23話 命とは
しばらくして泣き止んだヒナは、数秒後に恥ずかしくなったのかポッと頬を染めて3人に「今の忘れて!」と必死に頭を下げる。
だが、当然3人はニコニコと満面の笑みを浮かべて示し合わせたかのように同時に「一生忘れない」と頷く。
念のためイシュタルがマッハに回復魔法をかけようとするが、そもそもHPが減っていないのだから発動すらできず、ヒナに大丈夫だと微笑む。
それでホッと胸をなでおろしたヒナは、そう言えば……と口の中で呟く。
「ここにいた人、蘇生できる……? 私その、何も考えずに神の槍神の槍打っちゃったけど……」
自分で人を殺さないでほしいと言っておきながら自分が一番にその手を汚したなんて笑えない。
それに、その事に対して全くと言っていいほど罪悪感を感じていない自分に驚いてしまう。まるで虫か何かを殺した時のように何も感じていない……と言うよりは、マッハが無事かどうかというのに全神経を注いでいたせいで、その他の事なんて気にしている場合では無かったというのが大きい。
ヒナもあまり自信は無いが、通常の状態で人を殺したらまず間違いなく躊躇するし殺せない。
だけど、家族に危害が及んだ場合は別だ。そう、改めて自覚した。
一方のイシュタルは、自身が保有している蘇生魔法を試してみようとするが、なぜか対象が定まらない……というか、蘇生魔法を発動できない事に困惑の表情を浮かべる。
本来蘇生魔法を使う際は対象の遺体の一部が必要なのだが、彼女は『輪廻転生』というラグナロクに存在している最上級の蘇生魔法を扱える。
それは遺体の一部どころか、死んで1時間以内であればどこからでも、それこそ遺体がなかろうとその場で蘇生できる。
だが、それも蘇生の対象が定められないのでは意味が無い。
「……無理そう。なんか、空を掴む感じで途方もないというか、本能的に無理って分かる」
「そ、そう……。もしかして、蘇生魔法自体がそもそも効力を持ってないの?」
「それはない」
イシュタルはそう断言すると、近くのブラックベアの死体に右手を向けて蘇生魔法を発動する。
ブラックベアの魂があの世から現世へと呼び戻され、ケルヌンノスの魔法によって消滅した命の灯を再びその肉体に蘇らせる。
「ぐぁぁぁ!」
蘇った1頭が爪をキラリと光らせてマッハへと迫る。
だが、彼女が何かする前に不機嫌そうにはぁとため息を吐いたケルヌンノスがスキルを使ってその頭をぐちゃっと捻り潰す。紫色の血液がドバっと広がるが、見えない何者かがそれを振り払って4人にそれがかかる事は無かった。
「たる、使うのは良いけど急にやると少しびっくりする……」
「あ、ごめんけるねぇ。でも、蘇生魔法自体は機能するんだよ。この人がおかしいだけ」
「え~? じゃあ、私みたいなプレイヤーは蘇生魔法効かないってこと?」
「……」
何気なく言ったその言葉に、ヒナ以外の3人がお互いの顔を見合わせる。
ヒナからしてみれば、やはりこれは夢か何かで、死んだらあの現実に引き戻されるだけなのだろう。そんな具合で発した言葉だったのだが、マッハ達にしてみればそんな単純な事ではない。
そもそも、これは夢なんかじゃなく――
「なら多分、蘇生アイテムの類も無理だよな……。けるのスキルでも無理か?」
「マッハねぇのそれが『魂の導き手』の事を言ってるなら、多分無理。たるが蘇生魔法が効かないって言ってたから一応試してるけど、魂それ自体が無い」
「……やっぱり、冒険とか危険かも」
「え、ちょ、どうしたの皆!?」
マッハ達3姉妹にとって何より大切なのはヒナの命だ。4人での冒険がしたくないのかと言えばしたいと答えるし、例のダンジョンにももう一度行ってみたいという気持ちが無い訳では無い。
ただ、蘇生魔法もアイテムも、ケルヌンノスの持つスキルでもこの世に蘇らせれないとなると話は別だ。
可能性としてはほとんどないと分かっているが、もしものことがあった場合に取り返しがつかない。
マッハ以上の防御力と攻撃力に加え、豊富な魔法やスキルの数々、今までの経験やラグナロク内でもトップのプレイヤースキル。それに加えてソロモンの魔導書を始めとした滅茶苦茶な性能の装備の数々。
これらがある限り、ヒナの身はほとんど安全と言ってもいい。
それに、自分達の内誰か1人は必ずその隣を独占するので、鉄壁以上の防御力を誇ってもいる。それでも、今回のような不測の事態が起こらないとも限らない。
