ヒナの心に一つの疑念を浮上させていた。
目の前に広がる光景は、まさにラグナロクのゲーム内そのものだ。というよりも、この家に来てから何度も寝泊まりし、1回だけではあるけれど見知らぬ人に殺されるという夢も見た。そう、夢の中であるはずなのに、確かに夢を見たのだ。それは、いくらなんでもおかしくないだろうか。
毎日キッチリ3食用意してくれるケルヌンノスもそうだが、しっかりとお腹は空くし、一日中3人と遊んで話していれば眠気も襲ってくる。まるで、本当に生きているかのようじゃないか。
この本部で過ごした初日の夜、寝間着に着替えようと服を脱ごうとしたところで気付いたが、自分の姿や着ている服……というか装備も、ゲーム内で使用している物とまったく同じだったのだ。
肩でキレイに切り揃えられたピンクの髪と全てを見透かすような紫の瞳。身長は160とちょっとくらいで、女の子にしては平均的だが3姉妹の全員が幼稚園児か小学生くらいにしか見えないので相対的に大人に感じてしまう。
真っ黒で丈の短いワンピースに身を包み、左右で色の違うストッキング、足元は白いブーツで全身を揃え、まるで街にいる少女のような格好だが……全てが超が10個ついても足りない程のレア装備であり、見た目はヒナの好みに課金でカスタムしているだけだ。
まずそのワンピースだが、着用者に対して状態異常・精神操作等の攻撃が無効になり、全ての攻撃魔法や魔術、果てはスキルやマップ固定のダメージの効果を9割消してくれる優れ物だ。その代わりに剣などから受ける物理攻撃への防御力が極端に下がってしまうのだが、そのデメリットを差し引いてもこれだけの効果を持っている防具は他に無かった。
次にそのストッキングだが、右は真っ白なのに対し左は血のように真っ赤になっている。これは、それぞれ効果が違う事を意味しており、右は時間経過での体力回復、左は特定条件下での魔力の全回復だ。本職が魔法使いであるヒナにはどちらも無くてはならないものだった。
最後にブーツ。それは、本来頭・胴・腰・足の4か所に着けられる防具をどこか一か所付けられなくなる代わりに、俊敏性……つまり移動速度を大幅に上げてくれる防具だ。これを履いている状態で全力疾走をしよう物なら、音速の何倍というスピードが出る。
ゲーム上では転移魔法なんかが存在していなかったので移動が便利になるよねという程度の物だったので戦闘面での性能を評価するユーザー間の評価はあまり芳しくなかったが、ヒナは魔法使いなのでもしもの時の機動力を確保する為に一番効率の良い防具を選んだのだ。
そんな、ゲーム内の装備そのままでここ数日過ごしていた訳だが……これで夢だと思うのは無理があるのではないだろうか。そんな、言葉にできない感覚があった。
お腹は空くし、食事は食べたことのないような物ばかりだけどちゃんと美味しいし、3人はとても可愛らしいし、かつて自分が望んだような行動・言葉で温かく接してくれるし……。
正直、自分がこんなに幸せに暮らして良いのか。そんな後ろ向きな感覚さえ芽生えてくるほどだ。
そんな事を考えていたその時、コンコンと部屋の扉が優しくノックされる。
「ヒナねぇ。けるねぇが夕食出来たって。食べるでしょ?」
扉の向こう側から可愛らしいイシュタルの声が聞こえてくる。
3姉妹の名前は適当に神様の名前から名付けた名前だったけれど、今となってはもう少し真面目に考えてあげれば良かったとヒナは今更ながら後悔していた。
そりゃ、名付けた当初はちょっとカッコいいかもとか思っていた。だが、実際人の名前としてイシュタルとか呼ぶ時はちょっと……どころかだいぶ恥ずかしいと気付いたのだ。
なので、彼女も姉妹達に習ってそれぞれをま~ちゃん、けるちゃん、たるちゃんと呼ぶようにしている。まぁ、けるちゃん事ケルヌンノスに関しては、自分の名前をかなりに気に入ってるらしく、けるちゃんと呼ばれるとちょっとだけ不機嫌になるが……。
「うん~食べる食べる! ちょっと待って~」
急いで部屋の中に広げた防具をアイテムボックスへと収納し、パッと部屋を開ける。そこには、満面の笑みを浮かべているイシュタルがちょこんと立って待っていた。
本人は普通にしているだけだろうが、そのぬいぐるみのような小さな体がなんとも愛らしい。
そんな姿を見るたびにギュッと抱きしめたくなる自分の欲望に必死に蓋をしつつ、仲良く階段を下りると、下ではいつものようにマッハがソファに寝そべりながら目の前に広がっていく料理に涎を垂らしていた。
「あ、ヒナねぇきた~。ほら、早く早く~!」
「……ちょっとマッハねぇ、行儀悪いから手でご飯摘まもうとするのやめて」
フライドチキンのような骨付き肉をつまみ食いしようとしたマッハの手が、不可視の攻撃でペシっと優しくはたかれる。
ケルヌンノスは冥府の神から名を貰っている。そしてその名の通り、死霊系のスキルや魔法を中心にキャラクターを構成している。なので、ほとんどのスキルや魔法が普通の状態では視認できない。まぁそれ専用のスキルを使えば見えるようにはなるけど……初見でこの光景を見た時は本気で驚いたものだ。
「今日も美味しそうだね~。いつもありがと!」
「……別に、好きでやってるから」
ヒナがそう言うと、ケルヌンノスは箸やフォーク、手拭き用のタオルなんかを用意しながらポッと頬を染めた。
その光景をジーっと見つめながら、マッハは不満げに呟く。
「ほんと、けるはヒナねぇにだけは甘いよなぁ~」
「っ! そんなこと、ないし……」
