180話 死を司る天使サリエル
グレンの正体。それは、四大天使としてその名が知られているミカエル・ガブリエル・ラファエル・ウリエルに3体の天使を加えた七大天使と呼ばれる大天使の1体だ。
神の命令という名の大天使であり、死を司る天使と呼ばれるサリエル。それが、彼女の本当の名前だった。
神話上では他にもスリエルだったりサラカエルだったり、他にはザラキエルと呼ばれることもあるそうだが、ラグナロクでは『サリエル召喚』という召喚魔法で呼び出す事が可能だ。
その、拝む事すら恐れ多いと言わしめるほどの美貌を持つ彼女が邪な想いを抱くようなプレイヤーではなく、ラグナロク内で本気で生きていたヒナに渡ったのは幸運だった。
なにせ、男の手に渡ってしまえばアーサーのような聖人でもない限り、彼女は本来の役目で使われることは無かっただろうから。
それほどまでに、彼女の姿は美しく、気品に満ちていた。
その性格が終わっている事。そしてとても短気で苛烈なのを除けば、本当に欠点など何もない女性なのだ。
よく言うだろう『顔の良い性格の悪い人』か『性格は良いが顔が残念な人』のどちらと付き合いたいか……と。
グレンことサリエルは、前者の良い例としてプレイヤー間でよく話題に上がった物だ。
まぁ、大抵のプレイヤーはその問いに対して『前者しか勝たん』と口を揃えた物だが……。
その絶大な人気からゲームの広告塔になっていた彼女だが、その真の姿はヒナが『必要としなかった』せいでゲーム中では明かされていない。
ラグナロクというゲームはヒナを中心に回っていたと言っても過言では無いのだが、それはあくまでPVP等のプレイヤー間を意識した時に限られる。
ヒナを倒したいと思う者は彼女がどれだけの力を持っているのかを詳しく調べ上げ、それに対抗するべく策を練る。
その策をヒナが見破り、その上を行く策を……と、こんな感じで環境は回っていた。
しかしながら、ゲーム全体のバランスに関してはそうもいかない。
トッププレイヤーを基準としてモンスターや装備を実装していては早々にカジュアル勢や初心者、新規参入組が付いていけずにリタイヤして行ってしまう事になる。
なので、運営が常にヒナを意識していたという事は無い。
無論少しは意識していただろうが、彼女を大前提にゲームバランスを決めると他大勢のプレイヤーを切り捨てる事になるのでそれはしなかったというだけだ。
そのおかげでというべきか、それともヒナが運営の想定を遥かに上回る力を有していたからなのか、彼女はほとんどの冒険を自分と他3人のNPCで完結させていた。
グレンを連れている事はあったが、それは100回の冒険で2回あるか無いかという頻度であり、その冒険の最中でも彼女本来の性能を引き出すまでには至らなかったのだ。
当時のヒナはどこに敵の目が光っているか分からなかったのでグレンの性能をやたらにひけらかさないように、そして運営にもその強さが露見して弱体化が施されないようにと、決して本気を出さなかった。
結局のところ、運営がその強さを『ヤバいわ』と判断しなければ弱体化はされない訳で、その力が発揮されなければそもそも弱体化云々の話は出ないのだ。
(まだ……まだ、その時じゃない)
貧乏性のヒナだ。どれだけ窮地に陥ろうとも自分達の力とグレンの素の性能だけでどうにか切り抜け、今日までその性能を明かす事は無かった。
それは、暇さえあれば彼女をストーキングしていたレベリオでさえも例外ではない。
「……」
「我、ここに君臨せし死なり」
大きな鎌をブンと振り回し、神々しい光を背後から煌びやかに照らし出す天使。それこそが、彼女の真の姿だった。
その鎌に掠りでもすればそれはどんなに小さな傷だろうが致命傷となり、強制的に現存するHPの9割を削るという滅茶苦茶な仕様。
魔法を使用出来ない体になる代わりにその回復能力は神の名を冠するどのモンスターよりも凶悪で、傷を受けたとしてもすぐに回復し、HPを全損させるのはほぼ不可能。
オマケに強力なスキルを複数兼ね備え、召喚獣の中でもぶっちぎりの移動速度を誇る。
それが、死を司る天使サリエル。
いや、グレンの真の姿であり、本来の性能だった。
………………
…………
……
「ダメじゃない? この子」
イベント終了後、ヒナは自室にて配られたサリエルの性能を見て冷静にそう漏らした。
実際、文を見ただけでも彼女の異常さとその強さは理解出来る。
