213話 いつもの姿
だるまの部屋に居候し始め、計何日経っただろうか。
流石にダンジョン攻略の為に持ってきた数々のアイテムや、よそ者でもある自分達が部屋の大部分を占領してしまっている現状に罪悪感を持ち始めていた。
部屋主はマッハと沢山話せるし、厨房を閉めてからはやる事がなかった毎日だったが、今はたくさん話し相手がいると嬉しそうにしていたが……そんな日々も、もう終わりだ。
「もう行かれるんですかぁ……?」
部屋を出る直前、だるまは泣きそうな顔でマッハに抱き着き、上目遣いでそう言った。
だが、悲しいかなマッハの中でのだるまの立ち位置はメリーナ→エリン→雛鳥→だるまであって、仲良くはなったけどそれはあくまで友達としてだ。
メリーナやエリンのように特別な感情は無いので、泣かれたとしても特に罪悪感は抱かなかった。
ただ、いつも通り元気に笑ってこう言うだけだ。
「うん、もう帰る! 多分またいつか来るよ!」
本当にまたこの場所に来るかどうか。それは、彼女達が一番よく分かっている事だ。
だが、それをここで話す必要は無い。流石のマッハも、非情な現実を押し付ける性格は持ち合わせていない。
「ヒナねぇ、雛鳥来るかな……」
そして、そんな2人のやり取りを微笑ましそうに見つめていたヒナも、右後ろからコートの裾をちょんちょんと引っ張られてそちらに意識を向ける。
不安げに瞳を揺らし、普段ならどんな状況だろうと目を見て話してくれるイシュタルが、今は下を向いて元気なさそうに肩を落としていた。
その隣に居たケルヌンノスは反対にケロッとしていて、雛鳥が来るか否か。その答えが分かっているかのように堂々としていた。
まぁ、良くも悪くもケルヌンノスは家族以外の事にあまり深く感情を動かさないし、それだけ家族に対する愛が深くて重いので当然なのだが……。
「きっと大丈夫だよ。ほら、行こ?」
ヒナだって怖い物は怖い。ただ、来なかったとしてもあの時言ったように文句は言えないし、彼女が来ようが来なかろうが、メリーナに対してやる事は変わらない。
むしろ、雛鳥にはメリーナの今の姿を見るのはかなり辛い事だろう。それ故に、来ないという選択をしても不思議ではない。
だが、ヒナだってバカじゃない。
目の前にその事で不安がっている妹がいるのに、自分もそうだ。なんて言ったところで問題は何も解決しない。むしろ悪化の一途をたどるだろう。
なら、わずかな希望に縋り付いて彼女を信じるしかない。
「ねぇヒナねぇ。そう言えば今回ってお留守番してる人達まだ残ってる? 誰残してたか、もう覚えてない……」
「あ~……うん、大丈夫だよ。そっちの方もずっと気にしながら魔力の管理してたから! たるちゃん探す時に神使い以外はこっちに帰って来てもらったけど、あの子がいれば多分大丈夫でしょ!」
「元々ディアボロスの奴らを警戒する用で残してただけだったからな~。でもさ、仮にあいつが戦闘するってなったら家が滅茶苦茶にならないか?」
だるまと別れを済ませたマッハが合流し、頭の後ろで手を組みながら暢気にそう言った。
その背中には来た時の半分程度の大きさと重量になったリュックが背負われており、その中身の半分以上はアイテムだが、残りは空のお弁当だったりする。
「そこは大丈夫だと思うよ。私達のお家、常にアイテムで守るようにしてるから」
「え、そうなの? そんなアイテムあるの?」
「うん、あるよ~? あんまり知られてないんだけど、身代わりの人形ってあるじゃん? 対象の一部をその人形に埋め込むと、対象が受けたダメージが自分に来るってあれ。あの効果って、実は建物にも有効なの」
「『……』」
ヒナの言う人形の事は、もちろん三人とも知っていた。
