225話 恩人の軌跡
世界的にも高い評価を受け、数々の支店を出しているシャルティエット商会が、最近その動きを極端に鈍らせている。そんなこと、ヒナに説明したところで半分も理解できないだろう事は重々承知だ。
だが、用件だけを伝えてもそれはそれで意味が分からないと言われかねないので、ムラサキは渋々その話をする事となった。
「……雛鳥、今の話分かった?」
「えぇ、まぁなんとなくですが。つまるところ、世界に渡し届けられる物資そのものが少なくなってしまったせいで価格の高騰が起こっている……という事ですよね? 貴重品はさらに貴重に。生活必需品や食料なんかは、数そのものが少なくなってしまったので価格が上がった……と」
ムラサキに確認するように雛鳥がそう問いかけると、彼女は少しだけ驚いたようにしながらもコクリと頷く。
雛鳥ほどの頭の良さが無くてもこれくらいの問題は易々理解できるはずだが、なにせヒナは学校にまともに通っておらず、人生の全てをラグナロクに捧げてきた少女だ。
無論価格の高騰等のプログラムはゲーム内に存在していたが“ゲームシステム”以上の事は理解しようともしておらず、自分のプレイスタイルにさほど影響しなかったので調べようともしなかったのだ。
ただ、計算の途中式が分からずとも答えだけは導き出せる小学生。あれと同じように、なぜそうなるのかは分からずとも、結果どうなる……という大事な部分が分かっているのだから、それ以上勉強しようとしなかった。
そんなくだらない事を勉強するくらいなら狩りをしたいし、新しい情報だったり装備や武器の効果を暗記する時間に当てたい。そう思う少女だったのだから仕方ない。
そして、雛鳥だってその事は重々承知だ。
この先の話に彼女が着いて行けるよう、最適と思われる説明を数秒で考える。
「ヒナ様、例えばアップデートでモンスターから入手できる素材のドロップ率が下がったとします。それを店で売る時、価格は上がりますか? 下がりますか?」
「? 上がるよ? ドロップ率下がったのに価格がそのままだったらおかしいじゃん。入手難易度とこっちが受けられる恩恵が釣り合ってないもん」
「今、この世界で起こっているのはそういう事です。物が無いので、今ある物を高値で売るしか無いのです。商人達にも生活がありますので」
「あ~そういう事? なるほどね!」
訳の分からない単語がいくつも出て来たな……なんてのんきな顔をしていたムラサキだったが、マッハに早く先を話せと促され、コホンとわざとらしく咳ばらいをする。
「で、今その原因を作っている商会がシャルティエット商会って言うんだけど――」
「メリーナの本出してるとこ?」
「あ、知ってるんだ? そうそう、そのおっきな商会」
イシュタルのその言葉に小さく頷きつつ、彼女自身も持っているとばかりに懐からその本を取り出して見せる。
ヒナからしてみれば恥ずかしくて見たくない物だろうし、すぐ近くにはメリーナが眠るお墓がある。まさか彼女も、自身の恋文が目の前で大っぴらにされるなんて思って居ないだろう。今頃赤面して地面を転げ回っているかもしれない。
ただ、無情にも話は続く。
メリーナの黒歴史と言っても良いそれをポンと膝の上に乗せたムラサキは、こう続けた。
「この本を書いたメリーナという少女に、私は一度面会しているんだけどね? 君達がこの本を読んだかどうか……いや、その顔はもう読んだね?」
「うん、読んだ。……じゃない、オリジナルを読んだ」
一瞬認めてしまいそうになるが、ヒナにこの本を買った事がバレると絶対面倒な事になるので、隠すと決めたのだった……。
そう思いだしたイシュタルが、雛鳥を見つめながらそう言った。
「はい。メリーナのその本にはオリジナルが存在します。ヒナ様含め、ここに居らっしゃる全員、目を通しております」
雛鳥の親がメリーナである事は言わなくて良い。ただ、そのオリジナルを見ているので自分達の方が優位に立っているんだぞ。そう言いたいだけの見栄だった。
