224話 キツネの訪問
雛鳥達がロアの街から帰還して数日後、朝食を食べ終わって日課のお墓参りをしようと準備をしていた5人は、誰かがここに近付いているというマッハの一言で一気に戦闘態勢へと入った。
1人でこんな森の奥深くに、しかも冒険者ギルドのムラサキやワラベには何があっても冒険者達を近付かせるな。そう過去に通達してもらっているのに近付いてくる人。そんな人間は、かなり限られる。
「マッハねぇ、あいつ?」
ケルヌンノスの殺気がこもった一言に、マッハは瞳を閉じて神経を集中させる。
ヒナは即座に未来視のスキルを発動して全員を守る態勢を整え、イシュタルは防御系の魔法とマッハの素早さをあげる魔法を同時に発動する。
唯一パーティーメンバー扱いされず未来視の恩恵を受けられない雛鳥も、すぐさま支援魔法をヒナに使用する準備を整え、皆の出方を伺う。
「……違う。あいつにしては弱すぎる」
だが、たっぷり2秒の時間を経て返って来たマッハの答えに全員がふぅと息を吐いて警戒を解く。
今彼女達が警戒するに足る人物は、この世界にはあの女だけだ。なにせ、一度でも“魔王”と化したヒナから逃げおおせているのだ。深手は負っているはずだがそれも希望的観測でしかなく、最悪の場合は五体満足で今もまだどこかで悠々と暮らしている可能性がある。
仮にwonderlandの面々がなにかの間違いで攻撃を仕掛けてきたとしてもマッハなら気が付けるし、全員が揃っている状況で負けるはずが無い事は分かっている。
一応雛鳥だけは警戒態勢を解かず、最後の最後まで油断しないよう努めるが……
――コンコン
優しく扉をノックするその音と、向こう側から聞こえて来た優しくどこか遠慮気味な「ヒナは御在宅かな?」と言う女の声でふぅと息を吐き、肩の力を抜いた。
仮に気配や強さを誤魔化している敵対している人物、もしくはそれに準ずる人であればこの距離でマッハが気付かないはずが無い。
それに、彼女達の反応があからさまにホッとしている人のそれなので、自分が警戒する必要は無いと真の意味で理解したのだ。だが――
「ま、まーちゃん出て……」
「ん、良いけど……家、あげる?」
「え、やだ」
有無を言わさず。そんな態度のヒナに、他の4人は思わずポカーンと目を見開き、その後雛鳥以外の3人が揃って呆れたため息を吐く。
まぁ彼女達からしてみればこの家にあげても良い人間はかなりの数だし、この世界の住人に限定するならば今のところ許しても良いと思える人は4人だけだ。その中に、声の主は含まれていない。
やれやれと頭を振りながらも、マッハは扉をゆっくり開けてその前に佇んでいる着物姿の狐の面を被った女を見やる。
自身の索敵スキルに引っ掛かったある程度の強さの人間とはこいつか……なんて思いながらも、その両手に抱えられている紙袋を見ると途端に表情が和らぐ。
「あ! それ、頼んでたお菓子だな!? 今回はどんなのがあるんだ!?」
「あはは……私より興味はそっちか……。その事に関しても色々説明したいから、ヒナとお話しできるかな?」
「ん! ヒナねぇ、ムラサキが話があるって~」
「入れてはくれないのか……」
非常に残念そうに小声でそう言ったムラサキは、以前ブリタニア王国へ乗り込む前にマッハとケルヌンノスの2人と話した切り株へと移動し、ゆっくり腰掛ける。
すると、なぜかたっぷり3分ほどの時間をかけた後、クマの着ぐるみを来た謎の人物が3人の幼女に呆れられつつ、1人の見慣れない女性に手を引かれながら歩いて来た。
「…………あ~っと?」
「お時間を取らせてしまい申し訳ありません。ヒナ様がどうしてもと言われて聞かない物で……」
ワラベの報告によると雛鳥という名らしいその女性は、本当に執事のような態度で恭しく頭を下げ、同時にその着ぐるみをゆっくり切り株に座らせる。
彼女のおかげでその着ぐるみの正体が分かったムラサキだったが、自分が狐の面を付けている事を棚に上げ、若干引いてしまっていた。
(……この子は、一体何がしたいんだ?)
