191話 絶望の先に
時系列的には167話の後のお話になります
時は少しだけ巻き戻り、wonderlandの面々がこの場を死守するよりも生き残る事を優先し、レガシーの本体を抱きかかえたスカーレットとバイオレットの前に絶望が降臨したその時――
「ボーっとするな! まだ、諦めるには早い!」
シャドウが己のキャラを忘れ、ゲーム時代であっても片手で数える程度しか見せなかった怒りの表情を覗かせ、叫んだ。
天界への階段から降り立った対剣士を想定すれば最強のモンスターであるルシファー。
彼は堕天使の長、または魔王サタンの堕落前の天使としての呼称であり、神の名を冠するモンスターを除く全てのモンスターの中で最も高い対剣士耐性を持つ。
以前のスカーレットのようにカウンタースキルで一撃の元に沈める事が出来るという弱点はある物の、彼を防御役にされるだけでイラとサンに好き勝手動かれるというのはストレスでしかない。
それに、ただでさえ彼女達の目的はカフカが戻ってくるまでの時間稼ぎ、援軍が来るまでの耐えるという当初の物から“全員で生還する”という物に変わっている。
レガシーがいれば早々に負ける事は無いし、厄介な剣士2名は夜刀神が抑えてくれている。
彼が負ける事はまずありえないと言っても良いのでこの際考えなくて良いとしても……
(マズいね……。攻撃力だけなら武器無し状態の魔王に匹敵するサンと、器用さと圧倒的戦闘センス、そして圧倒的なプレイヤースキルを併せ持つイラのコンビ……。私が召喚する龍だけでは荷が重い。だからと言って、レガシーやチャンは――)
シャドウがスッとその2名に目を向けると、彼らは何も言われずとも既に自分がやるべき事は弁えていた。
レガシーは己の本体である少女をスカーレットに託し、脅威となり得るだろうルシファーに単騎で挑みに行く。
その圧倒的な攻撃力と防御力はたとえレガシー――バイオレットでも簡単に突破できるものでは無いが、負ける相手かと言われるとその答えは否となる。
そう、時間をかける事が許されるのであれば、彼女が負ける事は絶対に無いのだ。
「お姉ちゃんを! よくもよくもよくもよくもよくも! 私の、世界に1人だけの、理解者を! 許さないゆるさない、ゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさない! 許さない!!」
「メンドウナコトニナッタガ、ゼンインシマツスルノハモトカラキマッテイタコトダ。ソレニシテモ……ソコマデオマエガオコルトコロハハジメテミタゾ」
「黙れ。お前も消し飛ばすぞ」
動揺をその顔に宿したサンだったが、初めて見るイラの“本気の怒り”に思わず背筋を震わせた。
ラテン語で“怒り”を意味する『イラ』だが、彼女はその名前とは裏腹に、ゲーム内では実に淡々と物事を進める傾向にあった。
むしろ“悲惨”という意味の『ミセリア』の方が色々と感情豊かにゲーム内で過ごしていた印象のあるサンにとって、初めて覗かせたイラの人間らしい部分は、今までのギャップと相まって非常に恐ろしい物だった。
そして、それは彼女の事をよく知るサンの感想だ。
彼女の事を表面上のデータや今までの戦闘経験でしか知らないwonderlandの面々はというと――
「レガシー、あいつってあんなキャラだったか? 私の記憶の中じゃ、割と冷静というか冷徹なイメージがあったんだが……」
「う、うん……。むしろ、彼女達の名前逆なんじゃない?とか話してた記憶ある……」
唯一手が空いている……というか、戦えない体のレガシーを抱いているスカーレットは、2人で暢気にそんなことを口にしていた。
チャンは戦闘開始前にアイテムを纏めていた場所に走り、この場で有効に働くアイテムの選定と運搬をすぐさま引き受けている。
