209話 次女の不満
しばらく泣きじゃくった後、ケルヌンノスがやってくる気配を感じて目元を拭い、なんとか取り繕おうとニコッと笑みを浮かべる。
ただ、大好きな人のわずかな感情の波にすら気付けないケルヌンノスではなく、マッハが『あ、やっべ……』みたいな気まずそうな顔をしている事で確信を得たのか、可愛らしく頬を膨らませて、少し意地悪に言った。
「私がご飯作ってる間にイチャついてたんだ。良かったね、たる」
3人の中で怒ると一番怖いのは武闘派でもあり、普段から理性よりも感情で動いているようなマッハだろう。
だが、それは表面的というか傍から見たら……という一文が最初に着いてくる。
4人に直接『この中で怒ると一番怖いのは誰?』と聞けば、本人以外の答えは一致するはずだ。
そして、3人の答えは言わなくても分かるだろう。
「ち、違うよけるねぇ。別にイチャついてたとかそんなんじゃ……」
「別に良い。私だってたるが無事に帰ってきてよかったと思ってる。本心から。でも、仲間外れにされるのはヤダ」
「ご、ごめんじゃん……」
「怒ってないって言ってる」
そう。ケルヌンノスの“怒る”とは、マッハやヒナのそれとは違って沸々と静かに、それでいてジトっと粘り付くような物だ。
世間一般からすれば“怒っているけど怒ってないと言い張る彼女”のような状態になるので扱いが非常に面倒になるのはもちろん、最悪の場合は数日口を利かないという暴挙に出る。
ゲーム内だと設定上そうなっているだけなので、チャットを飛ばせば怒っている感じは出しつつもキチっと返してはくれる。
ただ、現実となった今は話が違ってくる。
「ヒナねぇのばか」
大食堂に用意しているから早く来て。そう言った後、ケルヌンノスはわざと聞こえるようにそう言った。
なんでヒナは彼女にこんな設定を。人格を与えたのかだが……それは彼女が、そういう女の子を大変好んでいるという理由以外ない。
現実のヒナ自身は何かに怒るという事はあまりなく、悲しむか嫌すぎて発狂するか、それとも死にたい……と内に溜めこんでしまうかだった。
なので、設定を考えていた時にふと思ったのだ。
マッハの時は、ただ感情のままに怒り狂い、自分の大切な人や物、それ以外は見境なく破壊するような“分かりやすい”設定にした。
いや、というよりも彼女は最初に創った妹でもあるので、自分とほぼ同じに。そして、設定をアレコレ書いている時の“ノリ”や“気分”で全てを決めてしまった感じがあった。
面倒臭いので一から全部設定を書くのは御免だと思っていても、やはり完全に同じだとマッハとケルヌンノスを差別化する物が“見た目”と“戦闘能力”くらいしかなくなってしまう。
彼女が欲しいのは最強の戦闘NPCでも、戦闘を補佐してくれる仲間でもない。そう思って居るのなら、わざわざ妹なんて設定は追加しないし、自分を姉として認識してほしいなんて願う事もしない。
彼女が欲しいのは家族であって、そんな無機質な人形ではない。
ならば、細かい所ではあっても“人格”の面で変化や差別化するポイントは欲しい。少なくとも、誰が見ても2人が別人であると認識できる程度には……。
「なら、今回は私の好みにしちゃお……」
と、当時のヒナが思ったのが全ての始まりだった。
つまるところ、ケルヌンノスの大まかな設定はマッハやイシュタルのそれと同じではある物の、本当に細かい些細な部分は“ヒナの好みの女の子”がたっぷりと反映されている。
そして、その扱い方を完璧に理解しているのもヒナだ。なにせ、こういう時にどうされると嬉しいか、機嫌が戻るか。その全てをちゃんと設定に記しているのだから。
「可愛いなぁけるちゃんは。そんな事で妬かないの~」
「可愛くない。というよりも、ヒナねぇはたるに甘い気がする。前も同じこと言った」
「そうかなぁ……? 私は皆に平等に接してるつもりだよ? まーちゃんだって甘やかす時はあるし、けるちゃんだってそうでしょ~?」
「……たるのそれに比べると、回数的な意味で少ない気がする」
第三階層から再び直通エレベーターを使って大食堂まで移動する間、ケルヌンノスとヒナはそんなやり取りを展開していた。
残された2人はただ気まずそうに、それでいてまたやってるなぁと心のどこかで感じながらそれを聞いていた。
ケルヌンノスが拗ねるだの怒った時は、変に対処しようとせずにヒナに丸投げするのが正解。それは、2人だって知っている。
ただ、分かってはいても罪悪感はある。実際、二人にも彼女を仲間外れのような形にしてしまったという認識はあるからだ。
