189話 魔王対狂愛者
それぞれの思惑が交差する中、先に仕掛けたのは意外にもレベリオの方だった。
散らばった体中の魔力を元の形に戻すのに、彼女ほどの脳みそのスペックがあれば数秒なんて生ぬるい速度ではなく、コンマ数秒あればなんとかなる。
今までそれをしなかったのは周りのディアボロスメンバーに自分のスペックを知られたくないという、仲間をも全く信用していないが故だった。
しかしながら、今のヒナを相手にそんな悠長な事をしていれば、自分が何かをする前に怒りをぶつけられて再び木っ端みじんにされてしまう。
時間停止の性質を誰よりも聡いその頭でよく理解している彼女だからこそ、魔法による致命的な一撃であれば自分を殺す事が出来ると知っている。なので、その一撃を受ける前に戦闘を終わらせなければならない。
それが“この場から生還する”第一条件だった。
そう、アイテムを使用して『最終決戦』の効果を打ち消す。
クラス専用スキルで逃亡する。
そんなのは、大前提としてヒナに致命的な一撃を打ち込まれて絶命しないという前提の下で成り立つ事だ。
ゲームの頃には無かった“無制限の強化魔法付与可能”という特性があるこの世界では、イシュタルが完璧なサポートをしつつ、ソロモンの魔導書という相棒がいる状態のヒナの『神の槍』であれば、一撃の元に消し飛ばせない相手などいるはずがない。
実際、ブリタニア王国でサンを相手に神の槍を飛ばした時だって、彼女が油断していたのと装備による魔法への耐性がかなり低かった事もあって死亡寸前まで持っていかれた。
それも、その時はイシュタルのサポート無しで……だったので、仮にあの場面で何か一つでもイシュタルによる強化の魔法が施されていれば、彼女はその瞬間にあの世へ旅立っていただろう。
「マッハちゃんは……うん、自分の役目に忠実だね。良い子だ」
姿を復元し、ヒナとケルヌンノスから一撃が飛んでくる前にサッとマッハを確認するが、ヒナに命じられた通り湖の底を注意深く観察している。
こちらに加勢に来る様子は無いし、こちらに視線を向ける事すらしない。
それは、完全にヒナやケルヌンノス、イシュタルを信用しての事だ。
普段であればその絶対の信頼関係は尊敬し、尊び、愛するべき対象として永遠と愛を語り尽くすレベリオだが、今はその絶対的な信頼関係が“ありがたかった”
『妖精の祝福』
ヒナとケルヌンノスが魔法を放つ直前、タイミングを見計らったかのようにイシュタルが強化魔法を施す。
それは、次に使用する魔法の効果を3倍にする代わりに、消費する魔力を倍にするという単純な物だ。
得られる恩恵に対して代償が発生するのでラグナロク内での評価はあまり高くなかったのだが、単純に魔法の火力を底上げするという部分ではかなり有用だった。
それに、ソロモンの魔導書を所持しているヒナからしてみれば、魔導書の効果で増幅された魔法の攻撃力がさらに3倍されるのに対し、使用する魔力は元の魔法のままというのだからそれがどれだけ出鱈目な物になるかは分かるだろう。
ラグナロクの運営だって、ソロモンの魔導書と『妖精の祝福』という夢のコンボを見つけた時には涙が止まらなかっただろう。なにせ、まさにヒナの為にある魔法と言われても文句は言えないのだから……。
これがイベントの首位報酬ではなく、単なるクエストをクリアする事で獲得出来る魔法だというのがさらに質が悪い。
なにせ、クエストをクリアする事で得られる報酬魔法に下方修正なんてしようものなら、ユーザーからの大バッシングを受けるからだ。
イベント首位報酬であれば『いくら首位報酬でも強すぎる』という理由で下方修正する事は出来るし、それを持っているユーザー――主にヒナ――に、個別にガチャを回す事が出来るアイテムを配布すれば済む事だったからだ。
実際、運営はその手法を使ってヒナの奥の手を何度も何度も封じて来た。
(完璧)
何も言わずとも、この場に最適な魔法を選択してサポートしてくれる存在とはなんでこんなに頼もしいのか。
そんなことをヒナとイシュタルが頭に浮かべたその瞬間に、ちょうど魔法が完成してレベリオに向けて放たれる。
『天を切り裂く龍神の咆哮』
『奈落の神の審問』
ヒナのそれは北欧神話に登場するとされる竜がモチーフとなった魔法だ。
