26話 キャメロット
マッハが差し出したラグナロク金貨を全て共通金貨へと換金してその腰のポーチに納めると、彼女達は見送りに来たワラベに「また来る」とだけ告げてギルドを出た。
彼女はキャメロットまでの馬車を手配も出来ると提案していたが、ケルヌンノスが自分達で飛んだ方が早いと断っていた。まぁ、飛んでいくという意味は全く分からなかったのは言うまでもないが……。
「なぁ……ほんとにあいつ呼ぶのかぁ……?」
「呼ぶのが一番早いから仕方ない。ヒナねぇが呼び出すと目撃された時に面倒な事になる」
「うぅ、そりゃそうだけどさぁ……」
一度ギルド本部へと戻ってきて報酬でもらったお菓子をアイテムボックスへと収納し――アイテムボックスの中は時間が停止しているので食べ物が腐らない――いざ出発となったところで、マッハがうげぇと肩を落とした。
マッハが嫌がっている原因はケルヌンノスが呼び出そうとしている霊龍の厳格……というか、堅い性格だ。
彼女はお調子者という言葉がよく似合うような少女なので、堅い性格の霊龍とはあまりソリが合わずに苦手としていた。
ただ、馬車でキャメロットまで行くのに5時間以上かかるのに対し、霊龍の背中に乗って飛んでいくとその道のりが20分程度で済むのだ。これを使わない手は無いと彼女以外の全員が納得していた。
ヒナも召喚魔法は扱えるし、霊龍と似たような龍や空を飛べるペガサスなんかを呼び出す事は可能だ。
しかしケルヌンノスが言うように、それらは肉眼でもしっかり認識できるので、万が一にもその姿を見られると面倒な事になる可能性があった。
その点、霊龍はスキルを使用するか彼が認めた人間にしかその姿を視認する事が出来ないので、仮に空を飛んでいる所を目撃されたとしても魔法でどうにかしていると誤魔化す事が出来る。
この世界での召喚士……というよりも召喚するモンスターに対しての認識がどうなっているか分かっていればヒナが呼び出しても良いのだが、まだそこら辺ははっきりしていないので用心するにこした事は無い。
「ほら、ま~ちゃんはまた私がおぶってあげるから。ね?」
「はぁ~……。分かったよ……」
「じゃあ、出発する」
ケルヌンノスが右手を地面に向けて魔力を集中させると、透明の巨大な龍がその場に顕現する。その龍は相変わらずかしこまった態度で3人にぺこりと器用に頭を下げ、ケルヌンノスの指示通りその背中に乗せていく。
最後に召喚主である彼女がその頭に乗って行き先を告げると、近くにギルド本部があるので静かに飛び立ち、上空300メートル付近まで上昇すると一気に音速を超えるような速度で飛翔する。
そんな高速移動をする霊龍の背中の上でも問題なく呼吸できるし、会話もしようと思えば出来るのは不思議だなと思いつつ、背中でブルブル震えているマッハの頭を優しく撫でる。
「怖いの?」
「そ、そりゃ怖いだろ! 下見て見なよ! 鱗が透明なせいで浮いてるみたいになってるんだって!」
「ま~ちゃんって、高いところ苦手だったんだ」
マッハの言う通り、霊龍の鱗は全てガラスのように透明なのでその背中に乗っていると真下の景色がそのまま見渡せる。
決して落ちる事は無いが、地上634メートルの電波塔の展望台にあるようなガラスの床のように、見る者が見ればそれは恐怖の対象だった。
そしてそれは、高所恐怖症のマッハにとっては地獄そのものであり、ギュッと目を瞑っていないととてもじゃないが空を飛ぶなんて芸当は無理だった。
そんな設定はした覚え無いのになぁと不思議に思うヒナの耳に、隣でちょこんと座っているイシュタルの怪訝そうな声が届く。
「……ヒナねぇも、高いところは苦手なはず。ここは、大丈夫なの……?」
「え……あ~、そう言えば私も高いところ苦手だ~。でも不思議、ここは全然大丈夫!」
ヒナ自身も軽微と言えど高所恐怖症の気があった。
歩道橋とか少し高い程度のところであれば全然問題ないが、ジェットコースターや展望台、4階以上の建物から下を覗くなんて事は絶対に無理だった。
だがしかし、現在高度300メートル~500メートル付近を飛行している霊龍の背中から下の景色を見ても、震えあがるどころか恐怖という感情さえ湧いてこない。それは、イシュタルに言われるまで自分が高所恐怖症であるという事すら忘れていたほどだ。
「な、なんだよそれぇ……」
「え~、なんでだろう? 皆がいるからかな?」
背中で震えるマッハの頭を慰めるように撫でながら、イシュタルにニコッとぎこちない笑みを向ける。
もしかしたらこの霊龍に1人で乗っていれば、彼女の言う通り震えあがっていたかもしれない。少なくとも、もう少し低空飛行をしてとお願いする程度の事はするだろう。
