22話 魔王の怒り
時は少し遡り、マッハがマルセルと戦い始めた直後の事だった。
マッハがスキル『鬼神化』と『神格化』を使用し、身体能力を大幅に上げた直後、対面で暗黒世界の効果を受けていた男も同じく『神格化』のスキルを発動した。
その時、ヒナは誰に言うでもなくポツリと呟いた。
「あの人……私と、同じかも」
彼女の腕の中に抱かれるケルヌンノスも、その傍で自身の姉を羨ましそうに見つめているイシュタルも、その言葉の意味が分からず首を横に曲げる。
だが、ヒナは説明する気は無いのか目を細めてマッハとマルセルの戦いを睨みつける。
主にその純白の鎧と男が放つスキルの数々。それが、全てラグナロクで見覚えのある物だと気付くと疑いは確信へと変わったのか、ハッと目を見開く。
「ねぇけるちゃん、たるちゃん! あの人、私と同じだよ!」
「……ヒナねぇ?」
「同じってどういう意味? あの人とヒナねぇは全然違うよ?」
不思議そうな顔を向けてくる2人にどう説明しようか言葉を探していると、怪訝そうな顔をしたワラベが申し訳なさそうに「どういう意味じゃ?」と聞いてくる。
ケルヌンノスとイシュタルはともかく、この世界のラグナロクを知らない人にどう説明すれば良いのか、そもそも話して良い物なのかどうか考える。が、ヒナが答えを出す前にワラベは自分の中で答えを出すとはぁと肩を落とした。
「あ奴の言っておったことは間違ってなかったという事か……。お主たちがこの街にいる時に来て幸いだった……と、言うべきなんじゃろうな」
「……?」
「あぁ、気にするなこっちの話じゃ。それより、ケルヌンノスと言ったな? お主、さっきの魔法はなんじゃ? わしは長年生きておるが、あんな魔法は聞いたことも見た事も無いぞ?」
「当然。私の魔法はヒナねぇがくれたもの。スキルも装備も、全てヒナねぇからの贈り物。この世界にあるはずない」
ケルヌンノスはプイっとワラベから視線を逸らすと、ヒナの背中にギュッと手を回してその体を抱きしめる。
その言葉の意味はよく分からなかったが、相変わらずヒナに対する無条件の信頼と親愛は度を越しすぎているのではないかという気持ちと共に「そうか」と、それだけ絞り出す。
彼女達姉妹の前で少しでも他の姉妹……特にヒナを侮辱したりなにかしらを否定した場合、それは己自身の人生の終わりとして襲い掛かってくる。
それを十分よく分かっているワラベは、少し離れたところでポカーンとしている冒険者達に向き直ると、気持ちは分かるぞと顔だけで語り掛ける。
「はぁ……。とりあえず、ここはわしだけで問題ない。お主らは皆にもう心配いらぬことを伝えた後、いつもの生活に戻るよう言ってやれ。もっとも、もうしばらくは街の外に出る事は出来んだろうがな」
辺り一面に転がっているモンスターの死骸をどうやって処理すれば良いのか、そもそも元最高ランクの冒険者である自分でさえ見た事の無いモンスターから、素材などは取れるのか。そこら辺を調べてからでないと、この街の外に冒険者以外を出すのは無理だ。
無いとは思うが、ゾンビやアンデッドのようにのっそり起き上がって攻撃してくる可能性もあるし、死体をどこかへ持ち去るような野党が出る可能性もある。
実際にこの街に暮らす人々が元の生活に戻るには1月以上かかるだろう。
まぁ、ヒナ達のおかげで人的被害はほぼ0に等しいのが不幸中の幸いと言うべきなのだろうが……。
「お、おい待てよギルマス。そりゃ一向に構わねぇんだが……そこの嬢ちゃん達の事をもうちょい教えてくんねぇか……? それとも、ダイヤモンドの連中は全員あんな感じなのか?」
「俺も同感だ。あんなのがウヨウヨしてるってんなら、俺達は一生ダイヤモンドになんてなれる気がしねぇんだがよ……」
魔導士船団のリーダーであるガイルと紅の牙のリーダーであるミヒャエルが恐怖に身を震わせながらそう告げてくる。
彼らの気持ちは分からなくも無いが、ヒナ達がおかしいのであってダイヤモンドランクの冒険者でもこの状況を魔法1撃でどうにかできるはずはない。