見た目は可愛らしいくたびれた薄紫色のクマの人形だ。だが、その背中には手術でもしたのかと言いたくなる縫い目がある。その縫い目に、守りたい対象の一部――例えば髪の毛――を入れるとする。そうすると、対象が受けたダメージがその人形の所有者に降りかかり、対象は人形所有者のHPが一定値を下回るまで無傷で居られるという代物だ。
この人形の面白い所は、どの程度のダメージを肩代わりしてくれるかはあくまで人形所有者のHPを参照するので、プレイヤーによって評価がガラッと変わるところにある。
例えばHPがそこまで多くない初心者のプレイヤーだったり、そのステータスを育てていない“攻撃こそ全て! 防御なんて二の次!“みたいな極端な考え方のプレイヤーにはかなり使い勝手の悪い物になる。
だが反対にHPがかなりの量あるタンク職だったり上位プレイヤーになればその限りでは無い。
それに、隠された能力として人形が守る対象が受けるダメージは人形所有者のステータスを参照してダメージ計算をされるので、ヒナの場合はギルド本部が魔法攻撃を受けようともヒナ本人に魔法が効かないので大したダメージが入らない。
さらに言えば、仮に物理的な攻撃をされようがヒナの腕が斬られたりすることは無く、単にHPの数値が減るだけだというのも大きい。自分が知らないところで攻撃されて体の一部を失う可能性があるなんて、文字通り笑えない。
「『……いつから?』」
「え?」
だが、彼女の予想に反して家族の3人は安心するどころか本気で怒っている時特有のムッとした顔をしていた。
ヒナとしては、あの家を壊されたらアイテムや装備なんかの損失はもちろん、自分や家族の皆が帰る場所が無くなってしまうので当然の処置だった。
再三言っているが、自分はイシュタルがいてくれれば死ぬことは無いのでHPの数値がいくら減ったところで問題は無い。だが、ギルド本部はそうはいかない。
ゲーム内では耐久値だったり防御能力なんかの数値がギルド本部それ自体にも設定されていたが、それらはあくまで“建築素材”や“建物の大きさ”なんかの、基本的な部分で上昇するステータスでしかない。
良い例は円卓の騎士が創り上げたキャメロット城だ。
あの城は魔法耐性がかなり高い素材で全体を固め、かつ城それ自体がかなり巨大な物になっている為防御力と耐久値が非常に高い。
だが一方でヒナ達の家でもあるギルド『ユグドラシル』に関しては、木造の一戸建てであってそれ以上でもそれ以下でもない。
コンセプト的に仕方の無い部分ではあるのだが、耐久面だけで言えばかなり不安が残るのは確かだ。
ラグナロクをプレイしていた時はログインしていない時の方が珍しかったのでギルド本部を襲撃されてもすぐさま気付く事が出来たし、そもそも魔王に勝負を挑もうとする愚か者がかなり少なかった事もあってそこまで気にしなくても良かった。
ただ、この世界ではそうはいかない。そもそも、自分の強さを理解して関わらない方が無難である……なんて都合の良い判断を下してくれる人の方が少ない事は、既に知っている。
「ブリタニアから帰ってきた時……かな? ほら、私王城壊しちゃったでしょ? その時、同じことがあったら怖いなぁって……」
「……一応聞くけど、その所有者はヒナねぇだよね」
「え? うん。だって、皆がダメージ受けるのなんて嫌だもん」
何を当たり前のことを。そう言いたげのヒナに対し、3人は同時にはぁと大きなため息を吐いた。
そして、代表してケルヌンノスが言う。
「ヒナねぇ、帰ったらお説教だから」
「……え? えぇぇぇぇ!? なんで!?」
それだけ言うと、ケルヌンノスとマッハは拗ねたように前を歩き、地上までの直通エレベーターの方へと向かう。
ヒナは唯一残ってくれた、力強く手を握っているイシュタルに縋りつくような視線を向け――
「今回はヒナねぇが悪い。けるねぇにたっぷり叱ってもらう」
「そ、そんなぁ……」
唯一の希望すら打ち砕かれ、ヒナはガックリと肩を落としながらトボトボと2人の後を着いて行く。
