199話 ゲームと現実
6章始まります
どうして、こうなったのだろう……。
迫りくる自身の攻撃を目の当たりにしながら、ヒナは頭の中で変に冷静になっていた。
元はと言えば、両親が早くに亡くなって孤独に生きるしかなくなってしまったからだろう。
ラグナロクで魔王として君臨していたのだって、それ以外にやる事が……出来ることが無かったからだ。自身の存在をインターネットで誇示し、私はここに存在していると主張する事で必死に孤独感から逃げようとしたのかもしれない。
マッハを作り出してから孤独とは無縁の生活にはなった物の、重度の鬱病を抱えていた彼女は一度ゲームの世界から離れると己の死を常に考えていた。
いや、常にというのは違う。
食事を摂っている時やシャワーを浴びている時だって、その頭の片隅にはラグナロクで行われているイベントだったり、これからする作業について考えていたのだから。
生活の全てをゲームに捧げた。
この世界にそんな言葉を使う人間が何人いようとも、彼女の領域には絶対に辿り着けないだろう。
ショートスリーパーという訳でもないのに、日に30分から1時間程度の睡眠で各種サプリや薬を併用する根性。
それで気を狂わせることも、正常な判断力を失わずにいる精神力も、ストレスからくる風邪や高熱に襲われても気にする事無く薬で己の体を騙しながらゲームをする集中力。
NPCに戦闘を任せて狩場で素材を集めている間にイベント情報だったり、脅威となり得るプレイヤーの情報収集を並行して行えるマウスやキーボードを操る手捌き。
パソコンを使う職で最もそれらが早いのはシステムエンジニアだったり、もしくはそれらで小説や書き物を行う作家だったりするだろう。
だが、どれだけ彼らが研鑽を重ねようとも彼女の域には到達できまい。
仮にそれらを競う世界選手権なる物が行われれば、彼女は瞬く間に優勝を掻っ攫うはずだ。それも、予選の段階でほぼ全てのライバルに絶望を与えるという圧倒的な実力で……。
(このスキルから逃れるには……あぁ、ダメだ。手はあるけど発動までにかかる時間がかかりすぎるや)
光の速度を優に超えるだろう速度で迫りくる、ヒナにとっては致命的な傷を負わせる『物理ダメージ』の攻撃。
イシュタルによって複数の強化を施されているそれは、直撃すればまず間違いなく彼女の命を終わらせる類の物だ。それも、回避する事は物理的に不可能。反射するなり無効化するなりしたくとも、それらを行うにはスキルや魔法が発動されるまでの時間がネックになり不可能。
周りの者達に頼りたくとも、彼女達だってスキルが反射されるなんて思っていないのだから咄嗟に動けるはずがない。
光の速度を超えて突撃してくるスキルからヒナを守るなんて芸当、この場の誰であっても不可能だ。
つまり、コンマ数秒後にはヒナの命はこの世界から失われる。
(良い人生だった……とか、殊勝な事は言えないなぁ。まだまだやらなきゃいけない事はあったし、沢山悔いが残ってるや……)
その最たる例は、雛鳥への謝罪だ。
彼女から創造主であるメリーナを奪ってしまった事の謝罪が、未だに出来ていない。
イシュタルだけを謝らせるなんて事をしたくなかったので謝罪も無しにあのダンジョンを後にしたというのに、結局謝罪できませんでしたなんて笑えない。
それに、自分が死んでしまったらマッハ達3人も間違いなく後を追うだろうから、彼女に謝る事の出来る人は居なくなってしまう。
いや、謝る云々以前に、メリーナを彼女が最も望んでいるであろう場所に埋葬する事すら叶っていない。
無論優先順位を付ける事は彼女達に対する愚弄である事は理解しているし、失礼極まりない事も、順位なんて付けられない事も分かっている。
