192話 決断の時
バイオレットが意外にも善戦している一方で、シャドウの心は穏やかでは無かった。
召喚した数十体の龍達にサンとイラを攻撃させてはいるものの、彼女達はもはや防ぐのすら面倒になったのか魔法で攻撃を相殺しようともしない。
2人とも、龍達の攻撃で自分の不死性がどうにかなるなんて思ってもいないし、そちらに割くリソースが無いのだろう。
イラは姉が死亡したと信じ込み、激昂してバイオレットに全神経を注ぎ、怒りを燃やしている。
サンはそんな烈火の如く怒り狂っている隣人に恐怖しながらも戦場を見渡し、イレギュラー――例えばこちらの逃亡や加勢の有無――が無いか、常に目を光らせている。
ついでに言えば、そこら辺で寝っ転がって興味なさそうに天を見上げながら大あくびをしているレベリオもこの場にはいるのだが、奴は戦う気がそもそもなさそうなので除外して良いだろう。
それに、仮にこちらが逃げたとしても彼女の頭の中には何か他の事しか無さそうなので、逃亡する際の障害にもならないはずだ。
(あいつは仲間達から恨まれることに関しても恐れていない……。だが、不死性を担保しているイラが、姉の死を本気で信じているという事は、理論上それを破り得る策があるという事。実際それを彼女達が知っているかどうかは別にしても、レベリオはその方法を知っていると考えた方が良いか……)
レベリオが仮に不死性を突破する方法を知らないとするなら、あんなに悠長には構えられないはずだ。
なにせ、あまり下手な事をすれば消される可能性がある組織。それがディアボロスという殺人集団なのだから。
人を殺す事に抵抗を覚えない異常者の中に居ながら自分が殺される心配が無いと高を括っているのは、彼女達が自分を殺せるはずが無いと確信しているから。それ以外にあり得ない。
そして、少なくともイラが激昂している事から見ても、彼女達の不死性は完全では無いのだろう。
察するに、何らかの手段を用いる事でその不死性を消し去り殺害する事が出来ると思われるが、それが生半可な方法じゃないという事は流石に理解出来る。
(私が推測する範囲でそれを導き出し、あまつさえそれを実行に移す事が出来るかどうか……。いや、不可能だ。情報があまりにも少なすぎる)
不死性の原理を解明しようにも、情報があまりに欠如しているせいで正確な答えが導き出せない。
そんな状態で下手に予測を立てて失敗したとする。そうなった場合、まず間違いなくこちら側に動揺が走り、各々の動きが乱れる原因になってしまう。最悪の場合は死者が出る可能性すら視野に入れなければならず、未だに召喚獣の犠牲だけで済んでいる事の方がおかしいとさえ言える。
そう。未だに彼らの中から死人が出ていない事の方が不自然なのだ。
相手は不死の殺人専門集団。その実力は自分達と同等……とまではいかないまでも、圧倒的に格下という訳でもない。
ゲーム時代に実際負けた事があるメンバーの方が少ないのがwonderlandという1位ギルドの誇りでもある訳だが、それとこれとは話が違う。
あの時は、自分達の圧倒的火力や潤沢に揃っていた装備や金の力に物を言わせて圧殺して来た。
分かりやすく言えば“殺られる前に殺る”という脳筋戦法でなんとかなっていた。
しかしながらこの世界、今の状況でそんな戦法は使えない。
相手は不死。この世界はゲームではなく現実。仮に装備が壊れたとしてもマウスをクリックしてすぐさま新しい装備に切り替える事などできない世界。
そんな世界で死人を出さずにこの場を切り抜ける方法なんて……
「私は既に、生きるのを諦めている」
ボソッと、彼は呟いた。
仲間達の誰にも気付かれぬよう小声で、それでいて自分自身の弱い心に――共に逃げ、この先の人生も共に笑い、泣き、喜びを分かち合って生きていきたい。
そう、本気で思ってしまう弱い心に喝を入れるように、呟いた。
「ビャクヤ、おいで」
シャドウはそれから数秒と経たずに決断を下し、サンに属性ダメージを与えるブレスを吐いて相手が意にも返していない事に苛立ちを覚えていた龍を呼び出した。
彼はシャドウが召喚した龍達の中でも最も歳を重ねている龍だ。それ故に力も強く、他の龍に比べてかなり賢いという一面も持っている。