ただ、ムラサキはその事に気付かず「オリジナルがあるんだ……」程度で、さほど興味は示さない。当然だ。彼女だって、一歩間違えば命を落とす存在と長く関わりたいとは思って居ないのだから。
しかし、そんな“つまらない”反応をする事だって、彼女達にとっては地雷だったりする。なにせ、自分達がせっかく“ヒナにそうあってほしい”と思われている可愛い行動をしているというのに興味を示さない。つまるところ、自分達の大好きな人を否定されたと勝手に思い込み、ムラサキの評価がまた一段階下がる。
ワラベの評価が高いのは、彼女は興味が無くとも一応はそれらしい反応を返してくれるし、興味が無いという態度その物を表に出さないからだ。
一方でムラサキは、マッハ達にすら分かる『私は興味ありません』という態度を取る。その差で、彼女達の評価は雲泥の差になっているという事だ。
「うん、まぁ良いよ。読んでるなら話が早い。この本の作者であるメリーナって女の子は、シャルティエット商会に所属していた護衛の1人でね。商会の長でもあるシャルティエットお嬢様にかなり気に入られていたみたいなんだ」
自分の評価がまた一段最悪な物になった事なんて知る由もないムラサキは、地雷を踏んでいないか注意しながら言葉を選ぶ。
「その彼女が、最近塞ぎこんでいるせいで商会の動きに著しい影響が出ているみたいでね。私個人の意見としては、そのお気に入りの少女に何かあったんじゃないかと睨んでいるんだけど……情報を持ってたりするかい?」
「『……』」
その場の全員、何も言う事が出来ずただ背後にあるメリーナの墓を見つめる。
言葉は、いらない。それだけの行動と、彼女達の性格を知っているムラサキだからこそ、それがどういう意味なのか、正確に知る事が出来る。
「そうか……。なら、一応伝えておこう。シャルティエット商会は私が普段過ごしているメイシア人類共和国という場所に拠点を構えている。そこにメリーナも住んでいたようだよ」
「……その、シャルティエットって人に面会するには、どうすれば良いの?」
「もし都合が付くのなら、私の方から頼んでみよう。話をすれば、断られることは無いはずだ」
冒険者ギルドという、シェイクスピア楽団とはまた違った意味で“世界一の組織”の創設者であり、その長という肩書では無理だとしても……。
この世界で圧倒的な力を持つ冒険者を庇ってその命を落とし、その冒険者達が面会を求めている。そう言えば、彼女だって面会の約束を取り付けてくれるのではないか。そんな、希望的観測から出た言葉だった。
だが――
「もしそれだけで足りないのでしたら、メリーナの……子供が、会いたがってるとお伝えください」
子供。その言葉を若干のためらいと共に口にした雛鳥は、その言葉で全てを察したのだろうムラサキと、何かを言う訳でも無いヒナ達に心から感謝した。
自分だってこんな辛い話をいつまでもしたくないし、メリーナがこの世界で誰かに気に入られるほどの事をやってのけたのだ。そんな嬉しさと若干の寂しさを覚えていた。
ヒナの事以外には興味を示さなかった彼女が、どうやってそんな大物に気に入られることになったのか。非常に興味があるが……
「直々に、感謝を伝えなければなりません。皆様も、同じ気持ちだと思います」
彼女達は、きっと何も言えない。
雛鳥からだけではなく、シャルティエットという名前以外何も知らない少女からも、メリーナを奪ってしまったという申し訳なさで後悔の渦に飲み込まれている事だろう。
いくら清算したつもりでも、やはり後から彼女の生きた軌跡を踏みしめる時が来たならば、その時そのときで傷を負うはずだ。それ程までに、彼女は偉大な事を成し遂げたのだから。
「分かった。必ず伝えよう」
「はい。恐らく、この話し合いが終わった後すぐ、私達はそのメイシア人類共和国という場所に向かうと思われます。ですので、日程は先方に合わせます」
