179話 狂愛者の秘策
グレンと剣を合わせながら、怒号と言う名の推しへの愛を、愛しい人への気持ちを吐き出していたレベリオは、ある一太刀を受けて体を両断され、腕を千切られる。
相応の痛みにもニコニコと笑みを浮かべつつ、グツグツと煮え滾る胸の高鳴りや怒り、愛しい人がもうすぐこの場に来てくれるという歓喜で全身をぐちゃぐちゃにする。
(早く……早く来てくれないかなぁ……)
彼女にとっての唯一の望みは『ヒナから自分と同じかそれ以上の愛を受ける』という物だ。
それが叶うのならばその道がどれだけ苦痛や苦境に塗れた物だろうが絶対に突破するし、どんな障害が目の前に現れようとも自身の力とお姉ちゃんへの愛で突破する。そんな気概を持ち合わせていた。
まるで中高生のスポーツマンが『絶対に全国大会へ進む』という熱意をもって地区大会や県大会の決勝戦に挑む時のような心意気で常に行動している時のように。
しかし、そんな彼女の厄介な所は、ただ『愛を受け取る』という目的の為に脳死で行動している訳では無いという事だ。
彼女の学歴は日本中を探しても類を見ない程高い物であり、その学力は中高ではそこまで目立っていなかった。
だが、それは彼女が『注目なんて浴びたくない』と考えてあえてテストの点数を下げていたからに他ならない。
世界一の難関と言われている大学だろうが満点合格出来るような頭脳を持っていたにも関わらず、彼女はそれを決してひけらかさず、誰にも本当の実力を見せずに学生時代を過ごしていた。
だが、大学ではその圧倒的な美貌とスタイルで嫌でも目立ち始めたので、本来の実力を一部分だけ曝け出し、大学内で高嶺の花的な存在。つまり、綺麗だが近寄り難い存在という虚像を創り出していたのだ。
そこまでして目立つ事を嫌っていた彼女を……生きる理由を探し、殺人という人の道から何歩も逸れた彼女を『この世界で生きる』人間に戻した存在。それこそがヒナなのだ。
(お姉ちゃん……。お姉ちゃん、おねえちゃんおねえちゃんおねえちゃん! 私は、あなたを愛し、あなたに愛されるためにこの世界に来たんだよね! きっとそうだよね!)
元の世界では、いくら彼女の住む世界で共に生きたいと思っても、それはあくまで『ゲームの中』という範囲でしかない。
絶対に無理だと分かってはいるけれど、仮にあの世界でヒナに見初められ、殺害する事が出来た唯一のプレイヤーとして世間から名を知られても、彼女はどこか虚しさを覚えるだけだっただろう。
なにせ、それは本当の意味での『死』では無いし、愛していると伝えたとしてもヒナ本人には決して届かないからだ。
無論チャットやログとしてその発言は残るだろう。
しかし、当のヒナ本人にはレベリオの熱意や愛情は数パーセントも伝わらない。
単なる文字列、最悪『自分を殺した憎き相手』からの言葉なんて受け取らないか、ろくに読みもしないでブロックするかの二択になるはずだ。
それは彼女の望むところでは無いし、不本意も良い所だ。
ではゲームのアカウントやSNSなどの情報からヒナを操っている人物を特定して実際に接触を持って殺める事は考えなかったのか。そう聞かれれば、彼女自身は「真っ先に考えた」と即答する。
しかしながら、いくら賢い彼女でもゲームの事しか呟いていないヒナのアカウントから出身地や住んでいる場所、家族構成やらどんな人物なのかを突き止める事なんて出来るはずが無かった。
技術が進歩した現代ではアカウントを乗っ取ったりハッキングしたりしてアカウント所有者の情報を抜き取る事なんてほぼ不可能に近い。
それこそ専門の知識を完全に網羅し、かつ一流の技術があれば可能ではあるかもしれない。
だが、残念ながらレベリオはそこまでの知識は持っていなかったし、そもそもそんな成果が上がるかも分からない作業をするならヒナの隣で生きる為に力を付けたかった。
