238話 か弱い少女の恐れ
「なんじゃ、これは……。夢か幻か?」
変わり果てた惨状……いや、宿舎があったそこを目にしたシャルティエットが最初に放ったのは、呆れたような、諦めたような一言だった。
草木すらも無くなり、ぽっかりと全長五メートル程の大きな穴のような物が出現しており、興味本位で底の方を覗こうと身を乗り出してみても、遥か先は暗闇で視認する事は出来ない。
戦う事はあまり得意ではない彼女でも、冒険者ギルドに入ればそこそこのランクにはなるだろう彼女でも、この穴の先に何があるのか。それを確かめようとは思わない。
「私達は悪くないぞ! だって、召喚獣急にけしかけてきた奴が妨害して来たんだ!」
「そう、別にヒナねぇは悪くない。責められたとしても、こんな事をしでかした犯人を始末する為には仕方なかった」
「最悪こっちに被害が出る可能性があったと考えれば、ヒナねぇとけるねぇの判断は正しかった。私達の命は、いくら私でも復活できるか分からないから。まだ、不確定要素が多い」
宿舎が二人の神の圧倒的暴力に晒され、その姿を無きものにして数分後、その場にはヒナやケルヌンノスを含めた関係者が全て集まっていた。
戦いに参戦していた冒険者を自身の切り札を晒す事で全員を避難させることに成功したムラサキやその補佐として部下が数人。そして、シャルティエット商会からは護衛部門の隊長とその部下が列席していた。
そんな中で、恐らく一番の権力者であり一番の被害者でもあるシャルティエットが目の前の景色を見て半ば放心状態になっているのだ。
計十数人という大人数の中、その輪の隅の方ではヒナが申し訳なさそうに背中を丸め、グレンと雛鳥が必死で慰めている。もっと他に方法が無かったのか……そう、自己嫌悪に苛まれ、きっと罵詈雑言を浴びせられるんだ……。そう、自分の殻に閉じこもってしまっているのだ。
最愛の人がそんな状態なので、3人の妹達は必死に弁解を続ける。彼女への糾弾が、少しでも自分達に向くように。
もしくは、その糾弾それ自体が無くなり、これはやむを得ない処置だったとこの場の全員が認める様に……。
「死人や怪我人は全員私が治療したから文句はないはず。人的な被害はゼロに等しい。魔法の範囲に居た人が何人いたかは知らないけど、ここまで範囲を絞ってくれたから、その数は両手で足りるはず。建物の損壊については流石に私じゃ治せないけど、ヒナねぇが復活したら召喚獣を沢山出してもらって再建の手伝いくらいは出来る」
「そうだそうだ! 魔法の効果でここはもう使い物にならないけど、土地なんてほかにいくらでもあるだろ?」
「そもそもヒナねぇがいなかったらこの国が滅んでた可能性すらある。実際に戦った人やそこのムカつくキツネが一番それを実感してるはず」
突如、ケルヌンノスに指を指されたムカつくキツネことムラサキは、その場の全員の視線が集まった事に苦笑しつつ、やれやれと首を振った。
彼女の存在はこの国に暮らす者なら誰もが知っている。その強さはもちろん、彼女が意外と気さくな事も、部下を大切に扱う事も……。そして、最近は悩みの種が多いのか、時々街の酒場で浴びるように酒を飲んでいる事も……。
「それは間違いないだろうね。部下の測定では、ブリタニア王国を建国した英雄達が健在でようやく……というレベルだそうだ。つい数日前にその伝説が滅んだ彼の騎士団じゃ無理という結論が早々に出ている。だったよね?」
両手を掲げて参ったと言わんばかりに背後の部下に顔を向けると、三十代くらいの顎髭を生やした男がコクリと頷き、一歩前に出る。
「左様です。ムラサキ様の攻撃が一切通用しなかったのはもちろんですが、ヒナ様を含めた皆様の力量が彼の英雄達以上……という情報を基に計算した結果、そのような結論に」
「は? おい待てよ。ブリタニアの騎士団とそこの嬢ちゃん達がどっこいってならまだしも、あの英雄より上ってのは流石に眉唾だろ? 伝説の中の伝説だぞ、あの人達は!」
そう口にしたのは、シャルティエット商会の護衛部門の隊長だ。
彼はここ数日でマリリエッタが消失した事で急遽隊長の任を授かり、困惑と嬉しさが半々といった複雑な心境で居た最中に今回の事が起こったせいで感情の整理が未だについていなかった。
死神相手に何もできなかった自分の無力さ。
目の前で部下や、つい数日前まで同僚だった者達。先輩らが無残に殺されていく様はしばらく脳裏に焼き付いて離れないだろうが、それでもなおこの場に立てているのは、彼が有能だからだ。
結果、イシュタルが全員を蘇生してしまったので曖昧になっているが、今回の戦いでは全体の約30%が死亡。27%が重軽傷を負っている大惨事となった。
だが、基礎レベルの低いこの世界の住人が、マッハでも奥の手を使わなければ“良い勝負”が出来る死神相手に、それだけの被害で抑える事が出来た。そういう見方も出来るのだ。
それは一重に、彼が状況判断と相手の力量を正確に見抜くことが出来たからに他ならない。
勝てる相手では無いと早々に悟り、シャルティエットを含めた重役や他の部門の長を逃がす為に時間を稼ぐ。その方向に早々に舵を切り、戦う事より逃げる事を優先させた結果だった。
ただ、そんな男でも彼女達の力量を正確に測るのは流石に無理だったようだ。
まぁ無理もない。彼女達は見た目だけで言えば幼い少女だし、強いつよいと言われているヒナは隅の方で肩をすくめて怯えている。
