233話 傲慢な天使
ヒナがシャルティエットの屋敷を出て数秒後、応接室に残されたマッハとイシュタルは、同じく残された4人を――いや、正確にはグレンを見つめ、言う。
「じゃあ、私らはヒナねぇが言う通り死神倒してくるから!」
「ん、こっちの警護は任せる。もし不測の事態が起こったら、せめて雛鳥とそっちの女の子だけは守って」
2人にとって、何よりも優先するべきなのは自分達の命。それは間違いない。
高々死神を相手にするのに命を落とす自分達の姿なんて想像できないが、その万が一があったり別の敵が潜んでいて命を落とす。なんて事になれば、ヒナは間違いなく後を追う。
そんな事はさせないし、イシュタルに関してはもう自分だけの命では無い。人に……メリーナに救われた命だ。そんな命を、今まで以上に簡単に奪われて良いはずが無い。
だが、次に重要なのは雛鳥とシャルティエットの命だ。
偶然この場に居合わせたメイリオの命に関しては、残酷なようだが死のうが生きようがどちらでも良かった。この世界の人間なら最悪蘇生魔法が機能するので死なれようが問題は無いのだ。
ただ、シャルティエットには一度だって“死”を経験してほしくは無い。彼女とメイリオとの差は、そこだ。
「了解いたしました。ですが一つだけ……。わっちが行けば、物の数秒で片付く案件かと思われますが、そうしないのはなぜでしょうか?」
恭しく……それこそ、雛鳥よりも執事のような対応のグレンは、ペコリと頭を下げながらもヒナが紡いでいく言葉を黙って聞いていた間、ずっと疑問だった事を述べる。
死神はヒナでも厄介だと言わしめる程の高い魔法防御力を誇り、対魔法使いを考えるなら最強の召喚獣という呼び声も高い。
ただし、ラグナロク史上最強の召喚獣であるグレンには関係ない。そんな魔法防御は易々と貫通できるし、彼女の主な攻撃手段は別に魔法では無い。マッハと同じく剣士……とは少し違うが、物理的な物だ。死神の高い魔法防御力など、それこそなんの意味も持たない。
「ん~、それは私も同意見だけどさぁ……多分ヒナねぇは、そんなこと考えてないんだよ。数日前、私とヒナねぇが2人きりになるタイミングがあったから少し手合わせしてたんだ~。最近手ごたえのある勝負をしてないせいで腕がなまりそう~って言ってさ」
それはイシュタルも初耳だったので『何勝手な事を……』と言いたげな視線を姉に向ける。
無論今この瞬間も死神は宿舎を攻撃し、そこを守ろうとしている護衛部隊の面々の命が春に咲く桜のように儚く散っている。
だが、どうせ蘇生出来るしマッハ達にしてみればどうでも良い人達の命よりも、今この瞬間の方が大切なのだ。彼女達に『困っている人を助けよう』という正義の心なんて、本当に欠片しか存在していないのだから。
「流石にヒナねぇ相手だと怪我させちゃいそうで怖いから、良い感じの相手を魔法で呼び出してもらって勝負したんだ。相手は私に一撃与えられたら勝ちで、私がその前に相手を殺せたら勝ちっていう」
「……ふむ。それで、どうだったのですか?」
「装備とか諸々交換しながら何戦かやったんだ~。それこそ神遣いともやったし、シャングリラとも戦ったし~……アスタロトとも久々に戦ったかな? でも、死神とは戦わなかったんだよ~。流石に物理攻撃を伴う相手と戦うってのは、たるが居なかったのもあってヒナねぇが許してくれなくて」
万が一死神がマッハの腕や足を切り落とした場合、イシュタルが帰ってくるまでその治療が行えない可能性が高い。
召喚獣を呼び出しても、最も治癒能力が高いのがイシュタルなので役に立たない可能性も十分に考えられる。アイテムだってそうだ。十全に効果を発揮してくれるか分からない現状、ヒナにその博打を打つ勇気は無かった。
ただ、今はその頼みの綱であるイシュタルが存在している。
