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208話 説教と癒し

 Wonderlandからダンジョンへと戻ってくるのに、彼女達の速さだとそこまで長時間はかからない。

 また一層目から攻略するのはバカバカしいので、雛鳥に教えてもらっていた直通エレベーターで神と戦ったあの花畑へと戻ってくる。


「ただいま~」


 誰に言うでもなく、ヒナはそう言ってパタンと地面に横になる。

 服がベトベトになってしまうのであまりしたくは無いのだが、綺麗になると分かっていればこれくらいは許してほしかった。

 それくらい、彼女にとって大勢の中で話をするというのは疲労が溜まる事だったのだ。


「ねぇ~、お腹空かない?」


 遠目からどこか呆れるような視線を送ってきている妹三人に向け、彼女は能天気にそう言った。

 実際にお腹が空いていたわけでは無い。ただ、なんとなく『疲れた~』に変わる言葉を探して、反射的に思い浮かんだのがそれだったのだ。


「……ヒナねぇ、さっき美味しそうにプリン食べてた」


 プイっとそっぽを向きながらそう言った姉に、イシュタルがはぁと肩を落としながら言った。


「けるねぇ、やっぱ拗ねた」

「拗ねてない。ただ、あんなおじちゃんが作るより、私が作った方が美味しいのにって思っただけ。匂いから分かる。あれ、そこまで良い素材使ってない。それに、手間もかかってない。ヒナねぇに対してそんな物出して良いのはだるまくらい」

「だるまは良いのか?」

「……百万歩くらい譲って、良い」


 マッハのその問いに少し考えてそう答えたケルヌンノスは、自分が言っている事がおかしい事に気付いたのか恥ずかしそうに頭を振った。

 そして、なんとか取り繕おうとして再び口を開く。


「ご飯にするなら、だるまに厨房貸してって言ってくる」

「しよう! ご飯にしよ! 久々のけるちゃんのご飯!」


 バッと起き上がって瞳をキラキラさせながらそう言ったヒナにどこか懐かしさと安堵を覚え、ケルヌンノスは「何が良い?」と分かり切った事を聞いてみる。

 ただ、ヒナの答えは彼女やマッハが予想していた『イシュタルの好物』ではなく……


「ラーメンとかどう……? それかあの、エビチリみたいな……」

「……結構ガッツリ食べたいの?」


 彼女がジーっと見つめると、ヒナは恥ずかしそうにコクリと頷いた。


 咄嗟に出て来たのはそうなのだが、ご飯の話をしたらお腹が空いていなくとも不思議と空いてくるというのが人間だ。

 それに、ヒナに関してはイシュタルが家出をしてからしばらくまともに食事を摂っていない期間があった。あれこれ食べたい物が出てきたとしても不思議じゃないだろう。

 さらに言えば――


「なんか、久しぶりにあっちの世界の話をしたからか、そういうのが食べたくなっちゃってさ……」

「中華はこのギルドの食糧庫によると思う。だから、どちらかと言えば洋食とか和食にしといた方が良いと思う。ハンバーグとか、焼き魚……はヒナねぇが嫌いだから、お刺身とか寿司とか、そっち系」

「は~い! ハンバーグに一票! 私はデミグラスじゃなくておろしな!」


 ヒナより先にマッハが元気よく手を挙げて満面の笑みでそう言うと、ケルヌンノスがキッと姉に鋭い視線を向ける。

 彼女がそう言ってしまえば、姉妹想いの姉は――


「なら、ハンバーグにしよっか! 私はオーロラソースが良いな」

「……」


 ケルヌンノスとしては、久々に腕を振るうのだから、姉妹の誰かの為と言うよりはヒナの好きな食べたい物を最高の状態で提供したかった。

 それが出来るか分からないという理由で中華を断ったというのに、横からマッハが要望を出してしまえば、それは“マッハが食べたい物”であって“ヒナの食べたい物”ではない。

