218話 新たな住人と新たな生活
7章始まります
ギルド『ユグドラシル』の本部は、元々そこまで部屋数が多い訳では無かった。
そもそも中に暮らす人間が4人しかいないし、コンセプト的にただの木造一軒家なのだからそこまで広いと不自然極まりないのだが、そこら辺の話をするとキリがないので辞めておく。
ではなぜ今こんな話をしたのか。それは、その家に新たな住人が加わるとなると、どこで寝るのかという問題が浮上するからだ。
以前エルフクイーンが冒険者ギルドに所属する冒険者達が調査に来た際、彼らを監禁していた小屋はそのまま残されているが、その中に雛鳥だけを残すなんて案は当然ながら即座に却下される。
雛鳥本人が了承し、むしろそうしてくれと頼んだところで彼女達4人は当然同意しない。
ならば、部屋を増やすか……? いや、ゲームの中であればいざ知らず、現実の世界になった事でそんな事は不可能になった。
そもそも、増やせたとしても尊きヒナの城に異物が混入する事を良しとしていない雛鳥は、それこそ全力で拒否するだろう。
そして、数分考えた末にマッハが出した結論にヒナと雛鳥以外が賛成を示し、結局その形がとられる事となった。
それは――
「ヒナねぇ、起きて。そろそろけるねぇが朝ごはん用意してくれる時間」
「んぅ……。まだ眠いよぉ……」
「……」
隣で眠っているヒナよりも数分早く起きてその愛しい寝顔をたっぷり堪能していたイシュタルは、階下でキビキビ動き回っている姉の気配を敏感に察知し、ヒナの体を優しく叩く。
だが、朝は極端に弱い彼女はイシュタルとお布団を抱きしめながらそんな事を平然と口にする。
このやり取りは、この世界に来てからすっかり日常の一コマになってしまった。
他の2人にも同じことをしているのかな……。なんて一瞬だけ考えてしまうが、別に姉の可愛い所など独り占めできるはずが無いととっくの昔に知っている。なので、頭を振ってその暗い考えを即座に振り払う。
「あんまり遅れるとけるねぇが怒る。ご飯抜きになるよ?」
「んぁ……? やだぁ……」
「やだなら起きて」
そう言われながら無理やりお布団をはがされると、流石のヒナだって起きざるを得ない。
その程度の事でケルヌンノスが自分の分の食事を取り上げる程怒るなんて絶対に無いと分かっている。だが、寝起きの単なる少女の頭ではそんな事は分からない。
今彼女が認識できるのは、己に襲い掛かってくる朝の冷たい空気と可愛らしい妹がむくっと頬を膨らませながら呆れた視線を向けてきている事だけだった。
「寒いよぉ……」
「今日はパンの日だから、けるねぇにあったかいココアでも入れて貰えば良い」
「ぱん……。ちょこぱん?」
「そんなの分かる訳ないじゃん……」
寝ぼけ眼を擦りながらふわぁとあくびをするヒナに呆れつつ、イシュタルは階段を上って誰かが起こしに来る気配を察知する。
その誰かが扉をノックする前にヒナを少し強引にベッドから連れ出し、部屋を出る。
「イシュタル様、ヒナ様、おはようございます。たった今起こしに行こうと思っておりました」
ちょうどその時目の前に居たのは、この家に来てからガラッとファッションが変わった雛鳥だった。
以前は真っ赤な着物を着ていた彼女だが、この家に来てからはその着物は浮きすぎるという事で着替えていた。無論、ヒナのアイテムボックスに眠っていたカスタム済みの衣装なので、本人はかなり渋っていたのだが……。
「ん、雛鳥おはよ。やっぱり、その格好の方がこの家には合ってるよ」
「あ、あまり慣れず少し気恥ずかしいのですが……お褒め頂き光栄です」
相変わらずの敬語と執事のような対応に苦笑しつつ、マッハが頼んでもそこだけは断固として譲ってくれなかった彼女なので、これ以上は何も言わない。
そして、ヒナが自分や2人の姉にくれたゴスロリ系と呼ばれるだろう過激なファッション以外にも色々な物を持っていた事に改めて驚いてしまう。
雛鳥は今現在、見る人が見れば高校の制服だと分かるそれを少しオーバーサイズにしたものを着用している。
白いシャツはしっかりアイロンがかけられているのかシワやシミなどの汚れは無く、紺色のブレザーはあえて袖を通さず肩にかけるようにして着る事でオシャレ感を演出している。