「……だったら、中央街と呼ばれている場所の近くにメイシア人類共和国支部の冒険者ギルドがある。そこに宿を取っておこう。そこなら、私がすぐに対応出来る」
「お気遣い感謝致します。それと、後ほどその国の詳しい場所を教えていただけますと幸いです」
「あぁ、分かった」
なぜ部下と上司のような会話をヒナ達相手に出来ているのか。そして、なぜ自分が“部下”ではなく“上司”の側で会話が進んでいるのか。
それは全くもって謎だったが、とりあえず深く考えない方が良いだろうと頭を切り替える。まだ、話が全て終わった訳じゃ無いのだから。
「それともう一つだけ、君達の耳に入れておかないといけない事があるんだけど良いかな?」
「……なんだよ。まだメリーナ関係でなにかあるのか?」
「いや、違う。ブリタニア王国の内情が、最近不穏な気配を見せていてね。最悪の場合、近いうちに戦争……ないしは内戦が起こると思われる。あそこには、エリン王女がいるだろう?」
その報告に、一瞬眉を顰めたマッハだったが、すぐにあっそと言いたげな顔でプイっとそっぽを向く。
この報告だって、メリーナの時と同様……もしくはそれ以上に動揺するかと思って居たムラサキは混乱する。
彼女達にとっての大親友でもあるエリンが戦死するかもしれない……なんて、考えもしないのだろうか。
いくらマーリンやシャトリーヌがいるとはいえ、世界の数か国……もしくは神の血を引く者達を相手に生き延びられるとは思えない。
そこにエリンを加えたとして、勝算がどの程度上がるのかは高が知れている。彼女達ならば、すぐにでも助けに行きたい。そう言うと思っていたが――
「エリンのところから救援要請が来るまで、私達は手を出さない。自分からズケズケ上がっていって勝手にお世話するのは、友達のする事じゃない。ね、ヒナねぇ」
「う、うん……。お節介って思われるかもしれないし……そもそも、エリンは多分、私達を巻き込まないようにすると思う……。どうしてもって時はそりゃ全力で力を貸すけど、多分、求めてこない……」
彼女はあんな見た目と性格のわりに案外脳筋な所があるので予想が外れるかもしれない……とは若干思っているが、どちらにせよ、助けを求められるまで動かないというスタンスは変わらない。
いくら友達の家が大変な事になっていようと、我が物顔で助けに行くのは憚られるのと同じだ。友達だろうが、超えてはいけない一線は確かに存在する。
「でも、ダンジョンに行く前に会ったのが最後だからエリンには会いたいなぁ……」
「マッハねぇ、それは同意見だけど、まずはメリーナの件を片付けるのが先。優先順位は間違えちゃダメ」
「分かってるよ~。その後だよ、そのあと~。けるもそうだろ~?」
「……ん。私も、エリンには会いたい。久しぶりに遊びたいし、雛鳥も自慢したい」
「じ、自慢ですか……?」
彼女達とエリンの関係を少ししか知らない雛鳥は、ケルヌンノスの言う自慢が“お母さんがママ友に自分の子供を自慢すること”として捉えているかもしれない。
しかし、実際は“私達に新しい家族が出来た”と良い顔をしたいだけだ。ヒナ以外の3人にとって、エリンは友達であり可愛い妹でもある。なればこそ、少しだけ上の立場から“自慢”したいのだ。
「まぁうん、それは任せるけど……ともかく、話はしたからね? 後から聞いてないってのは無しで頼むよ」
「ん? うん、わかった~」
マッハが気の無い返事をした事でもう集中力が続かないんだなと正しく理解したムラサキは、雛鳥にメイシア人類共和国の詳しい位置を書いた地図を数分後に届けに来ると約束し、その場から姿を消した。
そして、雛鳥と護衛としてマッハを残し、3人は着ぐるみの両脇を固めながらゆっくり家の中へと戻っていった。
「ねぇ雛鳥……もうこれ、食べて良いかな?」
2人きりになったタイミングを見計らって、上目遣いでそう言ってきた可愛らしい存在のおねだりに、雛鳥が耐えられるはずも無かった。