20話 本気
「は~? お菓子を買ってこい? な、なんで?」
メイシア人類共和国の首都にある冒険者ギルド本部で、部下からガルヴァン帝国支部のギルドマスターワラベからそう連絡があったと告げられた時のムラサキの第一声は、そんなマヌケな物だった。
ギルド間の連絡には伝書鳩を使って行っているのだが、ワラベから送られてきた手紙には「街で緊急事態が発生した。どらやきを含めた美味い菓子を大量に買い込んですぐさま駆けつけろ」としか書かれていなかったのだ。
緊急事態というのはなんなのか。
そもそもなんで菓子を大量に買い込まなければいけないのか、ムラサキには想像つかなかった。
「ど、どうされますか……?」
「どうされますかって君……どうするのが正解なの?」
30代前半くらいの若い顔の整った男が苦笑しながら首を振る。その男だって、最初に手紙の中身を確認した時は同じことを思った物だ。
だが、その砕けた口調からワラベからムラサキにあてた物だろうという事は想像が出来たので、とりあえずこうして報告に来ているだけだ。どうすれば良いかなんて、自分でもよく分からない。
確かにこの国、メイシア人類共和国には、かつて大賢者と呼ばれた天才が開いた商会があるのと、その商会が主にこの国を拠点に活動しているおかげで他国にはない珍しい物が数多く存在している。
お菓子や魔道具、それに『娯楽』なる暇つぶしや遊び道具の類まで、その種類は数多い。
なのでこの国に滞在しているムラサキに、この国のお菓子を持参しろという依頼が来るのは分かる。大抵は他国の王族が使い走りのように彼女を使っているだけだし、そんな依頼であれば彼女も上手い事予定があると断りの連絡を入れるのだが……。
「他ならぬワラベからの依頼だからねぇ……。一応、ロアの街付近でなにが起こっているのか調べてもらって構わないかな? 緊急事態というのが何を指しているかは分からないけど、一応準備はしておこう。マーサ君とナキリ君にどらやきと、その他お菓子の詰め合わせを……そうだね、10人分ほど買ってくるように命じてくれ。お金の面は考えなくて良いから、とにかく、美味しい物を厳選するようにとね」
「ハッ! ムラサキ様はどうなされますか?」
「私は、一応まだここにいるとするよ。ロアの街で何が起こっているのか、それを聞いてからワラベの依頼に応えてるか決めても遅くないだろう」
「かしこまりました!」
お手本のように綺麗なお辞儀をして去っていった部下の男――メリウスを見て、ムラサキははぁとため息を吐く。
緊急事態と言うのが、ヒナやその妹達関連でないことを祈りつつ、大量に買い込むお菓子の代金はどうなるだろうと密かにその心臓をキュッと締め付ける。
己の師匠を殺した数年後にはその動きを止めたはずの心臓が、今この瞬間だけはドクンドクンと妙に早く鼓動しているような錯覚に襲われるが、気のせいだろう。そうであってほしいと、彼女は信じてもいない神に祈った。
…………
……
…
「こう見ると壮観だな~! ほんとにモンスターの大群が押し寄せて来てる~!」
「マッハねぇのんきすぎ……。あれ、見た感じ全部レベル30~60くらい。私達にとっては雑魚だけど、この世界ではムラサキって人でも倒すの難しいような奴ばっかり」
街の城壁の上から数百メートル先をゾロゾロと整列して押し寄せるモンスターの大群を眺めながら、マッハは感慨深そうに、イシュタルはムッと顔をしかめながら呟いた。
ヒナやケルヌンノスも言葉にはしないが、その異常とも言える光景に思わず顔をしかめていた。
なにせ、彼女達の視線の先にあったのはブラックベアを始めとしたラグナロク内で飽きる程狩りつくしてきたモンスター達が1000体ほど並んでいる光景だったからだ。
まるで高難易度クエストの『魔物暴走を止めろ』のようで、ここに来る前の乗り気じゃ無かった内心とは裏腹に、ワクワクと疑問が無尽蔵に湧いてくる。
始めは乗り気では無かったが、その報酬と本気が出せるとワクワクしているケルヌンノス。なんで突如としてこんなに大量のモンスターが押し寄せ、それもこの街に向かってきているのかの疑問を浮かべるヒナとイシュタル。
そんな彼女達の隣で怪訝そうな視線を向けるのは、ワラベの元に助けを求めに来たエメラルドランクの冒険者だった。