彼女が居れば部位欠損は瞬時に回復出来るのでそこまで大きな影響は無いし、今マッハはメイン装備を着用している。つまるところ――
「私がダメージを受ける事は絶対ないけど、死神レベルの相手なら良い感じで手合わせが出来るだろ? その機会を作ってくれたんだと思う!」
「……なるほど。参考までにマッハ様、わっちとお手合わせをしてくださるという可能性は、今後あるのでございましょうか?」
グレンにとって、ヒナがそう決めたのであれば余程の事が無い限り異議を唱える事はしない。
しかしながら、今彼女にとって大事なのは“他の面々には任されたのに、自分に回ってこなかった手合わせの相手に、今後自分が選ばれる可能性があるのか”という点だ。
非常に嫉妬心と独占欲が強い彼女だが、それらは何もヒナ相手だけに燃やす訳では無い。
その家族にだって、ヒナに及ばないまでも他人からしてみれば異常というレベルの執着をしているし、自分以外の人間が彼女達の傍を歩くなど絶対に許せない。
雛鳥はヒナ直々に『家族』という最も重い言葉で紹介されたので受け入れる事が出来たが、手合わせの相手となると話は違う。
それはまるで、孫が祖父には甘えるのに祖母の自分には甘えてくれない……どころか、見向きもしてくれないような物だ。
(そないな事、許せるはずが無い……。もし、選んでくださらないのなら……わっちは、次そやつらと顔を合わせる機会があれば、殺さないという選択を取れぬやもしれぬ……)
そんなことを本気で考えるくらいには、グレンもレベリオ同様頭のネジが数分飛んでいた。
ただ、マッハとヒナが彼女を手合わせ……言い換えて見れば、稽古相手に選ばなかったのにはちゃんとした理由がある。
「だってグレン、私達相手にそれ本気で振れるの? 無理でしょ?」
マッハはそう言いながら、彼女が今も小脇に抱えている巨大な鎌を指さす。
ヒナだって鬼では無い。自分を慕ってくれている彼女に対し、マッハを本気で殺す気で挑んでくれ。なんて言えないし、仮にイシュタルが居たとしても候補には挙げなかっただろう。
そして、そんな事を言われて『問題無い』と豪胆に言えるほど、グレンは――
「……面目ありませぬ」
彼女達の事を大好きすぎるが故に、たとえ訓練だの手合わせだの、そういう名目だろうが本気で武器を振るうなどできない。
そもそもが、その愛しい笑顔と声を聞けば自然と胸が高鳴り幸福感を覚える存在を前に殺意なり怒りの感情を沸かせ、武器を振るえという方が無理な話だ。そんな事が出来る人間は、恐らく魂が腐りきっている。グレンは、本気でそう思っている。
そして、そんな――自分が一方的に悪いのであれば――グレンはしっかり、自分を律する事が出来る。
今回ばかりは仕方がないと割り切り、彼女を笑顔で送り出してあげる事が出来る。
「では、こちらはお任せくださいませ。お早いお帰りを、お待ちしております」
「うん! あんまり被害広げると後でヒナねぇに怒られそうだから、なるだけチャチャッと終わらせるつもり!」
この3分ばかりの会話でどれだけの命が余計に失われたのか。そして、建物全体にどれだけの被害が出たのかはすでに頭に無いらしい。
ニコッと微笑んだマッハは、いよいよ呆れかえっているイシュタルに「ごめんじゃん!」と軽く謝ると、風のような速さで部屋を飛び出し、暴れる死神の元へと急いだ。
部屋に残された雛鳥、シャルティエット、メイリオの3人は、彼女達が消えた瞬間露骨に不機嫌になり、偉そうにふん!と鼻を鳴らしてソファにふんぞり返って腰を下ろした女を見やる。
「わっちが悪いのは認めるが……それでもなお、諦められぬこの衝動はどう発散するべきか……」
答えを求めるわけでは無かったその独り言に、勇気を振り絞りながらも雛鳥がポツリと話した。
