178話 超えられぬ壁
意味不明な事を羅列しながら斬り合い、殴り合い、罵り合う2人を見つめながら、1人の少女は自分が妹のように思っていた人が超常の存在である事をようやく認識した。
その気弱な態度と謙虚すぎる姿。
どこか自信なさげで悲し気だった彼女からはそんな気配を全く感じなかったし、むしろ自分よりも下の存在であるとどこかで見下していたのかもしれない。
だが、自分がこの世界で誰よりも強いと信じて疑っていなかったジンジャーを容易く屠り、ほとんど言葉を交わした事は無くともその剣筋を見れば只者ではない事は分かるファウストが手も足も出なかった。それだけで、敵方の技量やその強さは想像出来る。
いや、それすらも生ぬるいかもしれない。なにせ、こちら側の攻撃はほとんど意味を成していないどころか、今までまともに相手方へヒットしていないのだ。
全て相殺されるか躱されているのに、なぜ相手の強さを測れた気になっているのか。
そして、それは突如として現れた5人についても同様だ。
(この圧倒的な存在感と力の波動……それに、魔力の桁が違いすぎる……。姉さまでも、ここまでの魔力量は保有していないはず……)
相手方から感じる魔力の反応。
それは、ジンジャーが開発した『相手の保有魔力量を観測する』という魔法でも計り知れない量に上った。
計測不能と結果が表示されているのは彼女の人生で初めてであり、ジンジャーでさえも膨大ではある物の数値として魔力量が換算出来ている。それを考えれば、5人が異常な存在である事は分かる。
そして、そんな者達に命を賭けて守られているイシュタルも、彼女達が『主』と崇めるイシュタルの姉も、只者ではない事は嫌でも認識させられる。
(いや、違う……。元々異端者だって説明は受けてたんだ。私がその認識を誤っていたんだ……)
異端者という存在はジンジャーから散々聞いて来ていた。
母がそうだったというだけではなく、自分が生まれる前に襲撃してきた連中も、恐らくは異端者だろうとジンジャーが考えていたからだ。
その中で、彼女は異端者がどれだけ恐ろしい存在で強大な力を保有しているかを耳にタコが出来る程に聞き及んでいた。
しかし、心のどこかで『私や姉さまであれば勝てるだろう』と考えていたのだ。
ジンジャーでさえ、幼き日は後れを取ったが今であればあんな無様な姿は晒すことなくソフィーを守れるまでにはなっているだろう。そう考えていたのだから無理もないが……。
ただ、彼女達はあくまで異端者の血を引き継ぎ、圧倒的な魔法に関する才能と常人では保有しえない魔力量。日々の研究によってその強さを獲得した『少し強い現地人』というだけだ。
一方で、それらの時間に匹敵するほどゲームに時間と労力を費やし、さらには課金という一種の反則技にまで手を出して己を強化しているプレイヤーとでは力の差は歴然だ。
いや、そもそもゲーム内で当然のように扱われているHPの自動回復や各種耐性なんかは、こちらの世界の人間は持ち合わせていない。
傷が勝手に癒える事は無いし、耐性なんてものはその言葉の意味すら分からないだろう。もしかすれば精神支配なんかは効きにくい……程度の事は感じているかもしれないが、それは体質だからという一言で片付けてしまうはずだ。
そんな少女が、グレンとレベリオの目で追うのも困難な戦いを目の当たりにすれば……理解できない高度な魔法で身を守っている異形の魔法使いを目にすれば……心に小さな闇を抱えてしまうのは無理も無かった。
「やっぱり……私みたいな人間には……許されない、か……」
気付けば、誰にも聞こえないような小さな声で、少女は呟いていた。
セシリア――イシュタルが傍にいる生活が段々と当たり前になってきていた。ようやくその生活にも慣れて来たというのに、やはりというべきか、彼女には自分達以外にも心配してくれる存在が居たのだ。
考えてみればそれは当たり前だし、むしろ迎えを寄越すのが遅すぎると文句の一つでも言いたいくらいだ。
だが――
(いいな……。隣に、堂々と居れて……)
非常に短い期間ではあったけれど、彼女と過ごしたのならもうその傍から離れたくはなくなるだろう。なにせ、彼女は『いい子』すぎるのだ。
理想の妹。理想の家族。理想の子供。それらを全て兼ね備え、集結させたような存在である彼女は、傍に置いておくには可愛すぎる。愛おしすぎる。
常に姉を立てて敬意をもって接してくれるのはもちろん、完全に従うわけでは無く違うと思う所はキッチリ反論する度胸も持ち合わせている。
甘え上手で時々苦笑いしながらも仕方なくなにかしてあげたくなる愛嬌と絶妙な加減で母性をくすぐるような言動の数々。
一見おとなしく落ち着いているように思えるが、その本質はただの子供であってどこか抜けていて……まるで、自分達の本物の妹のようであるかのようだった。
恐らく、そう感じていたのはソフィーだけでは無いだろう。
ジンジャーでさえ、彼女のある種恐ろしい面には気付いていただろうが、気付かないフリをして凌いでいたに過ぎないだろう。
彼女を創り出した存在が……。そう、彼女自身が言うように、もし彼女を創った人間が居るとすれば、その人物は恐らく『人よりも愛情に飢え、家族に憧れを抱き、家族を創りたいと思う程にどうしようもない孤独の中で生きて来た』ような、そんな人物だろう。
きっとその人は、イシュタルを単なる癒しの道具として創り上げたのではない。それであれば、ここまで彼女が姉を慕い、尊敬し、恐れ、完璧な妹としての機能を持つはずがない。
