196話 動揺という名の刺激
サンがこの世界から消滅した直後、現場には沈黙だけが残った。
唯一聞こえるのはヒナとケルヌンノスが放った魔法の残滓がピリピリとその場を焼き尽くしている音と、削られた土地の一部がポロポロと崩れる音くらいだ。
「奴らは、殺せるのか……」
Wonderlandの誰かが、ポツリとそう呟いた。
無敵に思えた相手の不死性、それが今あまりにもアッサリと打ち破られた。
イシュタルから数えきれない程のバフを受け、マッハが相手の身動きを封じ、ケルヌンノスがヒナのサポートを行ったうえで放たれる対個人を想定すれば最大火力の魔法。
イベント限定、サービス終了間際だったとは言えやりすぎだと言わざるを得ない高火力魔法『神の槍』が、サンの体に打ち込まれたその瞬間、その場の誰もが彼女の死を悟った。
だが実際には、サンはそれだけでは死ななかった。
体を引きちぎられた昆虫が必死で手足をばたつかせ生きようともがくように生命の灯を必死に燃やし、なんとか体を再生しようとしている。
彼女の死を全員が感じ取っていながらも動けなかったのは、今動けば魔王の刃が己に向けられると分かっていたからだろう。
そんなサンに、ケルヌンノスはトドメとなる一撃を迷いなく放つ。
重力魔法によって残っていた肉片もろとも圧し潰され、思考する事さえできなくなった彼女に待っていたのは『終幕』の二文字だけだった。
魔力の操作が云々という話ではない。
ヒナの魔法をレベリオと違って対魔法使いの装備に回していないプレイヤーが受ければ、一瞬でその命を散らさなかったことがもはや奇跡と言えるのだから。
「おいシャドウ、ワシの存在維持に必要な魔力供給が滞っておるぞ。どうなって――」
「はぁ……まったく、嫌になるね……。こんな頭のおかしい奴に何度もなんども斬られるのは今後一切勘弁願いたいよ」
「同感だね……これがあるから、私は今まで前線にで――」
そんな衝撃的な光景が目の前に広がっていれば、我を失う程に魔力回復ポーションを飲んでいたシャドウの手だって止まってしまう。
彼が召喚していた夜刀神の存在維持に使用する魔力は膨大だが、彼はそれ以外にも数十匹の龍を召喚してサンとイラの相手をさせていた。
ポーションを使用してなんとか魔力を持たせていたのに、それが切れてしまえばすぐさま限界が来る。
数匹の龍がヒナとケルヌンノスのとんでもない威圧や攻撃の余波で消滅してしまったのでしばらくは持っていたのだが、いよいよ限界が来たのか夜刀神が使用していたスキルの効果が切れ、3人が地上へ降り立った。
無論、ヒナ達5人はその事を自覚しているが、全員が彼女達を『敵』だと認定していなかった。
唯一前線でヒナを始めとした姉妹を守る役目を担っているマッハはこの場の全員が襲い掛かって来ても対応出来るように全神経を集中させているし、グレンに関してもキョロキョロと周りを見回しながら警戒している。いざとなれば盾となり、自らの身を犠牲にしてでも4人は守ると覚悟している。
だが、3人は目の前の光景を見た瞬間に全てを察した。
マッハでさえ自分1人では勝てないと言わしめる程の夜刀神は、ヒナの圧倒的な覇気に気圧されて額に冷や汗を流す。
いつも冷静でどこか余裕そうな態度を保っているフィーネは激怒していながらも恐れからか全身を小刻みに震えているイラを見て首を傾げ、遅れてサンの姿が無い事と魔王一派が全員揃っている事で背筋をゾクリと震わせる。
アムニスは一瞬でその全てを察し、この作戦は失敗だ。どうすれば全員を無事にこの場から逃がす事が出来るかを即座に考え始めた。
そんな中、この場の全員の思考を支配していると言っても良い魔王は、傍に控える冥府の神に優しく、いつもと何ら変わらない様子で問いかける。
「けるちゃん、今の感覚掴めた?」
「今の? それが、魂が消失する瞬間って意味なら、多分大丈夫。次があればもっと効率的に出来ると思う。でも、理論云々は私の頭では理解できない」
サンが消える瞬間、アンデッドであるケルヌンノスはこの世界からその魂が消えた事を確かに認識した。
メリーナが死亡した際はそれどころでは無かったし、抜け殻となった彼女の体に魂が入っておらず、認識すらできない事に動揺してしまっていた。
だがしかし、今回は違った。
彼女はヒナに言われずとも『次は確実に、もっと効率よく殺すために』必要な情報を収集するべく己の性能をフルに生かしていた。
ゲームでもそうだが、ヒナは一度成功したとしてもそれで満足する事はない。もっと効率的なやり方があるのではないか、あるとすればそれは何か。
それを永遠に探究し続け、自らが最適解だと思える回答が得られるまで試行錯誤を続ける。
そのデータ収集はゲーム内ではヒナ自身が全て行っていたが、今は3人全員が己の意志でヒナに与えられた才能をフルで生かして自発的に動いてくれる。
ヒナもそれを分かっているからこそ、わざわざ「魂の動きを観察しておいて」なんて言わないのだ。
だが、ヒナを始めとしたマッハとケルヌンノスの3人は、どちらかと言えば天才肌だ。
人に説明するのは限りなく下手であり、自分の感覚だけで生きているような人間だ。
感覚として掴んでいる事を、その理論を説明しろと言われてもそんなの無理に決まってるだろと逆切れして答えるような者達なのだ。
そして、そんな彼女達全員をサポートする役目を担っているのが――