別に今回が初対面という訳では無い。ブリタニアの一件でも顔を合わせているし、今思えばよく生きているなと言っても良い程最悪だった初対面から合わせて考えてもかなりの数顔を合わせている。
だが、未だに彼女の“人慣れ”には合格していないらしい。
そんなムラサキに若干憐みの視線を向けつつ、雛鳥以外の3人は近くの切り株に思い思いに腰掛ける。
雛鳥は相変わらず執事の姿勢を崩す気は無いのか、着ぐるみの後ろで彼女を見守るように直立している。
「ヒナねぇがごめん。でも、これでもだいぶ頑張った方。最初は私達に全部任せるって駄々こねた」
「そ、そうかい……」
別にそんな身構えなくても、彼女を食べたりしないのに……。なんて思いつつ、ムラサキは彼女達の前にお菓子がたっぷり詰まった袋を置き、言う。
「最初に、頼まれていたお菓子を渡しておこう。リクエストはどらやきと他オススメの物をいくつか……って事だったよね。以前好評だった物に加えて、今回は新発売されて美味しいと評判の“たると”と“ふぃなんしぇ”と……後なんだったかな? “ぶりゅれ”とか言ったかな? それも追加しておいたよ」
「おお! ブリュレだってよヒナねぇ! 私らが好きなやつかな?」
「ま、まーちゃん失礼だよぉ……。貰った物は、相手がいない時に開けなきゃ……」
真っ先に袋に飛びつき、その中身を物色しだしたマッハに着ぐるみがアワアワしながら注意する。
失礼云々の話をするなら、人と会っているのに着ぐるみ姿で顔を晒そうともしないのはどうなのか。そうツッコミたくなったムラサキだったが、自分だって人と会う時は基本的に仮面を付けている。失礼云々の話をできる立場で無いのは確かだ。
「えぇ~? むぅ……」
ただ、ヒナに言われるとマッハでも我慢は効くのか、誘惑に負けぬよう雛鳥に袋を預けて自分はちょこんと座って話を真剣に聞く姿勢に移行する。
その瞳はキラキラと輝いており、さっさと話しを終わらせて帰れ!というオーラを発しているようにしか見えないが、今日は生憎話さなければならない内容がかなりの数ある。
(また、嫌われそうだなぁ……)
なんて思いつつ、ムラサキは本題へと入る。
「そのお菓子のお題なんだけどね、昨今世界の経済情勢がかなり不安定な事もあってかなり値が張る。正直、依頼を出したいという例の件も含めると君達の懐事情が心配になるレベルなんだ」
「……な、なんか深刻な話っぽい。ねぇやだ、雛鳥、私帰りたい……。あなたが代わりに話聞いてよ……」
「ヒナ様、先程皆様とお約束なさったでは無いですか。その格好で出る代わりに、どんな話題でも最後まで残る……と」
そんなくだらない約束をしていたせいで待たされたのか……。とは言えないので、苦笑する事でムラサキは返事とする。
その後も何度か帰りたいと後ろの執事に懇願するヒナだったが、イシュタルに「恥ずかしいからやめて」と言われると分かりやすく肩を落として話を聞く姿勢に戻った。
マッハはお菓子の事しか考えていないのか足をブラブラさせながら鼻歌交じりにそのやり取りを見ているし、ケルヌンノスは雛鳥がヒナを甘やかさないか目を光らせているようだ。
これだけで、雛鳥がこの4人の中でどういう立ち位置なのか分かる気がするが突っ込んだら負けだろう。
「懐事情は……た、多分大丈夫……。私、別にお金に困ってない……」
「そ、そうかい……。じゃあ、こっちから逆に提案なんだけど……ワラベに貸してくれていた例の武器、あれをお題の代わりとしてもう少しだけ貸してくれないかい? 正直、あれが無いとモンスターの解体と資材の加工までスムーズに行えなくて困っているんだ。もちろん全て揃った状態で返還するし、この前みたく返して欲しいと言われたら即座に返却する事を約束しよう」