戦いの傷を癒すための道具であれば、それ以上の設定など必要ないだろうから。
「貴様は何も分かってないな凡愚! わっちは主様の全てを愛しているのではない! あの方の、冷静さを失えば何者をも寄せ付けぬ怒りを発するところや、周りが見えなくなるほどに熱中する事柄があればそれに突っ走り、他の事を放り出してしまうところは直してほしいと思いこそすれ、愛すべき対象ではない! それもあの方の魅力の一つではあるが、盲目的に愛して何になる! 愛とは! 恋とは! 己を高め、相手を高め、ともに現在地から更なる高見へと進むために共に歩む手段でしかない! 心意気でしかないだろう! 全てを愛してしまえば、それは現在地から下る事になる! 全てを認めては、成長などできまい!」
「分かってないのはお前の方だろ! お姉ちゃんは全てが完璧なんだ! 全てが可愛いんだ! あの人が怒るところも泣くとこも、嘆くとこも喜ぶとこも笑うとこも、絶望するとこも打ちのめされるところも、全てが可愛いんだ! 愛するべき対象なんだ! その人の全てを愛して、あいして、あいしてあいしてあいして! そして受け止めてこそ、あの人の傍にいる資格を初めて得られるんだ! 欠点すらも愛して、私の全ても愛してもらってこその愛なんだよ! 全部を愛して、ドロドロに愛して、恋して、受け止めて、地球よりも重く、宇宙よりも深く広い愛を向けてこそ、本当の愛なんだよ!」
『あぁ!? 何言ってんだお前!!』
究極の同担拒否同士が、鎌を、剣を振り回し、戦場を突風のように駆けながら言い争う姿は実に醜く、そして美しかった。
戦場に咲く血の大輪。剣と鎌がぶつかり、飛び散る火花。見た目だけで言えば美しい女性2人が戦う様は、どこからどう見ても神話の一幕だった。
そこに立ち入れば神話の登場人物ですらない、そこら辺の石ころと同程度の価値しかない者はまるで虫でも払うかのように瞬殺される事だろう。
その空間で存在を許されるのは彼女達と同じく神話の登場人物である他の4人とイシュタル。そして、彼女達が言い争いをしている原因……というか、大元でもある『お姉ちゃん』『主様』と呼ばれるイシュタルの姉だけだろう。
(なんで……。なんで私は……ここにいるんだろう……)
異端者でもなければ、それ相応の力を持っている訳でもない。いや、実際には持っていると思っていたが、所詮は思い上がりだったと、たった今思い知らされた。
彼女達の前では自分と単なる一般人の違いなんて無いに等しい。ちょっと力がある、この世界では指折り。そんな肩書など、彼女達の前では等しく無意味なのだ。
異端者には異端者の『強さ』があり、その強さにも序列があるのだろう事は流石に分かる。それでも、彼女達がその最上位に君臨している事は間違いないだろう。
逆にこれで最底辺などと言われたら、ソフィーは立ち直れない。そんなに高い壁が……超える事の出来ない高く分厚い壁が、自分とイシュタルの間にあるなんて思いたくなかった。
「わっちは惚れた相手を殺したいなぞとは思わぬ! 惚れた相手とは少しでも長く、1分1秒でも長くその隣に居たいと思うのが自然だ! それをなんだ! その幸せな時間を自ら手離そうとするだけでなく、最愛の人を自らの手で殺めるだと! ハッ! ちゃんちゃらおかしいな! それは貴様の殺人衝動にその者を巻き込んでいるだけであって愛情でも恋でもなんでもないわ! それをわっちと同じ尊く穢れの無いまっさらな気持ちと同列に語るな! 不快極まりない!」
「だからお前は分かってないと言ってるんだ! 全てを愛するってのはつまり、死んだ姿も、死んだ後も愛するって事なんだよ! その人を本当に愛してるなら、その人が死んだ後も他の人に感情を移す事もなく、ただその人だけに愛情を注ぎ、恋心を注ぎ、死してなおその遺体や遺骨と共に暮らす事を本物の愛と言うんだよ! それをなんだ! まさか、死んだらその人の事は忘れてまた新しい愛を注ぐ人間を探すってのか!? 私から言わせれば、そっちの方が愚かしい! 意味が分からん! お前の愛するって気持ちはその程度なのか! 死んだらそれ以上愛は注がず、本来その人に注ぐべきだった愛を、恋を、劣情を、殺意を、欲情を、その全ての感情を他の人間にぶつけるのか!」
「お前の中には共に生き、共に笑い、泣き、苦しむという発想が無いらしいな。死してなおその人を愛する事は素晴らしいとわっちも思うが、他の人間に愛を注ぐことを完全に許さぬという訳ではない。死してなお己に縛り付けられていてはその人が幸せになる機会を奪ってしまう事になりかねないではないか。それを考えれば、わっちは己が死んだ後は主様に次のお相手を見つけてもらいたいと思っている。まぁ、わっちが死ぬなぞあり得ぬし、主様がお亡くなりになるなんてことは絶対に無いがな! なにせ、わっちが守るからな」
「んだと、ごら! 単なる召喚獣の分際で!」
「貴様こそ、単なるストーカーの分際でよくもまぁそんな知った風な口を利けるものだ」
その瞬間、お互い数メートルの距離を取ってピタリとその動きを止める。
口元には不気味なほど薄気味悪く、思わず逃げ出したくなるほどの怒りと殺意の込められた笑みが作られていた。
グレンの持つ鎌は怒りでプルプルと小刻みに震え、レベリオの持つ刀は言い表せ用もないほどの“幸福感”で震えていた。
「わっちは――」
「私は――」
『あの人を愛してる!! それだけは確かだ!』
数年来の親友のように声を合わせ、戦場に怒号が響き渡る。
ヒナが合流するまで、残り18分。