彼――ゼロは、自分は本部に連絡してくるので先に案内してやれと言われて彼女達4人をこの城壁の上まで案内し、さらには現状魔法が使える冒険者達でなんとかモンスター達を撃退しようとしていると説明していた。
だが、その異常な数とモンスターの異様とも言える耐久力から焼け石に水程度の成果しか出ていないと少しだけ自嘲気味に笑う。
男は新品とも思える紫の毒々しいまでのローブを着込み、捻じ曲がった木製の杖をギュッと握り締めている魔法使い風の格好をしている。が、その胸元には太陽の光に照らされて美しく輝くエメラルドのプレートがその存在をアピールしており、鍛え上げられた肉体は着衣の上からでも十分見て分かる。
この場にはいないが、彼のパーティーには他に斧を持った戦士が1人と槍使いが1人、魔法使いが1人在籍していた。
彼らはこの街の最高位冒険者として前線に立ち、今でもモンスターの脅威からなんとか街を守ろうと奮闘している。
「で、あんたら何者なんだ? ギルマスに言われるまま案内したけどよ、ここらじゃ見ねぇ顔だよな?」
「ふぇ!? ご、ごめんなさい!」
一番年長者だろうヒナの肩にポンっと手を置いて尋ねたゼロは、全身をブルっと震わせながら瞬く間に自分と数メートル距離を取った少女にさらに怪訝そうな目を向ける。
なんでギルドマスターであるワラベは、こんな緊急事態にこんな普通の少女をこの場所に案内しろなんて言ってきたのか。その疑問を頭に思い浮かべた瞬間、彼は何者かにその胸倉をグッと捕まれ、地面から足を離す。
「ぐぉ!? な、なんだ!?」
「おいお前、なにヒナねぇに勝手に触れてるんだよ。殺されたいのか?」
目の前でそう言いながら怒りと殺気に染まった視線をぶつけてくる少女――ケルヌンノスを見た瞬間、男は自分がなにかとんでもない事をしてしまったと悟った。
その少女はその小さな右手を自分に向けているだけで、実際に胸倉を掴んでいるのは目に見えない何かだ。それでも、男がその見えない何かを少女が操っているのだろうと想像する事は容易に出来た。
それに加え、これまでどんなモンスター相手にも恐怖を感じてこなかった男が、初めてケルヌンノスの殺気に全身を恐怖で震わせた。
「わ、悪かった! 別に、悪気はなかったんだ!」
「悪気が無くても、ヒナねぇに触れたことに変わりないだろ。そんな子供みたいなこと言って許してもらえると――」
「なぁける~、そんなことしたらまたヒナねぇに怒られるぞ~? 確かにイラっとはしたけどさぁ~」
「っ! …………それは、勘弁。でも、次は無い」
けだるそうにふわ~とあくびをしながらそう言ったマッハの言葉に思い直し、ケルヌンノスは男に対して怒りと殺意を引っ込める。
その直後、男の胸倉を掴んでいた『死霊の腕』というスキルを解除し、男を地面へと下ろした。
「はぁ、はぁ……。な、なんなんだ……」
首元を抑えて必死に酸素を体の中に運ぶゼロは、直後に到着したワラベに事情の説明を求めると、その口から語られた事実に驚愕し目を見開く。
その時「こんなガキがダイヤモンド!?」という言葉を口の中で飲み込んだのは、彼の人生で最大のファインプレーだった。そうでもしなければ、先程の一件もあって数日後には彼の遺体が街のどこかで発見されることになっただろう。
「悪い、待たせたの。ムラサキの奴にはどらやき含め、美味い菓子を大量に持ってくるよう言っておいた。これでええか?」
「ん、問題ない。もちろん、それ全部タダで貰っても構わない?」
「この件に対しての報酬じゃからな、もちろん構わんとも」
「分かった。お前は話が分かる、素晴らしい奴」
コクリと嬉しそうに頷いたケルヌンノスは、遠くでまだブルブルと震えているヒナをマッハに任せ、自分は目の前のモンスター群に目を向ける。
広範囲殲滅の魔法はヒナも使えるが、威力と効率だけを考えればケルヌンノスが担当した方が手っ取り早い。
それに、この場にはブルーミノタウロスのような異常な耐久力を持っているモンスターはパッと見で存在していない。そのほとんどがブラックベアやその亜種であり、他には攻撃力は高いが防御力が異常に低いホワイトタイガーという白い毛並みの獅子型モンスターとその亜種くらいだ。
その高い攻撃力に冒険者達が苦戦しているようだが、ケルヌンノスにはあまり関係の無い事だ。
「ねぇ、あれ邪魔。ひっこめられる?」
戦場となっている城壁から少し行った先にある野原で戦っている冒険者達を指さしながら、ケルヌンノスは言った。