そもそも、一撃の内に彼女のHPを全損させる事は神の名を冠するモンスターを一撃で殺す事と同じように不可能であり、回復が自動的に行われるせいで回復の隙を狙って畳みかけるなんて事も出来ない。
いくら魔法が使えなくともそもそもの運動性能がおかしいせいでそのペナルティがまったく意味を成しておらず、高速移動の手段として次元間の移動という、瞬間移動の上位互換と言っても良いスキルまで所持しているのだ。
「変身後の攻撃力と俊敏性の値が変身前の7倍って意味わかんないでしょ。HPと防御力が一切増えてないって言っても、元々の数値がソロモン込みの最大威力魔法でどうにか……ってレベルだもんなぁ。ていうか、次元移動あるのに攻撃当たるの?」
そう。問題は、仮に彼女を一撃で屠れるような攻撃を放ったとしても、次元を超えて一瞬のうちに移動する彼女にそれが当たるのかどうかだ。
ラグナロクは分かりやすく言えばオープンワールド系のアクションゲームの形を取っている。
ターン制のバトルで自分が攻撃したから今度は相手……というような形では無いのだ。
それに、ターン制のバトルと違って攻撃すれば相手に必ずダメージが入るという訳でもない。
避けるという選択肢もあれば、相殺する、相殺した上で反撃する等、無数に選択肢が広がっている。
その、複雑ながらも奥深いバトルシステムも大ヒットを記録した要因ではあるのだが今は本筋から逸れるので良い。
「ジャスパーみたいに時間経過で元に戻るとかでも無いし……無敵じゃない?」
完全な無敵と言えばジャスパーが真っ先に名前を挙げる対象ではあるが、彼は時間経過で強制的に排除されてしまうのでそこまで強いとはされていないし、ヒナも魅力を感じないのでほとんど使用していない召喚獣だ。
だが、サリエルにはそう言った『ゲームバランスを考慮した救済システム』という物が、一切組み込まれていないのだ。
運動能力は全ての召喚獣の中で断トツ。HPや防御力は少し弱い程度の神と同じか少し上という程度の数値。変身前の攻撃力と俊敏性は最弱の神とほぼ同じ数値。
ここまでは良い。そう、ここまでは『イベント首位賞品として妥当』と辛うじて言われる範囲ではある。だが――
「ゼウスくらいならこの子だけでも倒せるんじゃない……?」
そう。
先程ヒナが言っていた通り、サリエルはその真の姿を晒してしまえば攻撃力と俊敏性に限り、その数値が7倍に膨れ上がるのだ。
それは神の中でもかなり上位に君臨している全能神に届くほどで、ヒナの直感でもサリエルなら単体でも勝利を納められると確信した。
「これは……使っちゃダメな奴だな」
ポツリと呟かれたそれは、いわば『強すぎるから運営の目に留まってしまえばすぐさま弱体化される』という言葉と同義であり、今まで無残な死を遂げて来た切り札達とは一線を画す強さにあると判断されたということだ。
これは、ちょっとやそっとのピンチでは使ってはダメだし、ヒナが所有している切り札の中でも五本の指に入るほど貴重で重要な物だ。
つまり、もうこれ以外に現状を打破する機会が無い。そう判断するまでは……いや、そう判断したとしても、しばらくなんとか耐えてみて、それでも無理そうな場合のみに使って良い切り札だ。
そう判断し、その真の姿と名前を隠し続けて来た。
………………
…………
……
「天使系モンスター……? そんな程度の低いレベルの奴が、最強の召喚獣……?」
そんな実情も知らず、グレンが真の姿を現した直後レベリオが発した第一声はそんなマヌケな物だった。
それもそのはずで、その姿はどう贔屓目に見ても……いや、誰が見ても『天使』というしかない姿なのだ。
だがしかし、ラグナロクでは天使というモンスターの評価はかなり低めだった。
大前提として頂点に君臨しているのは神。これは絶対だ。
その次に巨人や、人によっては悪魔が来る。ここはプレイヤーの匙加減というか、目玉焼きにソースをかけるか醤油をかけるかみたいな極めてどうでも良い内容なので割愛する。
どのみち、巨人が2番に来ようが悪魔が2番に来ようが、3番に来るのは2番にならなかった方なのだ。あまり変わらない。
四番目に地獄の民達と呼ばれる存在が来る。正確に言えば閻魔や地獄の番犬として知られているケルベロス等だ。
それらは召喚獣だったりボスモンスターだったりと様々な登場の仕方をするが、それはまぁ良い。
その後様々な種族を経由し、ようやく順位が二桁に入った辺りで名前が挙がるのが『天使』だった。
ここで言う天使には堕天使等も含まれているが、ここで問題となるのはプレイヤー間での常識として『天使はあまり強くない』という物があるという事。
