29話 縋り付く希望
彼女達の家ではヒナとマッハが1人部屋、ケルヌンノスとイシュタルが相部屋という事で誰も文句は言わなかった。
それはヒナが決めた部屋割りだし、なにより彼女達の誰もヒナを夜の間独占する事が無いので、全員平等だからという理由があったからだ。
しかし、2人部屋となれば話は別だ。
ヒナを1人にして他3人が2部屋を使って家の通りの部屋割りで泊まるのも一つの手ではあるが、そんなくだらないことでお金を無駄遣いしたくはない。
なにより、全員がヒナと同じ部屋で一夜を共にしたいと思っていた。だからこそ、真剣に見つめ合う。
ヒナがこの世界に来た初日の夜に4人で寝ようと言った時断ったのは、単純に全員が恥ずかしかったからだが、2人きりになれるとなれば話は別だ。
それも、今回はあんな特殊な状況ではなく合法的……というより、ごく自然にその傍にいられるのだから。
ヒナの事を誰よりも大好きな彼女達は、姉妹が相手であろうとその隣を譲るつもりはない。こればかりは、誰が姉で誰が妹だからとか、そんな理由では譲れない。それを全員が分かっているからこそ、黙ってギュッと拳を握る。
「……良いか?」
「……望むところ。マッハねぇだろうがたるが相手だろうが、絶対負けない」
「……ん、もちろん」
全員がふぅと短く息を吐くと、その拳に込める力をさらに強める。
「行くぞ~!? じゃんけん――」
「『ぽん!!』」
少女達の微笑ましいやり取りが数十秒続いた末にヒナと同室になる権利を得たのは――
「やったね~! やっぱ、私はこういう勝負事強いんだって~!」
「…………数日泊まる事になるなら、部屋割はその都度変える。その時は、まだなってない人優先」
「けるねぇに賛成。マッハねぇだけに独占なんてさせない」
ピースの形で右手を天高く突き上げて頬を紅潮させるマッハとは裏腹に、目いっぱいに開かれた己の小さな手を見つめながら悔し紛れにそう言う2人は、はぁと肩を落とした。
彼女達の勝負は、何度かあいこが続いて唐突に終わりを迎える事が多い。それも、決まって誰かの1人勝ちになり、残りの2人が同時に敗北する事が多かった。
これはヒナが設定した訳でもなんでもなく、単純に3人の性格が似通っているが故に、じゃんけんにおいて出す手が似通っているという側面があるのだけだ。しかし、彼女達はそんなこと知る由もない。
「へへ~ん! 良いっていいって~! それよりさ、部屋の用意、よろしく!」
「……わ、分かった。手配しておこう……」
若干引き気味になりながらもそう言ったペイルはのっそりと立ち上がって部屋を後にすると、受付嬢に取り急ぎ部屋を掃除するよう命じて戻ってくる。
幸いにも今ギルドの宿部屋は全室空いているので階段を上がってすぐのところにある隣部屋の2つを使える。夜間の行き来も特別制限している訳では無いので、2人しか寝ることはできないまでも家族間で集まって会話するくらいのスペースはあるだろう。
それに、食事は出ないまでも水なんかは部屋に備え付けてあるし、風呂場も簡素だがついている。
彼女達が満足するかどうかはともかく、特別汚いという事は無いので不満は出ないだろう。
まぁ、ここ以上の設備を求められても貴族街が利用できないので無理を言うなという話ではあるのだが……。
「すまないね、すぐには用意できないから部屋で休むならしばらく外で時間を潰してきてくれ。必要であれば荷物はうちで責任をもって預かるが……」
「いや、大丈夫~。ちょうど近くにお菓子売ってるお店があるなら、どらやき買いに行きたいと思ってたからさ~!」
「同意。あれは、いくら食べても飽きる気がしない」
「え、あなた達まだ食べる気なの!? さっきいっぱい食べたじゃん……」
ヒナが呆れながらもそう言うと、マッハ達3人はバッと振り返って口を揃えて言う。
「『甘いものは別腹!』」
あまりに息の合ったその物の良いようにクスっと吹き出しつつ、目の前のペイルにジッと見つめられている事に気が付くとうぇ!?と変な声を上げて肩を震わせる。
そんな彼女の姿にすまないと頭を下げつつ、ペイルは早々に「仕事があるから失礼する」と言い残してその部屋を出た。