そんな姿の姉を見て、なんだか少しだけ胸がスッと軽くなったイシュタルも、不安に震えるのは止めて前を向いて歩きだす。その想いが、通じたのだろうか。
「あ、雛鳥」
「あ! いるじゃん~! 良かった~!」
「ヒナねぇ……いた……」
「うん、良かったね! 言ったでしょ~? 大丈夫だって!」
直通エレベーターで地上に出た4人は、ダンジョンの入口でソワソワしながらも待っていた人影を見つけ、ダッシュで駆けて行く。
そして、彼女の方も4人を見つけるとペコリと恭しく頭を下げていつもより幾段か低い声で口を開いた。
「ご心配とご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした、皆様。この度はこんな機会をいただいて――」
「そんなかしこまるなって~! でも、私らから誘っておいてあれだけど、大丈夫なのか?」
「マッハね――」
その、いつも通り過ぎる口の利き方にケルヌンノスが待ったをかけようとするが、それはヒナがその手を引く事で待ったをかける。
こういう事は自分達のように人とのコミュニケーションが苦手な面々じゃなく、マッハのような明るくて誰とでもすぐ仲良くなれるマッハに任せるべき。そう判断したのだ。
それに、雛鳥に必要なのは同情では無い。深い悲しみを背負っている事をアピールする訳でも、罪悪感を前面に押し出す事でもない。
良くも悪くも、いつも通りの自分達を見せる事だ。ならば、こういう時は“いつも”マッハの役目だ。彼女の好きにさせた方が、雛鳥としては気楽だろう。
「それにほら、久しぶりに学校に行った時『大丈夫だった?』とか言われるより、普段通り『も~何してたの~? 寂しかったぞー!』とか言われた方が嬉しくない?」
「? ヒナねぇ、友達いないって言ってたじゃん。言われたことないのに、そんなの分かるの?」
「う゛」
ケルヌンノスの鋭すぎる言葉のナイフに刺されながら胸を抑えて蹲るヒナは、イシュタルから慰められるように頭を撫でられる。
本当に全員の親……いや、長女と言えるのか疑問だが、これも普段の彼女達である事に変わりはない。
「最後の挨拶は、しておかなければと思った次第です……。それに、久しぶりにメリーナの顔を見たいと思いまして……」
「そっかそっか! で……なんでチャイナドレスなんだ?」
雛鳥は、いつもは真っ赤な着物に身を包んでいるが、今は漆黒のチャイナドレスに身を包んでいた。
もちろん右手にはいつもの扇子が握られている物の、恐ろしくミスマッチ感が否めない。少なくとも、ヒナを始めとした4人の趣味ではない。
「……まともな黒い衣装がこれしか無かったのです。一応喪服として使おうと……。いつもの着物は……なんか違う気がして」
「え~……。やだ、今すぐ着替えてきて! そんな似合ってないクソださドレスでメリーナに会うつもりなのか~?」
「う……。い、いやしかし皆様をお待たせしてしまう事に――」
「多分、そんな恰好の人と一緒にどこか行く方がきついと思うぞ? ねぇ、ヒナねぇ」
無邪気な顔でそう言われたヒナは、あははと乾いた笑いを零すしかできなかった。
マッハのような子供じゃないんだから、面と向かって言わない方が良い事もある。なんて、彼女はしっかり分かっている。
確かに似合ってないとは思うけれど、普通本人にズバッと言ったりはしないのだ。
「マッハねぇって、まだまだ子供だよね。そういう時は、遠回しに伝えるべき」
「けるねぇ、そもそも大人はそんな事本人に言わないと思う。どれだけ似合ってなくても、口には出さないのが大人」
「……そうなの? ヒナねぇはどう思う?」
「だ、だからなんで私に振るの!?」
頭を抱えてさっきとは違う理由でしゃがみこんだヒナは、正解の回答を導き出すのに数分という非常に長い時間をかけたのは言うまでもない。