「今回の相手はそうでもなかったけど、たとえばSHIELみたいな人が来たら、ヒナねぇでも危ない。あの人には、私達でも勝てない」
「な、なんであの人が出てくるの!? だ、大丈夫だよ~!」
イシュタルの言うSHIELとは、ヒナに続いて個人イベントの2位を永遠と取り続けている海外のプレイヤーだ。
その装備の数々はヒナのそれと比べても遜色なく、プレイヤースキルもヒナに比べると劣るが、他のプレイヤーと比べた際には頭2つ以上抜けていた。まぁ、ヒナがおかしいだけなのだが……。
そんなプレイヤーが急に現れればただのNPCでしかない彼女達に勝ち目はない。
装備やスキルだけで言えばマッハでも良い勝負は出来るはずだが、そこはプレイヤーとNPCの基本性能の違いだけでどうにかなってしまう範囲だった。
もちろんプレイヤーが作成したNPCは余程のことが無い限りプレイヤーより強くなることは無い。
その余程の事――レア装備を装備させる事や強力なスキルを数多く与える――が起こっているマッハ達でも、流石に個人成績2位のプレイヤーに勝つことはできない。
実際その人物がヒナと戦うとなれば怪しいと答えるしかないが、余裕で勝てるかと言われると絶対に無理だろう。
「……ヒナねぇ、もう一度よく考えるべき。自分の命最優先」
「え、えぇ……? だ、大丈夫だよ~」
「確かにさぁ、私らは多分蘇生アイテムとか魔法がある時点で大丈夫だろうけど、ヒナねぇは未知数だもんなぁ……。少なくともこの……名前は知らないけど、プレイヤーっぽい人がダメだった時点で、ヒナねぇにも蘇生魔法とかが適応されると思わない方が良いよなぁ……」
「マッハねぇの言う通り。少なくとも、もう一度装備とかを見直して、今回みたいな自体が起きても大丈夫なように準備するべき。アイテムの1つも持ってないのは危険」
ケルヌンノスのその言葉に、マッハとイシュタルはコクコクと頷く。
今の彼女達は剣士であるマッハ以外装備もアイテムもろくに持っていない……どころか、手ぶらも良いところだ。
もちろん装備はしっかりと身に着けているしイシュタルが回復魔法をある程度使えるので何が起こっても大抵は問題ないのだが、ダンジョンに行った時もそうだったように、アイテムは最低限持っておくべきだ。
たとえば魔法使いには生命線である魔力回復のポーションなんかが良い例だろう。
イシュタルもその魔法は扱えるし、ヒナもイシュタルも魔力の量は膨大でほとんど尽きない。
それに、ヒナはいざとなれば魔力の全回復が行える装備を身に着けているのでその心配はないかもしれないが……持っておくにこした事は無いだろう。
それに、ソロモンの魔導書じゃないにしてもそれ相応の武器は全員が持っておくべきであり、今回みたいな自体に遭遇したとしても余裕で対処できるようにしておかなければならない。
いつもマッハが近くにいるとは限らないし、装備無しの最低限の攻撃でどうにかなる相手ばかりじゃないかもしれないのだから。
「油断していてヒナねぇが死にましたとか言われたら、私達はたぶん自分を許せなくなる。だから、各々装備とアイテムは持っておくべき。完全装備はする必要ないし、万が一にも盗まれたら大変だから最低限で良い。だけど、逆に言えば最低限でも武装はしておくべき」
「賛成~。ヒナねぇも、それで良いよな?」
「え、えぇ……。まぁ、私的にはどっちでも……」
ヒナは自分がどうこうなる姿なんて想像できない……というより絶対に大丈夫だろうという謎の安心があった。
それに、どうせ死のうとしていた身なので死ぬことそれ自体があまり怖くないというのもあった。
確かにマッハ達3人を失うのが怖くないのかと言われればそんなことは無いが、自分の命と彼女達3人の命どっちが大切かと言われると後者を選ぶ。なので、別に自分の命はどうでも良かった。
「……ヒナねぇが死んだら私達も死ぬ。だから、ヒナねぇも最低限武装して」
ケルヌンノスがジト目でそう言うと、ヒナは数秒思考を停止させる。
そして、考える間もなく胸の前で両手を握って目を見開く。
「え!? なにそれやだ! うん、わかった。これからはちゃんと用意する!」
「…………ヒナねぇ、いつか詐欺にあう気がする。単純すぎ」
「なぁ~、ちょっとどころかめちゃくちゃ心配だわ~」
頭を後ろで手を組んで憐れむような視線を向けてくるマッハに泣きそうになりつつ、隣ではぁとため息をついているケルヌンノスに「なんで?」と視線を向ける。
