2話 家族
温かい木の温もりと家族の温かみを感じられるような空間。ヒナがギルドに求めたのはそんな場所だった。
だからこそ、マップ上に存在している9つの国の内、一番不便と言われながらもエルフ族のNPCが街を闊歩し、国のグラフィックにもふんだんに緑が取り入れられたアールヴヘイムの辺境の地にギルド本部を構えたのだ。
ラグナロクのマップ上に存在している9つの国は、それぞれ北欧神話になぞらえた名前が付けられている。
人族の戦士や闘技場なんかが数多く存在し、武器や防具、それらを自作する為に必要なモンスターの素材なんかがかなり安く手に入る国『アースガルズ』
神々が暮らす土地として神聖な場所と設定付けられ、神殿や回復アイテムが数多く手に入り、なおかつ安く手に入る国『ヴァナヘイム』
モンスターの発生場所が数多く存在し、なおかつ出現するモンスターレベルも高い事からレベル上げやスキル獲得、クエスト探しに最適な国『ミズガルズ』
土地にいると炎のグラフィック固定ダメージを受けてしまうが、その分強力なモンスターの出現率が高く、強力なスキルや武器がどの国よりも手に入りやすい国『ムスプルヘイム』
土地にいると氷のグラフィック固定ダメージを受けてしまうが、その分強力なモンスターの素材がどの国よりも手に入りやすい国『ニヴルヘイム』
有用な武器や防具があまり手に入らない代わりに自然の温かみを感じられる場所が多く、モンスターの出現する場所が少ない国『アールヴヘイム』
武器や防具を作成する際にその能力値を上げる事の出来る特殊な素材が手に入る国『ニザヴェッリル』
自身のキャラクター、もしくは同伴するプレイヤーかNPCの身長が一定以上ないと入国する事が出来ないが、その代わりに希少な素材をドロップする巨人族のモンスターが数多く存在している国『ヨトゥンヘイム』
残りの1つは少々特殊な国になっており、死霊系のスキルを1つでも持っていないと入国できず、なおかつ手に入る素材や防具、スキルなんかも死霊系の物に限られる。いわゆるホラー要素を詰め込んだような国だ。
しかも、入国するには門番をやっているボスモンスターを倒さねばならず、そのモンスターがハチャメチャに強い為そもそも入れるプレイヤーがかなり限定されているという徹底ぶり。
その国の名は『ニブルヘイム』ホラーが苦手な人がその国に足を踏み入れれば、PCのモニターの前で絶叫して泡を吹いてしまうのではないかと錯覚するほど国全体がダークな印象を醸し出しているような場所だ。
その数多い国の中で、ヒナが求めた家族の温かみを感じることの出来るような場所と言えば、自然とエルフの国アールヴヘイムになる訳だ。
彼女がギルドの本拠地として購入したのは国の最南に位置する辺境の村にある2階建ての小さな丸太小屋だった。
広さは約20畳。部屋の真ん中に正方形の形に並べられた4つの2人掛けのソファと小さな机。
1階のリビングには小さいながらキッチンや暖炉も完備されており、2階に続く階段を上がると廊下を少し進んだ先にちょうど3人分の小部屋がある。
このギルドには4人が住んでいるのだが、内3人はヒナが1から作ったNPCで姉妹という設定を加えているので、下の2人に相部屋を使ってもらう事で我慢してもらっているのだ。
「ヒナねぇ、こんなところで寝てたら風邪を引くと何度言えば分かる」
「……ん~」
「ん~じゃない。寝るなら上に行くべき。いくら暖炉があると言っても、毛布だけかぶってこんなところで寝てたら風邪を引く」
ヒナは、体を優しく揺すられて少しだけ意識を覚醒させる。その瞬間、自分の生きがいだったゲームの死に目に立ち会えなかった後悔が濁流のように襲ってきて死にたくなってしまう。
記憶はないけれど、いつの間にか頭から被っていた毛布をギュッと掴むと、うーと唸り声をあげて無意味に足をバタつかせる。
「うぅ……! もうほんとヤダ! なんであんなとこで寝ちゃったの私……! 最悪! 私のバカバカバカ!」
「……マッハねぇ。ヒナねぇが壊れた」
少女は目の前のソファで毛布を頭から被りながら駄々をこねる自身の姉……というか想像主に呆れ、向かいのソファでのんきに紅茶を飲んでいる姉へ困惑の視線を向ける。