髪をクルクルといじりながらヒナの方をチラチラ見るケルヌンノスがなんと可愛らしい事か。
これだけでも、ヒナは毎度この子を抱きしめて全力で甘やかしたくなるのだが、それをすると本人に怪訝そうな顔をされるだけでなく、スキルで無理やり引き剝がそうとしてくるので二度とそんなことはしないと昨日心に誓ったのだ。
「ありがと~。じゃあほら、食べよっか」
「マッハねぇ、そこ邪魔。ちょっと詰めて」
「え~? もう、仕方ねぇなぁ~」
「……ヒナねぇ、隣来て」
ケルヌンノスの隣にヒナが座り、その向かいのソファにマッハとイシュタルがちょこんと腰掛ける。
ヒナ以外の3人はその背丈からソファに座ると床に足がつかないのでいつもその足をプラプラさせているが、それが余計に3人の子供っぽさを演出して良い味を出している……と、変なところに感動しつつ、ヒナは胸の前で手を合わせる。
「じゃあ、今日も皆で! いただきます」
『いただきま~す!』
そう言うと、マッハは真っ先につまみ食いしようとしていた骨付き肉へと手を伸ばす。
ヒナとケルヌンノスはその光景を微笑ましそうに見つつ、真っ先にサラダへと手を伸ばす。
テーブルに広がる狐色の大きなウサギ肉と水中を泳ぐモンスターの骨付き肉、肉食植物のサラダ、色とりどりの見たことのないスイーツ。どれも、ゲームをプレイしていた時に入手した装飾用の料理や食材だった。
それが本当に食べられて、しかもそこそこ美味しいとなれば数年ぶりにちゃんとした食事を口にするヒナからすれば堪らなかった。
ウサギ肉の食感は豚肉のそれに近く、絶妙な焼き加減で調理することで高級焼き肉を食べているかのような錯覚に陥る。それなりにレアな食材だけあるけれど、肉食植物のサラダもこれまたとても美味しい。
白い独特なドレッシングをかけると瞬く間に普通のサラダから果実のような甘味たっぷりの魔法のサラダへと昇華するのだ。それに、申し訳程度に添えられたキイチゴとラズベリーが良い味を出しており、冗談抜きでいくらでも食べられる程の美味しさだ。
果実もほとんどが桃やメロンのように糖度の高いものが多く、初めて口にした時は思わず涙が出そうになったほどだ。
「……ヒナねぇ、どう?」
「ん? うん、今日も美味しいよ!」
「ん……なら良かった。頑張った甲斐がある」
「うん! いつもありがと!」
「だから……好きでやってるから良いって……」
ヒナが頬をポリポリと搔きながらも細長い耳の先まで真っ赤に染まっているケルヌンノスを可愛いなぁと思いつつ正面の2人を見てみると、行儀悪く両手に骨付き肉を持っていそいそと頬張っているマッハをイシュタルが姉のようにピシャリと窘めている所だった。
この子らは、時々どっちが姉でどっちが妹なのか分からなくなる。背丈すら3人ともほぼ同じ……というか設定上同じだったはずなので、よく気を付けなければならない。
「あ、そう言えば私、明日街に行ってみようと思ってたんだけど、何か買っておいて欲しい物とかある?」
手元のサラダが綺麗になくなったタイミングで、思い出したようにヒナがそう呟く。
ここまでギルド内が同じなのであれば、そこまで注視したことの無かった街中はどうなっているのか気になるのは必然だった。
仮にこの光景が夢ならヒナ自身の記憶から忠実に再現されているだろうが、街のグラフィックがどうなってたかなんていちいち覚えてないし、細部までとなるとちゃんと見た事すらない。そこら辺がどうなっているのか、見ておきたかったのだ。
道中で何かあっても、装備がそもそもかなり強力なので逃げるだけならなんとかなる。
スキルや魔法に関しては……使い方がなんとなく頭に思い浮かぶ程度だけれど、まだその詳細すら不明瞭なのでそれも試してみたいところではあった。
「ん~私は特にないかなぁ。家にある物だけで大体事足りてるし~」
「マッハねぇの言う事に同意。私も、特にない」
「私もない。でも、1人で街に行って迷子にならないか心配。ヒナねぇ、そういうところあるから」
この中で最年少のイシュタルに真顔でそう言われると、なんだかやるせない気持ちでいっぱいになる。
確かにゲーム内ではこの子達に何度も愚痴を吐いたことがあるし、その過程で学校帰りに何度も道に迷って家に帰れなくなりそうだった……なんてボヤいた事もあるから否定はできない。
実際、ゲーム内の地図は読めるけど、家から学校までの地図は全然読めなかったし……。
「確かに……。ヒナねぇ1人で行かせると、夕食までに戻ってこないかも。誰か一緒に着いて行くべき」
「えぇ……? けるちゃんもそう言うの?」
「……マッハねぇはどうせ残る。なら、私はお昼ご飯を作らなきゃいけないから一緒に行けない。たる、行ける……?」
少しだけムッとしながら妹へと視線を送ると、満面の笑みが帰ってくる。それに少しだけ安堵しつつ、不満そうに頬を膨らませているヒナを見つめる。
「街に何をしに行くのかは知らないけど、たるがいるならとりあえず迷子になることは無い。変な事に巻き込まれても、たるなら大丈夫だと思う」
「わ、私への信頼、そんなにないの……?」
「泣きそうになる前に、普段の自分の言動を思い出すべき。心配されるような要素しかない」
「う……。そう言われると何も言えない……」
ヒナがガックリと肩を落とすと、マッハが「そりゃそうだ~」と笑い声をあげる。
それにメンタルをちょびっと削られつつ、最近好物になりつつあるオレンジ色のマンゴーに似た果実を手に取ってむしゃりと噛り付いた。