あまり長居しても話す事は無いし、彼女達の前に立っていると不思議と体が震えだすのでさっさと退散したかったのもある。
本当に仕事はあるのだが、それ以上に彼女達の前には1分1秒もいたくなかった。
ペイルが部屋を去った後、彼女達はマッハの言う通りどら焼きを買いに行くべくギルドを後にし、左を曲がったところに聳え立つ白いのっぺりとした壁と、その脇に立つ2人の兵士に目を向ける。
彼らは街の入口に立っていた者達と同じような槍と鎧を身に着け、ふさふさの顎髭を蓄えた40代半ばの男達だった。その鍛え上げられている肉体は遠目からでもよく分かるし、その厳つい顔からは歴戦の猛者である強者の風格を漂わせている。
少なくとも、街の入口に立っていたどこか頼りない2人よりは確実に強いだろう。
(ま、私らの敵じゃないな~)
腰の愛刀にそっと手を触れながらプイっとその者達からマッハが目を逸らすのと同時だっただろうか。その隣を歩いていたケルヌンノスの腰を、何者かが思い切りガッと掴む。
それは、その後ろをニコニコしながら歩いていたヒナとイシュタルでもなければ、剣士であるマッハですら気配の探知が出来なかった相手だ。
その突然の衝撃に思わずケルヌンノスが背筋をブルっと震わせ、ほとんど反射でマッハが腰の愛刀を抜く……前に、その何者かがうわぁぁ!と間抜けな声を上げる。
「ち、違うんです違うんです! 別にあなた方になにかしようとか、そういうんじゃないんです!」
顔の前で必死に手を振って敵対する意志が無い事を告げるその人物は、マッハ達3人と同じくらいの少女だった。
太陽のように照らされて眩く輝く美しい金髪を肩のところで綺麗に揃え、同じ色の瞳をケルヌンノスの持つ杖に向けつつ、わずかな希望と絶望の色を滲ませる。
ブラウンのカーディガンとセーラー服を思わせるような藍色の衣装を羽織り、下は膝上10センチほどの同じ色のスカートを履いている。少女が日本の街にいれば普通の女子高生か中学生にしか見えないだろう。
そんな、あまりに普通な少女の態度に刀を抜こうとしていたマッハも、スキルを発動しようと振り向いていたケルヌンノスも毒気を抜かれたようにその殺意を引っ込める。
ヒナやイシュタルも、彼女が急に出てきたことそれ自体にはかなり驚いていたが、少女に敵意が無い事が分かるとふぅと安心したようにため息を吐いた。
「で、あなた誰? 私になにか用でもあるの?」
「あ、いえその……用というかなんのというか……。ただちょっと、懐かしくなっちゃってつい……」
恥ずかしそうにモジモジしながらそう言ったその少女は、一度聴いただけで人の良さと気弱な性格が分かるような声だった。だからだろう。普段は短気なケルヌンノスでも不思議と怒りが湧いてこない。というよりも、自分とこの子は顔を合わせた事も無ければ話した事もない。むしろ、自分達はつい2時間ほど前に初めてこの街に足を踏み入れたばかりだ。知り合いなんているはずもないと、不思議そうに首を傾げる。
「懐かしい? それはなぜ」
「あ、あなたのその……持っている杖と似たような物を、知り合いが持ってて……。それでその、つい……」
「これを……?」
手元の杖を指さしそう告げると、少女は小さくコクリと頷いた。
だがしかし、そんなはずはない。
この杖はラグナロクに存在していた神の名を冠するモンスター『原初の女神 ティアマト』の素材から作られる特別な武器で、この世界には存在しない物だ。
それにその入手難易度もかなり高く、ラグナロクのプレイヤーで持っているとすれば、上位ギルドに名を連ねる者くらいしかいないだろう。
確かにビジュアル的な面で言えば似ている武器は数多くあるかもしれないが、そのどれも神の名を冠する武器であり、そういった物は大抵が『イベント報酬』か『神を討伐し、そのドロップ品から作る武器』であるがゆえに、持っているプレイヤーは少ない。
また、まったく別の可能性としてこの世界にケルヌンノスの持つ杖と同じような杖が存在している可能性もあるのだが、そんなにピンポイントで存在する物だろうかという疑問が浮かぶ。
