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183話 おかえり

 全身を燃やし尽くすような怒りで染め、召喚獣相手にも怒気を隠す事無く己の感情をぶつける程に激昂しているヒナが、なぜ自分でファウストを殺害しに行かなかったのか。

 この世界で……。いや、現実の世界で殺人はした事が無かったので躊躇ったのかと言われるとそうではない。

 むしろ、ロアの街に襲撃に来た謎の人物は神の槍で既に消し炭にしてしまっているし、そういう意味では、ヒナの手は既に汚れてしまっている。


 そんなヒナが、今回に限って遠慮した理由。それは――


「話をしよっか。たるちゃん」


 膝を折り、ようやく少しだけ落ち着いて来たイシュタルににこやかな笑みを向け、ヒナは言った。


 イシュタルは家出をした。自分になんの相談も断りもなく、独りで家族の元を去ってどこか遠くの地へと行ってしまった。


 今回はたまたま見つけられたので良かったが、それでもヒナが死力を尽くしてなお数日という長い時間をかけなければ見つからなかった。

 そしてそれは、ヒナがラグナロク内に存在していたほぼ全ての魔法を集め、イベント限定の物も含めて召喚魔法を数多く習得していたおかげだ。


 魔力はほぼ無尽蔵にあったはものの、やはり生理の時とは比べ物にならない程の吐き気や頭痛、めまいや全身のだるさなんかに襲われ、気を失いかけた事も両手では数えきれない程だ。

 経験はしたことないので比べる事は出来ないが、鼻の穴からスイカを出すと良く例えられる出産とどちらか辛いか。そう言われると、彼女は前者だと即答するくらいには辛かった。


 今までの人生で両親が存命だった時は蝶よ花よと甘やかされて育ち、孤独になってしまってからはゲームの世界に入り浸って痛みや辛い事などあまり経験してこなかった。

 少なくとも肉体的な苦痛によるそれらは経験したことが無く、この世界で初めて味わう強烈な痛みは二度と味わいたくないと思うほどだ。それこそ、今のイシュタルと同じで泣き叫びたくなるのを気合だけで堪えていた。


 痛みに耐性がある訳でもなんでもないヒナがそんな所業に耐える事が出来たのは、一重にイシュタルへの愛ゆえだ。


 イシュタルは、どこかでもっと辛い思いをしているかもしれない。怖い思いをしているかもしれない。もしかしたら、今もどこかで彷徨っていて助けを待っているかもしれない。

 そう考えれば、自分のくだらない身体的な痛みなんでどうでも良かった。


 むしろ、あの時庇ってあげられず、無理やりにでも回復魔法を行使させようとした罰とすら思い、すんなりと受け入れられたほどだ。


「ヒナねぇ……」

「ん、ヒナだよ。たるちゃんが私達の元を……私の元を去って行った理由は、なんとなく分かってるつもり。けるちゃんが言ってたから」

「……けるねぇ」


 実際、ケルヌンノスが言っていたというそれは当たっているのだろう。


 段々と背中の痛みが引いて来たので自分で治癒を施し、ヘラクレスとシャングリラに礼を言ってヨイショと可愛く立ち上がる。

 下に庇っていたソフィーに一言謝り、ヒナに向かってぺこりと頭を下げる。


「ごめんなさい……。勝手にいなくなって……沢山、心配かけた。もうしない」

「……ううん、良いの。私がその原因を作っちゃったんだし、メリーナの件はたるちゃんだけの責任じゃないから。あれは、私達全員の責任。全員が、責任を負ってあの子の命を背負わないといけないの。たるちゃんだけが背負うべき物じゃないし、背負わせる気もないよ?」


 イシュタルが自分の元から離れていく原因になったのは、メリーナが命を落としたからだ。

 その全責任を自分1人の小さな、とても小さくて頼り無い背中に背負い込み、必要以上に自分を追い詰めた故だ。

 だが、あれはあの場にいた4人全員が背負うべき罪であり、責任であり、命だ。決してイシュタルだけの責任では無いし、他の誰かの責任という訳でもない。


「私が思う家族ってね? 辛い時や悲しい時、その苦しみを一緒に分かち合って少しでもそれを軽く出来る存在だと思うの。誰かに寄りかかりたい時、遠慮せずに寄りかかって良いんだよ? 誰かに泣きつきたい時も、頼りたい時も、全部ぜんぶ、遠慮なんてしなくて良いの。私達は家族なんだから」

「……でもヒナねぇ。ヒナねぇは……。ヒナねぇは、強いから……。その隣に居られるのは、マッハねぇみたいに強くて、けるねぇみたいに頼りになって、しっかりしてる人じゃないとダメなんじゃないの……?」


 それは、今までメリーナを始めとした彼女の隣に立ちたいと願っていた者達が総じて考えていた事であり、同時に口に出さず己の心の内に留めておいた事だった。


 ヒナの隣に立てるのは、大前提として彼女が認めた人物である事。

 次に、彼女と同じくらい強大な力を持っていて、しっかりとした自分の意志を持っていて、時に頼りになり、ヒナの支えとなれる人物だ。

 そして最も大切な事。それは――男じゃない事だ。男がその隣に立つなんて、ヒナが許しても周りの人間が絶対に許さない。


 いや、話が逸れるので男云々はまた今度にするとして……。


 そのイシュタルの言葉に、ヒナ本人は一瞬だけポカーンとした後、怒りを忘れたように全身から放っていた殺気と怒気を鎮め、静かに笑った。


「ふふっ、なにそれ。誰が言ったの、そんなこと」

「え……?」

「私、一度もそんな事言って無いし、思った事もないよ?」


 周囲の評価はともかくとして、ヒナはそんな、どこかの偉そうな王様が考えそうなことなど一度も考えた事は無かった。


 マッハやケルヌンノス、イシュタルを作成した時だってそんな事など深く考えず、ただ家族が欲しい。こういう性能のNPCがいればもっと戦闘が楽に進んで、ゲームも楽しくなるだろうと思ったに過ぎない。

