222話 理想の姿
ガルヴァン帝国というのはそこまで大きな国でも無ければ、経済的に豊かな国という訳でもない。だが、その中でも安定した品質を約束してくれる数少ない商会。それが、シェイクスピア楽団とシャルティエット商会の2つだ。
その他の店は、言ってはあれだがそこまで商売に対して真剣な姿勢を持っていないのか、国によって品質がバラバラだ。
豊かな国に行けば先に上げた2つの商会と良い勝負が出来る品物を提供している商会だったり商店はある。だが、どの国でも……となると話が変わってくる。
この2つの商会が世界でも有数の『商会』として機能しているのは、長年かけて培われたブランド力と信頼があるからだ。
そんな商会が運営している雑貨屋に、一人の女が来店した。
女は雪のように白い髪を肩のところまで伸ばし、桃色の瞳を静かに揺らしながら店内を適当にぶらつく。
時たま鬱陶しそうに着ている白い着物の裾を気にしているようだが、今は“どうしようもない”事なので我慢するしかない。そう自分に言い聞かせ、腰に下げた2本の刀に左手を乗せて気持ちを落ち着かせる。
「……やはり、この国ではめぼしい物は無さそうか」
女にしては少し低く、声だけを聴けば声の主はまだ20に満たない青年では無いか。そう錯覚しそうな爽やかな声で彼女は独り呟いた。
見事な細工が施された漆黒の刀の柄に手を置きつつ、この国に寄ったのは間違いだったかもしれない……と、おぼろげに想い始める。
(街の外にブラックベアが大量に死んでたからてっきりそれ関連の装備やアイテムが売ってあると思っていたのに、そういう訳では無いのか)
街の外に大量に死体となって転がっていた熊。あれらから素材を入手する事が出来るのであれば、自分に合った“道具”が見つかるかもしれない。そう期待してこの国に来たというのに、それは間違いだったかもしれない。
あのモンスターを倒す事が出来るという事は、その人物は基本レベルが低いこの世界の住人でない事は確かだ。
ただ、そんなプレイヤーなら今現在自分が置かれている状況を察して何かアイディアを出してくれるかもしれない。
相手によっては面倒な事態になるかもしれないが、その時は最悪――
(なんだ……?)
女がとても人に言えないようなことを考えていたその時、遠くの方からこちらに向かってくる強大な3つの気配を感じ取る。
思わず抜刀しそうになり、ここが店内であることを思い出す。自分と同等か、それ以上に強い人間が3人だ。あまり考え無しに行動しても仕方が無いし、今回は下手な事はしない方向で――
「何かあると良いけど……あんまり期待はしてない」
「うん。情報によれば、メリーナの本はこっちじゃなくてシャルティエット商会って方が出してるらしい。だから、この後はそっちに行く」
「っ!」
女は、見覚えのある2人の姿と声を見つけると、即座に店内の奥へと姿を隠した。
無論店内は入り組んでいるし、様々な物が展示されているのですぐに発見されることは無いだろう。だが、出入り口は一つしか無いし、彼女達が店内を動き回れば即座に見つかる。
姿を見られるだけであればそれは別に構わない。だが、自分の正体がバレるとなれば話は別だ。
「見る限り、ここにはマッハ様が所望しているおやつ等は売られていないみたいです。どちらかと言えば、小物やアイテムの類が多いようですね」
「マッハねぇのおやつに関してはもうワラベに頼んでるし、あのムカつくキツネのチョイスは中々良いからおまかせする」
「うん、今はヒナねぇのお誕生日に集中する」
陰ながらそんな話を聞いていた女がまず感じた事。それは、2人に挟まれるようにして保護者のような役割をしている“見慣れない女”は誰だという事だ。
ラグナロクのプレイヤーで彼女達の事を知らない人間はほぼいないだろうが、彼女達の間に居て良いのはヒナだけだ。もしくは、もう1人の家族であるマッハだ。そんな事は、ゲームを始めて間もないプレイヤー以外なら誰でも知っている事実だ。
だがしかし、女はそのどちらでもない。どころか、2人はその状況を違和感なく受け入れていると捉えた方が良いレベルでの自然な会話。それは――