だが、その無言の問いに彼女が答えるよりも早く、突如として目の前から姿を消した彼女達を追ってきたワラベがその場に到着した。
「お主ら、一体どうしたと言うんじゃ……。いきなり消えおってからに……」
「……別に、なんでもない。こいつらを率いてたボスが生き残ってたからマッハねぇが倒した。ただそれだけ」
本当はヒナが倒したのだが、それを言う必要は無いとばかりにケルヌンノスがバッサリとそう言う。
ワラベもそんな彼女の内心を見透かしたのか、変に首を突っ込むと彼女達からの評価が下がると危惧したのか、どちらにせよ「そうか」と一言言っただけだった。
その首謀者の遺体が残っていないのはどういう事だと問いただしたい気持ちでいっぱいだったし、どういう訳か怒りをあらわにしていたヒナがいつも通りの彼女に戻っている事も不思議だった。が、やはり同じ理由でワラベは何も聞かない。
そこら辺は事情を全て知っているらしいムラサキが来た時にでも丸投げすれば良いのだから。
「とりあえず、御苦労じゃったな。まさか魔法一撃でこ奴らをどうにかするとは思っておらんかったが……。見た目だけの判断じゃが、ダンジョンに出てきたぶらっくべあとか言うモンスターはこいつか?」
「そうだぞ~。爪とか皮は結構いい素材になるんだ。私らは腐るほど持ってるからいらないけど」
「そうか……。ちなみに、こ奴の肉は食えるのか?」
「素材がドロップした事無いからわかんないけど、私は好んで食べようと思わないな~。こいつの肉、絶対臭いもん」
「マッハねぇに同意。絶対獣臭い……」
見た目だけで判断するなと言いたいところだったが、素材が取れるというだけで万々歳だし、そもそも市場に一切出回っていないモンスターの素材などその価値は計り知れない。
一度に売り捌いてしまうと優良株を二束三文で買いたたかれる可能性もあるので要検討だが、未知のモンスターの素材はいくらでも使い道があるだろう。
ギルドにとっても莫大な利益になるのは間違いなく、至福の労働になるだろうことは想像に難くない。
その肉に関してはワラベの個人的な興味から聞いたものだが、見た目で言えばただの熊とトラなので獣臭いというマッハとケルヌンノスの意見には同意するところだった。
ただ、一定数物好きという者は存在するので、その肉もいずれ市場に出回る事になるだろう。
それが美味いかどうかは神のみぞ知るところだろうが……。
「ちなみに聞いても良いか? 今回、お主らは全力を出したのかの……?」
「……何度も言うけど、今の私達は装備が無いから全力を出せない。それに、装備ありであの魔法を放とうものなら街が死人で溢れる。装備があったらもっと別の魔法を使ってる」
「なっ!? い、いや……そうか……。ともかく、今日はお主らのおかげで助かった。ムラサキの奴が来たら、約束通り報酬を渡すとしよう」
「お! やったね! お菓子だおかし! あのムカつく狐っていつ頃来るんだ!?」
「そりゃわしには分からぬが……なるべく急ぐよう伝えようかの。予定が無ければ2・3日後にまた来るがよい。どうせロアには泊まって行かんのじゃろ?」
彼女達の住処がどこにあるのかは知らないが、飯もそこまで美味しくない街に彼女達が泊まるとは思えない。そう思って尋ねると、ケルヌンノスが何を当たり前のことをみたいな顔で見つめてくる。
その態度には苦笑しか出てこないが、自分だってこの後びっしり予定が詰まるはず――このモンスターや事態の後処理等――なので、ヒナ達がロアに滞在する場合は面倒が起きないように対処する必要もあった。
彼女は元冒険者というだけであって超人ではないので、人並みには疲れるし愚痴も吐く。なので、これ以上の面倒は御免だった。
「なら、明後日また来ることにする。その時にあのムカつく狐が来ててお菓子を持って来てる事を期待してる」
「分かった、伝えておこう」
「ん。やっぱり、お前は話の分かる良い奴」
ワラベにピッと人差し指を向けてぎこちなく笑うケルヌンノスにどうもと頭を下げ、森へと足を向ける彼女達を見送る。
その背中が見えなくなったところで、モンスターの死骸が無数に広がる戦場……いや、虐殺の現場に、1人の叫び声が響いた。
「なんなんじゃあいつらはぁぁぁぁぁ!」
その後に小さく響いた「わし、この職向いてないかもなぁ……」という愚痴は、誰に聞かれるでもなく風に流されていった。