 メリーナに興味を持ったのだって、どうしてそこまで自分を大切に想ってくれるのかと思ったのが最初ではあったものの、その実メリーナの実力や性格なんてものは雛鳥のかなり美化された評価しか聞かされていなかった。

 そんな状態で判断をするほどヒナは能天気な脳みそを持っていない。


 それでもなお、彼女の亡骸を自身のギルド本部に埋めると約束するほど、最後はメリーナを大切に想っていた。

 それは彼女自身が隣に居て欲しいと思ったからであり、周囲のくだらない評価や神に向けるような思想を全て無視した『ヒナの独断』で決められたものだ。


 誰に許可を取った訳でも、求めた訳でも無い。ヒナが自分で、この人は隣に居て欲しい。この人は嫌だ。この人は、ギルド本部に埋めたい。埋めたくない。

 そんな、数々の選択肢の中から自身で選択した結果だった。


「そりゃもちろん、私が隣に居て欲しいって思った人が、私の隣に居るのは嫌だって言った時は仕方ないよ? でも、そうじゃないなら私はその人には離れないで欲しいって思っちゃう……かな。仮にたるちゃんが『私じゃ釣り合わない』って思ったとしても、それは私が決める事であって、たるちゃんが勝手に決める事じゃないでしょ? まして赤の他人が勝手な評価で決める物でもない。私の隣に居る人は、私が決める権利がある。でしょ?」


 彼女は、もう無力だったただの孤独なゲーマーでは無い。まして魔王や神と呼ばれる超常の存在でもない。

 彼女は1人の人間だ。ただ1人の人間なのだ。


 そんな彼女が、周囲からの大きすぎる期待と評価によって隣に居る人間を自由に選べない。自分の意志で選べない。そんなのは、ただ不幸でしかない。

 そんなのは、まるで自分の意志の介在しない婚姻と同じであり、本当の幸せ――ヒナの求める幸せからは遠ざかってしまう。


「私が隣に居て欲しいって思ってるのは“マッハ”と“ケルヌンノス”はもちろん、“イシュタル”あなたもだよ? そこにグレンや緋雲が加わるかどうかは分かんないけど、でも、それらは全部私が決める事。周囲の勝手な評価だったり思い込みでどうこうなる物じゃない。そうでしょ?」

「…………ほんとに、私なんかがヒナねぇの隣に居ても良いの? こんなにワガママで、自分勝手で、任された仕事も出来なくて、勝手に離れて行った悪い子なのに……?」

「ううん、たるちゃんは良い子だよ。私の事を考えて、メリーナのことも沢山考えて、結果的に自分を悪者にして私達を少しでも楽にしようとしたんでしょ? 実際に、私達はメリーナの命を背負ってるって事を忘れて楽になろうとしたんだもん……」


 そう。ヒナは、一瞬ではある。一瞬ではあるが、イシュタルも含めた全員でメリーナや雛鳥に詫びる為に命を絶とうと考えたのだ。

 無論トライソンが憎くないのか。復讐したくないのか。そう問われれば、即答なんて生ぬるいと言えるほど強烈に、それでいて怒号のような叫びをあげながら言う。


『八つ裂きにしたいに決まってるだろ!』と……。


 だが、そんな怒りを抱えながらも楽な道に逃げようとした。

 自らの責任から逃げる事が出来る最も楽な道へ、一度、一瞬ではあっても逃げようとした。


 その選択肢が浮かんで来たのは、イシュタルがその全責任を負って彼女の傍からいなくなっていたからだ。

 仮にイシュタルがずっと傍にいて責任と罪悪感で押し潰されそうになっていればそんな楽な道を選ぶなんて選択肢は出てこなかっただろう。

 メリーナの命を背負っているとしっかり自覚し、その責任を取るべく辛くとも生き抜くという選択をしたはずだ。


「結果的にそうなってるんだとしても、たるちゃんが悪い子なんて私が言わせない。私が一時的にではあっても救われたのは、たるちゃんのおかげだから。そんな子を悪く言う人がいたら、私が消す。もしもたるちゃんが言うなら、分かるまで何度でも言う。あなたは、良い子だったよって」

「ひな……ねぇ……」

「ほら、おいで?」


 大きく両手を広げ、ヒナは言った。

 その大きくも薄い胸に顔を埋め、イシュタルは泣いた。痛みからでも、嬉しさからでもない。ただ、自然と涙が溢れて止まらなかった。

 どうして自分が泣いているのか、どうしてこんなにも幸せな気持ちが胸の奥から溢れて止まらなくなってしまうのか。


 それは、3人の中で最も賢いとされている彼女でさえ分からなかった。だが、考えるより先に次々と瞳の奥から涙が溢れてくる。

 喉の奥から号哭を奏で、ヒナの鼓膜を揺らす。


「うわぁぁぁぁ! ヒナねぇぇぇぇぇ!」

「うん、私はここに居るよ。ずっとずっと、たるちゃんの隣に居るよ」


 それからしばらく、その場には少女の号哭が響き渡っていた。

 辺りが再び静寂に包まれた後、イシュタルにだけ聞こえるようにヒナがポツリと呟いた。


「おかえり、イシュタル」

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