少なくとも、瞬間的にそう考えるのは無理がありすぎる。
なので、ケルヌンノスは尋ねる。
「その、これを持っていたって人の名前は?」
「あ……それはその……ごめんなさい、言えないです。ただその……とても、お世話になった人だったんです……。その人はかなり昔にこの世を去っちゃったんですけど、あなたを見て懐かしくなってつい……。ごめんなさい、急に変な事言っちゃって」
苦笑しつつぺこりと頭を下げたその少女は、瞳に宿していた希望の光を失望と哀愁に変えてそそくさとその場を去ろうとする。が、なにを思ったか、ヒナがその小さな手を握って引き留める。
「ま、待って? 私達、この後お菓子買いに行くんだけど、良かったら、一緒に来ない……?」
人見知りのヒナが自分からこんなことを言うとは思えず、3人は驚愕で目を見開く。
また、引き留められた少女自身もそんなことを言われるとは思っていなかったのか、聞き間違いかと彼女をじっと見つめる。
ヒナも、自分がなぜ見知らぬ少女にそんなことを言っているのか、本心では分かっていなかった。ただ、その少女の背中から過去の自分と同じ匂いがしたというだけで、気付けば口が動いていた。
過去の、両親を失った時、この世界の全てが敵に見えて絶望していた頃の自分と、まったく同じ匂いが……。
「迷惑だったらその……良いんだけど……」
なんで幼い少女に、今初めて会ったばかりの少女に、そんな事を感じるのかは分からない。だが、その少女の背中からは確かに感じた。この世の全てを憎み、恨み、軽蔑し、ここではないどこかへ消えてしまいたいと思っていたあの頃の自分と、まったく同じ匂いを。
そして少女もまた、ヒナの瞳の中にそんな感情を見出したのか、それとも彼女自身が救いを求め、誰かに縋り付きたいと思っていたからなのか、知らず知らずのうちにコクリと頷いていた。
少女も、着いて行こうなんて思っていなかった。
自分が長い間ここで暮らす人達と関わってしまっては迷惑をかける。それは分かっていた。が、それでも、断る事は出来なかった。
「良かった……。私はヒナって言うの。あなたは?」
「エリン……。ほんとに、良いの……?」
「うん! ね、みんな?」
そう言いつつも不安げに3人を見つめると、彼女達はお互いの顔を見合わせて不思議そうではあったもののコクリと頷いた。
人見知りのはずのヒナが誰かに自分から声をかけて、自分から誘うなんてことは今までなかった。それどころか、自分達家族以外と話す事すらまともにできていなかったはずだと、その顔に困惑を浮かべる。
マッハはエリンと名乗った少女を警戒し、ケルヌンノスは二度と不覚を取らないといつでもスキルを発動できるよう準備を整える。
イシュタルは、何が起こってもすぐさまヒナの安全を確保できるように密かに魔力を練り上げる。が、そんな彼女達の心配を他所に、ヒナはエリンと名乗った少女の手を握ってスタスタと歩き出した。
「……なぁ。あいつ、ヒナねぇの知り合いか?」
「……そんなはずない。この世界にヒナねぇの知り合いなんているはずない。プレイヤーで特に仲の良かったあの見る目のある人は、今はもうこの世にいない」
「だよなぁ……。じゃあ、なんであいつにはあんなさぁ……」
ピッと指を指したマッハは、自分達を置いて冒険者ギルドの隣にある建物へとスッと消えていった。その姿にポカーンと口を開けつつ、自分達も慌てて追いかける。
店の外観は石造りの無骨な物で、3階建てになっていて酒瓶とナイフのような物が描かれた独特の看板が2階部分にドカーンと大きく付けられている。
文字が読めないので正確な事は言えないが、その下に大きく書かれている文字は『シェイクスピア楽団』という商会の名だろう。
店内はかなりの広さで至る所に透明なガラスケースが置かれ、その中に色とりどりのお菓子が数えきれないほど陳列されている。その中を、瞳を輝かせながら見て回るエリンと、そんな少女を興味深そうに見つめるヒナはまるで親子のようだ。
「うわぁ……。こんなの、始めて見た! どれも美味しそう!」