(どういう事だ……? あの2人と対等に接する事が許されているのは、他の2人だけじゃないのか? 彼女が召喚獣って線もあるが……)
流石に全ての魔法を習得している訳では無い女は、彼女がヒナや他の家族が呼び出した召喚獣である事を完全に否定する事は出来ない。
なにより、家族間で敬語を使うというのは何かおかしい。それは、女じゃなくてもすぐ理解できる。
ただし、護衛の為の召喚獣であればそれなりの強さとヒナからの信頼が無ければ任せられる事は無いだろう。
そして、ヒナからの信頼というのはそう簡単に手に入る物ではない。それは、ゲーム内で数多くのプレイヤーが自分のギルドに勧誘しても首を縦に振らず、あの聖人アーサーですら振られているのだから、余程じゃない限り手に入らない。
第一に、家族の事を第一に考えて行動できる優しさ。
そして、何か問題が起こった時に対処できる頭の回転の速さ。
彼女達を抑える事が出来る精神力の強さと全員からある程度の信頼を置いてもらえているという実績。なにより護衛であるならば、全員と変わらない強さを持っているという事が条件に加わる。
(男キャラを護衛に選ぶはずが無いから、対象の召喚獣は女に絞られるとして……。女キャラで強いって言えば真っ先に思い浮かぶのはあいつだけど……ビジュが違うし、あんなへりくだった態度はとらない……)
ラグナロク内でかなりの人気を誇っていた例のキャラ。その強さは折り紙付きだし、女自身も“身を持って”体験したことがあるので護衛としてはもってこいだし、すべての条件をクリアしている事も知っている。
だが、目の前の彼女とは見た目も態度も全てが違う。ならば、彼女は候補から自然とはずれる。
(女キャラでそこそこ強いって、あんまりいないんだよな……。まさかとは思うけど、あいつもプレイヤーか?)
もっとも考えたくない可能性。それについて考え……
「あの、なにか御用でしょうか? 先程から私達をジロジロ見られているようですが……」
ただ、その前に当の本人から声をかけられてしまう。
気配に敏感なマッハ程じゃないにしても、今は守るべき2人が傍にいる状態だ。彼女だって常に気を張っているし、舐め回す様に全身をジロジロ見られれば嫌でも気が付く。
正直あまり良い気はしないのだが、問題を起こして2人に無駄な時間を消費させるわけにはいかないので、お互い店内を自由に見回ろうと口にして別れて来た所だった。
一方で、声をかけられた女は焦った。ここで騒ぎを起こす訳にはいかないし、かといって即座に理由を説明できるほど冷静な状態では無い。
まだ、冷静な状態であれば即座に上手い言い訳を思いつくくらいの自信はあったが……
「あの……どうかなさいましたか?」
「……あ、あぁすみません。あまりにも綺麗で可愛らしい子達だったので、つい」
なんとか口から出た出まかせは、そんな取ってつけたような理由だった。
いくら可愛くても他人をジロジロ見て、あまつさえその対象が小学生にも満たないような子供達であれば、それは不審者以外の何物でもない。
ただ、今回は相手が良かった。
ヒナが創り出した2人と、ヒナをモデルに創られた雛鳥は、自分達の容姿を褒められるのは大好きだった。なにせ、自分が褒められるという事はその大元になったヒナを褒められているのと同義だから。
「そうでしたか。ありがとうございます」
にこやかに微笑まれ、女は混乱する。
どれだけ自己肯定感が高いのか。そうツッコミそうになるが、勝手に良い方に解釈しているのだから放っておいた方が良い。数秒でそう結論付け、愛想笑いを浮かべる。
「今日は何をしにこちらへ?」
「……私の怪我を治す、もしくは補填できるアイテムがあればと思いまして。ですが、ダメですね。やはり天下のシェイクスピアでも、流石に無理そうです」
自嘲気味な笑みを浮かべ、女はあるべき場所にそれが無い右腕を見せる。
この世界の住人であれば、イシュタルレベルのヒーラーが居れば部位の欠損くらい一瞬で治るが、自分の場合は例外だ。それをしっかり分かっているし、ここでイシュタルの力を貸そうなどと言われても断る事はそこまで不自然ではない。
