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219話 恐慌と愚行、それから天誅

 予定通り太陽が真上に来る前に家を出た3人は、庭先にある綺麗な墓石にペコリと一礼し「行ってきます」と声をかけた後、街へ向けて歩き出した。

 雛鳥はロアの街に行くのは初めてなのでイシュタルとケルヌンノスの2人と手を繋ぎながらなのだが、身長差も相まって完全に親子にしか見えない。


 雛鳥と2人の容姿が似ているのかと言われるとそんな事は無いのだが、遠目から見ればそんな物は些細な問題でしか無い。

 実際、雛鳥であれば家族に間違われることがあっても彼女達はそこまで不快感を顔に出す事は無いはずだ。当の本人は気まずそうに全力で否定するだろうが……。


 しばらく森を歩くとモンスターの死臭と共に大勢の人間がそこら中に広がる平原が見渡せる場所に出た。ここから数分歩けば、目的地はもう目と鼻の先だ。巨大すぎる城壁も、今や懐かしさすら感じる。

 ダンジョンへ旅立つ前にロアの街の冒険者ギルドのギルドマスターであるワラベに素材回収用の武器をいくつか渡していた気がするが、あれから2ヵ月も経っていない。

 素材回収が飛躍的に楽になったとは言っても、やはり数の暴力というのは否めないのかまだ作業は続いているようだった。


 それに、ヒナから預かっている武器を扮したとなれば冗談抜きで国が亡ぶ可能性がある。その為ワラベは、冒険者に素材の回収作業から撤退してもらった後も数人の信用と実績のあるギルド職員と日々採集に当たっていた。

 その者達がブラックベアの毛皮や爪を剥ぎ取ると、その都度傍に控える補佐の人間が街まで運ぶバケツリレーのような方式を採用する事で効率を出来る限り上げてはいる。だが、ワラベだってこの作業だけに順次する訳には行かないので、どうしても時間がかかるのだ。


「でも、これでも減った方だよね? 前来た時、今の倍はあった気がする」

「……なんだか、この光景を見ると凄く複雑な気分になりますね」

「別に気にしなくて良い。どうせ私が全部一撃で倒してるし、こいつらがヒナねぇや私達にダメージなんて与えられるはずない」


 ケルヌンノスが自慢げにそう言うが、雛鳥が言いたいのはそういう事ではない。

 ただ、ここで口にしても意味は無いしもう終わった事だと流される気がしたので黙っておく。


「けるねぇ、ワラベいるかな?」

「……あ、いた。あそこでお腹が出てるオジサンとなんか話してる」


 目を細めたケルヌンノスは、ポツポツと点在している点のような人影から正確に目的の人物を指出す。そして、イシュタルと雛鳥も釣られるようにして目を細める。


「雛鳥は会ったことないから分からないと思う。あの、赤い髪の鬼族」

「鬼族……という事は、マッハ様と同じような方なのですか?」

「種族だけで言えばそう。でも、強さは全然だから大丈夫」


 なぜか自慢げにコクリと頷くケルヌンノスが可愛くて、雛鳥は思わず頬を緩めてしまう。

 そんな事、自分が誰より知っている。マッハを始めとしたヒナ達4姉妹と力比べをしようなんて愚かにも程がある。

 この世界にはそんな事も分からない愚かな人間が、後どのくらいいるのだろうか……。そんな事を、ふと考えてしまう。


 だが、そんな思考はイシュタルの一言によって現実へと引き戻される。


「なんか揉めてそう。タイミングを逃して待たされる前に、私達の生存報告とマッハねぇに頼まれたおつかいを頼むべき。それが済めば、あの人に用は無い」


 あくまで今回の目的は情報収集だが、情報源が必ずしもワラベでなければならないという事は無い。

 幸いにもイシュタルはその可愛らしい見た目から相手に警戒心を抱かせないのと、姉妹の仲じゃマッハに続くコミュ力を持ち合わせている。街の人間からだって、ある程度の情報は集まるはずだ。


 あまりに情報の集まりが悪ければワラベに頼るしかないだろうが、今は面倒な事態になっているようなのでさっさと最低限の用事を片付けて街に降りた方が良いという判断を下す。