無論それはラグナロク内の設定でしかない訳だが、この世界ではそのままラグナロクの設定が生かされているので、この龍だって――
「なんだ、シャドウ。我に用か?」
「あぁ、君にしか頼めない事だ」
その、主人の死を覚悟した顔を見てビャクヤは悟った。これから彼が何をするつもりなのか。そして、この先に待っている展開と、自分達の終わりを感じ取る。
主人の覚悟もそうだが、彼のように歳を重ねた龍でさえ、死というのは恐ろしい物だ。
全生命の行きつく先。終わりの地。終着点。美しい言い方は様々あるが、その恐ろしさは基本的に変わらない。
当たり前に感じられている“生きている”という行為が終わりを告げる。
命が燃え尽きる瞬間にはどんな苦痛が待っているのか、それを想像するだけで天高く飛びたって泣きたくなるほどだ。
だが、そんな甘い事など言ってられない。なにせ、自分よりも遥かに死を恐れているはずのシャドウが覚悟を決めているのだ。
ならば召喚獣としてではなく、ラグナロク時代から彼を支えて来た友として……そして臣下として、覚悟を決める必要がある。
「言ってみろ」
「助かるよ」
その老骨の覚悟を感じ取ったシャドウもハハッと薄く笑い、作戦とも呼べないお粗末な作戦を伝える。
「私が全員を一か所に集める。その一瞬で、君は彼女達を魔法で湖の上まで一気に吹っ飛ばしてくれ。私達は、彼女達が後を追わぬよう足止めする役だ」
「殿という訳か。……我らだけでなんとかなるか?」
「時間的にそろそろステラからの援軍が到着するはずだ。あまり戦力的な期待はできないだろうけど、最悪そちらに任せよう。僕らが出来ることは、この場に彼女達を留める事だ」
「あい分かった。若いもんにも説明してくる、数分くれ」
「良し、急げ」
シャドウはゲーム時代から軍師として……いわば、戦闘時の作戦立案から指揮の全てを担ってきた信頼がある。
その信頼を裏切る形にはなってしまうが、一言言うだけでこの場の全員は一か所に集まってくれる。ただ一言『集合!』というだけで。
後はビャクヤが風の魔法で全員を天高く吹き飛ばし、湖の上まで導けば任務完了だ。
だが、そんな事をしても戦場が移り変わるだけでなんの意味もない。
ここで1人、殿となってディアボロスの面々を引き留める役目を担う必要がある。
スカーレットとバイオレットの圧倒的な攻撃と速度で恐らく蹴散らされたのだろう雑魚達もそろそろ帰ってくる頃だろう。
それら全てを一手に引き受けられるのは――
「そんな事だろうと思った~。ったく、君はすぐ全てを諦めようとする。それは悪い癖だぞ?」
そんな声が耳に届いた瞬間、シャドウは魔力回復ポーションに伸ばしていた手を止めて驚愕の表情で右斜め後ろに顔を向けた。
「悪いね、遅くなった。今の状況は……ま、割と最悪に近いんだろうね、君がそこまで言うんだから」
「……カフカ。もう、帰って来たのか」
そこに居たのは、自分が愚かな策を弄してこの場から逃がしたはずのカフカだった。
魔王の元まで行くのにそれなりの時間がかかると推測し、こちらが全滅している可能性もあるので戻ってこないだろうと思っていたのだが……どうやら、それは間違いだったらしい。
彼女は腰に両手を置いて、まるで親友のアリスと絶望的な状況で強大な敵……例えば神を相手にし『ここからだろ、親友』とお互いに口を開いていた時のような、満足そうな笑みを浮かべていた。
彼は、どんな状況だろうと不屈の精神で事態を好転させるべく手を尽くし、それでも結果が実らなかった時『あれだけやったんだ、満足さ!』と本心から笑える彼女が好きだった。
「残念だったね、魔王は私達に協力してくれる気は無いらしい。妹さんの捜索で忙しいそうだ。タイミングが悪かったな」
「……そうかい」
恐らくカフカ自身も、魔王の力が借りられるなんて数ミリも思って居なかったはずだ。
妹の捜索が何を言っているのかは分からなかったが、適当に理由を作って頃合いを見計らって帰ってきたわけでは無いだろうから、実際にそう言われたのだろう。
彼女にそこまで大切に想われる存在と言えば3人のNPCくらいしか思いつかないが、彼女達に対して『妹』という言葉を使って良いのかは少々疑問だ。
まぁ、そんな事を考えても仕方が無いのでサッサと思考を切り替える。