「マッハ様に仮面でも付けてもらい、その上でいつものお洋服を着られた状態であればあなた様もその力を存分に発揮できるのではありませんか……?」
声は震え、顔は若干引きつっていた。
ヒナに家族だと紹介されて自分に危害が加えられる事は絶対に無いと分かっているが、圧倒的上位者の不機嫌オーラを目の当たりにしておいて平常で居られる心など、彼女は持ち合わせていない。
ただ、グレンがマッハ相手に本気になれない理由は雛鳥も同じ気持ちを共有する者として理解できる。なので、言葉にしてみたのだ。
上手く行けばグレンの機嫌が戻るのはもちろん、彼女の中の自分の立ち位置がより良い物に変わるような、そんな気がしたから。
そして、そんな雛鳥の目論見は――
「……なるほど、一考の余地はある。あの尊いご尊顔を目の前に居ながら一時でも拝見出来ぬのは心苦しくはある。が、わっちがあの方のお役に立てるという事であれば、それもまた我慢するに足るという物か……」
ヒナ達から、自分が来る前はグレンがよくマッハ達の遊び相手をしていた……という話を聞いていたし、ヒナの話し相手としても度々呼び出されていたと聞いている。
傍から見ればそれは誰にでも任せられるような案件では無いし、むしろ彼女に従うほぼ全ての召喚獣の望みなのでは無いか……。なんて考えたりもするのだが、言わぬ方が華だろう。
本当に自分達の護衛を任されているのか。そう文句を言いたくなるような態度で椅子に座り、あまつさえ真剣に考え事をしているようにしか見えない唸り声を何度も上げるその姿からはヒナと同等かそれ以上の力を持っている……なんて想像できない。
だが、せっかく役目を与えられたのにそれを十分に行えない召喚獣に次が来ることは無い。それは、雛鳥自身も知っている。
(大丈夫……この方は、今はこうだが実際何かあれば絶対に守ってくださる……)
その安心感は、傍にヒナが居る時と同様の万能感へとすぐさま変換される。
彼女が傍に居ながら命を落とすのであれば、それはきっとヒナが傍にいてくれていたとしても結果は変わっていない。
そして、メリーナの件があった今、ヒナが傍にいてその周囲の人が命を落とすなんて事は――
「どうやら、心配するだけ無駄なようじゃな……。どれ、さっきは本人がいて聞けなんだが、ちょうど良い。ヒナの事について、教えてくれぬか? わしはまだ、あの娘についての情報を一切知らぬ物でな」
雛鳥の心を読み、この場が現状この世界のどこよりも安全だと悟ったシャルティエットは、目の前の存在のご機嫌を取る事にシフトした。
そんなあからさまに不機嫌なオーラをムンムン漂わされる時間が、マッハかヒナが帰ってくるまで続くなんて耐えられない。ならば……人の心を読む事の出来る自分であれば、相手の機嫌を取る方が賢いと考えたのだ。
ただし、この場合は相手が悪すぎた。
「お主、勘違いするでない。主様からのご命令故、この場での貴様の命は保証してやろう。だが、わっちに何事かをご命令し、また来易く言葉をおかけになって良いのは主様、もしくはそのご家族の方だけじゃ。その不愉快な探知も今すぐ辞めよ。出なければ、次に会った時の命は保証せぬ」
「っ! そうか……悪かったの」
顎を引き、女王様と呼ぶのが相応しい態度を取るグレン。彼女は、どれだけインフレが進んだラグナロクであってもヒナが最後まで“こいつはダメだ”と意見を変えず、運営にその真の力を晒さなかった数少ない切り札だ。
その力は、ヒナでさえ気が付かなかったシャルティエットの“特性”を瞬時に見破った。
「分かれば良い。さて……主様は、いつご帰還されるやら……」
はぁと深いため息を吐いたグレンは、雛鳥に言われた案を再び検討し始めた。
その背中から、不機嫌なオーラに加えて若干の不愉快感と怒りの感情をメラメラと噴出していた。




