236話 魔王と冥府神
マッハがようやく巡り合えた『本気の手合わせ』を滅茶苦茶にされて怒りに悶えていたその時、魔王とその妹である冥府の神は目の前のモンスターをどう料理しようかと空中を漂いながら考えていた。
アスモデウスを相手にすることは厄介ではある物の、倒す手段なんて無数に持っているヒナからしてみれば、そこまで苦労する相手ではない。まだダンジョン攻略の際に相手にした神の方が辛い。
それこそ、今は最高の相棒であるソロモンの魔導書を所持しているので、神の槍でも打ってしまえば跡形もなく消し炭に出来るだろう。
死神がその高すぎる魔法防御力で魔法使いを圧倒する存在ならば、アスモデウスはまるで逆。その高すぎる攻撃力でプレイヤーを寄せ付けず、攻撃は最大の防御という言葉をこれ以上ない程体現している存在だ。
ただ、逆に言ってしまえば相手の攻撃を受ける前にその存在事消してしまえばそこまで面倒な相手ではない。
「これを呼び出したプレイヤーの目的は分からないけど、私達がこの場所にいるって分からせればとりあえず撤退はしてくれるよね……。それでいて、切り札とかは使わない方針で行くとすると……」
今のヒナは、いつものナヨナヨした人見知り全快の少女では無い。
真っ暗な部屋の中、ただひたすらイベントモンスターを狩り尽くして個人イベントの首位とランキングの王座を守り続けて来た少女だ。
生活の全てをラグナロクに捧げ、誇張でもなんでも無くあの世界で生きて来た魔王なのだ。
開発者を含めた全てのゲーム関係者よりもラグナロク内の事を知り尽くしていると豪語し、所持している魔法はイベント報酬で配られた者以外全て。
そして、それら全ての効果とエフェクト。果てはラグナロクに存在している全てのスキルや装備の効果や組み合わせのパターン、長所から短所まで。その全てを独学で学び、記憶し、全てを即答できるという少女。それが『魔王』だ。
(この場合最適なのは一撃でどうこうするってよりも周りに多少の被害が出ようとも効果が派手で、かつ破壊力がある物が望ましい……。私を魔王だと正しく認識してもらうならメジャーな魔法かスキルを使わないと意味がないよね。イベントの奴だとクリアして無い人はこの世界の魔法と勘違いするかもしれない……? いや、アスモデウスを呼び出せるって事はそれなりにやり込んでる人だからそれは無いか……)
どうすれば神の名を冠するモンスターを効率良く狩れるか。もしくは、最短で倒す事が出来るか。
それを考える時、彼女はただ顎に手を当ててブツブツと小声で自分の考えを復唱しながら頭に思い浮かべ、高速でシミュレーションしていく。
あらゆる可能性を考え、どうすれば自分が望む最適な結果に近付くか。それを考え、実行に移すまでの時間が恐ろしく速いのはもちろんの事、導き出したその答えが正解である事の『確実性』が非常に高いからこそ、彼女は――
「けるちゃんって冥界シリーズの魔法持ってるよね? あれの中で街の被害を最小限に収めながら、見る人にはかなりの絶望を味わわさせるものって言ったら、何が思い浮かぶ?」
唐突な姉の問いに、空中を漂いつつ目の前で自分達に気付かず暴れているアスモデウスをボーっと眺めていたケルヌンノスは一瞬頭を悩ませる。
というのも、ヒナが異常なだけでいくら彼女達でも自身が所持している全ての魔法やスキルの効果を即答できるはずが無いからだ。
ただ、それは魔王の妹だから……というべきなのだろうか。
数秒で“魔王”が望んだ答えを口にした。
「冥界シリーズなら『死に行く者の行進』とかが良いと思う。でも、これは――」
「物量的な意味での絶望だよね、分かってる。そういうのじゃなくて、視覚的な情報から見ての絶望って意味なら?」
「……それなら、冥界シリーズだと迫力不足だと思う。暗黒世界とか魔界シリーズの『ゼロからの再臨』とかの方が良いと思う」