カフカがやって来たとして、この状況に変化はあるだろうか――
「彼女達の不死性に関して、何か分かったかい?」
「!? 知ってたのか……?」
「ドッペルゲンガーが目撃しててね。私はその情報を貰っただけに過ぎないよ。その様子じゃ、何も分かってなさそうだね」
「……あぁ。攻略法がありそうだなってとこまでは検討を付けてるんだけど、いかんせん情報が無くてね」
「賢明な判断だね。あの魔王ですら、恐らく攻略法は分かってないだろう」
それからシャドウとカフカの情報交換が素早く行われると、両者共になるほど……と難しい顔をして見つめ合った。
それは、どれだけこの状況が絶望的な物なのかを再認識させるもので、決して朗報とは言えなかった。
カッコつけて強者感を出しながら帰って来たカフカだったが、その実ここで死ぬかもしれないと覚悟しての事だった。
そして、シャドウから今現在の状況を聞いてあ~……と言葉を詰まらせてしまうくらいには、彼女もこの状況に対して打つ手が無いと感じていた。
そんな時――
「ん? なんか強そうな奴が来たな」
この場で最もやる気のない女こと、レベリオが突如のそっと立ち上がってそんなことを口にした。
その瞬間だけ、その場の全員が動きを止めて突如言葉を発した“異端者”に視線を向けていた。
「……」
フンフンと犬のように鼻を鳴らし、何かの匂いを嗅ぐ女は、数秒後落胆したように肩を落とし、1人愚痴る。
「お姉ちゃんの匂いがしない……。お姉ちゃんじゃないのか……。いや、よく考えてみればこの程度の強さの人間で、私に気配を察知されるような低俗な連中とお姉ちゃんを比べる方がおかしかったな……。あ~、ヤバい、めっちゃムラムラする……。も~、お姉ちゃん成分が不足してるよぉ……」
そんな事を大真面目に言っているのだから、この女の狂気とは凄まじい物がある。
完全にやる気をなくして地面に座り込んでしまった彼女だったが、その言葉は他の面々にとって看過できるものでは無かったらしい。
「オイレベリオ。コッチデヤクメヲハタサナイナラ、セメテエングンノセンメツデモシテキタラドウダ?」
「なにそれ、命令? 私、今絶賛激萎え中なんですけど」
「シルカ。シゴトシロ」
「……ッチ! そんな殺気向けてこなくても行くよ。行けば良いんでしょ~」
いくらレベリオでも、サンから本気の殺気を向けられれば“対処するのが剣士相手より面倒”という理由から、一応言う事を聞く。
それに、ディアボロスで唯一時間停止の攻略法を知っている彼女からしてみれば、火力の高い魔法使いは出来る限り敵に回したくは無いのだ。
そうしてレベリオが消えた数分後――
「仕方がない、私も残ろう」
「……カフカ?」
「部下を残して逃げる訳にはいかないさ。それに、私は君達と違って生きる理由も特にないからね」
「......アリスが、もういないからかい?」
そう言うと、カフカは天を見上げながら乾いた笑いを浮かべた。
「あぁ。あのバカが先に逝ってから、私は惰性で生きて来た。死ぬ必要も特に感じないが、生きる必要性も特段感じなかった。だから、君と共に、この場に骨を埋めようじゃないか」
「……」
それは、シャドウにとって見たくなかったカフカの姿だった。
彼の中のカフカは、いつだって諦める事無く前を向く強い女性だった。
どんな状況だろうと前を向き、諦める事無く突き進んで己の信じた道を行く。そんな人だった。
『I don't want to see you like this.』
『Are you disillusioned?』
「……そうか、君は英語もいけるんだったね」
「……スルーした方が良かったか。これは失礼」
まったく悪く思っていなさそうな笑顔を浮かべた後、カフカは言った。
そんな君はみたくなかった。仲間にそう言われたとしても、軽い調子で幻滅したか?と言えるほど、今の彼女には心の余裕がなかった。
当たり前だ。なにせ......
「私だって人間だ。いつでも気丈には振る舞えんさ。心の支えを無くしてしまえば、誰だって脆くなる」
「……」
「私にとってあのバカは、そういう存在だったんだ」
彼女とアリスにしか分からぬ友情の証は、儚く天に消えて行った。
そのすぐ後、カフカはようやく戦闘に参加する為魔力を練り始めた。