周囲一帯に龍神の咆哮を響かせ恐怖デバフを付与し、移動速度を強制的に3割遅くする。それに加え、この魔法は竜自身が姿を現し、その鋭い牙と爪で攻撃を行う。
それは属性ダメージと魔法攻撃のどちらにも分類されるラグナロク内でも非常に珍しい魔法であり、たとえ魔法にかなりの防御を割いた装備を着込んでいたとしても“属性ダメージは軽減できない”という制約の元、防御不可の魔法ダメージとしてHPを削る。
この魔法の滅茶苦茶な所は、本来属性ダメージを与える攻撃にはソロモンの魔導書を始めとした『魔法による攻撃力をあげる』という部分がかなり控えめに適応される。
分かりやすく言えば、本来その効果によって得られる恩恵が100だとすれば、魔法ではあっても相手に与えるダメージが属性ダメージや物理ダメージ等の“魔法ダメージでない場合”は半分に抑えられるという特殊な仕様がある。
意外にも知られていないこの仕様だが、この魔法に限っては違う。
この魔法は属性ダメージでありながらもしっかり魔法ダメージとしてもカウントされるので、ソロモンの魔導書の効果を存分に乗せる事が出来るのだ。
妖精の祝福の効果も合わさり、この魔法の破壊力と攻撃力はまともに受ければ致命傷にならない方がおかしいほどの攻撃だ。
一方でケルヌンノスが使用した魔法は、ギリシア神話において奈落の神とされるタルタロスを討伐するイベント首位報酬として与えられたものだ。
対象者を奈落の底へと引きずり込み継続ダメージを与えるという比較的地味な物ではあるが、この魔法の素晴らしい所は――
「それだけは喰らっちゃダメなんだよね! 知ってるよ、ケルヌンノスちゃん!」
奈落に一度引きずり込まれてしまえば、その魔法の効果時間が終わるまでは一切魔法を避ける事が出来なくなるのだ。
それも当然で、ラグナロクにおける奈落とはつまり、何もない漆黒の暗闇を指す。いわば土に埋められる、深く登ってくる事が出来ない穴の中に落とされたような状態だ。
そんな状態で魔法を避けるなんて事が出来るはずがない。むしろ、目の前が暗闇で包まれているのだからどこから攻撃が来るのかすら分からないし、前後左右なんて物も無い。
明かりを灯す魔法を使用したところで、そんなものは真の暗闇では無意味となる。光が届かぬ真の闇だからこそ、そこは奈落と言われるのだから。
「……やっぱり、アイツはメリーナと同じでこっちの魔法の効果を大抵知ってるって考えた方が良さそう。たる、私の魔力回復して」
「ん、言われずともする」
足元に突如としてぽっかり空いた奈落へ続く巨大な穴をひょいっと間一髪で交わしつつ、ヒナの魔法を暗殺者の気配遮断スキルで回避したレベリオを睨みつつ、ヒナは考える。
(暗殺者の気配遮断スキルは勘だけでも意外となんとかなる。私が攻撃する訳じゃない魔法は止めて、今みたいな回避をされない為には直接ダメージを与える系の魔法じゃないとダメか)
竜を呼び出してその竜自身が攻撃するという特性上、その竜がヒナのような常人離れした気配察知能力を持っていないので、レベリオに攻撃を与える事は出来ない。
本来であれば目に見えない状態のレベリオすら、今のヒナにはそこにいるだろと半ば確信出来る物となっている。
だが、他の人間やモンスターが皆そうという訳では無いのだ。
(流石お姉ちゃん……。適正レベル90以上のこのスキルですら、ちゃんと私の姿を認識してくる……。剣士のクラスを取ってれば超直感とか意味わかんないスキルで対抗も出来るけど、それも無しに素でこれなんだから……)
剣士を極めた者にだけ提示される『剣聖の修行を受けて』という特殊なクエスト。
適正レベル95という馬鹿げた物でありながら、剣聖の強さは100レベルのステータスとかなり高いプレイヤースキル。そしてそれなりのスキルを複数所持していなければそもそもHPを規定量まで減らす事が出来ないという鬼畜仕様だ。
それは、当時比較的弱い神であれば1人でも倒せるレベルまで育っていたマッハが30分というかなり長い時間戦い続けようやくクリアした程だ。
システム上剣聖のHPが一定以下になるとクリアの判定を受けるので全損させることはできなかった訳だが、神以外からダメージを受けない装備を身に着けていなければクリアは不可能だっただろう。