少女の名はイシュタル。ヒナが作り出したNPCの1人で、3姉妹の末っ子でもある。
その見た目は頭から捻じ曲がった2本の角を生やし、紫のメッシュが入った艶やかな黒髪を腰まで伸ばした幼女だ。
ドクロや爆弾が無数に描かれた趣味の悪い白いシャツと首元にデカい首輪をつけられ、その蛇のような黄色い瞳は見るもの全てを委縮させるほど冷たい。
そして、そんなイシュタルからマッハねぇと呼ばれた少女の名はマッハ。3姉妹の一番上の姉に当たる人物だが、額から鬼の角を2本生やし、赤と青の混じった特徴的な髪色。人の耳がある部分からイシュタルと同じような角を生やした幼女だった。
イシュタルよりも少しだけ背が高く、着ている服がどう見てもネグリジェにしか見えない事を除けば可愛らしい鬼の少女……と見えなくもないだろう。
彼女も、ヒナによって作られたNPCの1人だ。
「いつもの事だろ~? それよりける、あったかい紅茶お代わり~」
「……なんで私が……。たまには自分で淹れてよ、マッハねぇ。それに、その呼び方はやめて」
満面の笑みを浮かべながらキッチンで作業をしていた1人の幼女に向かってそう言ったマッハは、己のもう1人の妹から向けられる怒りの視線に思わず背筋をブルっと震わせて引きつった笑みを浮かべ「ごめんごめん」と謝る。
そんな姉をため息交じりに見つつ、イシュタルの元へとことこと歩く幼女の名はケルヌンノス。彼女が、ヒナが作り出したNPC最後の1人で3姉妹の真ん中に当たる人物だ。
エルフのように長く尖った耳の上からイシュタルやマッハと同じような捻じ曲がった角を生やし、黒と白の特徴的な髪を床まで伸ばした幼女は、その赤い瞳で自身の想像主を見つめると妹と同じようにはぁと肩を落とした。
軍服のような服に身を包み、短すぎるスカートのポケットに水で塗れた両手を突っ込み「ヒナねぇ」と声をかける。
「たるに心配かけないでよ。寝るなら自分の部屋に行って寝て」
姉妹に気付かれない程度に蔑みの視線を向けつつそう言うと、ヒナはようやくその身をビクッと震わせて恐る恐るといった感じで頭まで被った毛布を少しだけ下げてその顔を出す。
その瞳には確かな怯えと驚愕が移り込み、数秒の沈黙が場を支配した直後――
「えぇぇぇぇ!?」
耳をつんざくような、鼓膜が破れそうになる絶叫が丸太小屋……ギルド『ユグドラシル』の本部に響いた。
その絶叫に嫌悪感を隠そうともせず、ケルヌンノスが迷わずヒナの驚愕に彩られた顔をペシっと叩く。
「うるさい。化け物見たみたいな顔しないで。いくら私でも傷つく」
「ける……じゃなかった。ケルヌンがデレた。珍し~」
「マッハねぇは黙ってて。別に……そんなんじゃない」
そのやり取りを黙って見ていたヒナは、右頬に伝わる確かな痛みと、目の前で死んだはずの家族……いや、ゲームで自分が作り出したNPCが生きているかのように会話をしている場面が信じられず、しばらくキョトンとしていた。
すると、一番下の妹であるイシュタルがそんなヒナに心配そうな顔を向けてくる。
「ヒナねぇ? どうしたの、なんか変」
「ひ、ヒナねぇ……? わ、私が……?」
自分を指さしつつ、ヒナは困惑しながら答える。
目の前の人物は、確かに自分が作成したキャラクターだ。ゲーム内でも最新AIの力で何度か会話をしたことはあったけれど、それはあくまで機械的な物……。というか、リアルな感じでの会話では無かった。
まぁ、そもそも友達のいない人生を送って来たのでたまに来るギルドへの勧誘以外では人と話したことなんてないので、自然な会話がどんなものかもイマイチ分かってないのだが。
「……マッハねぇ、これは重症。私でも、治せるか分からない」
「だからいつもの事だって~。それよりさぁ、たるでも良いから紅茶のお代わり淹れてくんない~?」
空になった白く美しいティーカップの取っ手に指を突っ込んでブラブラ揺らすマッハは、あからさまにムッとしたイシュタルを見て「冗談だよぉ~」と泣きそうな顔をする。
そんな姉妹のやり取りを眺めつつ、ヒナは静かに考える。これは、どういう事なのだろうかと。
(私、とうとうおかしくなったの……? 現実逃避で皆が見えてるだけ……?)