無論ラグナロクをある程度やり込んでいる上位プレイヤー、中位プレイヤーの間ではという文言は付くものの、天使系の魔法がそこまで重宝されていないのを見れば分かるだろう。
言い方を変えれば『天使や天使系のスキルはインフレに置いて行かれた過去の副産物』だ。
無論強いか弱いか。その極端な二択であれば強いと答えるプレイヤーの方が多いだろうが、ヒナが愛用するか。それともしないか。それだけでラグナロクでの魔法の順位は決まっていた。
その結果は――
「お姉ちゃんの主力魔法は煉獄シリーズから神シリーズで、天使系の物はたまに使う程度だったはず……。マッハちゃんはそもそもスキル主体で魔法は使わないし、ケルヌンノスちゃんは死霊系以外の魔法は使えない……。それなのに天使……?」
一瞬、これが最強の召喚獣だと言われているなんて嘘では無いか。誰かの情報操作に惑わされていただけでは無いのか。種族だけ見ればそう疑ってしまうほどだ。
しかし、レベリオはそんな低能……いや、お気楽な脳みそは持っていない。
大前提として、この場に寄越された戦力を見れば彼女が弱いはずが無いのだ。実際――
「お主ら、良い子だな。わらわの邪魔をせず、そこで大人しく雑魚共の回復に当たっているとは。身の程を弁えているようだな」
そう。共に救援に来たはずのシャングリラとヘラクレス。世界を滅ぼしうる力を持っているはずの2人が一切先頭に参加せず、隕石やらなにやらの攻撃の下敷きになっていたファウストとジンジャーを救出し、回復魔法をかけているのだ。
それは、グレン1人で戦闘面は大丈夫だと考えているという事であり、イシュタルと3人の男女の仲がそれなりに良い事を悟った2人の気遣いだった。
(この方達が命を落とせば、イシュタル様が悲しんでしまうかもしれない……)
シャングリラとヘラクレスの頭の中には、2人が命を落として大号泣するイシュタルの姿と、その姿に怒りを燃やしてこの辺り一面を更地に変えかねない魔王の姿があった。
いや、むしろ怒号を挙げながらその力の全てを持ってこの世界を破滅へと導く存在がもうすぐここに到着するからこそ、万が一が無いように不本意ながらも救護を担当していたのだ。
「ね、姉さま……」
時間凍結を施していてもなお瀕死の状態の2人を心配そうに涙目で見つめるソフィー。
そんな『友』を見て、イシュタルは決意を固めたのかグッと握りこぶしを作り、スクッと立ち上がる。
「……ジャスパー、少しだけ向こうによって。私がやった方が、多分早い」
「ム? ソウデスナ。デスガ、マリョクのホウはモンダイナイノデスカ? シツレイデスが、アマリバンゼンのジョウタイデハナイヨウニオモイマスガ……」
「ん、これくらい問題にならない。ヒナねぇなら、多分魔力回復のポーションくらい持ってくる。最悪それを貰う」
先程の戦闘でイシュタルはソフィーに治療を施していた。そのせいで魔力が少しだけ枯渇状態にあり、装備の時間経過の回復では到底間に合わない量を消費していた。
それを瞬時に見抜いたジャスパーだったが、イシュタルの瞳に宿った固い決意に負ける形でコクリと器用にその骸骨を揺らした。
ただ、移動する為には展開している防御魔法を解除しなければならない。
(私の力は主様より賜った物。全ての魔法にインターバルなど必要としない私だが、果たして奴がその隙を見逃すかどうか……)
もしも防御魔法を解いた一瞬の隙を突かれてイシュタルに傷でも付こうものなら、ここに到着したヒナにその失態が明かされ、ジャスパーの命はそこで終わる。二度とこの世界に来ることも、ヒナの顔を拝む事も出来なくなるだろう。
いや、それよりも最愛の人の妹を傷付けられたとグレンが発狂する恐れもある。
変身後の彼女はジャスパーと同じで無敵に等しく、いくら彼でも戦うなんてバカらしいと結論付ける程の存在だ。そんな人に命を狙われるなんて御免だ。
「グレン、10ビョウでイイ。ソイツのウゴキヲトメテオイテクレナイカ。イシュタルサマゴジシンのキボウナノダ」
「高が骨風情がわっちに指図などするな、不愉快だ。だが……イシュタル様の望みという事であれば、今回は従ってやらんでもない」
その会話を聞いていたもう一人の女は、その瞬間に自分の計画が……この世界で最も愛している人に、さらに好意を向けてもらうという、その至高なる目的の為の完璧な計画がようやく遂行される。完成する。成功する事を確信し、ニヤリと気持ちの悪い笑みを浮かべた。
ヒナが到着するまで、残り3分。