彼女が使う広範囲殲滅魔法は、敵味方関係なくその効果を及ぼす。なので、このままあの場所で冒険者達が戦っていると嫌でも巻き込んでしまうのだ。
「ふむ……。おいゼロ、あそこで戦っておるのはお主の仲間達と誰じゃ?」
「あ? あ、あぁ……俺達『紅の牙』とガイルんとこの『魔導士船団』の連中だけだ。他の冒険者の奴らはもっと後ろの方で援護魔法だの攻撃魔法だので、奴らを足止めしてる」
「ふむ、そうか。ではお主は、後方で魔法を使っておる連中を全員街まで下げろ。前線におる奴らはわしが撤退させる」
「お、おいちょっと待てよ! んなことしたら、奴らが街に押し寄せちまうだろ!」
「問題ない。じゃろ?」
少しだけ心配そうに、そしてそれ以上の呆れと希望を込めた瞳をケルヌンノスへと向けると、彼女はコクリと小さく頷いた。
「あんな雑魚、数秒で蹴散らせる。私に任せる」
「お、おいおい……そんな――」
「うるさい! お主はサッサと後方にいる奴らを引かせんか! ほれ、行ったいった!」
余計な失言をして彼女達の機嫌を損ねたらどうなるのか、ワラベはその身をもって体験している。
ゼロもどちらかと言えば気を遣えるほうではないので、余計な事になる前にさっさと彼女達から遠ざける。
ワラベはゼロが既にその洗礼を受けているとは知らなかったが、結果的にこの行動は正解だったようで、ケルヌンノスはさらにワラベの事を気に入った。
「さて……わしも仕事するかの……」
城壁をぴょんと飛び降りて街の外を走っていくゼロを見下ろしながら、ワラベは額に手を当ててモゴモゴと口の中で呪文を唱える。
仲間に自分の思念を伝える彼女オリジナルの魔法で、大賢者がかつて開発を試みていた『けいたいでんわ』なる物の説明をムラサキに聞かされた際に思いついた魔法だ。
結局ソロで活動していた彼女がこの魔法を使う事はついぞ無かったが、こんなところで役に立つとは奇妙な話もあったものだと自嘲気味に笑う。
『思念伝達』
戦いを放棄してすぐに街へ戻れ。そんな思念を前線で戦っている者達の脳内に殴りつけるように送り、彼らがなんの疑問も抱かずに街へ逃げ帰ってくる姿を視界に映してホッと一息つく。
ここで先程のゼロのように命令を聞かなければどうしようかと思っていたが、彼らはギルドマスターであるワラベがそう言うという事は、何か策があるのだろうと信用していた。いや、モンスターが自分達の予想よりはるかに手強く、そろそろ限界だと感じていた時にそんな思念を貰ったので、これ幸いと撤退した。そう言った方が正しいだろう。
後方で魔法支援に専念していた冒険者達も、前線から高ランクの冒険者が撤退してくるのを見て彼らが諦めたと思ったのか我先にと街の中へ避難を始める。
数分後には街の外に出ていた全員が避難を完了し、外にはおびただしい数のモンスターだけが残っていた。
彼らはおぞましいまでの咆哮をあげ、侵略者のように嬉々として街へその歩みを向け始める。
「おいギルマス、どういうこった? ほんとに俺らが撤退して良かったのか?」
「そうそう。いくら相手が強かろうが、俺達以外にあいつらを足止めできる冒険者なんていねぇだろ~? ま、言っても俺達は1時間ちょいあそこにいて3体しか仕留められなかったがな」
サファイヤランクの冒険者パーティー『魔導士船団』のリーダーであるガイルと、エメラルドランクの冒険者パーティーである『紅の牙』のリーダーであるミヒャエルが怪訝そうにそう言ってくる。
彼らは各々の仲間達を引き連れ、これから何が起こるのかと城壁の上に来ていた。
ワラベはまず彼らに良くやったと労いの言葉をかけ、次に目の前のモンスターの大群を見てはぁとどこか嬉しそうに深呼吸しているケルヌンノスを見やる。
「これで、準備は整ったぞ。遠慮する事は無い、お主の全力を見せてくれんか?」
「……装備が無い時点で全力なんて出せない。でも、そもそも全力なんて出さなくとも、あんな奴らを掃討するくらいどうってことない……。ほんのちょっと、本気を出す。それで、事足りる」
そう言うと、ケルヌンノスはチラッと数メートル先でマッハに抱かれながら泣いているヒナを見る。
自分の活躍を見てほしいと思いつつも、今はマッハがその隣を独占する番だし、そもそも今彼女はそんなことが出来る精神状態ではない。
こんな状況を作ったあの男に再び殺意が湧きそうになるのを必死で抑え、己の体内にある魔力を右手に集中させる。