「そうなの? お父さんとかお母さんとかと、買いに来たりしないの?」
この世界の子供は、あまり両親と買い物などには来ないのか、それともマッハ達が好きなお菓子は、さほどこの国では食べられていないのか。そう思ったが故の質問だった。
ただ、それまでガラスケースの中に陳列されていたお菓子を涎を垂らさんばかりにグイグイと見つめていた少女は、悲しそうにふふっと笑うと、頭を振った。
「ううん、来ないよ。唯一、おばあさまが時々遊びに連れて行ってくれたんだけど、その時も、行くのは庭園とか裏庭だったんだ」
「そうなんだ……。じゃあ、さっきけるちゃんに言ってたお世話になった人って、そのおばあさん?」
「うん……。おばあさまが、あの人と似たような杖を持ってたんだ。すっごく強くて、すっごく優しくて、すっごく”高潔”な人だったよ……」
やけに『高潔』の部分に力を入れてそう言ったエリンは、その瞳に憎悪を込めて小さくポツリと呟いた。
「この国には……穢れた人間が多すぎる……」
「……え?」
「っ! なんでもない! それよりお姉さん、これ、美味しそう!」
少女が指さしたのは、ちょうどマッハ達が買おうと言っていたどら焼きだった。だからだろう、どこか警戒してヒナの変わり果てたその姿に困惑していたマッハがキラリとその目を輝かせて少女にちょこちょこと迫り、その手をギュッと握る。
「お前、見る目あるな! 私らが好きなやつを真っ先に美味しそうって言うなんて!」
「う、うぇ!?」
「最初は何者かと思ったけど、こいつを好きな奴はワラベといい、ペイルとかいう怪しい奴といい、お前といい、見る目のある奴が多いって事だな!」
ブンブンと握った手を上下に揺らして瞳を輝かせるマッハに感化されたのか、それともその通りだと思ったのかは分からないが、ケルヌンノスとイシュタルもお互いの顔を見合わせてコクリと頷く。
彼女達も警戒を解いて3人の元までパッと走ると、ケルヌンノスがエリンに対抗するようにヒナの空いていた左手をギュッと握る。
「けるねぇに先を越された……。エリンと言った、そこを譲る」
「あ、あの……」
「私も、マッハねぇと同じであなたには見る目があると思う。でも、ヒナねぇの横は私達のもの。取るのはダメ」
ジーっと羨ましそうにエリンを見るイシュタルだったが、エリンもヒナには自分と同じ物を感じているからなのか、それとも彼女も彼女でマッハ達3人を気に入ったからなのか。その真意は分からないが、彼女はフリフリと首を振ると、一層強くヒナの右手を握り締める。
「やだ……。お姉さんの隣は、渡したくない……」
「…………私、やっぱりあなたのこと嫌い」
プイっとそっぽを向いていじけたイシュタルは、その実そこまでエリンの事を嫌いになった訳じゃなかった。
それどころかその逆で、ヒナの良さを分かる貴重な人として彼女の評価をさらに上げた。
そしてそれはマッハやケルヌンノスも同じらしく、その笑みをさらに深くしてエリンを仲間だと認めた。彼女が何者かなんて関係ない。ヒナの良さを分かってくれ、その隣を渡したくないと本心から言ってくれるだけで、彼女達にとってその人は仲間だ。
唯一、当事者であるヒナだけは彼女達の行動や言動が何一つ理解できず困惑し、その顔を嬉しさと恥ずかしさでゆでだこのように真っ赤に染める。
しかし、エリンの瞳に浮かぶ絶望と失望の感情は、そんな中でも一際大きく揺らめいていた。
自分でもなぜ着いて来たのか、なぜあの時少女に抱き着いてしまったのか、なぜ自分がこんなところにいるのか。その全てが分からない。
ヒナや他の3人は自分が嫌悪するタイプの人間ではなく、もっとも好ましく思い、こんな生活・関係性に憧れるような人達だ。
こんな人達と一緒に暮らしたい、過ごしたい……本心からそう思ってしまうほど、少女が日頃身を置く環境は酷かった。
だからこそ、今までの人生でも一二を争うほど幸福と思えるこの瞬間にも、絶望がその心を満たしていく。
だからこそ、今までの人生でも一二を争うほど心が綺麗だと思える人達を前にしても、失望がその心を満たしていく。
少女の心は、ヒナ達に悟られることなく静かに崩壊していた。