187話 狂愛者の恐怖
レベリオこと■■は、幼い頃から変わった人間だった。
別に人の苦しむ姿が好きだとか、自分からあえて逆境に身を置くような、いわゆる苦痛を快楽と感じる人間でも無かった。
かといって、永遠に治療薬が見つからないだろう病である中二病みたく、幸せである事に苦痛を感じる……というような特異な体質でも無かった。
無論人よりその愛情が重すぎるというのは幼少期の頃からそうだったのだが、彼女の場合は蛙化現象が云々という次元ではなく、少しでもあぁ……と思った瞬間に、どれだけその人の事を愛していようとも気持ちの悪い存在へと変化してしまうのだ。
無論ヒナ以上に愛したことのある人間は彼女の人生で今まで居なかったのは事実だが、過去には付き合った事だって人並みにはあった。だが、それでも皆長続きしなかったのだ。
いや、話はそんなどうでも良いような事ではない。
彼女が幼少期から変わっていた事。それは、著しく外部的要因で受ける刺激を感じられない事だった。
どういうことか。
分かりやすく言ってしまえば、極端に共感能力が低いせいで相手から様々な感情を受け取ったとしてもそれを感じられないし、自分が何かしらの感情を抱く事すらかなり難しかったのだ。
怒りや悲しみ、絶望や苦痛。その他様々な感情が、幼少期から彼女の中で欠落していた。
どんなに感動的な映画やドラマ、小説や漫画を読もうとも涙腺は刺激すらされない。
どんなに嫌な事をされても、やられたから同じことをする。という程度の認識で、特になんの感情も無く相手に報復する事が出来たし、好きと言われても「好きって何?」と素で返すような子供だった。
だが、それでは生きづらい。むしろ、他人と違う所があれば幼い子供はそこをネタにいじめの対象として群がってくる。
それを、自身が虐めの主犯格になってなんとなくで同級生を虐めていた経験のある彼女はある時急に悟ったのだ。
それから、彼女は仮面をかぶるようになった。
(つまんない……)
仮面をかぶるようになれば、自然と人格だって少しずつ変わっていく。
仮面をかぶっている間だけは人を純粋に好きになれていた気がしたし、日々が彩りに包まれて一時ではあっても幸せな気分になる事もあった。
だが、それは所詮仮面をかぶっている状態の彼女であって、素の彼女では無かった。
そんな反面もあり、今までの恋愛は長続きしなかったのかもしれない。
なにせ、感動的な映画やドラマを一緒に見ようとなっても、相手が泣いていて自分が泣いていないなんて事はザラにあったし、少しエッチなシーンが流れたところで男と違い、彼女はなんの関心も示す事無くジーっと真顔で眺めている事が多かったからだ。
性欲をぶつけられる事それ自体は別になんとも思わない。
自分は相手に特に興味が湧かずとも、体を許せば何かが変わるかもしれないと思って許した事だってある。その結果苦痛しか感じる事が無く、余計に生きるのが嫌になったというのはあるのだが、今は良い。
そんな彼女が仮面をかぶるのを辞めたのは殺人を犯すようになってからだ。
(やっぱり、私は私のままでいなきゃ……)
特になんの感情も無く、ただ退屈だったからという理由で猟奇的な殺人を数多く犯している。その時点で、若干サイコパス的な要素はあった。
だが、彼女は正真正銘のサイコパスであり、ヒナに会うまでは仮面をかぶっていない状態で真に人を愛したことなど無かった。
それに、今まで人を愛したとしてもそれは仮面をかぶった別人格が人を愛したという事であり、素で彼女が愛した人間はヒナが初めてだった。
それもあってか、その愛は仮面をかぶっていた時のそれとは比較にならないほど深く、重く、歪な物となってしまった。
蛙化? バカバカしい。ヒナに対する愛情が冷める事は、未来永劫無いだろう。
それがヒナやレベリオ、またそれを取り巻く状況にある複数の人々にとっては幸運か不運か。その結論を出すにはまだ早いかもしれないが……一つだけ言える事がある。
それは、依然として彼女は、愛以外の感情の全てを知らないという事だ。
イラつきだってする。ヒナ相手に性的な興奮も覚える。
愛したい、恋したい、殺したい、抱きしめたい……その他、様々な欲求は変わらず彼女の中にある。それらは全て嘘では無いし、仮面をかぶっている状態とも言い難い。
だがしかし、そこにヒナやヒナの周辺の人々――マッハなんかの家族――が微塵も関わらない場合、彼女は変わらず無関心でいる事が多い。
唯一ディアボロスの面々に対しては素で殺意を抱く事はあるが、それだってヒナのそれに比べると児戯にも等しいレベルなのでカウントして良い物かは怪しいだろう。
なぜ今頃こんな話をしたのか。それは――
(え……?)