「うーん……なら、けるちゃんは私が合図したタイミングでそれ打ち込めるように準備しといて」
ケルヌンノスが言った魔界シリーズ。それは、マッハの絶対の切り札を手に入れる過程で手に入れた魔法だ。
魔界のステージを攻略する上で手に入れる事が出来る魔法は、プレイヤー間で『魔界シリーズ』と呼ばれ、天使シリーズや先に出て来た冥界シリーズのように纏められている。
そして、魔界シリーズの魔法やスキルは手に入れる難易度が非常に高かった事もあってどれも強力な物が多い。
ヒナがご所望の『見た者に絶望を与える』という意味で使用するならば、これ以上の魔法は無いだろう。
対集団最高火力を誇る魔法では無い物の、魔法の効果範囲を全て無に帰す。
単純明快なその効果はしかし、見る者の心をポッキリ折るだけなら十分だろう。なにせ、アイテムや魔法などで守護されていようが関係なく全てを“無かった”事にする魔法だ。
モンスターやプレイヤーはもちろん、そこに存在する建物やマップ効果等の特殊な物も含め、全てを。
「……待ってヒナねぇ。でも、この魔法使ったらこの国滅びない……?」
「大丈夫。そこは私がなんとかする」
「なんとか……」
なんだそのふわっとした言い方は。そう思いつつも、ヒナならばなんとかしてくれるだろう。そう思わせる信頼と過去の実績、そして実力があるのが彼女だ。
国が滅びようが、今大切なのは“自分達家族の恩人が大切に想っていた場所”を壊そうと攻撃を仕掛けて来た愚か者を後悔させる事の方が重要だった。
「一応まーちゃん達のとこには効果が及ばないようにしてね。流石にそこまでなんとかできる自信は無いから」
「効果範囲絞れって事……? またヒナねぇは、難しい事を簡単に言う……」
そもそもゲーム内ではそんな器用な効果を及ぼしてくれる魔法はおろか、スキルや装備、アイテムの類は存在していなかったはずだ。
彼女は「この世界はゲームじゃ無いんだから望んでその魔法が及ぶ範囲を設定出来るでしょ?」と言いたげに……それでいて――
「私のけるちゃんなら出来るでしょ?」
「……」
そうやって笑みを見せると、ヒナ――魔王は、一気に飛翔速度を上げてアスモデウスへと向かって行く。
その場に残された冥府神は1人、はぁと呆れたようなため息を吐きつつもポツリと言い放った。
「それくらい出来なきゃ、ヒナねぇの隣になんて立てないよ」
ギュッと力強く握り込んだ小さな己の手のひらを見つめつつ、小さく浅く息を吐く。
(私はただ、ヒナねぇに望まれたからここにいる……。その望みを叶えるために、ここに居る……。思い出せ、私の……マッハねぇとたる、皆の存在意義を)
心の中で小さくそう呟くと、ケルヌンノスは己の体内で静かに魔力を練り始めた。
最大威力で、それでいて効果範囲はヒナが望むような範囲を予想しつつ、マッハ達を巻き込まぬよう細心の注意を払いながら徐々に狭めていく。
ゲーム内ではおろか、この世界に来てからそんな器用な真似はした事が無い。
もし、失敗したらマッハやイシュタルすらも魔法に巻き込まれて“無かった”事になる可能性も十分に考えられる。
それどころか、ヒナだってこの魔法の効果を受ければただでは済まない。彼女ならどうにか躱してくれるだろうし、それを承知で使うよう指示を出してくれているのだから大丈夫だと信じたい。
ただ、可能性としては『ある』と言っていい。
自分の大好きな人達を守る為。そして、他でもない自分の手で今の幸せな生活を手放さぬよう、かつてない程神経を集中する。
一方ヒナはと言うと――
「ムラサキ、周囲にいる冒険者を30秒以内に避難させて。邪魔」
「うわ! ビックリした……。ていうか、なに? なんて?」