アーサー王の伝説はいわば、この世界の誰もが知っている英雄譚でもあり、憧れや平和の象徴でもある。そんな英雄が残した遺物が例え望ましくない物として現世に存在していようとも、その子孫が圧倒的な武力を誇っているのだ。
英雄の強さはそれ以上……なんて、誰が見ても明らかだし、その伝説的な英雄と目の前で怯えている少女。どちらが強いのかと聞かれれば、その答えはほぼ全ての人間が前者を選ぶ事だろう。
「ダルシアン様……でしたな。死にたくなければ、今すぐ訂正する事をお勧めいたします。これは、未だ存命であられるマーリン様が直々に裏付けをしてくださいました」
そう。一般論的に、ヒナが弱いとみられるのはその態度からして仕方がない。
しかしながら、この場にはその事実を“許せない”人間が、少なくとも5人いるのだ。
その中でも唯一の常識人である雛鳥はまだしも、他の4人はダルシアンと呼ばれた男をスッと静かに睨みつけ、次に余計な事を口走ったら殺そう。そう意思を固めていた。
「なっ!」
「なぁお前……名前知らないけどさぁ。マーリンは、ヒナねぇの事なんて言ってたんだ?」
「失礼いたしました、マッハ様。私の名はゴロリウス・アリウテレスと申します。ムラサキ様の第三秘書を務めておりますが、基本こういった場には第一秘書のキルか、第二秘書のマニエルという者が同席するはずですので、私の名は覚えなくて結構です。それで本題ですが……。マーリン様は『ヒナを相手にするくらいなら、アーサー含めた私ら全員を同時に相手取った方が勝機があると思うよ。まぁ、それでも足りないとは思うけどね』との事です」
「だってさ。で? お前はこの言葉を聞いてもまだ、ヒナねぇの強さを疑うのか?」
腰の刀に手をかけながら首をかしげるマッハは、チラッとヒナを見つめて彼女が自分の方を見ていない事と、恐らく話すら聞いていないだろう事を正確に察知する。
彼女が聞き耳を立てているのにこんな話なんてできないし、仮に万が一があっても良い様に、グレンがヒナの背後に立ち、彼女が不意に振り返ってもマッハ達が視界に入らぬよう配慮してくれている。
「……」
「マッハ様、よろしいでしょうか。わっちから、一言」
マッハが圧をかけてもなお、言葉には出さなくとも納得のいかない様子の男に対し、グレンが静かにそう呟いた。
無論、マッハが断る理由は無いのでコクリと小さく頷く。
彼女を止められるのは雛鳥を含めた家族だけだし、シャルティエットと言えども部下の愚かな言動を下手に止めようものなら即座に命を奪われる可能性がある。
それを正しく認識し、奥の手でもある“読心”すらも封印し、事の成り行きを見守っていた。否、見守るしかできなかった。
「主様を愚弄するのは構わんがな、貴様。主様を愚弄するという事は、わっちら全員を敵に回すという事に他ならぬぞ。その矮小な魂だけで事足りると思うておるなら、それは愚かとしか言いようがないな」
「……なに?」
「試してみても良いぞ? ただし、その際は先程のように楽に死ねる……等とは考えぬ事だ。この世界の人間は、イシュタル様によって何度でも復活可能だからな。その愚かなる考えを何千回、何万回改めてもなお足りぬ程の罰を与えてやる」
圧倒的な覇気と怒気を発しつつ、グレンが静かにそう言い放つ。
それは、ヒナ達以外の全員が思わず身震いし、本能が全力で『逃亡』の二文字を脳裏に刻み付ける程の恐怖を与える。
実際、彼らは知っている。死んでもなお蘇る事が出来るという、伝説やおとぎ話でしか聞かぬ事象を、たった今目撃したのだ。
グレンが言った事だって、誇張でもなんでも無く実現してしまう未来だろう。納得はせずとも、そこまで言われてしまえば態度を改める他、ダルシアンを含めたこの場の全員が生き残る道は無かった。
「分かった、もう、何も言わん」
「あぁ、それで良い。貴様が謝罪の言葉を口にしたところで、主様には届かぬからな」
愛おしそうにヒナを見つめたグレンは、マッハを含めた3人に恭しく頭を下げつつ、ヒナの介抱へと戻った。
彼女が圧倒的な殺気を放とうとも、ヒナはそれが自分に向けられたものでないなら“魔王”に戻る事はない。今はただ『怒られない事を望むか弱い少女』だ。
「でさぁ、だいぶ話が逸れたけど……。そんなヒナねぇがこれしかないって判断したんだ。文句ある?」
「文句……は、言っても良い。でも、文句があるなら修復を手伝うって言ってる時点でそれは最小限にするべき」
もう、とても言い出せる雰囲気では無いので誰も言わないが……最初から、ヒナに文句を言うつもりだった命知らず……恩知らずな者は、この場にはいない。
ただ、夢か幻だと信じたくなる目の前の光景への説明が欲しかっただけだ。そこに呆れの感情こそあれど、怒りなどあるはずもなかった。
無論、もう、誰もそんな事言えないのだが……。
「ねぇ雛鳥……ほんとに怒られない……? グレン、私、もう帰りたいんだけど……」
「だ、大丈夫ですよヒナ様! マッハ様を始めとした皆様が必死に状況を説明してくださってますし、きっと分かってもらえるはずです!」
「主様、雛鳥様の言う通りです。そうなっておられる主様も大変魅力的ですが、やはり、皆様と共に胸を張っておられる御姿の方が断然お似合いでございます。メリーナ様も、そのような主様を見たがっておられるのではないかと愚行致します」
「うぅ……。メリーナも、そうかなぁ……」
『はい、きっと!』
ウルウルと両目に大きな雫を溜めながらそう言ったヒナが復活するのは、それからたっぷり10分ほど泣いた後だった。