突如として頭を吹き飛ばされ、体中のほぼすべての臓器を一瞬にして腐敗させられたその瞬間、彼女は呆けた。間の抜けた表現だとは思うが、本当に呆けたのだ。
ヒナに殺されるのであれば本望。
その愛、殺意、憎しみ、怒り、悲しみ。全ての感情を一身に引き受けて、彼女に殺されるのであればそれに勝る喜びは……まぁ、数えるほどしかない。
その狂った愛情や言葉は本心からの物だし、つい数秒前までは本気でそう思っていた。
だがしかし――
(やだ……。やだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだ)
初めに脳を復元し、口を復元し、瞳を復元し、鼻を――
「お前に、メリーナの何が分かる!!」
「おまえなんかに、メリーナの事なんて分かってほしくない」
その再生が終わるよりも先に、さらなる魔王の怒りと冥府の神の怒りが彼女の体に降り注いだ。
神の雷は再び彼女の脳を焼き、口を焼き、瞳を焦がし、鼻を跡形もなく消し飛ばす。
ようやく再生が終わりかけていた胴体部分はさらに腐敗が進み、もはや再生するだけでもジワジワと命が削られていくような感覚が肌を刺す。まるで殺傷能力の低いナイフで何度もなんどもわき腹を刺されているような不快感と痛みではあるが、それでも嫌な物は嫌だった。
それがヒナやその家族。すなわち、自身が敬愛する相手から受ける攻撃であれば、どんな物だろうがどんな苦痛だろうが、彼女は満面の笑みを浮かべながらこう答える。
『最高のご褒美であり、ようやく両想いになれたんだね!』と……。
しかし、今の彼女は違った。
「あぁぁぁぁ!」
耳をつんざくような大絶叫がその場に響き渡り、ソフィーやジンジャーの鼓膜を一瞬にして破壊する。
彼女が言葉を発するのに必要な体の部位や器官は全て破壊されて使い物にならなくなっているはずなのに、魂でその絶叫をあげるかのように叫んだ。
それは、彼女が初めて経験した『死の恐怖』からくる、絶叫だった。
ヒナに殺されるのであれば本望。そう、本心から思っていた。
その為ならどんな苦痛にだって耐える事が出来るし、むしろ殺してくれとさえ思って居たレベリオが……。
幼少期から、どんな感情も湧かずにその心を常に”孤独”という二文字で塗り潰してきた彼女が経験する、初めての恐怖。
(お姉ちゃんからの愛……殺意、怒り、悲しみ……嬉しい。ううん、そうじゃない、こわい……。いいや、違う。嬉しいんだ。嬉しいって感じないと、それは私じゃない。わたしで、あって良いはずがない……。でも……あぁ、こわい……。おねえちゃん愛してる。違う、怖い。お姉ちゃんが、怖い。マッハちゃんが、ケルヌンノスちゃんが、イシュタルちゃんが、怖い。違う、愛おしい。愛おしくないと、私は私じゃない。でもやっぱり――)
彼女の心は、今完全に乖離していた。
ヒナを心から愛し、尊敬し、殺したいと願い、殺してほしいと願い、人の数百倍という濃度の重すぎる愛情を注ぐ以前までの“孤独なレベリオ”が。
そして、一方はヒナを心から恐怖し、憎悪し、その存在と強大な力に人の数百倍……いいや、数千倍という濃度で怯える“彼女すら知らぬレベリオ”が。その心の中で激しくせめぎ合っていた。
もしもだが、仮にここでヒナから何か言葉を受ければ彼女の心は以前のレベリオに完全に戻るだろう。
こんなにも愛おしく、そして狂おしいほどに怒りと殺意を向けて来てくれるヒナが怖い? そんなのはニワカファンがイケメンな男キャラに『殺して!』と半ば冗談で言っていたような“恋に恋する”状態なだけで、本当の意味で愛していないだけだ……と。
先程まで自分がそんな状態だったかもしれないという事を棚に上げ、自信満々に言い放ったことだろう。
「……」
「…………」
だが反対に、ヒナが何も言わなければ彼女の心は完全に後者の物へと至ってしまう。
人の心が分からない彼女にとって、今までヒナの心を綺麗に推測できていたのは、全て”自分だったらこう思う“という自分本位の考え方であり”自分だったらこうする“という、自己を中心にしてきた物だったからだ。
ただし、彼女自身の心が今現在自分でも分からない状態に陥ってしまえば、それはもう相手の心など察する事は不可能だ。
ここで彼女の口から何かしらの言葉を聞けたのであれば、それはレベリオの鼓膜を揺らして彼女の脳内で都合の良い意味に解釈されてまたあの狂人に戻っていたはずだ。
「…………」
「………………あぁ、いやだ……。いやだ、いやだ……」
ただし、人が本当に怒った時取る行動は大抵の場合決まっている。
それは『無言』であり『静寂』だ。
怒りのあまり声が出ないとはよく言った物で、それは強大な力を持つ魔王だろうと例外では無かった。
その瞳にありったけの怒りを乗せ、まっすぐレベリオの体だった一部の破片を見ながら一言も発さず、静かに次の一撃に備えて魔力を練り始める。
「こ、来ないで……。いや……やめて……」
今までの回復速度が嘘だったかのように“少女”は怯えた声を周囲にまき散らしながらなかなか体を再生しようとはしなかった。
どこか一部分でも再生させれば、再びあの恐怖が襲ってくると本能的に理解していたからだ。たとえ髪の毛一本だろうと、今は復活させることができない。
「ヒナねぇ、一応使うけどダメだったら言って。すぐ解除する」
少女のそんな声など聞こえない物とばかりに、イシュタルはそう言った。
次の瞬間彼女が唱えた魔法と発動した効果は、さらに“彼女”を絶望と恐怖のどん底に叩き落す物となった。
『最終決戦』
それは、どちらか一方が戦闘不能、もしくは死亡するまで強制的にその場に拘束する“抵抗不能”のイベント首位報酬魔法だ。
そしてそれは、ラグナロク内では日の目を見る事が無かった魔法ではあった物の、この時点、この瞬間では、恐らくどんな魔法・スキルよりも有用に働くだろう。
この瞬間、レベリオかヒナのどちらかの死は確定したのだから……。