217話 更なる愛を求めて、女は笑う
どれだけの愛を注がれようとも、人はそれに満足することなくその人自身から更なる愛を得る為に精進するべきだ。これは、彼女の中にある持論だった。
無論こんな持論はあの退屈な世界で過ごしていた時には持っていなかった物であり、あの時あの瞬間……。そして、自分が恋に落ちたと確信したあの時から持っていた物だ。
思えばそれは真理に近い。周囲を警戒しながら歩みを進める彼女は、改めてそんな事を思って居た。
アイドルなんかが良い例だろう。
いくらファンから愛されようとも、それ以上の愛を注いでもらうために日々歌やダンスのレッスンだったり、ファンサービスを欠かさないよう“努力”している。
恋人が、相手が自分を好きでいてくれるからと胡坐をかいているよりも、さらに好きになって貰おうと相手の好みに合わせるのだって、そういう心理が働いているからだ。
女は……レベリオは、ふふっと笑いながら心の中で続ける。
「あぁ……お姉ちゃんはやっぱり凄いなぁ……」
一度時間停止を解除したら右腕の再生が可能かもしれない。そんな淡い期待を抱いてもにょきにょきと生えてくる事も、治癒魔法の類で再生する事も無かった右腕があったそこを見つめる。
理屈は大体だが分かっている。
時間停止は魔法を使用した時点で体の状態を止め、いかなる外部的・内部的な干渉からも体の変化を止める事を可能にする“局地的な時間の停止”だ。
だが、そこに使用される魔法的な力……ジンジャー風に言えば術式が右腕の部分だけ破壊され、失ってしまった後で時間停止の魔法が再び発動してしまったせいだ。なので、右腕が無いという状態でセーブが行われてしまい、再生が不可能になったのではないか……と。
ジンジャーですら原理をよく分かっていない“時間停止の魔法は重力魔法で術式が破壊されると再生不可になる”という現象を本能レベルで理解しているのは、彼女の地頭の良さ故だろう。
もしくは、この世界にヒナが来る事を信じてディアボロスの面々にすら内緒でこの世界の魔法に関しての知識を片っ端から詰め込んでいたせいかもしれない。
「これじゃ、しばらくは自分で慰める事も苦労しそう……。いやでも、アイテムか魔法でなんとかならないかな……?」
日常生活よりも、最愛の人を頭に思い浮かべながら自身の下半身の熱を鎮める事が出来なくなるという心配をしてしまうのは彼女らしい。だが、彼女が所持している魔法やスキル、はたまたアイテムで失った腕の代わりになるような物は無い。
辛うじて幻影を纏わせる事くらいは出来るだろうが、それはあくまで幻影であって実体のある物ではない。
まぁ、本来は暗殺者である彼女が相手を欺く際に使用するスキルなので実態が無いのは当然なのだが……。
「この世界に義手があるかどうかだなぁ……。いやでも、お姉ちゃんから貰ったプレゼントだって考えるとこの手はこのままにしてた方が良いのかな……。お姉ちゃんは、どっちの方が喜ぶかな……?」
レベリオは、大切な人から貰ったプレゼントは使わずに大切に保管しておきたいタイプの人間だった。
まぁ、今まで彼女が付き合ってきた男性陣の中でヒナ以上に好きになった人間など居ないので、ヒナ相手にだけ抱く特別な感情なのかもしれないが、そんな事を言いだすと話が進まないので今は良い。
ともかく、彼女は失った右腕を“ヒナがくれた罰であり、贈り物“だと理解している。
だからこそ、その傷はそのままにしておいた方が次に会った時喜んでくれるかもしれない。そう、思ってしまう。
(いや、むしろお姉ちゃんなら私の腕がそのままであろうが復活していようが、それこそ義手になっていようが全てのパターンを想定して作戦を練ってくるはず……。私がお姉ちゃんの行動を読み違えるはずが無いから街中でばったり会って戦闘って展開にはならない前提で考えるとして、一番お姉ちゃんの頭を私で埋めるにはどれが最善だろう……)
ヒナが自分相手に何も作戦を立ててこないはずが無い。
恐らくwonderlandに残っているディアボロスの残党を処理する過程である程度時間停止についての原理は学べるだろうから、その弱点や今のレベリオの状態もある程度推測されるはずだ。
ならば、自分はそこを前提として考えれば良い。どうすれば、よりヒナに自分の事を考えてもらえるか……。
「警戒心が強いお姉ちゃんだからこそ、私が傷をそのままにする訳が無いって思ってくれる可能性はある……。でも、実際この世界に直す手段だったり義手なんかが無い可能性も考慮する……もしくは既に知っていればそこの警戒は最低限になっちゃうよね? なら、義手が存在してるならそのままにしておいて、存在してないならどうにかして治す……って方が良いかな?」
顎に左手を置いてブツブツ呟く彼女は、自室でモニターを見つめながらどうやったらヒナを殺せるのか真剣に考えていた時となんら変わらない表情をしていた。
ラグナロクでも数少ない“ヒナを本気で殺そうとしていたプレイヤー”である彼女は、ヒナの行動原理や思考をほぼ完璧にトレースできる。それはもう、メリーナと同等かそれ以上に……。
メリーナが生まれ持った才能でそれを可能にしていたとすれば、彼女は完全に執着と観察力。そして常人の数倍というとんでもない頭の良さと回転の速さでそれを可能にしている。