 まぁ、ヒナもハンバーグは好きだし本当に食べたい物であればハッキリ言う人ではあるので『なんでも良いから食べたい』という事なのかもしれないが……。


「たるは……? ソース、何が良い?」


 どこか納得できない、したくない。そんな思いを若干顔に滲ませつつ、ケルヌンノスはイシュタルに顔を向けた。

 だが、イシュタルはそんな姉の気持ちに当然気付いていた。だから、言った。


「けるねぇ、私はハンバーグよりラーメンが食べたい。出来そうなら、それ作ってほしい。無理そうなら、私もオーロラソースで良いよ」

「……ん、分かった。醤油で良い?」


 本当にこの妹はしっかりしている。マッハも見習ってほしい……そんな事を密かに思いながら、豚骨より醤油派のヒナに合わせるだろう。そう思っての、一応の確認だった。

 そして、その答えはもちろんケルヌンノスが望んだ物で……


「じゃあ、作ってくる! ちょっと待ってて!」


 マッハの余計な一言で不機嫌になりかけていた彼女が下の階層へと降りていく時には、満面の笑みを浮かべて召喚獣を何人か呼び出してテキパキ指示を出していた。

 非常に分かりやすい姉と、彼女の気持ちに気付くことなく『ケルヌンノスのご飯』に浮かれている二人の姉の頭に手刀で軽くお仕置きする。


「ど、どちたの……?」

「なんでも~。それより、良かったの? Wonderlandの人達、まだ何か話したそうだったけど」

「だ、だって怖いもん……。特にほら、あのおじいちゃんみたいな人……。近所の頑固なオジサンって感じでなんかほら……」


 その顔を思い出しているのか、少しだけ身じろぎしながらそう言うヒナに、二人は頭に?マークを浮かべて首をかしげる。

 二人とも、wonderlandの面々の顔はよく見ていない。ただ、身に纏っているオーラというか覇気と言うか、端的に言ってしまえば“強そう”かどうかを見ていただけだ。容姿なんかには興味が無いので、全員が単体でケルヌンノス、もしくはマッハに敵わないなと悟った瞬間に警戒を解いていた。


 どれだけ油断していようとも、マッハがいる限り不意打ちの類は無意味だ。

 まるで未来が見えているかのように俊敏な動きで敵意や殺意に反応して守ってくれるし、なにより一撃で仕留められなければ……という、何度も繰り返された問答が始まる。


 いくらチームワーク等で回復の隙を与えないような戦法を取られようとも、それは相手が悪すぎる故に機能しない。

 第一、誰かが傷付けられれば本来の120%の力を発揮するような姉妹なのだ。そんなの、相手にするだけ無駄だ。


「それはそれとしてさ……? ねぇ影正。今回の件、どう始末付けるつもりなの?」


 先程までのほんわかとした雰囲気は、ヒナの殺意溢れる一言によって終わりを告げた。

 グレンにとってしまった態度が八つ当たりのそれだという事はヒナ自身も分かっているし、あからさまにしょんぼりしている彼女には後で個別に謝ろうと思っている。


 ただし、それ以外の面々にしてみれば話は別だ。


 自分ですら取り逃がしてしまう程狡猾で、かつ雑魚と一言で片付けるには少々力を保有しすぎているレベリオを直接相手取っていたグレンが手出しできないのは当然だ。

 まぁ彼女にも驕りや油断があったのは事実だろう。ただ、それは他の者達がいると言う前提で成り立っている思考だ。極論、あの場にグレンしかいなかったのであれば彼女はあんな失態は犯さない。


「グレンは、あなた達がたるちゃんを守るって前提で動いてたんでしょ? 実際私は現場を見てないけど、グレンの強さ、あなた達なら分かってるでしょ? なら、全力でたるちゃんを守るべきじゃないの?」

「お、仰る通りです……」


 召喚獣全員が片膝を付き頭を下げている中で、代表者として影正が申し訳なさそうにそう言った。


 影正だってそれなりの働きはしたつもりだが、急遽集められたヘラクレスやジャスパー、シャングリラに比べると総戦闘能力で圧倒的に劣るので、少し下手に出ていた感は否めない。