そして、一言二言しか交わしていない仲ではあるが、彼女が良識を持つ人間で、なおかつ比較的“まとも”な人間であることは分かった。
そんな人が、初対面の人間に「怪我を治してあげます」なんてデリカシーの欠片も無い提案をするはずが無い。
「そうでしたか……。参考までに、そのようなアイテム等に心当たりがあるのですか?」
「ん~、特に何か心当たりがあるという訳じゃありません。ただ、世界的に有名な商会なら何か置いてあるのではないか。そう思ってきただけです」
「なるほど……。ちなみに失礼かとは思いますが、その怪我はいつ?」
その質問に正直に答えて良い物かどうか一瞬考え、答えない方が良いだろうと適当に数年前と答えておく。
自分が世界を旅しており、寄った先の街で怪我を治す手段が無いか模索している。そう設定すれば別に不自然ではない。
「今までどの国に?」
「? この前まではシャルティエット商会が本部を置くメイシア人類共和国に居ましたし、その前はステラという魔法技術が発展している国にも行きました。その他は……そうですね、タイランだったりアメニキウスにも行きました」
「……その、後半2つの国はどういう国なのですか?」
「どう……と言われましても。タイランは剣士の聖地として有名な国です。たまに剣聖が気まぐれに武闘大会を開いているので、それに参加しに。アメニキウスに関しては、特にこれと言った特徴はありません。治安が悪く、少し荒れた土地というくらいで」
魔法大国ステラと対を成す国がタイラン。アメニキウスはこれといった特徴のない戦争に負けて荒んでしまった哀れで貧しい国。そう覚えれば良いと伝える。
どちらも現地人であれば知らないはずが無い国ではあるのだが、彼女達はこの世界の住人じゃないので知らなくても無理はない。
そして、ここら辺の事を気にするという事は――
(本当に、誰だこいつ。ここで会うのは完全に想定外だったけど……調べる必要が出て来た)
ただ護衛の召喚獣であればここまでの事を気にする事は無い。
殺意が出るのを必死で抑えつつ、彼女は他の2人に自分の姿を視認される前に適当な理由を付けて店を出た。
そして……
「ちょっと、道を尋ねたいんだが良いか」
そこら辺に居た、若い男に声をかける。そのまま言葉巧みに路地裏の人気のない所に連れ出し、男が頬を染めつつもズボンを脱ぎ始めたその時――
「はぁ、計算外だ。まさか、お姉ちゃんの家がこの国の近くにあったのか」
男の首を刎ね、その命を散らした。
先程までのイライラを全て罪なき人間に擦り付け、ストレスを発散させることで己の素を曝け出し、変装の為に変更している白い髪を撫であげる。
「あいつ……何者だよ、マジで。私の可愛い妹ちゃん達と家族みたいに……。許せねぇ」
唾を吐き、地団太を踏む。
女が思い描いていた計画は、思いがけない早すぎる再開で全て瓦解した。そして、それよりも優先しなければならない事が出来てしまったのも確かだ。
「お姉ちゃんがこの世界に来てからすぐの事は知らなかった……。もう少し、慎重に行動するべきだな」
ディアボロスの監視下にあった為に、今まではあまり自由な行動を取れていなかった弊害が出た。
ヒナのギルドがこの国の近くにあると知っていれば、この国には来なかった。まだ、彼女達と会うのは早すぎる。
「はぁ……ダメだな。もう何人か、殺るか」
もう一度ため息を吐いた女は、首を斬られた男の死体をそこに放置し、新たな獲物を選びに街の中へと消えて行った。
そしてその日の夜、ケルヌンノスに使用していた武器を返却してギルド本部へと帰って来たワラベは、また別件で頭を抱える事になる。
この街に滞在していた男性冒険者。それも、かなり高位の冒険者が数名、路地裏で無残な姿で発見されたというのだ。
「勘弁せい……。今日は一体全体どうなっておるんじゃ……」
誰もいない真っ暗な部屋で、彼女の悲痛で苦し気な言葉は何度もこだまし、やがて書類をめくる音だけが静かに響いた。