着物と制服、果たしてどちらの方が家の中だと浮くのか。それに関しては多少議論の余地はあるだろうが、基本ゴスロリ服で過ごしている彼女達の感性では後者が選ばれたようだ。
そもそも、なぜヒナが制服風にカスタムした装備を持っているのか……。それは、ただSNSで見た可愛い衣装を自分で作ってみよう。
そう初めて思った時参考にしたのが、自身が通っていた学校の制服だったのだ。無論、ほとんど登校できていなかったので新品同然だったのだが……。
「ほら、ヒナねぇも挨拶して」
「んー……。おはよぉ……」
「おはようございます、ヒナ様。もうすぐ朝食の用意が出来るそうなので、早めに顔を洗って歯を磨いてきてくださいませ」
「ふぁーい……」
大きなあくびをしながらそう言ったヒナは、イシュタルに手を握られながら階段を降りる。
それからやる事を終えて少しだけ頭の中に渦巻いていた霧が晴れると、照れくさそうに笑って改めておはようとリビングに揃った“4人”に声をかける。
雛鳥がやってきてから、彼女の主食がご飯よりもパンであるという事が分かったので、週に2度は朝食をパンにするという変化が起きた。
今日は、彼女がこの家に来てから2度目のパンの日だ。内容は――
「今日は、最近寒くなって来たからあったかいコーンスープとチョコパンにした。ヒナねぇ、飲み物何にする?」
「ん~……ココアが良いけど、まだある?」
「うん、まだあるよ」
「ならそれが良い!」
一瞬でマッハはホットミルク、ケルヌンノスはカフェオレ、イシュタルは温かいお茶、雛鳥は紅茶を選択している事を確認し、被ると喧嘩になりそうなので気を遣う。
無論それは雛鳥以外の全員察しているが、仮にヒナがホットミルクでも頼もう物なら他の2人は自分の飲み物をすぐ飲み干して同じのを淹れるだろう。そんな不毛な争いは、この家では日常だ。
「えへへ、やっぱりけるちゃんの料理は美味しいねぇ」
「……ん、ありがと」
食べやすい様に一口サイズに切られて丸められたチョコパンを口に放り込み、温かいスープをゴクリと喉に流し込んだヒナは、体が温まるのを感じながらそう言う。
流石のケルヌンノスでもパンを生地から作る事は出来ないので元々装飾用として存在していたチョコパンを出しているだけだし、スープもそこまで難しい事はしていない。
だが、やはり大好きな人に自分の事を褒められるのは嬉しいのか頬を染めながら恥ずかしそうにスープを飲む。
こればっかりは他の姉妹には譲れないし口も出させない。そんな、圧倒的強者の余裕を全身から溢れさせる。
「……ねぇヒナねぇ、今日は私が一緒に寝る番だから! 忘れないでよ?」
「うん! もちろん覚えてるよ! 大丈夫!」
そう言われ、今度はマッハが平坦な胸を自信満々に張って見せつけるようにドヤ顔をする。
だが、そんな姉に2人の妹はなにをしているのかと呆れた視線を送るだけだ。なにせ――
「マッハねぇ、いくらなんでもそれは少し子供っぽい。私達、もう順番でヒナねぇと一緒に寝られる。羨ましくもなんともない」
「たるに同意。別に羨ましくない。私達全員平等」
そう。この家に雛鳥が加わって変わったルール。そのうちの一つが、毎日交代でヒナの部屋で一緒に寝る事が出来る人が1人増えたという事だ。
今まではヒナとマッハが1人部屋。イシュタルとケルヌンノスが相部屋で寝ていたのだが、雛鳥が一人部屋に移動したことで1人だけヒナと一緒に寝る事を許されたのだ。
雛鳥はリビングで寝ると言って聞かなかったのだが、ヒナと一緒に寝られるという魅力に駆られた3人を説得する事が出来る人間なんてこの世界にはいない。
順番は当然歳の順だが、2日我慢すればまたその隣で寝る事が出来るのだから羨ましくないというのは本音だった。
この話で唯一被害を被るのは、当事者であるヒナだけだろう。
実際、スープを吹き出しかけつつ恥ずかしさでかぁっと頬を染めている。
「そういえばヒナ様、本日はどうされるのですか? いつものようにイシュタル様と私の無詠唱魔法習得の訓練でしょうか?」
この流れはヒナの精神的にマズイ。そう判断した雛鳥が、絶妙な助け舟を出したことでヒナの精神的な安定はなんとか保たれる。