だが、雛鳥への謝罪とイシュタルの命の恩人でもあるメリーナをギルド本部に埋葬してあげること。どちらを優先したいかと言えば、圧倒的に後者だった。
メリーナはあの場に簡単に埋葬しただけで、遺体に腐らぬよう加工出来ている訳でも無ければしっかり弔う事も、手を合わせる事も、感謝を口にする事だって……何もできていない。
今からあの場に戻って仮に彼女の肉体が腐敗していようとも、魔法を駆使すれば恐らくなんとかなるし、最悪の場合は時を巻き戻すアイテムを使えば彼女の肉体は元に戻る。
命がある状態で人に使用したとしてもあのアイテムは効果を及ぼさないが、遺体となってしまった今、彼女は人間ではなく『物体』になってしまっている。
皮肉ではあるが、それが現実だった。
他には、ここ最近はまともに食事を摂っていなかったせいもあって久しぶりにケルヌンノスの料理が食べたい。
だるまの料理ももちろん良いのだが、あれは料理というよりも食材を少しだけ加工しただけなので、ケルヌンノスが作ってくれる本格的な料理の方がヒナは好きだった。
それに、彼女が作ってくれた食事を姉妹の全員で共有してあーだこーだ言いながらも和気あいあいと食べる時間が堪らなく好きだった。
家族を失ったヒナにとって、家族団らんなんて言葉はもっとも縁遠いものとなっていた。
無論ゲーム内でも家族のように接していたNPC達3人は、本当の意味で家族だと思って居たし、心のどこかで『でもゲームだしなぁ』なんて、彼女達にとっても失礼な事を考えた事など一度もない。
だが、そこに“だんらん”という四文字があったのか。そう言われると、答えは否となる。
この世界に来てから数年ぶりに味わう家族の温もりは彼女の壊れ、荒れに荒れた心を瞬く間に修復した。
その温かさをもう一度感じたかった。
そして……。そして、家族の今後の事だって心配だった。
マッハ達は自分が居ても生きていけるのだろうか。そんな、希望的観測――いや、失礼極まりない事を言うつもりは毛頭ない。
彼女達は、自分が死ねばその場で首を斬るなり、腹を斬るなり、もしくは世界を滅ぼすなりしてから命を絶つだろう。
自分の場合は復讐を果たすまで……みたいな事を考えるだろうが、彼女達はまだ子供だ。そんなこと、考える間もなく死を選ぶ。
それは嫌だった。
これ以上自分のせいで人が死ぬのが嫌というのももちろんあるが、この世界の誰よりも愛している彼女達が死ぬという事それ自体が堪らなく嫌だった。
ならば、彼女に求められるのはただ1つ。この攻撃を、なんとしてでも耐えるしかない。
そんなことを物の1秒未満で考え、一度は諦めた生き残るための道筋探しを再開する。
勉強などに置いて一切活躍しなかった彼女の脳みそがこの瞬間“現役時代”を超える速度で稼働し、瞬く間に無数の選択肢を浮かばせる。そして、その端に彼女自身が否定して次々消されていく。
(現実味が無い、却下。物理的に不可能、却下。速度が足りない、却下。それも現実味が無い、却下。可能性はある、保留)
このような作業が、永遠と繰り返される。
一度これが良いと思った答えにすら満足せず、それ以外に、もっと確実性のある物を……。
そんな探求心と、絶対に生き残るという信念の元に頭をフル回転させる。
これ以上の答えが出ない。そう思えるまで、彼女の脳内は稼働し続け――やがて、至る。
スキルや魔法で相殺するのは先も言った通り時間が足りないという理由から却下。
なにかしらのアイテムで相殺、もしくは回避する方法もあるにはあるが、腰に付けたポーチから手探りしなければならず、幸運にも一発でそれを掴めたとしても間に合うかどうかは時の運……いや、間に合わない可能性の方が高い。
移動速度にかこつけて避ける。それも、自分が日頃から運動不足に陥っているせいで初速からそこまで大した速度が出るか分からないし、そもそも今から回避行動を取ったところで間に合うだろうか。