だが、孤独だったあの頃とは違い、今は周りにこんなに温かい家族がいてくれる。だからヒナは寂しさなんかとは無縁の生活が出来ているし、高所もそこまで恐れる事は無くなっているのではないか。そんな仮説を立てる。
「…………なにそれ、わけわかんない」
「えぇ? ちょ、なんで顔逸らすの!?」
頬を染めながらプイっと顔を逸らすイシュタルの姿にガーンと肩を落とすが、背中をポンポンと軽く叩かれてマッハの方を見る。その顔はいたずらっ子のそれで、少しばかり口の端を歪めていた。
「ヒナねぇ、多分たる、照れてるだけだぞ」
「……そうなの?」
「っ! 余計な事言わなくて良いの! もう、マッハねぇ嫌い!」
「なっ! お姉ちゃん傷つくぞ!?」
「知らない知らない!」
子供らしく可愛い喧嘩をする2人を見つめながら幸せだなぁと感じられるのは、ヒナが今までの人生で孤独だったからだろうか。それとも、もっと別の理由からだろうか。
どちらにせよ、NPCを真面目に作成してその性格や関係性を細かく設定して良かったと、今以上に実感したことは無い。
「……霊龍、スピード上げて」
「了解です、主様」
後ろのそんなやり取りに少しだけイラっと……いや、ヤキモチを妬いて霊龍のスピードを上げたケルヌンノスは、サッサと目的地に到着してヒナの隣を簒奪する計画を立て始める。
その甲斐あってか、それとも霊龍が召喚主である彼女のわずかな怒りを過敏に感じ取ってさらにスピードを上げたからなのかは分からないが、本部を出発して10分も経つ頃には、目的地であるキャメロットの数百メートル前に辿り着いていた。
いくらダイヤモンドランクの冒険者と言えどもいきなり街中に降り立つわけにはいかないので、目立たないところで霊龍に下ろしてもらったのだ。
ブリタニア王国の王都キャメロットは大きな川に架けられた大きな木製の端を渡った先にあった。
水底が見える程透明な水を覗きこめば自分達の顔が反射するだけでなく、小ぶりな鯉のような魚が無数に気持ちよさそうに泳いでいる姿が確認できる。
一度その視線を上にあげれば、太陽の光に照らされて眩く輝くキャメロット城がその脳裏に深く刻まれることは間違いない。
そのてっぺんでユラユラと風に揺れているのは、この国の紋章にもなっているギルド『円卓の騎士』のシンボルマークだ。
初代の王でもあり勇者と呼ばれていたアーサー曰く、そのマークは自由の象徴であり、人々の上に立つものとしての使命、勝利への飽くなき探求を示しているそうだ。
「……やっぱり、凄いなぁ」
「だなぁ~。遠くから見た時も思ってたけど、ここからだと眩しいくらいピカピカだな~」
「……あれだけ荘厳で美しいのに、不思議と高貴さと高潔さを感じさせる絶妙なデザイン。素晴らしいとしか言えない」
「けるねぇに同意……。凄い……」
橋を渡った先に王都に入る際の荷物検査や身分証明を済ませるための兵士の詰め所があるのだが、その数メートル前でヒナ達は王城を瞳に映してあんぐりと口を開ける。
ネットの記事ではあるけれど、その実物を見た事のあるヒナはもちろん、初めてその細部までこだわりぬかれたギルド本部を目にする3人も、その素晴らしさに思わず息を呑む。
彼女達は普段滅多に他人や他人が関わっている物を褒めようとしない。どれだけ食べた物が美味しかろうが、ケルヌンノスが作ったものの方が美味しいと思ってしまえば「美味しい」という言葉は出てこないのと一緒だ。
どれだけ素晴らしくとも、姉妹の誰かが再現可能なのであれば言葉のどこかに棘が出てしまう。
だが、目の前の城に関しては純粋な誉め言葉しか出てこない。それ程までに、キャメロット城の立ち姿は素晴らしい物だった。
一体いくらかけたのかと言いたくなるほどの巨大な城と、細部に施された細やかな装飾。大理石にも似た光り輝く白い石の壁には繋ぎ目こそある物の傷や汚れなんかは一切見られない。
その内部までかなりこだわって作られていることをヒナは知っているが、この場からは確認できない……というよりも『円卓の騎士』のギルド本部が凄いのはその外観よりも内装だ。
様々なアーサー王がモデルになった作品から着想を経て、その素晴らしい部分を全て終結させたような内装は、その物語が好きなプレイヤーからするとまるで夢の国だ。
それに加えて数人のデザイナーが所々にアレンジを加えているので、この世に2つと無い城が完成したのだ。
それこそが、ラグナロクに存在したキャメロット城だった。
「我らが王家の象徴たるキャメロット城の威容を理解できるとは、幼いながらに見る目のある奴らだな。そうだ、あの城は素晴らしいだろう?」
「まったくだ。この国に住む我らとて、毎日見ても飽きぬほど美しいのがあの高貴なる城故なぁ……。どこぞの田舎から来たのであろう小娘達には、少々煌びやかすぎたかもしれぬがな」