「そんな事無いよ? だって、けるちゃんにはこうして料理作ってもらってるじゃん? それは、けるちゃんだけの特権だよ? もちろんまーちゃんにはまーちゃんの役割が合って、たるちゃんにはたるちゃんの役割があるでしょ? 最近はたるちゃんに頼ってばっかりだったから、そう感じちゃうだけだと思うな?」
『……』
そう言われると、ケルヌンノスもイシュタルも最近の出来事を思い出してみる。
まず、この世界に来て初めて街に降りようとなった時。
マッハやケルヌンノスではなくイシュタルが同行者に選ばれたのは、ヒナにもしもの事があっても回復役として彼女を守れるからだ。何があるか分からない地では“武力”で守るよりも“治癒”で守る方が確実だと瞬時に判断したに過ぎない。
全員で行くとなると本部はどうするのかという問題が浮上する。
右も左も分からない新しい土地でいきなり自分達の家を留守にするのは流石に抵抗があったのだ。
次にブリタニア王国での一件だ。
あの時も、ギルドにヒナとイシュタルを残したのはもしもの時があった時に彼女を守れるからだった。
無論初めて街に降りるとなった時もブリタニア王国でも、その他に理由はあった。だが、彼女達全員が共通して最優先事項として挙げるのは、やはり“ヒナの安全”だ。
イシュタルがいれば一撃で死亡しない限りどんな致命傷を受けようが即座に全回復する。その謳い文句は大きすぎたという事だ。
ダンジョンだってヒーラーの役割を担う彼女はかなり重要な役割と言えるし、家族4人の中で一番しっかりしているというのはそうなので、どうしても活躍、頼られる機会は多い。
イシュタル本人にしてみれば、大好きな家族全員に頼られ、必要とされる。そして、ヒナにはたくさん褒められて甘やかされる。役得でしかない。
ただ、やはり他の2人からは不満も出る。それは仕方が無いし、家族であろうが不満が出ないというのは理想論だ。恋人や夫婦ですら、やはり大小さまざまな不満は出るのだから。
「まーちゃんには前衛として、あと私含めた皆の護衛で沢山甘えちゃってるよ? だって、私そういう気配の探知?みたいなのは苦手だしさ?」
レベリオの不意の一撃を完全に勘で防いだのに何を言っているのか……。そんな事をその場の全員が思ったのだが、それを言ってしまうとヒナが泣きそうになるので全員が口を噤む。
「でも、たるちゃんにも同じくらい甘えてるよ? 私含めて皆料理は出来ないし、責任感が強くて、私が暴走した時に止めてくれるような、信頼があるから。だから私は、安心してここにいられるんだよ?」
「……」
実際、彼女がそうなった時に止めようと何度も声をかけ、計画を実行しようとしたのはマッハではなくケルヌンノスだった。
無論マッハも加担してくれたが、言い出したのはケルヌンノスだった。
「皆がそこに居てくれるから、私はこの世界でこんなに安定して生きていられるし、毎日笑って居られる。そういう意味じゃ皆平等だけど、やっぱり全員に役割はあるでしょ?」
「……ん」
「あっちじゃあんなに荒れてたのにこっちじゃ別人みたいじゃない? それが出来てるのは、けるちゃん含めた皆のおかげだよ?」
ニコッと笑った彼女は、まるで太陽みたいだった。
それに、大好きな人からそんなに褒め殺しにされて、承認欲求をこれでもかと満たされればどれだけ怒っていようが機嫌は直るという物だ。
そして、ここで『面倒くさくてごめん……』なんて謝ると、自分を創り出してくれたヒナを否定する事になりかねないので、彼女はただ言うのだ。
「これからは私ももっと甘やかすべき。ついでにマッハねぇも」
「ついでってなんだよ! 私だってもっと甘やかしてくれて良いんだからな、ヒナねぇ!」
ハムスターのように頬を膨らませてそう言ったマッハが可愛くて……。
そして、そっぽを向きながらも嬉しそうなのを隠しきれていないケルヌンノスが愛おしくて……ヒナは、気付けば二人の頭を優しく撫でていた。
「……」
イシュタルはその光景を見て羨ましいなぁと思いつつも、空気を読んで黙っていた。
自分ばっかりが良い思いをしているという自覚はあるし、今回の件で迷惑をかけたのだって自覚はある。2人にはその埋め合わせをしないといけないし、これだけであれが帳消しになるなんて思っていない。
そしてそんな事を話しているうちに、いつの間にか目の前には大食堂へと繋がる扉があった。
早いなぁなんて思いつつ、全員でその扉をくぐる。
実際は数日ぶりのはずなのに、何年振りかと思ってしまうような家族4人での夕食が、始まった。