198話 未来を見通す頭脳
ディアボロスの幹部であり、ラテン語で『心』を意味するアムニスをその名に頂く女は、ゲームの世界以外でも異常な才能を発揮していた。
彼女は現代の医療を数世代発展させたと言われるほどの画期的な治療法や新薬、論文等を数えきれない程発表していた。
それだけには留まらず、彼女は医者であり研究者であり……考古学者でもあった。
考古学者なんて聞けば大抵の人間は昔の文献を読み漁り、古代の文明や未だ解明されていない過去の痕跡を紐解く、どちらかと言えば『目立たない職』だの『あまり耳にする事のない世界』と頭に思い浮かべるはずだ。
それは世間一般的な感覚で言えばなんら間違いでは無いだろう。
しかし、彼女はそんな世間一般の感覚をたった数年で塗り替えてしまった。
要は、彼女の影響で解明された古代の謎や世界の不思議、不可思議な現象は100や200では済まないのだ。
代表的な物で言えばどうやって石を積んだのか解明されていなかったエジプトのピラミッド製作方法。
46億年前に誕生したとされる月の岩石や土の年代が200億年ほど前の物だとされる謎。
ナスカの地上絵がどのようにして描かれたのか……などだ。
それらの偉業は世界的に報道され、現実の世界で彼女の名前を街頭インタビューで聞き出せばまず知らない者はいないだろうと言われるほどの有名人だ。
小学生の将来なりたい職業ランキングなどという、誰の為に存在しているのか定かではないランキングの上位を医者と研究者、考古学者に塗り替えてしまった女が殺人を好む異常者だと知れば、彼らの夢はたちまち『殺人者』へとなり替わってしまうのだろうか。
それは当事者にしか分からないだろうが、ともかくアムニスはゲームの部分以外でも十分すぎる程に世界に貢献し、名を残していた。
その頭脳はアインシュタインの再来とまでメディアで取り上げられる始末であり、レベリオとはまた違う方面で頭脳の使い方を根本的に間違えている『天才』だった。
無論医者や研究者として彼女が救った命は数千万という単位に登るだろうが、同時にゲームで彼女に不幸のどん底へ叩き落された者達の数もそれに引けを取らないだろう。
ディアボロスで報酬や暗殺部隊の編制、各部隊の戦力把握から依頼の整理まで。その全てを誰の手も借りずに1人で捌いていた彼女の頭はそれこそ異常なほどであり、いくら高性能AIだろうが数日でパンクするような物だ。
それを可能にしていたのは……『未来を正確無比に予測できる』という特技のおかげだ。
(魔王がこの先考える事は、会話の内容から推測して私達の中から誰かを実験台にして時間停止の謎を解き明かす事だろうね……。その標的になる可能性が最も高いのは……フィーネかな)
フィーネからの報告によれば、レベリオがメリーナを殺害した際に現場に居合わせたのはイラとミセリアの姉妹の4人だった。
その中で剣士として一応はマッハに立ち向かったフィーネだったが、何もする事無くあしらわれてしまったそうだ。
ならば、現状なんの役にも立てていないマッハの為にとフィーネが標的にされる可能性は高い。
アムニス自身も剣士ではあるが、マッハとは面識が無いし実力が未知数な以上ヒナは安全を取ろうとするだろう。
マッハとの会話や自身の魔王としての勘でアムニスとフィーネのどちらが今後厄介な存在になるかくらいは察しを付けているはずで、それもフィーネの方が選ばれるだろうという予想を後押ししていた。
そうなれば、ヒナが結論を出すより先に未来に起こる事を予想して作戦を立て始める事は可能だ。
どうすればこれ以上の死傷者を出さずに幹部メンバーを逃がす事が出来るか……。
(逃亡するには、彼女達の全員が追跡してこないという状況を作る必要がある。あの背後の天使がなんなのか分からないが、この状況で召喚されたままなのを考えるとそれなりに強い召喚獣という前提で考えた方が良い。倒す事はとりあえずできないとして、彼女達の誰か1人を戦闘不能、もしくは安否不明の状態にしても意味は無い……)
例えばマッハをどうにかして戦闘不能にしたとしよう。