4人がキャメロット城の威容に感動していると、ふふふと気色の悪い笑みを浮かべて彼女達に近付いてくる兵士2人。その手元には鉄の槍が握られ、なにかの皮で造ったらしい鎧は訓練かなにかで出来たのか、至る所に大きなへこみが出来ている。
その2人の兵士は20代前半の若い男で、1人は青い髪を女のように長く伸ばした美少年。1人は赤い髪を短く纏めて腕や胸に異常なほど筋肉を付けた男だ。
そのうち青い髪の男が先頭にいたヒナの前に立つと、その顔をにやりといやらしく歪める。
「お前さん、この街に何しに来たか知らないが……結構いい面してるな。どうだ? 今夜、ケルヴィン男爵家が次男、このマールヴォロ・ケルヴィンと、食事にでも行かないか?」
キラリという効果音が似合いそうなほどのキメ顔と共にその無防備な右手を取ってその手の甲にキスを……
「おい、なにしてんだお前」
する前に、目に見えないなにかにペシっと手を弾かれる。それをしたのが誰なのか、その場に響いた低く殺意の込められた声の主を見れば明らかだ。
彼女は知らない男に突然そんな事を言われた上に突然手を握られて恐怖からその瞳に涙を浮かべているヒナを見つめつつ、その可愛い顔を怒りで歪める。
「殺されたいのかお前。ヒナねぇにいきなりなにしてくれてるんだよ」
見えない手がケルヴィンと名乗った青年の持つ槍を掴んでベキッとへし折る。
簡単に折れるはずのないそれが簡単にへし折れた事にも驚きだが、それよりも、5歳そこそこにしか見えない少女が自分に殺意を向けてきているのに恐怖を隠し切れない。
それに、幾たびの死線を潜り抜けてきている自分がその激情に駆られた瞳に睨まれるだけで身動き一つ取れなくなってしまう。それが、なにより驚きだった。
「お、俺は――」
「けるねぇ、我慢。面倒ごとは起こすなって、ワラベに言われてる。こいつを殺したくなるのは分かるけど、我慢は大事」
「そうだぞ~。殺るなら面倒にならないようにしなきゃだぞ~?」
ヒナの背中をヨシヨシと撫でながら2人にそう言われれば、どれだけ怒りのゲージが最高潮に達していようとも収めることはできる。なにより、ヒナに迷惑をかけたいわけではないので小さくコクリと頷いてスキルを解除する。
その様子にイシュタルが満足そうに頷くと、ポーチから冒険者カードを取り出してポカーンとしている赤髪の男の方へ提示する。
「私達はこういう者。街に入れて」
「だ、ダイヤモンド……!? こ、これは失礼しました! ど、どうぞお通りください!」
「ん。さっきの件は水に流してくれると嬉しい」
未だに怯えているケルヴィンを軽蔑の目で見ながらそう言うと、赤髪の男は首がちぎれるのではないかと心配になるほどブンブンと縦に振る。
頭の上で手を組んだマッハが満足そうに「良かったなぁ~」と呟くと、未だに少し震えているヒナの手を引いてサッサとその場を後にする。
イシュタルとケルヌンノスもそれに続いて後を追うが、ヒナとマッハが見えなくなったタイミングでクルっと振り返ると、立ったままガクガクと震えている男にポツリと言った。
「次同じ事したら、殺す」
「けるねぇに同意」
面倒ごとを起こすなと言われた事を完全に忘れているのか、それともダイヤモンドランクの冒険者なのだからこれくらい言っても大丈夫だろうと思ったのか。ともかく、2人はそれだけ言い残して王都へと足を踏み入れた。
この場面をムラサキないしはワラベが見ていれば額を抑え、彼女達を全力で怒鳴りつけようとするだろう。
だがしかし、彼女達は「ヒナねぇに手を出したんだから当然」とばかりに勝ち誇った笑みを浮かべて先を歩くマッハとヒナの後を追う。
余談だが、この場面を陰から目撃していたギルドの職員――ムラサキがヒナ達の監視を命じた者――は、内心で絶叫を上げていた。
この国では、王族ではなくとも貴族相手に喧嘩を売る事は自殺行為として知られている。
アーサーが王権を握っていた時代であれば民に粗相を働くような貴族もいなかったのだが、ここ最近では私腹を肥やしている貴族が増えている。
彼らは己の快不快のみが生きる指針であり、貴族や王族以外の者達を軒並み人と認識していない。だから、人である自分が、人ならざるものをどうしようが許されるという精神の元横暴を働く。
そしてそれは、冒険者であっても例外ではない。
(不味いわね……。予定より早すぎる到着もそうだけど、早速面倒ごとを引き起こしてくれちゃってるじゃない……。ムラサキ様にどう報告しろって言うのよ……)
彼女――マーサは、ムラサキに与えられた任務が今までに請け負ったどんな物より困難になるだろうことを予想して誰にも聞かれないようにため息を吐いた。
彼女のこの国での苦労は、まだまだ始まったばかりだ。