そしてその才能は、愛する人の事になるとさらに上昇するという特殊なボーナスが付いているらしく、今の彼女は完全にイベントのボス攻略に挑む時のヒナと同じ顔だ。
(私が神のスキルを持ってる事に驚いてたから“他のスキル”に関してもこっちの情報は割れてないと考えて良いはず……。未来視だけが面倒だなぁ……もう二度とあんな不意打ちは通用しないよね……)
どれだけレベリオが奥の手を持っていて奇襲を仕掛けようとしても、未来を先読みされるのであればあまり意味がない。
そして、以前同じ失敗で逃がしているのだから次は通用しないと考えた方が良いし、何より次会う時はレベリオにも今回のように逃げるつもりは無かった。
未来視のスキルをなんとか封じる事が出来ないか。出来るとして、その条件が整うのはいつどんな状況か。それをひたすら考える。
(いや、お姉ちゃんの私に対する警戒はこの世界の誰よりも強いはず。相対した時点で使用してくると考えると、完全なる不意打ちで使用する前にやっちゃった方が良い……。でもそうすると、今度は私の存在を認識されない……)
仮に不意打ちの類が一切通用しないだろうマッハが傍にいない時を狙って暗殺しようにも、ヒナの超直感なら気付かれる可能性はある。
それに、仮に気付かれなかったとしたらそれはそれで問題だ。なにせ、自分の存在を認識されないまま彼女が命を落としてしまうから。それでは意味がない。
レベリオが望むのは“単純なヒナの死”では無い。
その死を自分だけの物にして、死後も共に暮らす事。そして、死んでからも愛してあいして、愛し尽くして自分の愛を……深くてドロドロとして、重たすぎるこの愛を証明する事だ。
普通に死なれるだけでは、その目的は一つも達成できない。意味がない。
かと言って、姿を現して以前のように長々と会話が出来るのか。そう言われると、やはり答えは否だろう。
もはや冷静にそんな長時間の会話を交わせない程、レベリオはヒナに怒りや恨みという感情を与えてしまった。次顔を合わせたら、反射的に戦闘が始まるはずだ。
ならば、出来る事と言えば姿を見せず声だけを聴かせて強制的に会話を始める方法くらいだ。だが、そうした時点でヒナは未来視を発動するはずなので結局不意打ちにはならない。
「ん~……どうしようか」
手元に残っているアイテムと自身が隠し通せている切り札を改めて頭の片隅に思い描きながら、レベリオは歩く。
まだ、目的地までは随分と長い。ゆっくり考えても余裕はある。
(私もお姉ちゃんみたいに全部の魔法とかスキル集めてたらなぁ……。こういう時、とれる選択肢がもっと多かっただろうになぁ……)
ボーっと空を見つめ、過去の自分の無能さにため息を吐く。
あの時はヒナに関する事しか目に入っていなかったので、ゲーム内のスキルだのなんだのにはあまり興味が無かった。ただ、実践レベルで役に立ちそうなスキルは神の名を冠していようが財力に物を言わせてなんとか手に入れていた。
今から急遽目的地を変更してディアボロスのギルド本部に戻り、そこにあるアイテムや装備なんかを取ってくる事も考えるべきか……。
一瞬だけそう思うが、今回彼女が行ったのは紛れもない裏切り行為だ。少なくとも、ブリタニアでヒナに狼藉を働いているサンともう1人ないしは2人くらいはこの世界から消えているはず。
ディアボロス本部に帰還し、仮に生き残った幹部の面々に遭遇すればその時点で消される可能性がある。
そんな危険は犯せないし、何度も言うように彼女はヒナ以外のプレイヤーに殺される気も、殺されたいとも思わない。
(……やっぱり、お姉ちゃんが知らないこの世界特有の魔法やアイテムで奇襲するべきだよね。それが一番確実か)
数時間悩みぬいた末に辿り着いた結論は、結局そこだった。
ラグナロク産の物と比較すると魔法やアイテムの質が数段階というレベルで低くなるこの世界特有のそれら。だが、ヒナには個の力が強すぎるがゆえにそのレベルの小細工は通用しない。
その認識は、傍にいる3人も同様に持っている事だろう。
だがしかし、忘れてはならないのがこの世界に来ているラグナロクのプレイヤーは、なにも自分達のような戦闘の事しか頭にない脳筋だけでは無いのだ。
もしかすれば、ラグナロク産の物に近い効果を発揮してくれる便利な物があるかもしれないし、ヒナが思いつきもしないような効果を発揮してくれる物が存在しているかもしれない。
レベリオだってこの世界特有のそれらには詳しくないが、調べる価値は十分あるだろう。
そして、この後のヒナの行動は大方予想がつく。それが正しければ、彼女と本気で戦えるのはだいぶ先なので、変装してたまに陰から見守る……というストーカー紛いの行為をしなければ会う事が出来ない。
それも並行して行うとすれば大変な労力ではあるが――
「あぁ……今から楽しみだよお姉ちゃん……。早くその綺麗で可愛い顔を私への愛で、憎しみで、怒りで、悲しみで、狂気で、絶望で……。この世に存在する全ての感情で塗り潰してあげたいなぁ……」
ポツリと彼女がそう呟いた数分後、ちょうど彼女が目的地としていた王国へ到着した。
しばらくは、ここが彼女の拠点となる。そしてこれから毎日、彼女はヒナの事を思い浮かべてはその顔に見る者全てを凍らせるような狂気的な笑みを浮かべる事だろう。
「お姉ちゃん、またね」
ふふふっと背筋を震わせるような不気味な笑い声を残しながら、彼女はその場から姿を消した。
レベリオが足を踏み入れたその国とは――




