223話 キツネの憂鬱
メイシア人類共和国、そのギルド本部は世界中に散らばっている冒険者ギルドを総括する場でもあり、世界で一番大きな部署である。
そんなところに舞い込んでくる仕事の量は他の部署の数倍というレベルであり、その危険性や緊急性は他の追随を許さないレベルで緊迫した物が多く、かつそれに対応する冒険者の数が圧倒的に足りていないのが課題として挙げられる。
今現在もっとも冒険者が活発に動いている国はここメイシア人類共和国……ではなく、遥か北方に存在する剣の聖地タイランだ。
ここ最近数年ぶりに顔を出した剣聖が武闘大会を開催し、そこに参加する冒険者が未だにその国に残って討伐任務を行ったり、稽古を行ったりしている為だ。
そして、それらの冒険者達が居ない弊害は全てギルドの創設者でもあり、メイシア人類共和国支部のギルドマスターであるムラサキへと飛んでくる。
危険性・緊急性が非常に高い依頼を受けられる人間がいないのだ。ギルドの職員だろうがそれをこなすに足る実力がある彼女が駆り出されるのは必然であり――
「昨日も、この部屋で実務をするより外に出ていた時間の方が長かった気がするよ……」
誰もいないギルドの自室でそうボヤきつつ、トレードマークであるキツネのお面を外してふぅと一息つく。
今日ばかりは至急対応して欲しい“ヒナ関連”の案件があるというワラベの頼みがあるので、全ての依頼を他の冒険者に半ば無理やり押し付けるか数日後ろに回してもらっている。
「失礼します、ムラサキ様。ガルヴァン帝国支部ギルドマスターのワラベ様がお見えです」
少し休むと、頃合いを見計らってなのか扉が優しくコンコンとノックされる。
すぐに狐のお面を被って「どうぞ」と口にすると、疲れた様子の少女が肩を落としながら部屋に入ってくる。そして、無遠慮に客人用のソファにどっかり腰を下ろすと特大のため息を吐いた。
ムラサキを敬愛している職員にそんな姿を見られると非常に面倒な事になりそうだが、今や気心の知れた友人と言っても過言ではない彼女の非礼くらい、ムラサキは笑って許せる。
それに、ヒナ関連の事をほぼ押し付けてしまっている現状、給金の大幅アップくらいでは見合っていない事も承知している。これくらいは、許してやらなければ……。
「疲れているみたいだね。コッチに居た時より幾分か辛そうだ」
「当り前じゃ……。コッチじゃ、仕事でミスしたところで怖くもないお主に怒られるだけじゃったからな」
「あはは……。その言葉、うちの子達に聞かれないようにね」
引きつった笑いを浮かべつつ、ムラサキは棚からとっておきの疲労回復効果があると言われている紅茶とお菓子を取り出してテーブルに置く。
この部屋にはムラサキが普段使用している執務机の他に、客人様の革張りのソファが向かい合うように2つ置かれ、間に長机。後はティーセットと高級な紅茶、それと味が保証されているお菓子が数組常備されている。
天井からは少しだけ豪華なシャンデリアが吊るされているが、これはムラサキの趣味ではなく部下の趣味だったりする。
ワラベはやれやれと頭を振りながら見た事のないそのお菓子を摘まんでポイっと口の中へ放り投げる。
ふんわりとしたやわらかい食感と、中の甘ったるいカスタードクリームが絶妙にマッチして疲れた脳が欲していた糖分が数秒で補充されていくのを感じる。
「……美味いな」
「だろう? シェイクスピアのところが新しく販売を始めた商品でね。相変わらず結構値が張る代物だけど、疲れた体にはピッタリだよ」
そのムラサキの言いようから、彼女も最近は忙しくしているらしいという事を察したワラベは、哀れみも込めて苦笑を浮かべた。
このメイシア人類共和国の冒険者ギルドは、他の国に点在するギルドよりも忙しい代わりにご飯やお菓子が非常に美味で、なおかつ給金が高い事が最も魅力とされている。