いやむしろ、彼らと同じように戦場で命を張って未知のモンスター相手に1パーティーで善戦する……くらいが精々だろう。
「そんなことは無い。この街にはダイヤモンドの連中がいないから実感は湧かぬかもしれんが、あ奴らは例外みたいなもんじゃ。適性試験すらすっ飛ばし、グランドマスター直々に推薦されておるからな。あまり深く考えぬ事じゃ」
「グランドマスター!? ま、まじかよ……。そっちの嬢ちゃんとは数日前に顔を合わせた事があるんだが、とてもそんな風には……」
「お主が奴とどんな会話をして、どんな風な印象を受けたかなんて知らぬが、この場では余計な事は言わぬ方が良い。下手をすると――」
命を落とす。ワラベがそう言う前に、ヒナが目を見開いてむくっと立ち上がった。
それはまるで信じられない物を見るような、それでいてその瞳に心配と怒りの感情を浮かべて。
「ど、どうかしたのか……?」
恐る恐ると言った感じでワラベが問いかけるが、ヒナは返事をしない。それどころか、拳をギュッと握り締めてわなわなと震えだす。
それがなんの感情から来ている震えなのか彼女は想像できないし、想像したくもない。
ただ一つだけ確かなのは、彼女の腕に抱かれていたケルヌンノスでさえ、訳も分からず少しだけ怯えたような表情を浮かべているという事だけだ。
つまり、ヒナの事を姉と慕う彼女でさえ、今のヒナの様子は初めての経験……もしくはとても恐ろしいことが始まる前兆であると知っているのだ。
(おいおい……一体何が……)
彼女が冒険者達にサッサとこの場を離れろと指示を出すより一瞬早く、ヒナがポツリと呟いた。
「たる、私に強化魔法かけて」
有無を言わさず。いや、今すぐにそうしろと怒りと圧を込めたその声に背筋をブルっと震わせたイシュタルは、その指示通りスキルも含めて5つほどヒナに強化魔法をかけた。
どんなものなのか指示はされなかったが、ヒナが肉体的な強化を望んでいないだろう事は容易に想像が出来る。その為、魔力の消費を抑える魔法、魔法の威力を上げる魔法とスキルを3秒未満でヒナに付与する。
さらに、ヒナは口の中で『魔力増強 極』と唱え魔法の威力をさらに数倍に引き上げる。
ソロモンの魔導書があればさらに威力を上げる事が出来るのだが、今手元にはないので現状、これ以上魔法の火力を上げる事は出来ない。
だが、今はそれで十分だと彼女の戦闘本能が告げていた。
彼女が見た物。それは、マッハが男に斬られて膝から崩れ落ちるその瞬間だった。
人は殺さないでほしい。自分のわがままが原因で、マッハは相手に止めをささずに刀を鞘に納め、自分を探し出した。
だが、戦闘意欲のある相手がそんなマッハの隙を見逃すはずが無かった。
その光景をその目に移した瞬間、ヒナの中で一つの感情が生まれた。
「あいつ、殺そう」
人殺しが悪い事なんて当たり前のことは分かっている。それでも、自分の大切な家族に傷を負わせておいて、無事で済ませる程彼女は優しくなかった。
いや、優しいとか優しくないとかそんな話ではない。ただ単純に、家族を自分のわがままのせいで失いかけたという怒りを、失望を、後悔を、誰かにぶつけたかっただけかもしれない。
ここはゲームの中でもなければ人殺しは絶対に許されなかった日本でもない。ここは、日々モンスター相手に命のやり取りをするような殺伐とした世界なのだ。
もちろん人殺しは違法かもしれないが、殺らなければ殺られるという当たり前の価値観が存在する世界でもある。
自分と同じくラグナロクのプレイヤーだろう純白の騎士がマッハを斬りつけた瞬間、ヒナの脳裏に稲妻が走った。
相手が何者か知らないが、自分の大切な人に手を出すなら、なにがなんでもその報いを受けさせると。
元々はただのNPCだとか、そんなのは関係ない。
彼女達は、自分を姉と慕ってくれる。家族だと言ってくれる。それだけで、ヒナにとってマッハ達3姉妹は唯一の家族だった。
家族を失う事なんて、1度だけで十分だ。いや、1度味うだけで十分すぎる。
(私からこれ以上、家族なんて奪わせない!)