武器を失った彼には、もはやそれくらいしかできる事が無い。
無論彼の屋敷まで戻る事が叶うなら予備の武器を取り戦う事も出来るのだが、それを許してくれる相手で無い事は既に承知だ。
仮にシャドウの龍を盾にして進んだとしても、そうなればサンかイラのどちらかが、その不死性を盾に追いかけてくるだけだろう。そうなれば、武器の無いチャンはあの世に旅立つ以外の選択肢が無くなってしまう。
(2人は戦闘で使えない。スカーレットはレガシーの安全確保で動けない。そもそも動けたとしても、1人であれだけの時間不死の相手と戦い、バイオレットがレガシーを連れて行くまで耐えていたとなると、十中八九奥の手は使っているはず……戦闘面で期待はできない)
スカーレットがレガシーを抱えながらも戦闘に参加し、それも一定の成果を上げる事が出来るとすれば、それは『女王の威厳』の効果が発揮されている時だろう。
ただし、彼女は既にそのスキルを使用しており、女王の威厳は効果が強すぎるが故にいかなる手段を用いてもインターバルのリセットは叶わない。
そこら辺に無数に転がっている砂時計を粉々に砕いたとしても、再び使用できるようにはならないのだ。
(考えろ、考えろ。この場での最適解。どうすれば奴ら2人を抑えつつ、全員……少なくとも私以外の全員が逃げられるか……)
現在のシャドウは、魔力回復ポーションを常に傍に置いていなければ体中に死ぬ方が遥かにマシだと思える激痛が走り、ありとあらゆる体調不良が襲い掛かり、脳みそを掏り潰されるような感覚に襲われ、最終的には意識を失うだろう。
そんな状態の自分が生きてこの場を去る事が出来るなど、彼は考えていなかった。
無論、バイオレットを始めとした3人がこの場にやってきた時は一瞬だけ生きる事に希望を見出した。
だがしかし、現実的に考えればそんなものは所詮夢物語だ。
いくら精神的な有利に立とうとも、現実はいつでも無感情に絶望を、苦痛を、悲しみを与えてくる。
(さらに龍を召喚? いや、魔力回復ポーションだって無限にある訳じゃない。夜刀神の存在可能時間を減らす事の方が不味い……。レガシーを私が預かり、スカーレットに前線に立ってもらう? 不可能だ、彼女では2人の魔法使い相手に太刀打ちできない……)
いくらランキング上位のスカーレットと言えども、殺人専門の魔法使い。それも、いくら斬っても死なない2人を相手にするなんて無茶にもほどがある。
相手への攻撃が致命傷にならないのはもちろん、相手の攻撃は当たり所が悪かったり威力の高い物であれば即死に繋がる。それはまさにクソゲーと言ってよく、そんな場所に送り出すわけにはいかない。
そもそも、自分がこの状態なのに戦えない幼女も同然のレガシーを預けられたところで、守り切れるとは到底思えない。
当然、レガシー本体がやられてしまえば、彼女が操っている――この世界では自分で考えて動いているが――バイオレットの機能も停止してしまう。そうなってしまえば、一瞬で全滅してしまうだろう。
「スカーレット、少し下がってください。こいつ、ラグナロク時代より強い可能性があります。今のあなたの位置では、余波でマスターが深手を負う可能性がある」
「ん、分かった!」
ルシファーが上段から振り下ろした一撃を真剣白刃取りの要領で華麗に受け止めたバイオレットは、そのまま己のダイヤモンドより硬い拳で彼の腹部に強烈な一撃を叩き込む。
だが、当然ながら背後にレガシーがいる関係で強力なスキルを使用する事は叶わない。ので、一撃入ったは良い物の大ダメージを与える……という訳にはいかない。
相手を数メートル後ろに勢い良く吹っ飛ばしながら一瞬だけレガシーの方を向いたバイオレットは、その情けなくも幸せそうな姿にふふっと笑みを零し、風のように消えてルシファーに再び向かって行く。