シェイクスピア楽団とシャルティエット商会が大きな店をいくつも出しているのがその要因なのだがそれは良い。問題は――
「ここも、人手が足りておらぬのか?」
「あぁ、人手というよりも冒険者の手が……だね。剣聖のおじさまには毎度頭を悩ませられる。有望株の冒険者が軒並みあっちに流れてしばらく帰ってこないんだからね」
「あの偏屈ジジイか。まぁ、わしも冒険者だった頃は何度か参加したからの。気持ちは分かる」
「こっちの身にもなってほしいよ全く……。っと、ごめんね、今日は何の用なのかな?」
すっかり“いつもの流れで”愚痴を吐き出しそうになるが、今日はちゃんとした仕事の話をしに来たのだ。
お互い忙しいのだから、こんなところでどうでも良い話をして無駄な時間を過ごすのは大人のするべき事ではない。
「まぁ、恐らく聞いておるとは思うがとりあえず報告しておくぞ? ヒナ達が例のダンジョンから帰還した。恐らく他の冒険者では踏破不可能という結論が出たそうじゃ。封鎖するかはこちらに任せるそうじゃが、お主でも――」
「あぁ、その件は大丈夫さ。元より、あのダンジョンは完全閉鎖するつもりだったからね。君達を含め、ダイヤモンドの子達が総出でかかっても素材の回収が滞るモンスターが多数存在。そんな所に出向かせる訳にはいかないよ」
「……そうか。じゃあついでに報告じゃ。ヒナから借り受けた例の武器な。返還しろとの申し出を受け、やむなく返還しておいた。残りはざっと数えて30数体ってとこじゃ」
「だいぶ減ったねぇ……」
一時期は一生かかっても片付けられないのでは……なんて声も、冗談抜きで上がった素材回収。それが、残り数十体というレベルまで片付いたのは僥倖と言える。
まぁ、その先の素材の加工だったり販売という所でまた躓くだろうが、なにもヒナ達から今後一切協力を得られないという訳じゃない。なにせ――
「お菓子でも持ってまた頼みに行けば、なんとかなるでしょ」
「……そうじゃな。わしもそう思う。それ関連でお主に頼み事がある」
「ん? なにかな?」
ワラベは、彼女達に頼まれたお菓子の調達をそのまま口にし、料金を取らない代わりに武器をもう少しの間貸してほしいと交渉してはどうか……。そう持ち掛けた。
昨今の物価の上昇とシェイクスピア楽団のお菓子はかなりの高級品で庶民にはとても買えないし、ムラサキと言えどかなり痛い出費になる事は想像に難くない。だが――
「あやつらの武器は、ハッキリ言っておかしい。この世界の技術の数段上なのはもちろん、扱いやすさも段違いじゃ。正直、あれが使えないのであれば素材の加工は諦めた方が良い。採算が取れん」
「……まぁ、分かってはいたさ」
アーサーを師と仰ぐムラサキは、彼女達が扱う武器の性能だって重々承知している。
その全ての機能を知らなくても、この世界の物と比べるのがおこがましい程の物である事は察している。それも、彼女達がメインとしている武器と貸し与えられた武器にだって想像もできない程性能の差がある事は明白だ。
「ちなみに、君の計算だとあれらはどれくらいの値が付くと思う?」
「わしに聞くな。シェイクスピアのとこは専門外だと匙を投げたが、シャルティエットのとこは言い値で良いとまで言ってきた。そこのとこの裁量はお主に任せる」
「シャルティエットねぇ……」
最近、その商会が実質休業状態に入っているのは、商会主でもあるシャルティエットが塞ぎこんでいるからだ。その理由は分からないまでも、メリーナという名の従者が例の『ヒナへのラブレター』を書いている事から、ヒナ関連である可能性が高いとムラサキは睨んでいた。
ただ――
「あそこ、面会の連絡を入れても断られるんだよね。有無を言わさずって感じ」
「未来はありそうか?」
「どうだろうね。ただ、ヒナ関連の事であればなんとかなるだろう。お菓子を持って行くついでに、シレっと探りを入れてみるよ」