それほどまでに鬼畜なクエストをクリアしなければ入手できないスキルを素で発動する事が出来る滅茶苦茶な魔王に驚愕しつつも、レベリオだってやられっぱなしではない。
何もしなければ確実にこちらが何かを企んでいる事がバレてしまうので、本気で彼女達を殺しにかかる。
『滅亡の朝日』
魔法でありながら物理ダメージを与える魔法を選択し、瞬く間に周囲の景色を破滅の光と炎で神々しいまでの白と痛々しい赤で染める。
ラグナロク内では天から太陽が降り注ぐ演出と共にダメージを与える範囲攻撃だったそれは、この世界では真っ白な光と血のように真っ赤な偽物の太陽が降り注ぐ。
ソフィーやジンジャーをも巻き込みながら大爆発を起こし、まともに喰らえば装備の効果も相まってヒナにとっては看過できないダメージになるそれは――
『返愛の神の啓示』
イシュタルが守護出来る範囲だ。
ギリシア神話における返愛の神であるアンテロ―ス。相互愛や同士愛の象徴ともされた神の魔法の効果は実にシンプル。
選択した対象が受けるはずだったダメージをそっくりそのまま自分に流し込みつつ、魔力を消費する事でそのダメージを無かった事にする事が出来るというもの。
仮にHPが全損するような攻撃だったとしても、その魔法を使用した者の魔力を8割消費する事によってHP損失を0に抑える事が出来るという魔法だ。
先程ヒナが使用したHPと魔力を選択させる『破壊と均衡の天秤』と似たような効果ではある物の、神の名を冠しているだけあってこちらの方が滅茶苦茶な性能を有している。
さらに言ってしまえば、イシュタルが保有している魔力はパーティーの中でヒナに次ぐほど膨大だ。多少魔力を消費したところで痛くも痒くもない。
完全に防御する事だって不可能では無かったが、そういう魔法は総じて『魔法の効果中は攻撃できない』という制約の元、その恩恵に預かる事が出来る。
『神の恐怖』
『死の通達』
一瞬でも攻撃を止めてしまえば、その隙を突かれて逃げられるかもしれない。
非常に薄い確率ではあっても、その危険性がある以上、イシュタルはその道を選ばない。
真っ先に頭に思い浮かんだ選択肢を排除して次に最適な魔法を選ぶのにかかった時間は一瞬だった。
それをヒナが誇らしく思い、ケルヌンノスが凄いと素直に感心しつつ、次なる攻撃魔法が同時に発動される。
彼女達が真に恐ろしいのは、言葉を交わすコミュニケーションを必要とせずともお互いが求める最適の行動を全員が行える点にある。
個々が神を単体で滅ぼす事の出来る強力な力を有しているというだけでも十分な脅威なのに、お互いを信頼しているからこそ出来る一瞬の隙も無い完璧すぎる連携。
ソロで討伐するのは不可能だと言われる強大な力を持つ神が複数登場したラグナロクで常にトップを走り続け、イベントでも首位を獲得し続ける事が出来たのはこれが理由でもある。
そんな事をしていれば当然、他のプレイヤーから『頭おかしい』だの『人間辞めてる』だの言われる訳だが……
「それを一番よく知ってるのは、私だから!」
ヒナとケルヌンノスから向けられる魔法を自身の魔法でなんとか相殺しつつ、それでも相殺しきれない攻撃を腕や足を欠損させ、一瞬のうちに再生する事で誤魔化す。
チラッとマッハとグレンの様子を確認しその機を伺い、まだだと悟れば再び攻撃を仕掛ける。
いつまで続くんだ……。
彼女が少しだけそう感じてしまう程に長く、実際には数分しか経過していない程度の時間が経過した後、戦場にマッハの声が響く。
「ヒナねぇ、なんか湖の底に人の影が見える~! なんか、私がタイマンで勝てるか分かんないくらいめっちゃ強そうな気配が2つ!」
ヒナはもちろん、ケルヌンノスやイシュタルもその声に意識を向ける事無く、目の前のレベリオに集中する。
マッハだって返答を期待しての言葉ではなく、行ってきますの報告だけしておこうという物だ。
だがしかし、それはレベリオにとって作戦決行を報せる最高の合図となってしまった。
『ここからが本番だよ、お姉ちゃん! 天宇受売命の舞踊』
彼女のようなPKプレイヤーが持っているはずがない神の名を冠した魔法。
それは、この絶望的な状況をひっくり返す逆転と奇襲の一撃となる。