ここでいう力とは、無論ラグナロク内での戦闘技術だけではない。
彼女に近付く邪魔者共を排除する術を学び、情報収集能力の強化を行い、ヒナの事を何日か置きに徹底的に調べ上げ、彼女の癖や考え方すら完全にトレース出来るようになるまでその戦闘を眺めた。
そんな、ストーカーもドン引きするような生活を送って来たレベリオでも把握する事が出来なかったヒナの情報は、彼女の現実世界での暮らしに関する物を除けば数少ない。
その数少ないうちの一つが、今現在目の前に立ちはだかっているグレンだ。
(こいつに関してはほとんど情報が無い……。バカみたいな戦闘能力の高さと有用性の高い数多くのスキルだけで最強の召喚獣って呼ばれてるけど……今のところ、その片鱗は欠片も見えない)
そう。今はただグレンの圧倒的な身体能力と魔法防御に割いている装備のせいで押され気味になっているだけだ。
ただでさえ、この世界では元人間というハンデを背負っているプレイヤーは、ゲーム通りの性能をフルで発揮出来る召喚獣やNPCとの肉弾戦では不利になる事が多い。
それは自覚しているし、その穴を埋めるために……いつかヒナがこの世界に来た時、堂々とその隣に立てるように地獄の鍛錬を積んだのだ。
それでも、ラグナロク屈指のグレンには敵わない。
まぁ最悪それは良い。ヒナ本人にだってタイマンで勝てるとさえ言われた存在にハンデを背負った状態の自分が勝てるはずが無いのだ。そこは割り切っているし、理解もしている。
でも、それでは説明が付かない事がある。
(お姉ちゃんは、自分がこの場に来るよりも確実にイシュタルちゃんを守れると判断してグレンを含めた他の4体を寄越したはず。防衛に適した魔法を持ってるジャスパーとシャングリラは分かる。一番弱い影正が指揮官ってのはイシュタルちゃんを見つけたのがあいつだからかな?)
数秒でそこまで考え、体を再生させながらも脳を回転させることは止めない。
その顔は今日のご飯は大好物のカレーだと言われた時の小学生のそれのように幸せに包まれており、恍惚とした表情と表現するのが最もふさわしい。
(お姉ちゃん……いや、少なくともマッハちゃんはグレンを含めなければ誰よりも早くこの場に来れたはず。攻撃力も防御力も申し分ないし、殺すって目標を立てるなら姉妹の中でもイシュタルちゃんに続いて難しい……)
アンデッドであるケルヌンノスが殺せるのかという問題は一旦置いておいて、ヒナを抜いた3姉妹の中で最も殺すのが難しいのはイシュタルだ。
その圧倒的な防御力と回復魔法やスキルの数々は、HPを削り切るという目標を設定した場合は姉妹の中で最も難しくなる。なにせ、一撃でHPを削り切らない限り全回復されるし、身に纏っている装備はわざわざヒナが厳選した物だ。どれだけそれが無謀な事なのかよく分かるだろう。
それに、この世界では臓器やその他諸々が致命的な損傷を受ければHPが全損していなくとも死に至る事がある。
しかし、それはあくまでプレイヤーの場合であってNPCや召喚獣に関してはデータが存在していない。なにせ、ディアボロスの面々は基本的にNPCを作成していないので実験などしていないし、戦闘に特化したまともに戦えるレベルのNPCの作成に成功していたのはヒナだけだったから考えていなかったのだ。
もしも彼女達に『HPゲージしか反映されない』というボーナスが付与されているのならば、イシュタルを殺すという目的の達成自体が怪しくなる。
彼女が一度行動に移したのは賭けだったのだが、結果的には求めた物は手に入ったので結果オーライだ。
話を戻すが、マッハはイシュタルに続いて殺す事が困難な存在だ。
その圧倒的な身体能力と剣の腕は恐るべきものがあるし、3姉妹全員に共通している『ヒナが厳選した装備を見に纏っている』という強大な前提条件のせいで殺す事がほぼ不可能なのだ。
(それでも、お姉ちゃんはマッハちゃんを先行させるよりもグレンを寄越した……。そこには何か意味があるはず)