「多分だけど、固定した魔力で魂の核を守る事で無敵に近い状態を作り出してるんだと思う。ジンジャーの術式説明だとそんな感じの事は言ってないけど、けるねぇが魂を知覚出来てて、その消滅も確認できてるなら圧倒的な魔力の塊、例えば魔法をぶつけて一時的にでも固定された魔力の流れを断ち切る事が出来れば、それに守られてる魂の核が露出されるから、そこになんらかしらの衝撃を加えると死に至るって事なんじゃない?」
ジンジャーの元で時間停止に関する術式やそれが生まれた経緯を学んでいたイシュタルが、顎に手を当てながらそう思案する。
その話は元から勉強が苦手で脳みその性能が戦闘に特化しているヒナには到底理解できるものでは無かったが、感覚として理解しているケルヌンノスと同じく、天才のマッハには正しく伝わったらしい。
その証拠に、2人は可愛らしくなるほどなぁと首を縦に振っている。
「え、皆分かったの……? 私全然分からなかったんだけど……」
情けなく膝を曲げて泣きそうな顔になっている姉にどう説明するべきか悩んだ挙句、周囲の警戒をグレンに一任してマッハが「あのね?」と人差し指を立てながら授業をするように言葉を紡ぐ。
「ここにトンカツがあるとするじゃん? トンカツって衣に囲まれてて、中に肉が入ってるでしょ? この場合、時間停止のそもそもの原因になってる固定された魔力っていうのが衣で、魂の核ってやつが中の肉なんだよ」
「と、トンカツ……? う、うん……」
「トンカツ食べる時ってそのままバクって食べるでしょ? その時、最初に口にするのは衣の部分じゃん? 肉は衣食べないと届かないし」
「マッハねぇ、それじゃわかりずらい。ご飯系で言うなら、ゆで卵とかの方がまだマシ」
自慢げに説明していたマッハの肩を叩き、呆れたように首を左右に振るケルヌンノスからその通り過ぎる指摘が飛び出し、彼女はうげぇと舌を出して負けを認める。
お腹が空いていたせいでトンカツなんていうガッツリ系の料理が浮かんでしまったが、説明するだけなら確かにゆで卵の方が……とも思ったのだろう。
「ならゆで卵な! ゆで卵って、最初お湯から出す時殼がついたままじゃん? 食べるには殼を剝かないとじゃん? そのまま噛り付いたって美味しくないでしょ?」
「そ、そうね……? ていうか、大前提としてなんで食べ物で例えるの……?」
「良いじゃんそこは! お腹空いてるの!」
傍で聞いているグレンが思わず頬を緩めてだらしない顔を晒してしまいそうになるそのやり取りは、ヒナのありえない程欠如した理解力と、ぐぅとお腹を鳴らしてその度に「けるの料理が食べたい……」と呟くマッハによってかなり長引いた。
要は、固定された魔力が卵の硬い殻だとすれば、魂の核はその内側に眠る白身という事だ。
白身に到達するにはまず殻を破る、もしくは取り除く必要があり、その取り除く手段として有効なのが『強力無比な魔法である』という事だ。
この場合物理的な手段でその防御を突破できないのは、魔法による攻撃じゃ無ければ固定された魔力に歪みを生じさせることができないからだ。
なぜそうなのか。それは、魔力等に精通しているジンジャー達にしか分からないだろう。
ともかく、その殻を破ってしまえば残っているのは柔らかく脆い白身だけだ。
それを破壊すれば卵は完全に消失し、その者の命を終わらせることが可能であり、この『魂の核』を破壊する行為に関しては魔法でも物理的な手段でもなんでも良いという事。
そして――
「多分、魂の核それ自体はかなり脆い。そこまで強力な魔法じゃなくとも、突破できると思う。けるがどう感じたか分かんないけど、私は傍から見ててそんな感じがしたぞ」
「そ、そうなの……?」
問いかけられたケルヌンノスは少し考えた後、コクリと小さく頷いた。
「確かに、何重にも強化魔法をかけた神の槍で突破した固定された魔力に比べるとかなり脆いように感じた。相手が対魔法使いを想定した装備を持っていたのかどうかは分かんないから強化魔法が必要だったかどうかも分かんないけど……でも、多分ヒナねぇの神の槍なら突破は可能。魂の核それ自体の破壊は神シリーズじゃなくても多分なんとかなる。こればっかりは感覚だから、もう1回くらい試しておいた方が良いと思う」
「じゃあ……その、試す……?」
なんでもない事のようにそう言ったヒナは、ようやく立ち上がって周囲を見回して状況を観察する。
戦場に立つ全ての人間が自分に視線を向けている事を肌で感じつつも、普段であれば絶対に委縮してしまうその状況にも、今はそこまで気にならなかった。
今はただ、疑問を検証したい。それだけしか、彼女の頭の中には無かった。
「ねぇあなた、ちょっと実験台になってよ」
冷酷に、冷淡に、まるでモンスターにでも言うように、魔王は言った。
そしてその相手は――
「にゃはは……参ったねこりゃ。アムニス、1分は持たせるから、その間に準備を終わらせてくれ」
ディアボロスのギルドマスターであり、アーサーに次ぐ剣士との呼び声すらあったフィーネだった。
だがしかし、彼女達だってヒナ達が悠長に時間停止の理論について話し合っていた時間何もしていなかった訳じゃない。
それだけの時間があれば、アムニス程の頭脳があればこの状況を打開する策を思いついても不思議ではない。
そして、ギルドマスターからの信頼に応えるべく、彼女は言った。
「あぁ、任せなよ。こんなところで君にまで死なれる訳にはいかない」
戦場に静かに響いたその声は、ディアボロスの命運をかけた戦いの始まりを告げるゴングに変わった。
先程更新した活動報告にも記載しましたが、もう少しでブックマークが200件を突破します!
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