そして、話題も絶妙だ。
本来はこの中の全員が気になっていながらも、グダグダとどうでも良い話を続けてしまう癖があるので本題に入るまでかなり時間がかかる。だが、雛鳥は良くも悪くも真面目なのでそう言った茶々はあまり挟まない。無論、横から挟まれる分には笑って流してくれるので、そういった事が好きな――特にマッハ――であっても、気を遣わずに接する事が出来ている。
「ううん、今日はワラベに会いに行こうかなぁって思ってる! たるちゃんも雛鳥も、だいぶ無詠唱魔法に関してはマスターしてるみたいだし、私とけるちゃんはもうバッチリ! なら、新しい情報とかを仕入れておいた方が良いかなぁって」
ヒナ達がこの家に帰って来てまず行ったのは、もちろんメリーナの埋葬だ。
その後に、雛鳥が加わった事で変わる日常生活におけるルールだったり取り決めの調整。その後、朝食を終えた後から昼食をはさみ、夕食の時間になるまではひたすら無詠唱魔法の修練に明け暮れていた。
ヒナを中心として、彼女がオッケーを出すレベルまで使いこなす事が出来れば終わり……となっていたが、マッハにとっては退屈な時間だったので、それは朗報でもあった。
そして、彼女が言っている『新しい情報』の中には、当然この中で全員の敵になっているあの女の事も含まれていると、全員が理解している。
ディアボロスのメンバーであり、姿や気配を消せる彼女の情報なんてそう易々と手に入る訳が無いのだが、聞かないよりはマシだろう。
それ以外にも、何か有用な情報が見つかるかもしれない。
「承知いたしました。ちなみに、ヒナ様はいかれるのですか?」
「え? あぁ……えっと……。そ、そうだ! 私はまだアイテムの整理が終わってないの! うん、そう! 終わって無いの!」
「『……』」
あからさまに慌ててそっぽを向いたヒナに妹3人が呆れた視線を向けつつ、瞬時に誰が行って誰が残るのか。その話し合いを目線だけで繰り広げる。
(私は護衛で残るべきじゃないか? ほら、あいつって曲がりなりにも剣士だし)
(雛鳥はこうなると絶対ヒナねぇを甘やかす。だったら、雛鳥の護衛としてたるは行ってほしい)
(私だけじゃ武力面で不安だから、マッハねぇかけるねぇのどっちかは着いて来てほしいんだけど……)
雛鳥だけでもこの世界基準なら十分な戦力だろう。
だが、彼女達が警戒している相手がこの世界の住人じゃ無いのだから雛鳥の基準で考えてはいけない。
確かにイシュタルがいればよほどのことが無い限り死にはしない。ただ、よほどの事が起きたのだから彼女だけで行かせるのは違う。そんな事、全員が分かっている。
「……」
「……」
しばしの沈黙の末、今回はケルヌンノスが折れて2人に同行する事となった。
ここ最近マッハはヒナに2人きりの状態で甘える事が出来ていないのに、自分達はそれが叶っているので姉にもその機会をあげないと不公平。そう、彼女の中で結論が出たのだろう。
彼女達はヒナの事は大好きだし出来る事なら独り占めしたいと思っている。
だが、それと同じくらい他の姉妹も愛している。彼女達全員が譲り合い、独り占めなんてせず、抜け駆けもしない事でバランスを保ってきているのだ。
この家で一番甘やかされるのがマッハであるというのは2人の共通認識ではある。
ただ、その事をマッハ自身が“甘やかされている”という認識を出来ていないので、それではマッハの不満が溜まっていくだけになってしまう。
そんなの、ケルヌンノスもイシュタルも望んでいないのだ。
「じゃあ、お昼前に出発する。何か買っておいた方が良い物、あったりする?」
「どらやきってまだあるか~?」
「もう無い。マッハねぇがバク食いしたせい。それに、あの国にはそもそもどらやきは売ってなかったはず」
「ならワラベに頼んどいて! ついでに、他にもオススメのお菓子があるならちょうだいって言っといて!」
「……分かった。ヒナねぇは?」
「私は特にないよ。ありがと!」
ニコッと笑ったヒナに微笑み返しつつ、ケルヌンノスは考える。
今回は早めに帰った方が良いのか、それともあえて遅く帰って姉に気を遣った方が良いのか……という、他人からしてみればどうでも良いような非常に重要な事を……。




