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195話 サン

 少女の本名は■■。幼い頃に両親が離婚し、母に引き取られて女手一つで育てられた。

 だが、女一人。頼れる親戚や親族もいないとなれば、彼女が頼るのは必然的に水商売となる。

 夜は家を空ける事が多くなり、たまに年頃の少女がいるにも関わらず、客を取る為と称して家に男を連れ帰って嬌声をあげていた。


 昼間は小学校で大人しく勉強をしつつ、夜は真っ暗な家で1人過ごし、たまに隣の部屋から聞こえてくる母の嬌声と知らない男の気持ちの悪い声を聞きながら耳を塞ぐ毎日。

 そんな生活を送っていても彼女がなんとか正気を保っていたのは、学校に好きな人がいたからだ。

 将来は歪みに歪んで悪の道に進む少女にだって、純粋無垢に人を愛した経験くらいあった。


 少女の想い人はクラスの中心的存在で、日本人の母とアメリカ人の父を持つハーフであり、本名の『太陽』とその明るい金髪から、皆は『サン』と呼んでいた。


 少女は彼が友達と話す時に見せる明るい笑顔が好きだった。その笑顔を見れば、自分の心の中に宿った闇が少しだけでも晴れるような気がしたから。


 少女は、彼がサッカーでゴールを決めた瞬間に見せる嬉しそうなガッツポーズと、仲間達にナイス!と詰め寄られて見せる照れくさそうな笑顔が好きだった。その笑顔と姿を見れば、どんなどん底にいようとも頑張ろう。そう思えるような気がしたから。


 少女は、彼の声が好きだった。どこか心地よく懐かしい感じのする優しい声を聞くだけで、夜に聞こえる全ての音が掻き消されるような気がしたから。


 だが……そんな日々も長くは続かない。

 太陽に恋人が出来たわけでは無い。単純な話、少女がイジメの標的にされてしまったのだ。


 考えてみれば当然で、小学校のママ友という小さなコミュニティは一般人が考えているよりも非常に厄介な物だ。

 ママ友同士の関係はそのまま子供同士の関係に直結し、ママの立場が悪ければ、同時にその子供の立場さえも危うくなってしまう。

 これは幼稚園や小学校ではよくある事らしく、これが少女にも適応された。


 やはりと言うべきか、ほとんどが専業主婦で幸せな家庭を築き、水商売なんて穢れた職業。そう考えている頭の固い女達は、保護者会等に一度も顔を出した事が無いというのもあり、少女の母を煙たがった。