『深淵なる我が力にさらなる力をもたらせ 冥府神の祝福』
一定時間自身が使う魔法の威力を上げるスキルを使用する。こうする事によって、万が一生き残る個体が出て自分が恥を掻く可能性を無くす。
別にワラベや見た事の無い冒険者達の前で恥を掻くのは良い。ただ、大好きな人の前で恥を掻き、自分と共にヒナもバカにされる対象としてカテゴライズされるのだけは、絶対に避けたかった。
だからこそ、装備の相乗効果を無視してももっとも威力の高い魔法を放つ。
スキルで威力を上げているとは言っても、万が一の無いよう、出来るだけのことをやる。
『全ての愚かな魂に永遠の死を与えるが良い 暗黒世界』
その魔法が発動した瞬間、世界が闇に包まれた。太陽が暗雲に隠れ、瞬く間にその場を闇が包み込む。なんの明かりもないその空間に、ヒナの怯える声だけが不気味なほど静かに響く。
その直後、モンスター達が一斉に苦し気な咆哮をあげる。それはまるで死に際に放つような大絶叫であり、耳をつんざくような、それでいて聞いている側が不安で胸を圧し潰されそうになる類の物だ。
その声を表すには阿鼻叫喚という言葉が最もふさわしく、その場にいた全員……いや、街に避難してきていた冒険者達も含め、皆が城壁の向こうから聞こえるモンスターの叫びを聞き入っていた。
だがそれも、魔法の効果時間が切れるまでの数秒だけだった。魔法の効果が切れると同時に太陽が再びその顔を覗かせ、街や人々の顔を明るく照らし始める。
だがしかし、ロアの街へ押し寄せていたモンスター達が眩く輝く太陽の顔を拝むことは無かった。なぜなら、彼らはその全てが命を奪われて地に伏していたからだ。
ブラックベアもホワイトタイガーも、毛並みの色が違うその亜種のモンスター達も、全てが大地にひれ伏してその命の篝火を消していた。
「ば、バカな……。そんなバカな!」
ゼロが目の前のあり得ない光景を目にしてそう叫ぶが、ヒナ達4人以外のワラベを含む全員が、絶句して目の前のありえない光景をその視界に映していた。
「ん、上々。私が本気を出せば、こんなもの」
正確にはもう少しスキルを重ね掛けし、魔法に合った武器を装備すればもっと威力が出せるので本気と言えるのかは怪しい。それでも、彼女が現時点で出せる最高火力での広範囲殲滅魔法は、今使った暗黒世界という魔法だった。
世界を暗闇で包み、指定した範囲に星の重力の数百倍の負荷をかけ、その場に生きる全ての生命を奪う魔法。
たとえこの魔法を受けて生き残ったとしても、追加効果としてしばらくその場から動けなくなるという滅茶苦茶な効果と威力を持つ。
だがしかし、その場でただ1人だけ、ケルヌンノスの魔法を受けながら未だ戦場に立っている人物を見つけた人間がいた。ヒナだ。
「ね、ねぇ……まだ、誰かいない?」
「ん~?」
ヒナにそう言われ、マッハもモンスターの屍が無数に横たわる大地へ視線を向ける。
そして、ヒナの言う通りその影を見つけた。
魔法の効果で苦しそうに地面へ這いつくばるのを必死で耐えながら、信じられないと言いたげに何事かを叫ぶ影がある。それは、ちょうどモンスターの屍が並ぶ最後尾だ。
「あ、ほんとだな~。おいける~、まだ1人残ってるぞ~?」
「…………マッハねぇ、お願いする。私は知らない」
ぷくっと頬を膨らませて悔しそうにプイっと顔をそむけたケルヌンノスは、マッハが歓喜の声を上げて全速力でその人影へ向かっていくのを忌々しそうに見つめた。
(あいつ、絶対許さない……)
マッハがもしもあの人間を生かしたまま帰ってくれば、後日何らかの方法で絶対に殺すと心に決めた彼女は、マッハがいなくなってその隣が空いたヒナの元へ駆けだす。
そしてその胸にポンっと飛び込むと、無言で頭を撫でてほしいとその目に訴えかける。
「……頑張ったね。お疲れ様」
「……ん、頑張った。えらい?」
「うん、偉かったよ? けるちゃん、カッコよかった」
「…………うん。ありがと」
その微笑ましい光景を尻目に、ワラベはムラサキの言は正しかったと密かに背筋を震わせていた。
(ふざけすぎじゃろ……。後で奴が来たら、もっと詳しい話を聞く必要がありそうじゃな……。にしても……どうなっておるんじゃ、一体……)
狐の面の奥でフフフと意味ありげに笑うムラサキの顔を想像しはぁと呆れたようにため息を吐くが、それは周りの冒険者達の動揺の声にかき消された。