一時的に彼女をそんな状態に追い込めたとしても、あの中にイシュタルという絶対の守護神がいる以上、数秒で万全の状態に戻される可能性が高い。
そうなってしまえば彼女達全員の怒りが増してさらに力がアップするだけであり、無用に生存の可能性を下げる結果にしかならない。
(ならば、レベリオの事を交換条件にして相手に譲歩を促す……? いや、無駄だな。その程度の事ではあのうちの誰かが否定した時点で作戦が破綻してしまう。特に話を聞いている限り、イシュタルとケルヌンノスとかいう子達はかなり頭が切れる。魔王とマッハは戦闘に特化した脳筋タイプで子供っぽい所があるみたいだから最悪なんとかなるだろうけど、あの2人は無理だね、自分達でなんとか出来るとか言いそうだ)
特に、ヒナに出来ない事は無いと盲信しているだろう彼女達ならば、そんな程度の情報は自分達だけで集められると胸を張って言いそうだ。
それに、仮に説得に応じられたとしても全員を見逃す理由は無いとか言ってマッハが斬りかかって来て、ヒナも好奇心を満たす事を優先する可能性だって0では無い。
彼女達は昔存在した高潔な侍だの、アニメに出てくる不必要に優しさを見せる少年漫画の主人公では無いのだ。
(瞬間移動系の魔法やスキル、存在隠匿系の魔法を使用出来る人が私達の中には存在していないのだからその手の手段も使えない。だが、彼女達が追跡してこないという前提を加味しなければならないという面を考えると、残された道は彼女達が私達に興味を無くすことだが……)
その可能性も極めて低いと言っていい。
仮に、彼女達が自分達に興味を持っている理由が『レベリオに逃げられて不愉快だから』という理由なのであれば、可能性としてはあっただろう。
だが、今回彼女達が興味を持っているのは『時間停止の攻略法を見つける』という目的があるからだ。
その目的の為に動いているのに、その結論が出ないうちに興味を失うなんてことは絶対に無い。
適当な雑魚メンバーを生贄に差し出して好きに実験しろ、なんて提案を受け入れてくれるのであれば話は早いが、それはイシュタルかケルヌンノス辺りが『胡散臭い』とか言って拒否するだろう。
もしくはマッハ辺りが剣士の勘を働かせるなり、今後面倒になる可能性を排除したいとか言って幹部を指定する可能性だってある。
やはり、助かるには彼女達の誰か1人を戦闘不能、もしくは安否不明等の状態にするしかない。
それも、イシュタルが数秒の内に直せる程度の物ではダメだ。
イシュタルと護衛の1人を残し、他の3人ないし2人が追跡してくるという物でもダメだ。この場の全員が残り、その人物を心配するなり捜索するなりしなければならない。
そんな事を可能とさせる存在は――
(魔王本人以外にあり得ない。だが、彼女はそうならないからこそ魔王と呼ばれているという大前提を忘れてはならない……)
こんな事、彼女を殺したいと願ったプレイヤーが全員考える事だ。
だが、それが実現しなかったからこそ彼女は『魔王』なんていう大層なあだ名で呼ばれているのだ。
ただ、この状況で幹部の全員が生き残ってこの場を脱出するには、ラグナロクで誰も無しえなかったその偉業を達成する他無い。
「そういう無理難題をクリアするの、私は慣れてるんでね」
何度、今まで人類や現代の科学では無理だと言われた事を覆してきたと思って居るのか。
それらに比べれば、このくらい序の口だ。ここはゲームではなく現実の世界。
画面の中で起こる事を正確に認識してからコンマ数秒の単位ではあっても思考する時間があるゲームでも、最悪死んでも生き返る事が出来るという生ぬるい世界でもない。
ヒナ達に、まだ『ゲームの中で無敵だった魔王』という認識が少しでも残っているのなら、一撃だけの“弱者なりの反撃”でどうにかなる可能性はある。
まぁ、様々な幸運や偶然が重なり合わなければ無理だとしても、その状況を可能な限りお膳立てして用意してあげる事は出来る。
「フィーネ、もしもの場合はなるだけマッハちゃんのプライドを傷付けないように、それでいて絶妙にイラっとするようなことを言いながら戦ってくれ。君ならできるはずだ」