 どこから少女の母親の情報が漏れたのか。そんなの、ネット社会となり誰も国の監視から逃れられないとさえ言われる現代では、特定する方が難しい。


 ともかく、大人達から直接的では無いにしても間接的な命令を受けた子供にいじめのターゲットにされた少女は、想い人に救いを求める事も出来ず、深い闇に荒んだ。

 その心の中をどす黒い闇と殺意で幼いながらに満たし、小学4年生にして不登校になるという道を選んだ。


 だが、少女の人生は完全に終わったわけでは無かった。


「■■さんと同じクラスで委員長をしている太陽と言います。プリントを届けに来ました」


 少女の想い人が、なんの因果か5年生に進級しても同じクラスで、しかも委員長になっていたのだ。


 彼は4年生の半ばから急に学校に来なくなった彼女を心配し、合法的にプリントを届けに行けて、ついでに顔色を伺ったり話をすることが出来る役目に志願した。

 無論、クラス委員の仕事はそれだけでは無いし、なんならそれ以外の仕事の方が遥かに多い。

 だが、太陽はそんな事など気にする事無く堂々と言ったのだ。自分をクラス委員にしてくれ!と……。


 無論そんな真意を知らない少女は、毎日のように家に来る太陽をウザがりながらも、その実楽しみにしていた。

 今日は何時頃に来るだろうか。プリントを届けに来る時、母よりも先にインターフォンに出て彼と玄関先で他愛のない話を出来るだろうか……と。


 仕事に行く前の母がインターフォンに出る時はサッサと荷物を受け取って帰してしまうのでそれは叶わなかったが、たまに来るそのチャンスが、少女は待ち遠しかった。

 唯一の人生の楽しみ。そう言ってもなんら差し支えなく、1年が経った頃には太陽への想いも4年生の時のそれとは比べ物にならない程強くなっていた。


 6年生になり、再び太陽がプリントを届けに来てくれた時言ってくれた。

「今年も同じクラスだから、1日でも良いから学校に来ないかい?」と……。


 無論、彼はなぜ少女が不登校になってしまったのか、去年話したやり取りの中で大体察しを付けていた。

 無論教師にもそのことを相談しているが、一向に対応される気配は無いので諦めている。


 だが、それでも少女を虐めていた者達の目星はある程度つけていたし、その子達は全員別のクラスになっている。恐らく、年末に校長に直談判しに行き、弁護士でもある父に相談する事だって考えていると軽く脅したのが効いたのだろう。彼は、そう考えていた。


 その度胸と行動力は既に小学生のそれでは無いし、少女がこの提案を断っても良い様に、今年もクラス委員を引き受けてプリントを届けに来る役目を担っていた。


「だから、もし■■が断っても僕は気にしない。また今度誘うだけだ」

「……」

「無理をして来いとも言わない。僕が守る……なんて、漫画の主人公みたいなカッコいい事も、約束はできない」


 あの明るい笑顔ではなく、自身の不甲斐なさを痛感したようなはにかんだ笑顔を浮かべた太陽に、少女は無理やり明るい笑顔を浮かべて言った。

 明日、家まで迎えに来てくれるなら行く……と。


 思えば、それが彼女の……。少女の、人生の分岐点だった。

 その2日後、世間は昨日(さくじつ)起こった凄惨な事故のニュースで騒然となった。

 登校中の小学生男女二名に軽トラックが突っ込み、男子生徒が女子生徒を庇って死亡。女子生徒は右腕を骨折する大怪我を負い、トラックの運転手は頭を軽く打つという大惨事。


 事故現場は、少女の家から三十メートルほど歩いた横断歩道だった。

 歩行者の信号は青だったが、運転手が携帯を見ながらの前方不注意で、幼い命が奪われる痛ましい結果となった。


 いいや、実際はそう単純な事ではない。


 生き残った少女は、自身の腕の中で息絶える想い人の顔をしっかりと脳裏に焼き付けてしまい、ショックから数日寝込んでしまう程だった。

 だが、本当の地獄はそこからだった。


「お前が死ねば良かったんだ!」

「なんでサンが死んで、お前が生き残ったんだ!」

「返してよ! 私達のサン君を返してよ!!」


 小学1年生の頃から、所属していたクラスの中心的存在として学年を明るく照らし、同じクラスに留まらず友達も多かった太陽。

 方や、両親は離婚し、母親は体を売って生計を立てている不登校児。どちらに味方が多いのかなんて、考えるまでも無かった。


 少女がギプスを嵌め、母に無理を言って出席した太陽の葬儀で、少女は悼みではない別の感情から涙を流した。

 周りの大人も、誰一人止める事は出来なかった。なにせ、理性ではそれが理不尽であることを分かっていても、感情の面から言ってしまえば子供達を否定する事が本心からできなかったから。


 有名なトロッコ問題という物がある。

 線路を走っていたトロッコが制御不能になってしまう。その先には5人の作業員がいる。このままではそのトロッコは5人を轢き殺してしまうが、偶然にも自分はトロッコの行き先を変える事が出来る分岐器の傍にいて、スイッチを押す事で5人を救う事が出来る。

 だが、スイッチを押してしまえばその先にいる1人の作業員の命が奪われる……という物だ。


 この問題に正解は無いと言われているが、要は大人達が直面している問題も、まさにこれだった。


 理性の面ではイジメはダメだ。子供達が言っている事は理不尽、八つ当たりの類で、少女に非は一切無い。そんな事は分かる。

 だが、感情の面から考えてみればどうだろう。

 太陽が死ぬよりも少女が死んだほうが良かった。少なくとも、どちらか一方は確実に助かるという状況であれば、互いの親族以外は全員太陽を選んだはずだ。


(…………)


 唯一の味方であるはずの母は、ずっと太陽の遺族に対して謝罪と感謝の念を述べて少女をフォローする余裕はなさそうだった。


 そう、ニュースでもあったように、太陽はただ轢かれた不幸な子供ではない。

 少女を危険から守ろうと、自ら死地へと飛び込んだのだ。それが無ければ、少女の運命は大きく変わっていただろう。少なくとも、右腕がしばらく使えない程度の怪我では済まない。