突如出現した格上すぎる大悪魔を相手にたった1人で立ち向かっていた狐の面を被った女は、突如背後に出現したヒナの声を聞いた瞬間、一瞬でその動きを止めた。
いや、それよりも――
「君、ほんとにヒナか……? 別人にしか見えないが……」
「今はそういうの良いから。逃げ遅れた人が居ても、それは私の責任じゃないからね」
普段のオドオドした態度を知っているからか、余計にムラサキの混乱は大きい。
いつもはどこか安心しながらも気の抜けるような可愛らしい声の少女が、今は酷く“怒り”ながら、ドスの利いた声でそう指示を出してくるのだ。
今ここで彼女の意に添わぬような発言をすれば、その瞬間に生命の終わりが訪れる。そう、予感がした。
「私にだって、秘密にしたい事はあるんだけどね……」
そうボヤきつつ、ムラサキは一瞬でその場から姿を消した。彼女が居なくなった後、上空にはその辺に転がっているようななんの変哲もない石ころが空中にポツンと出現し、瞬く間に星の重力に逆らう事無く落下していく。
(私の魔法であいつを倒しつつ、けるちゃんの魔法でこの光景を見てるだろう魔法使いの心を折る。その後、私がその事象を“消して”しまえば、私を相手にすることは無いよね。ていうか、まーちゃんの方はもう終わったの……? 意外と早い……というか、もう少し楽しむかなって思ったのに)
マッハが戦って居れば、その余波は当然ヒナにも感じ取れる。
だが、もう既に彼女が戦闘中という気配は感じられない。なにせ、死神の圧倒的な存在感やあのうるさい金切り声が聞こえない。そればかりか、建物が新たに崩壊していくような音すらも聞こえないのだ。
マッハの手合わせ相手には充分なってくれるだろう。
そう思って彼女を向かわせたので、もう少し良い勝負をするだろうと予想していたヒナからしてみればこんなに“早く片付けてしまう”のは想定外だった。
マッハが死神程度に手こずるとはもちろん思わないが、死神相手に数分で決着を付けられるような性能差はしていない。それは、制作者であるヒナが一番分かっている。
(何か想定外の事が起こって切り札を使ったって考える方が自然……? なら、悠長にしてる場合じゃないか。グレンがいるとは言え、絶対はないってこの前学んだばかりなんだから……)
そこまでの思考を1秒足らずで行うと、先程ムラサキに言い放った『命令』をフル無視し、即座に魔法を発動させる。
「ごめん、私もさっさと帰らないといけない理由が出来た。とっとと消えてくれる?『有象と無象』」
その瞬間、アスモデウスが出現した範囲を全て包み込むように黒を赤をごちゃ混ぜにしたような独特な光が出現する。
その魔法が発動し、完成に至るまでの時間は4秒と非常に長い。だがしかし、その間になんらかの対処をしない場合――
「そんなの、許さないよ」
「今でしょ、ヒナねぇ」
ヒナの合図を待たず……というよりも、ヒナが合図を出そうと思っていたまさにその時だった。
その意図を完璧に読んでいたケルヌンノスが魔法を発動させる。それは、今まさに状況を察してどうにか逃れようともがき暴れ出したアスモデウス……ではなく――
「流石けるちゃん。完璧」
「マッハねぇがもう終わらせてる。これくらい、当然」
全てを“無かった”事にする絶望の魔法が、シャルティエット商会の建物がある『特定の場所』にだけ、降り注いだ。
本来はその数十倍という圧倒的な効果範囲を誇る強大な魔法を1人のプレイヤーがいるだろう場所に……しかも、圧倒的な精度でやった事が無かった『魔法の効果を絞る』というゲーム内ではありえなかった事を平気な顔で行いながら。
「まーちゃんの楽しみを奪った罪と、私達の大切な人が暮らした場所を壊した罰」
「受けてもらう」
全てが完了した数秒後、魔王と冥府神は静かにそう零した。
暗雲が立ち込めていた空は、2人の神の圧に耐え兼ねて大粒の涙を零し始めた。