「君は、時々難しい事をサラッというよね。良い感じに煽れってこと?」
「あぁ。それも、魔王に聞こえるか聞こえないかギリギリの物で、なおかつ怒りを買うような直接的な煽りってよりは、マッハちゃんに無力だと思わせるような間接的な煽りだ」
「だから、そう難しい文言をサラッと言われても困るんだけど」
「難しくてもやってくれ」
その強めの一言は、実質的なアムニスの敗北宣言だった。
これ以上の策が思いつかず、唯一出来る事と言えばそれが起こる可能性を最大限高める舞台を設定してあげる事くらいだ。
マッハを煽る事でヒナの無意識に『マッハにも役目を与えなければ』という意識を植え付ける。
そうすれば、それは他の3人にも伝播し、イシュタル辺りが『物理攻撃判定の魔法、もしくはスキルを使用して』と言ってくれるはずだ。それを、アムニスが手持ちの反射アイテムでヒナに向けて跳ね返してしまえば一旦は安否不明の状態に出来るだろう。
そして、その状況が出来上がるという事は、イシュタルによって無数に施された強化魔法によって本来の何倍も威力の上がったそれを打ち出している状態という事でもある。
それを反射されるという事は、ヒナだって無事では済まないだろう。
無論殺害する事それ自体は出来ないだろうが、深手を負わせる事くらいは可能かもしれない。
(治療を施されたとしても、初めて受ける痛みの余韻はしばらく残る……。ヒナは子供だ、それを我慢できるとは思えない。無論、私もレベリオ同様彼女達から恨みと怒りを買うだろうが――)
これ以上幹部メンバーが減ってしまえば、いよいよ彼女達の悲願成就が絶望的になってしまう。
数百年単位で目指してきたそれが一瞬にして無に帰すなんて、ディアボロスの誰も望んでいない。
――数分後
見事計画を遂行し、生き残った2人の幹部を連れてwonderlandを抜け出したアムニスは、スキルの余波で吹っ飛んだ右肩から先をぼんやりと眺めながら、左右を歩く2人にも聞こえるようにポツリと言う。
「何か対策を立てないと、本格的にマズイね。多分、次会った時には完全に攻略法を掴んでいるはずだ。私達の戦力もだいぶ減るだろうから、またどこかの国に寄生するなり乗っ取る計画を進めないとね」
あの場に残してきた戦力はかなりの数だ。
それが全員死亡するとは考えていないが、魔王の餌食になる可能性は十分にあるし、今回の件でwonderlandの生き残りと手を組む可能性は非常に高いだろう。
そうなれば、必然的に相手にしなければならない戦力が増大する事にもなり、自分達だけではとても対応しきれない。
「そういう意味じゃ、人心掌握に長けたサンがいなくなってしまったのは痛いね。ステラの方はどうだい?」
「私の顔が割れた以上、手を引いた方が良いでしょう。それよりも、レベリオが家出したはずだと言っていたイシュタルがあの場にいた経緯等を調べた方が良い。その結果によっては、寄生、または乗っ取る先の国を決める事になります」
「ステラ……だったりしてね」
イラが吐き捨てるようにそう言ったが、実のところアムニスはその可能性が最も高いのではないかと思っていた。
フィーネの報告から、メリーナを殺害した場所は大体把握している。
そして、彼女達がこの世界に来てからの動向も今までの調査からある程度は判明している。
家出した際、イシュタルが頼るとすればブリタニアにいるエリンしかいないだろうが、そこに行かなかったというのであれば、心理的に反対方向に行きたがるはずだ。
エリンの元に行けば何かあったと勘繰られる可能性が高いし、万が一にも目撃されてしまえば面倒な事になりかねないので、知り合いのいない方向に……という心理が無意識に働いたとしてもなんら不思議ではない。
そして、ブリタニア王国のちょうど反対に位置している国。それが、魔法大国ステラだった。
(まぁどちらにせよ……ステラとブリタニアが無理ならあそこしか無いんだけどね……)
そうして数日後、彼女達が次に目を付けた場所は――