 ただ……この場の全員が思って居る事を、少女自身も思っていた。太陽ではなく、死ぬべきは自分だったのだ……と。

 太陽が1年という長い期間をかけてゆっくりほぐし、その心に温かい光を与えて来た少女の心には、既にその面影は無かった。


………………

…………

……


「ふっ、くだらんな……。なんで今、こんな事を思い出すんだ……」


 自室で目覚めた少女――女は、今年28になった。

 数年前に実家を出て一人暮らしを始め、仮想通貨で一生遊んで暮らせるだけの財を稼いだ後、さっさと仕事を辞めて安いアパートで質素に暮らしていた。

 狭いワンルームにはパソコンとゲーミングチェア、小さな丸テーブル。そして、部屋の中で一番値段が張るだろう立派な仏壇が置かれていた。無論、そこに飾られている遺影は恩人の物だ。


 女は起きてすぐに携帯を確認し、今日サービスが終わるというラグナロクに集合せよとのギルドマスターの命令を確認した。

 最近はアポカリプスの方に注力していたはずだが、なぜ今になって時代遅れのゲームなんぞにログインしなければならないのか。そう思ってしまう。


 だが、これを無視すると面倒な事になりかねないので一応指示には従っておく。

 顔を洗って軽く食事を済ませた後、鬱陶しそうに数年切っていないせいで伸び放題となっている黒い前髪をかきあげる。


「私の終わりは、いつ来るんだろうな……」


 ゲーミングチェアに座り、体重を背もたれに預けてふと女は呟いた。


 右腕に残った傷は結局完治することなく、肘の当たりに小さな傷が残ってしまった。

 まぁそこまで大きい傷では無いので隠そうと思えば隠せるのだが……それ以前に、少女は両の手首に無数の切り傷があったので、夏だろうと長袖を着るしかない人生となってしまっていた。


「また、薬増えたな……」


 机の脇に置かれている精神安定剤や諸々の薬剤を眺めつつ、女はぼやいた。


 あの日から、一日たりとも忘れた事は無い。夢に出てこなかった日は無い。

 目の前からトラックが突っ込んできている。それを認識した瞬間、太陽は己の死を覚悟したような清々しい笑顔で少女を少しでもトラックから遠ざけようと突き飛ばした。

 その瞬間に彼が見せた『ガッツポーズ』は、今でも瞼を閉じれば脳裏に浮かび上がってくる。


「……今日も、許してくれ」


 1人の人生を奪ってしまった自分が暢気にゲームをするなんて……幸せに過ごすなんて、許されるはずがない。

 彼女が一生分の財を成したのに贅沢する事も無く、28と割と結婚する事を視野に入れなければならないと言われる年齢になっても恋人すら作ろうとしないのは、彼が見ているという呪縛に囚われているからだった。


 パソコンを起動するたび、彼女は一度振り返って仏壇に向かって手を合わせて頭を下げる。

 ラグナロク、もしくはアポカリプスにログインすれば冷酷で面倒臭い『サン』に早変わりするのだが、現実の彼女は、初恋をいつまでも引きずる悲しき女性だった。


「ナンダ。サービスシュウリョウヲオシムヨウナシュウダンジャナイダロ」


 既にギルドに集結していた他の幹部メンバーに向け、サンはログインするなりそう言い放った。


 ミセリアとイラの姉妹から何か反論が来たとしても務めて無視する事を心に決めつつ、アムニスか、もしくはフィーネからの返答を待つ。レベリオに関しては、サンと同じく命令に従わないと面倒な事になるからという理由だけで来ているだろうから、発言する気はないはずだ。


「もちろん、サービス終了のその時を大人しく見届ける気なんてないさ。最後に、終ぞとして敵わなかった魔王討伐。それを果たそうじゃないかと思ってね」

「……トウトツダナ」

「アポカリプスに魔王の姿が無いのは皆も知っての通りなんだけど、あの子はこっちに残ってるらしい。何度も狩場で目撃されている」


 そう言われ、幹部連中と一部のメンバーは全員がレベリオの方へ顔を向けた。

 目撃情報を挙げたのは彼女ではないかと一瞬考え、彼女の口から魔王討伐の進言がされるはずがないと全員が即座に思い直す。

 なにせ、彼女だけが魔王を殺しに行きたいと執拗にアムニスに進言していたのをその全員が知っているのだが、その時の条件として『1人で行かせろ』というのが必ず入っていたからだ。