ムラサキがぺこりと頭を下げると、ヒナはオドオドしながらも「少し考えさせて……」となんとか口にする。
(部屋にある武器とアイテムは全部確認済みで、後は装備だけだったよね……? まーちゃん達のお部屋の確認はまだだけど、現状で予想以上に消耗が激しいアイテムとか、記憶にあるのに存在が確認できない武器も無い……。装備もその効果まで含めて完璧に復唱できるくらいには復習してるから、多分大丈夫……)
ラグナロク関連の事になると、ヒナの頭の回転の速さは何段階も上がる。
目の前に苦手な人が居たとしてもそれは関係ないし、装備やアイテム、その効果の全てを鮮明に思い出す事が出来る。これはもはや特殊能力と言っても良い領域だが、ここにいる全員が“ヒナならそれくらい出来て当然”だと思っているから怖い。
彼女はラグナロク内に存在しているほぼ全ての装備やアイテムを所持している。
その総数は1万なんて生易しい数じゃとても足りないし、効果も合わせれば覚える数なんて考えたくもない。
だが――
「うん、大丈夫……。もうお部屋の整理は大体済んでるし、私が覚えてなくても雛鳥がいたら後で指摘してくれると思うから……」
「は? あ、いえ……問題ありません、お任せください」
「……」
一瞬素が出ていたな……なんて思いつつ、ムラサキは感謝の言葉を口にする。
正直お菓子代だけで小さな家くらい建てられるのではないか。そのレベルの金額が動いているなんて考えたくない。だが、それほど大量の……しかも高級品を求められるのだから仕方がない。
(これで採算取れると良いなぁ……)
とボーっと考えつつ、彼女は次の話題を口にする。
「次だ。さっきも言ったんだけど、依頼の件はどうするんだい? 話は纏めてくれているんだろう?」
その問いには、代表者として雛鳥が答えるらしく申し訳なさそうにヒナの前に歩みを進めると、懐から大量のラグナロク金貨が入った袋を取り出した。
それをムラサキに直接手渡すと、いそいそと元の位置に戻り説明を始める。
「はい。ヒナ様から承諾をいただけましたので、当初の予定通り依頼を出していただきたいと思います。報奨金や手数料は、その金貨を共通金貨に両替して貰えれば事足ると思っております。もし足らない場合は仰っていただければ、その枚数分用意いたします」
「……分かった。人探しって事だったけど、人相書きみたいな物はあるのかな?」
袋の重さとチラッと見えている金貨を見つめて、これだけあれば物価が世界で最も高いと言われているメイシア人類共和国でも豪邸が建つなぁ……なんて思ってしまう。
現実逃避も良いところだが、ムラサキがそう思ってしまうのも無理はない。なにせ、本来ダイヤモンドランクを含めた全てのランクの冒険者に依頼を出すとなると、それだけの金が動くのだから……。
「はい。一応準備しておきました。幻影の魔法やスキル、もしくはそれらに準ずる効果を及ぼすアイテムを所持している可能性が非常に高いと思われるのであまり参考にはならないかもしれませんが……探している。という事実それ自体がプレッシャーになると自負しております」
「……良く分からないけど、とりあえず分かったよ。明日には全ギルドに通達を出しておこう」
非常によく出来た似顔絵を渡され、これまた乾いた笑みを漏らしたムラサキは、それらを大事そうに懐にしまってふぅと息を吐く。
気軽に行える話はこれで最後だ。これ以降、自分はワラベと同じく“一歩間違えたら死ぬ”地雷原を、数度に渡って踏破しなければならない。
それを今一度心に刻み込み、ムラサキはその重たい口を開く。
まずは、最近世界の経済状況が悪化している原因でもある、シャルティエット商会の事に関して……。