戦力的な意味でグレンを選んだのであれば、それは『グレンとマッハを向かわせれば良い』という結論に至るだけなのでこの問いの答えとしては相応しくない。
ではイシュタルの元に到着する速度の問題でマッハよりも身体能力が高く、時空を移動するという『特別な』スキルさえも所持しているグレンを選んだのか。
いや、それも違う。
(それなら、私がここに到着した時点で……いや、もっと前からその姿を見せてたはず。だから、彼女達がお姉ちゃんに与えられた命令は『イシュタルを守れ』という類の物。近くにいた雑魚共の処遇は、イシュタルちゃんとどんな関係か分からないから保留。もし危害を加える事があれば殺しても良い……とか、そういう感じかな)
もしも彼女達に与えられた命令が『イシュタルを連れて帰れ』という物なら、彼女がこの場に来るよりも前にその命令を果たす為にその姿を現していたはずだ。
仮に合流するのが遅れたというのであれば、全員揃ってイシュタルに危害が加わると判断したタイミングで登場するはずがない。それこそ、戦隊物のヒーローのように揃って登場する必要はなかった。
つまり、彼女達はあくまで『イシュタルを守る』という事だけを命じられており、その同行者に関してはどうでも良いと指示を受けているのだろう。
普段のヒナであれば彼女達も守れと命じたはずだが、今は精神的な余裕が無いはずなのでそこまでは考えなくて良い。むしろ、そういう歳相応な所が彼女の魅力でもある。
(後考えられるのは、自分達がイシュタルちゃんと顔を合わせるのが気まずいとか……? いや、それならわざわざ護衛なんて寄越さない。護衛がバレれば自分達の存在がバレるんだし、一時的な凌ぎと考えた方が良い)
あくまで彼女達は“自分達が行くまでの保険”であり、もしものことがあった場合の時間稼ぎ要因でしかないだろう。
その規模が世界を滅ぼせる戦力である事に関しては『流石』の一言で済ませるしかない。
つまり、そう遠くないうちにこの場にヒナが来る事は最早疑いようがない。
だからこそ、レベリオはあの策を実行に移すべく思考を巡らせているのだ。
(なら、この子達を寄越してマッハちゃんを寄越さなかった理由は結局何? 自分の傍から離れてほしくなかった? それとも何か別の理由が……)
「随分余裕だな。勝負の最中に考え事か? わっちを舐めているのか?」
「ッチ!」
瞬間、耳を削ぎ落されてレベリオは数歩後退する。
何が起こったのか一瞬分からずイライラが心の内に溜まるが、それも目の前の女が不敵に鎌をクルクルと回している姿を見れば状況把握に時間はかからない。
「ようやく本気か? 今のは次元断だろ」
「わっちの力の一端は知っておるのか。最低限だな」
次元断。それはグレンに備わっている力の一部。空間を切り裂き、どこまでも続く斬撃は目に見えぬ斬撃となって対象者に襲い掛かり、膨大な“属性ダメージ”を与える。
通常の回復魔法やスキルでは傷を癒す事が出来ず、一定時間HPを数パーセント削る無効化できない状態異常を付与する。
「では、これは知っておるか? 『God with us』」
その瞬間、グレンの本当の姿が晒される。
四枚の天使の羽が背中で羽ばたき、神々しい光を放つ輪が頭の上にポーンと浮かぶ。
きらりと光る八重歯は元気っ娘と言うよりは好戦的な印象を与え、その豊満な胸元は天使の姿に相応しく控えめな物へと変化する。
天空から天使の福音という名のラッパの音が響き渡り、大天使の降臨を祝福していた。
「さぁ身の程知らずの哀れな娘よ。我の前にひれ伏し、己の愚かさを知るが良い」
「……」
『Blessing of death with you』
溶けるような甘い吐息と共に吐き出されたその言葉は、空気中に離散し、瞬く間に効果を発動させる。
ヒナが到着するまで、残り7分。