狐の面を少しずらしながら自分もお菓子を摘まむムラサキに苦笑しながら、ワラベはそう言えば……と続けた。
彼女達の隣に見慣れぬ女が居た事。そして、彼女達が街を訪れたその日に何人もの冒険者が刺殺されたという事件も含め、全てを報告する。
「まぁ、流石に冒険者の事件に関しては偶然だろうけど……見慣れない女って言うのは? 関係性とかは聞いたのかい?」
「聞けると思うか? わしは虎の穴にわざわざ突っ込んでいくマゾ嗜好は持ち合わせておらん」
「ははは……虎の穴か、言い得て妙だね」
紅茶をスッと口に含み再びはぁと大きなため息を吐いたワラベは、目の前の狐を睨みつけ、前々から言っている事を“割と本気で”口にした。
「そろそろわしをこっちに戻せ。でなければ、わしは引退する。もうこれ以上、虎の前で命を晒しながら仕事なんざしておれん。給金を今と同じ額渡せとは言わん。なんなら、ここで働いておった時の半分でも良い。戻せ」
友の嘆きに、ムラサキは今までのらりくらりと交わし続けて来たその提案を受け入れることを約束する。流石に、人手不足の今彼女に辞められては困るのだ。
ガルヴァン帝国支部の後任を探すのはかなり手間取るだろうし、ヒナの家から一番近く、最も交流を持つだろうあの場所のギルドマスターは毎度同じ悩みを抱くだろう。
それに耐えられるくらい図太い神経を持ちつつ、ヒナ達にも気に入られるような人材なんて居ただろうか……。
「ペイルを戻せばよかろうて。あやつも大概図太い神経の持ち主では無いか」
「それは……良い案ではある。だけど、今ブリタニアはかなり不安定なんだ。近々内戦が起こりそうな予感がする。彼はあんなだけど、曲がりなりにもあの騎士団連中から冒険者を守って来た人だ。なにかあっても、その職務は全うしてくれるだろうし、あそこを外す訳にはいかないよ」
王政が崩れ、新たな王が誕生した彼の国。
しばらくは過去の英雄の復活と新たな王政が敷かれる事で安定したかに思えたが、流石に色々と好き勝手やりすぎた弊害が出た。今、ブリタニアは他国からはもちろん、内側にも反乱の兆しが燻っている。
新女王として君臨したマーリンがいかに有能だろうが過去の行いは消えないし、あの国に根付いている『英雄の神格化』という考えはそう簡単にはがせない。
「自分達がその血を引いているからって、好き勝手し過ぎだよ。いっそ、滅んでくれた方が全て丸く収まるってものだよ……」
「それは言わぬが花じゃ。それに、その事をヒナが知ったら――」
「面倒な事になるだろうね。だけど、知らせない訳にも行かないでしょ。後から知られてみなよ、世界が滅ぶ可能性があるよ」
ムラサキは笑いながらそう言うが、十中八九そうなるだろう。
マーリンやその側近のシャトリーヌはともかくとして、彼女達の友であるエリンが戦死するとなれば、彼女達はその相手を絶対に許さない。地の底まで追いかけ、粛清し、その勢いのまま世界を半壊・滅ぼしても何も不思議ではない。
関与されるのはそれはそれで問題だが、後から知られて怒られるよりはマシだろう。
そう考え、彼女は持って行くお菓子のレパートリーを少し増やした方が良いかもしれない……と脳内でしぼんでいく財布を想像する。
「嫌だいやだ。彼女達に関わるとろくな目に遭わないよ」
「今に始まった事じゃ無いじゃろうて……。ともかく、異動の辞令はなるべく早く出すのじゃな。わしの気が変わる前に」
「あぁ。1か月以内には後任を見つけて辞令をだそう。苦労を掛けたね」
「全くじゃ……」
やれやれと頭を振って部屋を出て行ったワラベを見送り、ムラサキは仮面を外して今日一番の大きなため息を吐いた。
「勘弁してくれよ、まったく……。早いとこどこかに行ってくれないかな……」
その願いは幸か不幸か、数日後叶う事になるなんてこの時のムラサキは思って居なかった。