 引退や仕事等の都合でどうしても来られなかったメンバーを除く200名余り。これで魔王を倒す事が出来れば、今後の良い宣伝になるだろう。


 アポカリプスではラグナロクではしていなかった『現金』での依頼も引き受けており、それがそのまま仕事になっているというメンバーだって珍しくない。

 魔王討伐はその良い宣伝になり、もし負けたとしても失うものが無いという最高の提案に、1人以外が威勢のいい返事を投げた。無論、返事をしなかったのはレベリオだ。


「ソモソモノハナシ、マオウハドコニイルンダ? ギルドニコモラレテイタラヤリヨウガナイゾ」

「レベリオ、君は心当たりがあるんじゃないかい?」

「……さぁね」

「最後まで面倒な奴だなぁ~。なら魔王のイラスト描いてやるよ、それで満足だろ」

「お姉ちゃん、あんまり自分のイラスト安売りしないで。その一枚、オークションに出したら二桁万円は行くから」


 相変わらずいつも通りのやり取りが展開だが、いつもは無視を決め込むレベリオが、今回はすんなり口を開いた事で事態は変わる。


「今日の3時ちょっと過ぎ、お姉ちゃんは吸血谷で吸血騎士(ヴァンパイアナイト)狩りをしてた。装備を作る素材が圧倒的に足りない時、お姉ちゃんはよくあそこで狩りをする。だから多分、まだあそこにいるはず」

「あ~? 今日はやけに素直じゃねぇか」

「イラ、なんか変な気がする……」

「ドウイケンダ。オカシイ」


 レベリオは、ここにいるメンバーで唯一アポカリプスをプレイしていない。その理由は至極簡単、魔王があの場所にいないからだ。


 彼女の生きる意味その物でもあったヒナ。

 それを操っている人間の正体がわかっていない以上、彼女もサービスが終了した瞬間に命を絶つつもりだった。なにせ、ヒナもそうするだろうと妙に確信めいたものを感じていたからだ。

 あの世に行っても、自分であれば必ず執念でヒナを見つけ出す事が出来る。そう信じ、あの世で幸せになる事を願っていた。


 だからこそ、レベリオは最後に何かの間違いで自分以外の者達にヒナが殺されることは無いよう、適当な情報をでっち上げた。

 どうせ数時間後にはこの世にいないのだ。どれだけ怒りのメッセージを送られようが、罵詈雑言を浴びせられようがどうでも良かった。


「どうする、アムニス?」


 こういう時、ギルメンが頼るのはディアボロスの頭脳でもあるアムニスだ。

 彼女はうーんと数秒頭を悩ませ、マップを確認してから口を開く。


「吸血谷の真反対、龍の谷に向かう。ちょうどその中間には魔王のギルドがある、通り道で確認すれば一石二鳥だろ」


 これは、ヒナが持って生まれた幸運というしかない。

 ディアボロスの面々がヒナのギルド本部を通過し、その内部に彼女の姿が無いと確認していたその時、彼女は――


「あぁぁぁ……やっば……。まじめっちゃ眠い……」


 現実世界でサービス終了まで睡魔に負けぬよう、シャワーを浴びていた。

 彼女がこの日、唯一ログインしていなかった数分の間に、ディアボロスの面々は彼女がいるはずのギルド本部を抜けてさらに北上し、龍系のモンスターが大量発生している龍の谷に向かったのだった。


………………

…………

……


「サン……ヨウヤク……。ヨウヤクワタシニモ、オワリガキタゾ……」


 薄れゆく意識の中で、サンはうわ言のようにそう口にした。


 体は既に何重にも強化が施された神の槍に貫かれて跡形もなく消し飛び、ケルヌンノスが放った重力魔法の影響か、再生すら許されなかった。

 それ相応の苦しみがあるはずなのに、不思議と彼女の心は安らかだった。


 数百年にも渡って苦しめられてきた呪縛からようやく解放される。

 死の恐怖より、そんな思いが勝ったからかもしれない。


冥界の王ハーデスの審判』


 ケルヌンノスが使用したその魔法を最後に、サンはその生涯を終えた。

 跡形もなくその場から姿が消し飛び、力の気配すらも消滅し――ヒナの敵が、1名この世界より消え去った。

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