彼女が様々な思考の末に辿り着いた結論。それは――
「ヒナねぇは!?」
薄れゆく意識の中で、マッハの声が耳に届いた事で彼女は策が成功したことを悟った。
いくら魔法に対する無敵の防御を所有していようとも、物理ダメージ換算のスキルには効果が薄い。
無論少しくらいはダメージを軽減してくれるが、装備の効果と無数に施されたイシュタルの強化魔法でそれらは相殺されるし、物理ダメージは何倍にも膨れ上がって襲い掛かってくる。
それならば、話は単純だ。どうにかしてその装備を攻撃が届く前に脱ぐなり破壊するなりすれば良い。
流石に耐久力の問題があるので破壊するのは無理だが、脱ぐだけならそこまで時間はかからない。
それこそ、見た目はただのワンピースなので脱ぐのに数秒もかからない。
今回はその数秒が無いので様々な案が却下されてきたのだが、この世界に来てかなりの時間が経過している。その間に、様々な検証も密かに終わらせているのだ。
まぁ、検証と言ってもマッハ達がお風呂に入る時『誰が一番早くはだかになれるか勝負しよう!』とかバカな事を言っていて、全員が乗り気だったのでヒナも乗っかっているうちにゲーマー精神が燃えて来ただけなのだが……。
「たるちゃん……いたいよぉ……」
服を脱ぎ捨て、上半身を露わにした少女は腹部にどでかい大穴を開けて地面に寝そべっていた。
物理的な攻撃じゃ無ければHPの数値が参照されるので、心臓などの致命的な部分が被害に遭わない限りどんなに大怪我を負っていようともHPが1でも残っていれば死にはしない。
ヒナは戦闘に特化しているステータス構成の為防御力やHPなどには一切ステータスを回していないのだが、それでも無数に強化された神の一撃を辛うじて耐えるくらいは分けない。
これが神の槍だったならばソロモンの魔導書の効果がフルに乗るせいで消し炭になっていただろうが、そこは自分とイシュタルの判断がかみ合った結果だ。運でもなんでもない。
「ヒナねぇの声がする! マッハねぇ、周囲警戒! けるねぇは私の護衛! グレンはここら辺の掃除!」
イシュタルのその掛け声に脊髄反射で瞬時に反応したグレンは、辺りに立ち込める砂煙を一瞬で離散させる。
どこかに倒れているかもしれないヒナに配慮し、ただ風を起こす魔法で辺りを掃除するだけに留めるのは流石だ。
マッハは刀を構えて周囲を警戒しつつ、索敵スキルを展開して周りの人間が動こうものなら死なない程度に痛めつけると即座に決める。
相手の力量次第では殺すしかなくなるかもしれないが、ヒナが危険に晒される方が問題なのでそんなの関係なかった。
ケルヌンノスはすぐさまイシュタルを死霊の腕で捕まえてヒナの声が聞こえてきた方向にダッシュする。
イシュタルは手元で魔力を練りながら、ヒナがどんな状態だろうとも一瞬で元通りに出来るよう体制を整える。
「たるちゃん~……いたいぃ……」
数秒と経たずにその声の主を見つけたイシュタルが見た物は、みっともない恰好をして涙を流しながらも、土だらけになったワンピースを胸に抱く少女の姿だった。
その瞬間、彼女は張っていた気を急速に緩め、言う。
「なにしてるのヒナねぇ……。全然大丈夫そうじゃん……」
「えぇ!? 見てよこの体! 穴開いてるんだってぇ」
「HP全然減ってないじゃんか……。もう、心配して損した……」
「感覚で分かるけど、半分は減ってるんだよ!?」
立ち上がって両手を広げ、どうよ!とばかりに自分の裸体を見せびらかす姉に呆れ、イシュタルは簡単に回復魔法を唱えて言う。
「早く服着て。そんな姿、男に見せたくない」
そして、ボソッと心の中で呟いた。
(無事でよかった……)