その名の通り人生の全てを捧げてきたゲームが終了し、自分の命も終わらせようとしていたせいで見ている幻か何かなのか。そう思い、目の前で怪訝そうな顔をしているイシュタルに「ねぇ」と声をかける。
「私の名前……分かる?」
「……? ヒナねぇはヒナねぇだよ。ほんとにどうかした?」
「私の本名は?」
「? ヒナねぇはヒナねぇじゃないの……? それ以外の名前があるの?」
「そ、そう……。え、えっと……ここは、どこ……?」
「ユグドラシルの本部。私達の家だけど……?」
ヒナは、本気で大丈夫かと言いたげに顔をグイっと近付けてくる幼女に少しだけドキッとしつつ、逃げるようにキョロキョロと視線を彷徨わせる。
確かに、ここはラグナロクでユグドラシルの本部として使っていた家だし、内部のカスタムも数十万かけて細部まで拘ったので間違えようがない。
それに、これが夢なら目の前の幼女が自分の本名である『獅子神 雛乃』という名を答えられないはずがない。
自分の本名は「名前は獅子なのにお前自身は弱っちい芋女だな!」という、小学生の時に浴びせられた罵声が原因であまり好きではない。けれど、こういう時に私の本名が分からないと言われるとこれが現実なのではないかという妙な考えが頭に浮かぶのでやめてほしい。
いくら現実が嫌だと言っても、こんな幸せで残酷な夢を見せるなんて酷いじゃないか。私が、何か悪い事をしたのだろうか。
(いや……したか。学校に行かず、ずっとゲームしてたもんね……。そうだよね、悪い子だよね、私は……)
雛が絶望で心を満たし、俯いてポロっと涙を流した。
それを見逃すイシュタルではなく、すぐにその肩を抱いて小さな体でギュッと抱きしめる。
体が小さいせいで背中をポンポン擦れないのが気に入らないが、それでも胸の中で動揺している自身の姉を慰めない訳にはいかなかった。
何が起こったのかなんて分からないが、自分が大好きな人が泣いていて、何もしないなんて選択肢は彼女にはなかった。
「ふぇ……!?」
「……けるねぇ、ヒナねぇにハーブティ淹れてあげて。ちょっとぬるめで」
「もう、なんで私が……。まぁ良いけどさぁ……」
ぶつくさ言いながらキッチンでお湯を沸かそうとするケルヌンノスは、先程蔑みの視線を向けた時と同じように横目で妹に抱かれてすすり泣いているヒナを見つめる。
そして、紅茶とハーブティのパックを無数に入れている戸棚をパッと開けると、その中から自分が気に入っているものを2つ取り出して姉にカップを渡すようジェスチャーをする。
「おっ! さっすが我が妹! 優しいなぁ~」
「……次は自分で淹れて。もうしない」
「はいはい、ありがと~」
マッハは素直じゃない妹の頭をポンポンと優しく撫でると、ヨシヨシと囁きながらヒナを慰めているイシュタルの元へてこてこ歩く。
流石に冗談だと笑って流せるような状況じゃないと察したらしく、マッハもその寂しそうな背中に小さな手を置くとゆっくり擦る。
「ヒナねぇ、どうしたの……? なにかあった?」
「ったく、うちの姉ちゃんはこういうとこだけいつになっても治んないよなぁ~。子供じゃないんだからさぁ~?」
「うぅ……。ごめん、ごめん……」
「別に謝らなくても……。ほんとに、どうかしたの?」
出来るだけ優しくそう言うも、ヒナは嗚咽してすすり泣くだけで何も答えようとしない。
一応状態異常回復の魔法やスキルを試してみるも、それらが効果を表すことは無かった。状態異常系の攻撃ではなく、単なるメンタルの不安定さが招いた結果らしい。そういう場合、イシュタルの所持している魔法やスキルは全く役に立たないのだ。