 そして、その事にケルヌンノスも賛成のようで雛鳥の手をしっかり握ってワラベに向かって――


「じゃーんぷ!」


 満面の笑みを浮かべ、ヒナの前ですら見せないような純情な元気っ子のような掛け声とともに弾丸のような速度でワラベに向かって飛んでいく。

 雛鳥はもちろん、イシュタルもその程度のスピードで体がどうなるという事は無いのだが――


「なんじゃ!? なにかとんでもない物がこっちに――」

「あ、おい! 話の途中だぞ! 誤魔化すなよ!」

「うっさいわ! 今はそないな――」


 大事な商談をこんな開けた場所で行うのはどうかとも思うが、ワラベは元最高ランクの冒険者だ。

 この世界では頂点に君臨するだろう強さの3人がもの凄い速度で迫ってくれば、気配だけでそのヤバさを肌で感じ取る。

 そして、周囲をキョロキョロと見回して臨戦態勢に入ったその瞬間……


「けるねぇ、いきなり飛び出すのは止めて。心臓に悪い」

「ここまで歩いてくるのが面倒だったんだから仕方ない。わざわざスキルとか使うのもバカバカしいじゃん。雛鳥は楽しそうだった」

「それこそ雛鳥に任せたら良い感じの魔法使ってくれたはず」

『むー!』


 ワラベの正面およそ3メートルにどでかい凹みを作りながら着地した3人は、雛鳥だけをポツンと残して可愛らしい言い合いを始めた。

 そして、この場にはその喧嘩を諫める事が出来るヒナがいない。つまるところ――


『雛鳥はどう思う!?』


 普段ヒナが背負っている気まずい立ち位置を彼女が1人で受け持たなくてはいけなくなる。

 そして、ヒナと同じで彼女達全員を等しく“敬愛”している雛鳥は、彼女と同じで答えを出すのにかなり苦労する……という、もはやお約束だ。


「お主ら……。人の事情という物をもう少し考えてくれぬか?」


 数分後、ようやく雛鳥の心労が解決したその時、空気を読んで黙っていたワラベが絞り出すようにそう口にした。


 彼女達にそんな口を利くなんて本来は自殺行為のはずだが、彼女は“自分が2人に気に入られている”と少なからず自覚している。

 ヒナや彼女たち自身を貶すようなことを言わなければ、大抵の事は水に流してもらえると正しく理解しているのだ。


「申し訳ありませんでした。以後、私が気を付けますのでお許しください」

「……ん? あ、あぁ……」


 だが、返事を期待……どころか、謝罪の言葉なんて貰えるはずが無いのでほとんど独り言のつもりで紡いだその言葉に、まさかの謝罪の言葉が返って来た。

 相手は、2人と手を繋いで親しそうに話していた雛鳥と呼ばれていた少女だ。彼女が何者なのか知らないワラベはさらに混乱する。


(どういう事じゃ。こやつらが謝る? わしは今日死ぬのか? さっきの言葉で怒りを買って、既に終わった命が幻影を見ておるのか?)


 頭にどれだけ疑問符を浮かべても足りない。なにせ、雛鳥の情報などワラベはもちろん、ムラサキすらも一切握っていないのだ。

 ケルヌンノスとイシュタルが精神操作でもされているのか。一瞬だけでも、ありえないと十分分かっているはずのその可能性について模索してしまったのはもはや仕方がない。


 だが、ワラベは賢い。ここで無用に彼女達の私生活について踏み込もう物なら話が長くなるのはもちろん、一歩間違えば本当にあの世に旅立つことになってしまう。

 そんな地雷源、彼女じゃなくとも早く抜け出したいと思うのが自然だった。


「ダンジョンから帰ったので生存報告にでも来たのか?」


 正直言えば、彼女達に何が起こったのかは監視役の人間からの報告であらかた知っている。だが、知らないフリをしていた方が良い事もある。

 それに、監視役のマーサがヒナの激昂を見て怯えてしまったせいで数日寝込んだ事もあり、その後の展開を知らないというのも事実ではある。だが――


(別に知りたくないわ……。これ以上わしのストレスの種を増やさんでくれ……)


 ただでさえ、今は世界で二番目に大きな商会であるシャルティエット商会が実質的な休業状態で全世界の経済がかなり不安定になっている。

 そのせいでガルヴァン帝国でも極度に治安が悪化し、冒険者はその対応に駆り出される事もしばしば。ついでに言えばヒナを題材にしたと思われる小説が大好評。

 小説に登場する魔王が実在していると知っている人間はかなり少ないが、当事者達にしてみれば仲良く悩みの種が増えたと言っていい。なにせ、彼女の本来の実力が自分達が考えるより遥か高みの可能性が出てきたからだ。