1キロほど先にいる男に照準を合わせ、右手を向ける。
体中を血液と同じように循環する魔力を手のひらに集中させながら、今自身が放てる最大威力の魔法を……それでいて、近くのマッハを巻き込まない類の物を選択する。
『神の槍』
北欧神話において、神々の王とされたオーディンの槍を冠する魔法。
ラグナロク最終イベントで首位を獲った際に景品として贈られたその魔法の威力は、神の名を冠するボスモンスターのHPを一撃で3割強削る滅茶苦茶な物だ。
ソロモンの魔導書とイシュタルによる強化、ヒナ自身が唯一使える魔法の威力上昇のスキルと併用する事でそのHPの7割強を一気に削る事さえ可能な威力の魔法が、マッハを斬りつけた。たったそれだけの理由で人に向けられた。
魔王と呼ばれた彼女の怒りを象徴するかのような直径数メートルはあろうかという巨大な光の槍は音速を超え、光の速度でマルセルへ放たれる。
着弾するや否やその暴力的……いや、破滅的な威力でその体を塵一つ残さず綺麗に消し飛ばす。
ただ、マッハを巻き込まないように少しだけ威力を調整した事もあり、その魔法は男の体を消滅させ、そのHPを一瞬で0にした後にこの世から消え去る。
その場に残ったのは、ぐったりと倒れるマッハだけとなった。
「……」
なにか、とんでもない威力の魔法が放たれた。それだけしか分からなかったワラベは、ヒナが有無を言わさずイシュタルをギュッと抱きしめると、ケルヌンノスと共に城壁を飛び降りるのを黙って見ていた。
いや、彼女に何が出来ると言うのか。
むしろそこでヒナを止めようとすれば、マッハの回復に向かうのを邪魔したとしてワラベの命すら危なかったかもしれない。ヒナは、今そういう状態だった。
「ひ、ヒナねぇ……」
「こんなヒナねぇ、始めて見た……」
彼女が履いているブーツのおかげで、1キロの距離など数秒もかからずに移動できる。だが、その数秒間がヒナにとっては永遠にすら感じられた。
もし、マッハを助けられなかったら……。
もし、マッハに持たせているはずの蘇生アイテムが機能しなかったら……。
もし、蘇生魔法すら機能しなかったら……。
そんなことを考えるだけで意識が無くなりそうで、発狂しそうで仕方なかった。
だが、マッハの元に辿り着いた時、その背中から一滴の血も流れていない事にホッと胸を撫でおろした。
「ま~ちゃん? ねぇ、ま~ちゃん!」
その背中を必死に擦るヒナは、まるで数年前に霊安室で変わり果てた姿となった両親と警察立ち合いの元再会した時のように、その瞳に大粒の涙を浮かべていた。
すっかり冷たくなり彫像のように固くなった体、白い布がかけられたその顔。全てが脳裏に浮かび、イシュタルに急いで回復魔法を唱えるよう言おうとしたその時――
「うわぁ、びっくりしたぁ!」
まるでなんでもない事かのように、それでいてまるでダメージなど受けていないかのようなマヌケな声を上げながら、マッハがのっそりと起き上がった。
体をうーんと伸ばして背骨や首の関節をポキポキと鳴らし屈伸するその姿は、まるで普段の彼女そのままで……
「ま、ま~ちゃん……?」
「んぁ? あ、ヒナねぇにみんな~……って、どしたん? なんで泣いてるの?」
ポカーンと口を半開きにするマッハに呆れたようにやれやれとため息を吐くケルヌンノスとジーっと責めるような視線を向けるイシュタル。その視線になにがなんだか分からず困惑するマッハは、ヒナに力強くギュッと抱きしめられて大体の事を悟った。
彼女は、ヒナが最初に作ったNPCであり、ヒナが一番好きだったキャラだった。
その思い入れは他の2人よりずっと強く、装備やスキルも他の2人より少しだけ優遇していた。
マッハ本人はそんなこと知らないのだが……そのおかげで、彼女は先の攻撃を無傷で受けきれていた。
彼女が装備しているクロノス神の衣という防具は、見た目がカスタムされており残念な私服にしか見えないが、その実神の名を冠する装備であり、その性能は破格の物だ。
彼女には同じ神の名を冠する武器でしかダメージを与える事が出来ず、それ以外の武器による攻撃は、彼女のHPを削る事すらできない。
その代わり、神の名を冠する武器による攻撃は通常の2倍受けるというデメリットがある。
ただどちらにせよ強力な装備である事に違いはない。
その為入手難易度はべらぼうに高く、ラグナロク内でも所持しているプレイヤーはヒナと海外のプレイヤーの2人だけだった。
さらには入手方法すら出回っていなかったので、2人も偶然手に入れることが出来ただけで詳しい入手方法は分かっていないというのが実情だった。
そんな、超がいくつついても足りない装備を単なるNPCに装備させているのは異常なのだが、そのおかげでマッハは無傷で攻撃を受ける事が出来た。
ただ、ダメージは受けずともそれはデータ上の事であって斬りつけられた衝撃はあった。
油断していたこともありその衝撃で体勢を崩し、ヒナに余計な心配をかける原因になったのだが……。
「うぉぉ!? ひ、ヒナねぇ!?」
「も~! ばかばかばか! 心配したんだからぁぁぁ!」
彼女達に装備させていた装備の詳細を忘れていたヒナにも責任はあるのだが、あまりに唐突の出来事だったが故に、ヒナにマッハが無事であることを告げる事が出来なかった2人にも責任の一端はあるだろう。
だがしかし、誰も彼女達を責めなかった。
なにせ、ヒナが自分達の姉……いや、自分達家族の事をどれだけ大切に想ってくれているのか、改めて知ることが出来たから。
モンスターの死骸が無数に並ぶ中、その場には少女の泣き叫ぶ声が数分間響いていた。
この世界に来てから、元居た世界にいた頃は流したくても流せなかった、枯れたはずの涙がまるで今までの分を取り戻すかのようにとめどなく溢れてくる。それは喜ぶべきことなのか、それとも嘆くべきなのか、すぐに判断は出来そうにない。
ただ、今この瞬間だけは良かったと思えた。なにせ、ここで涙を流せなければ、自分の感情が表現できない悲しみで、さらに泣きたくなっていただろうから……。