だが、たっぷり5分ほど「大丈夫?」と慰め続けていると、ヒナは鼻水を啜りながらもなんとか涙を止めてぎこちない笑顔を浮かべた。
「ご、ごめん……。落ち着いた」
「ん、なら良い。なにかあった?」
「まったく、うちの姉ちゃんは子供だなぁ~」
「……ヒナねぇは猫舌だからちょっとぬるめにしておいた。落ち着く。飲んで」
イシュタルがゆっくりとその体をどかしてヒナを元居たソファに座らせ、マッハが仕方ないと言いたげに腕を組んでその向かいに座る。
ケルヌンノスはうっすら湯気を出すカップをヒナに手渡すと、滅多に見せる事のない笑みを浮かべてその頭を撫でた。それだけの行為でヒナはまた情けなく泣いてしまいそうになるが、目の前のハーブティがそれを許してくれなかった。
不思議と心が落ち着く柑橘系の香りが鼻腔をくすぐり、少しだけぬるめにしておいたと言いつつも手の中がほんのりと温かい。
ハーブティなんて洒落た物は飲んだ事が無いけれど、ティーカップの取っ手に指を突っ込んで飲むことは行儀が悪いという事だけは知っていたので、そのままカップを両手で持ちながら少しだけ薄緑のその液体を啜ってみる。
「おいし……」
思わず、そんな声が漏れた。
最近はずっと栄養ドリンクばっかりで半ば無理やり栄養を取って眠気を覚ましていたからか、体の隅々にまで染みわたるような、そんな気がする。
ヒナが驚愕の表情を作って苦手なはずの少し熱いハーブティを必死に啜るその姿がなんだか可愛くて、愛おしくて、ケルヌンノスも知らず知らずのうちに口元が緩んでしまう。
「……良かった。ヒナねぇになら、また淹れる……」
「えぇ? ヒナねぇにだけ甘くないか~? 私にも淹れてくれよ~」
「……たまにね」
「えへへぇ。けるのそういう可愛いとこ、大好き」
「う、うるさい!」
頬を赤く染めながらマッハから顔を逸らしたケルヌンノス。そんな姿を微笑ましそうに見つつ、ヒナは数年ぶりに幸せを感じていた。
自分が求めていた物が……家族の温かさが、こんなに理想とする形で手に入るなんて……。もう、夢でもなんでもいい。なんでも良いから……もし夢なら、一生覚めないで欲しいと願うばかりだ。
どうせ、現実に戻っても自分を待っている人なんて誰もいない。なら、幸せの夢の中にいつまでもいさせてくれと、心からそう願う。
「ごめんね、心配かけちゃって。もう大丈夫だから……。ありがと!」
出来るだけ笑顔でそう言うが、何年も笑顔を作ってこなかったせいで上手く笑えているかどうか分からないなんて、情けなくて仕方ない。
でも、3人が安堵の表情を作ってはぁと肩を落としている所を見るに、上手く笑えているのだろう。もう、家族と呼べる人達はここにいる3人だけだ。たとえこれが夢だったとしても……この幸せを精一杯楽しんでから死ぬことにしよう。そう決めた。
「ねぇ、今日、4人で寝ない……?」
だからだろう。普段なら絶対に言えないような事を口走る事が出来たのは。
なにせ、自分で作ったとはいえ可愛い妹が3人も目の前にいたら……ちょっとくらい自分の欲望を出してみたいと思ってしまったのだ。
ヒナ自身は女だし、どうせ夢なんだから添い寝くらいなら許してくれるだろうという甘い気持ちから来た……というか、これがほんの出来心という奴だろう。
「……マッハねぇ。やっぱり、ヒナねぇおかしい」
「心配して損したな~」
「ヒナねぇ、それは流石に……」
本気でヤバい奴を見る目を向けられたヒナは、夢のはずなのになんでそんな酷い事を言ってくるんだと泣きたくなった。
これ以降、絶対に過度な期待はしないでおこうとヒナは密かに心に決めた。夢だからと言って、なんでもかんでも欲望が叶う訳では無いらしい。