 アーサーを師と仰ぐムラサキだって、彼女の強さを当初の見立てから何段階も引き上げ、それでもなお足りないかもしれないと日々頭を悩ませている。

 そんな滅茶苦茶な存在と、これ以上接点は増やしたくない。


 だが、それはあくまでワラベ個人の問題だ。

 間の悪い事に、数分前まで彼女と話していた小太りの男はシャルティエット商会の者だ。実質休業状態ではある物の、彼のように仕事が出来る一部の商人はいつ商会が商売を再開するとお触れを出しても良いようにレアな装備や素材を出来る限り買い集めておく必要があった。


「おいおいワラベさんや! まさか、そいつらの話は聞くってのに俺の話は無視するのか? そりゃねぇぜ!」

『……』


 いきなり横から入って来た醜い男に、ケルヌンノスとイシュタルの2人は殺意の籠った怒りの視線を向ける。

 だが、まだワラベの顔を立てる余裕があるのか行動に移そうとはしない。

 そして、そんな2人の精神状態を正しく把握し、雛鳥は即座に行動に移す。ここは、大人の対応をするべきだと瞬時に判断したのだ。


「申し訳ありません、横から入ってしまって。ほんの少しだけ、お時間をいただけないでしょうか。本当に、数分あれば終わりますので……」


 だが、雛鳥のその選択はあくまで“一般的に”は正しくとも“2人の前で見せる態度”としては不正解だ。

 なにせ、ここまで彼女が……。彼女達にとって大好きな人が下手に出て、仮に相手がそれを否定するような愚行を冒せば――


「はぁ!? だから、なんでお前達が先なんだよ! 俺は数日前からアポ取って、ようやく今話してんだよ! こいつ、毎度まいど忙しいって逃げやがるからな! ようやく捕まえたんだ、順番は守ってもらうぞ“小娘”」

『あ゛?』

「っ!」


 ドスの利いた、殺意の籠った一言だった。

 男が雛鳥の進言を大人しく聞いていれば、彼の評価は『ムカつくけど話は通じる奴』という程度に収まっていただろう。

 だが、最後の一言とその態度は『絶対にやってはいけない愚行』だった。


「たる、こいつ殺して良いよね?」

「うん、むしろ殺して。私達の雛鳥にそんな暴言吐くとか、許せない」

「そうだよね。許せない」


 ワラベは咄嗟に男を庇うべきか。その一瞬で判断する。

 ただ、彼を庇ったところで彼女達を止められるはずが無い。むしろ、自分まで敵認定されて殺される可能性が上がるだけだ。

 男は有能な商人だし、シャルティエット商会を敵に回す可能性があるので非常に面倒な事態になるのだが……


(こやつらを相手にする方が何倍も面倒じゃ……)


 残酷なようだが、この男の命は諦めた方が良い。

 そう結論付け、ワラベが瞳を閉じて男の安らかな死を願ったその瞬間だった。


「お2人とも、私の為に怒ってくださってありがとうございます。ですが、ここで面倒を起こすと帰ってヒナ様にお叱りを受けると思われます……」

『……』


 そう。別に、自分が止めずとも男の命が助かる方法はある。

 やり取りを聞いている限り、雛鳥と呼ばれた少女が家族のような扱いを受けているのは察する事が出来る。ならば、自分のように圧倒的な力関係や上下関係のある存在が止めるより、彼女達と対等である雛鳥が止めてくれさえすれば――


「ヒナねぇに怒られるのはやだ」

「けるねぇに同意……。でも、雛鳥の事バカにしたこいつのこと、許すの……? メリーナの事も、バカにしたようなものだよ……?」


 大好きな人に怒られることを想像して少しだけ涙目になっている2人の頭を優しく撫で、雛鳥は満面の笑みを浮かべて言った。

 それは、ワラベが望んでいたような平和的な物……では無かったが、当初の想定よりはだいぶマシな物だった。


「許すはずないじゃないですか。ですが、殺すのはダメです。せいぜい、意識を刈り取る程度にしましょう」


 人の笑顔がこれほど怖いと思った経験を、ワラベはした事が無かった。

 そして次の瞬間、隣に立って激昂していた男は遥か上空へ勢い良く吹っ飛んだ。


『妖精の逆鱗』


 しばらくして木の葉のようにキリキリ舞いながら落ちてくるその男を目に焼き付けながら、彼女は内心頭を抱えた。


(また、悩みの種が増えそうじゃ……)

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