「我がマスターの願いの成就。それこそが、私が望む事だ」
「小癪な……。少々力がある小娘如きが、調子に――」
「小娘呼ばわりするのは勝手だけどね、君は彼我の戦力差を見極められるようになった方が良い」
ちょっとだけイラっとした様子のバイオレットは、辛うじてレガシーに影響を与えないだろう範囲でスキルを使用する。
右拳に全体重と体中の力を凝縮し、機械の体をゴォォォと唸らせながら踏ん張り、地面はそれに応えてズシッと数センチ沈み込む。
『阿修羅 撃滅』
そのスキルを乗せて一撃を叩き込むと、バイオレットの右腕がミシミシッと嫌な音を立て、衝撃波が彼女の背後までバッと流れる。
それはちょうどスカーレットの数センチ前でピタッと止まり、彼女はルシファーからの反撃を貰わぬようさっさとその場から離脱する。
ギルド対抗イベント首位景品として配布された阿修羅シリーズと言われるスキルは、仏教における守護神である阿修羅がモデルとなっている。
阿修羅は3つの顔を持つ仏像として語られており、それぞれ攻撃に特化した『撃滅』防御に特化した『鉄壁』反撃と迎撃に特化した『修羅の門』と、かなり強力なスキルを与えられている。
その中でも撃滅は攻撃に特化しているとあって、その攻撃力はバカげていると言っても良いほどだ。
神の怒りを乗せた重たい一撃は瞬く間に相手を粉砕し、一定時間相手の攻撃力と防御力を強制的に半分の値へと減らす。
無論これはプレイヤー相手に使用しても有効なのだが、問題はそこでは無い。
『戦いの神の静観』
この阿修羅シリーズの凄まじい点は、そのスキルの強すぎる効果では無い。
鬼人化と同じく、次に使用するスキルの効果を倍にするという特性を持っているのだ。それも、神の名を冠するスキルであればその効果はさらに倍になるという強化点もあるというオマケ付きで……。
実に戦いを好むとも言われる阿修羅らしいスキルではあるが、イベント景品としてもやりすぎ感は否めない。
「レイセイニナレ、イラ。ヤツハランクハチイダゾ」
「黙れ。そんなの、戦わない理由にはならない!」
その瞬間、イラは魔法を発動させてバイオレットが立っている地面を爆散させる。それと同時に局所的な竜巻を発生させ、その渦の中に閉じ込める。
更に続けざまに雷鳴を轟かせ、怒りのままに煉獄の炎で渦を作り出し、彼女を囲い込む。
並大抵のプレイヤーであれば抜け出すのに一苦労し、あまり時間をかければそもそもHPを全て削られてしまう程の怒涛の攻撃。
しかしながら、サンの忠告通りバイオレットはランキング8位のプレイヤーだ。
ヒナが断トツトップで絶対に勝てない存在として君臨していたせいで、ランキング2位以下の者達はあまりその凄さを実感されてこなかった。
毎度『でもヒナの方が強いからな……』という言葉を投げられてきたのは、決して彼女だけではない。
だがしかし、マッハも以前言っていたように、いくら魔王の3人のNPCが強力と言えども、ランキング一桁台のプレイヤーに単騎で勝利を収めるのは無理という物だ。
そして、そこに至るプレイヤーとはつまるところ、ヒナが丹精と愛情を限りなく注いで育て上げた彼女達よりも強いという事になる。
「私がこの程度の魔法でどうにかなると思っているなら、それはマスターに対する侮辱だ。神の一撃くらい浴びせて見ればどうだ」
その破滅の渦の中から澄ました顔で登場したレガシーは、嘲笑うかのようにニヤリと口の端を歪め、言う。
「ウチと一戦やりたきゃ、軍艦でも引っ張ってくるんだな。で、合ってたか? あの漫画の日本語訳は苦手だ」
その瞬間イラの怒りは頂点に達し、その場には絶叫と怒号の入り混じった雄たけびが響いた。