 それに、戦闘に参加していたのはグレンだけで、ジャスパーは防御魔法を張っていた。

 究極のところ、あの場で役目があったのは2人だけで残りの3人はやる事が無かったのだ。彼らも、グレンの戦闘能力とジャスパーの理不尽なまでの防御力は知っていた。

 それ故に『自分は何もしなくても大丈夫。ヒナが来るまでそう時間もかからないだろうし、何も起きないだろう』という油断があった。


「ジャスパーの防御がそんなに絶対だと思うなら試してみる? 私、多分10秒あれば破壊できると思うけど」

「お、お戯れを……」


 腕を組んで威圧的にそう言うヒナは、本当にできる自信があるからそう言っている。


 システム的には絶対に突破不可能と言われている防御魔法、しかも時間制限のないそれを破壊するのは“アイテムを使用しても”不可能に近い。

 だが、今のヒナなら可能だと思わせる覇気と気迫があった。


「ま、待ってヒナねぇ。私が怪我したのはソフィーを庇おうとしただけで、この子達に罪はないよ……? だって、この子達の保護対象はあくまで私であって、ソフィーとか他の子には警戒が及んでないんだもん」

「たるちゃんが言ってる事は分かるんだけど、だったらそれってシャングリラやヘラクレスだったりが自発的に行う事じゃない?って事。だって、実際問題手が空いてたんでしょ? 手が空いてたのに何もせずただ傍観するって何事? 仕事がないか確認した上でそれなら仕方ないってなるかもしれないし、その場合は指示を出した上司に同じ事を言うだけなんだけどさ……?」

「要はさぁ。ヒナねぇは、お前達が自分で考えるの放棄して指示待ち人間になった結果損害が出たぞ、どうしてくれるんだって言いたいの?」


 マッハの分かりやすい注釈にうんうん!と満面の笑みで頷くも、ヒナは次に紡がれたマッハの言葉でピキっと一気に全身を凍らせる。


「それさぁ……あの変態が言いそうでなんかやだ」


 あの変態が誰を意味しているのか。マッハが言葉を濁して嫌悪感を露わにしている時点で明らかだ。

 そしてそれは、自分に異常に歪んだ愛を向けてきているあの人物なら確かに言いそうで、しかも本心から思って居そうな事だった。


 いや、正確には彼女自身が本心から『人とはそうあるべき』と思って居るのではなく『ヒナの周りにいる人間は、総じてそうあるべき』と言う勝手な持論を展開していそうで怖いのだ。


 3人の妹達は自分のやるべきことは自分で考えてキッチリとやってくれるし、その上で分からない事があれば必ずと言っていい程ヒナに確認を取ってくれる。

 それに、ヒナがやろうとしている事でもそれが間違っていれば今のように『それは違う』としっかり止めてくれる。


 ここでいう4人の関係性は“家族”というよりも会社の”上司と部下“のような関係ではある物の、それはそれで望ましい関係ではある。

 だが、それを他者に求めるのは傲慢。パワハラ上司のそれだ。それも、自分がこの世界で最も嫌っている人が提唱していそうな行動であるという事が最も気に入らない。


「ごめん、止める。でも、最後に一個だけ良い?」

『……』

「次また同じことがあって、私の家族になにかあったら……その時は、迷わず殺すからね」


 ニコッと満面の笑みを浮かべながら言うからこそ。

 そして、普段はオドオドして人見知りすぎる程人見知りという可愛らしい弱点を持っている彼女だからこそ。

 彼らの体は、芯から震えた。恐怖で、その背筋に冷や汗を浮かべた。


「じゃあ、もう帰って。今回はありがと。お疲れさま」

『ハッ!』


 全員がかしこまったように、そしてより一層の信念と忠誠を誓う事を言葉に乗せ、言った。

 その場からグレンを含めた全員が姿を消した後、先程までの剣幕が嘘のようにヒナは涙目になり、イシュタルへと抱き着いた。


「無事でよかったよぉ……。たるちゃんがいなくなったらって思ったら、怖かったよぉ……」


 この時ばかりは、マッハも抜け駆けなんて言わず、素直に小さく頷いた。

 本人も気付かぬうちに、彼女の頬にも一筋の雫が伝っていた。

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